7 破壊の赤
引き返す道。
探偵は再度暗闇の中、倉庫を散策しながら、周囲に視線を巡らせる。
薄暗く、ほこりをかぶった、広い倉庫。
情報を整理しつつ暗闇を歩く最中、思考と脚が止まる。
誰もいない、と思っていた道にまたも影一つを見つけたからだ。
「――――」
声はない。ただ息遣いが聞こえるのみ。
探偵が何かを問う前に、ぼう、と光がともる。
光に照らされたのは、白髪を腰ほどまでに延ばした、老年に差し掛かった女性。
光源は、老婆の手のひらに灯る炎だった。
装いは最低限にしか着飾っていないにもかかわらず、佇まいから高貴さがにじみ出る。
使い古した大ぶりな杖を携えていて、魔術師として一角なのだろう、と誰もが一目で理解できる風貌。
隠し切れない威厳を溢れ出させながらも、伸び切った背筋が老いを感じさせない。
「――カカ、見かけぬ顔がいるねえ」
老婆の声が地に響く。
しわがれているにもかかわらず、はつらつとして。
自信に満ち溢れたような、威風堂々とした声だった。
「どうも」
探偵のあいまいな返答に、老婆は首を横に振る。
「そんなつまらん会釈を求めてるんじゃあないよ。アンタ、こんな片隅で何をしてるんだい。どぶ漁りも積み木崩しも趣味でないと見えるが」
探偵は手に持っていた木片の先端についたほこりを一瞬見つめた後、ぽい、と捨てた。
「なに、ただの調査ですよ」
老婆は怪訝そうに眉を顰める。
「眼の先にはガラクタの山しかあるまい。そこに何を見た?」
「過程です。あらゆるものがはらむ歴史をほんの少し、覗かせてもらっていたのです」
「ごまかすような物言いだねぇ」
老婆は首をかしげながら、探偵をじろりとにらみつける。
「昔、アタシの家に入ろうとしたコソ泥も似たようなことを口走ったよ」
「痕跡から何が置いてあったか、それくらいは想像できるという話です」
探偵は微笑み、言葉を返しながらかがむと、床を人差し指でなぞり、かき集めたものをそっと掬い上げた。
「ほら、ここにそう古くもない木の破片がある――それも、大きな長方形を象るような跡が、いくつもね」
探偵はぱらぱら、と手の中から散らすように、木片をその場に落とす。
「ここには木箱で管理するようなもので、自重で木箱の隅を傷つけてしまうほど重く、かつ大容量の箱で扱われる代物があったのでしょう」
「そういわれてもピンと来んねぇ」
「ふつうそんな取り扱い方をしないモノを、妙な持ち込み方をしたのだろう、と考えています。何か隠匿したい理由があって、かつ普段扱わない方法でここに一時保管したからこそ、少々粗が出た」
「つまり、ここには重くて非合法な管理をするモノが存在した、と」
「私の国でそんな言葉を聞けば、金の密輸でも想像する人間は多いでしょうね」
「錬金術に到達したこの国にとって黄金なんて大した価値でもないねぇ」
「それなら――きっと、ここには、武器でも置いてあったのではないですか」
「――そりゃあ、踏み込みすぎだ」
老婆は人間一人分の杖を指先一つで軽く回すと、探偵へその先を突きつけた。
「アタシがその武器を用意した側であったなら、どうなるかなど分かってるだろうに」
探偵は小さく目を見開くと、「まさか」とつぶやく。
「違うでしょう。この学園の長であるあなたに、この学園で無駄な証拠を残すような真似をする理由はない」
老婆――学長は杖を下ろすと、露骨にため息をついた。
「なんだ、知ってたのかい。つまらないね」
「つまらない脅しを受けたのはこちらですよ。人類最高峰の魔術師に杖を突きつけられる一般人の身の上にもなっていただきたい」
「三十年は昔の話さ。今じゃ若造どもの速度について行けやしないよ」
「口ではそう言っても、目はぎらついてるようですが」
学長は歯を見せて笑いながら、杖の下端を地面につける。
「それはともかく、アタシもアンタと似たような理由でここに来た。この学園の水面下で何が起きてるかちょいと探りを入れてやろう、ってね。もっとも、アンタみたいな悠長な真似をせず、ここに来た犯人にでも尋問して手っ取り早く情報を得ようと思ってたんだがね」
「――なんて物騒な」
探偵が一歩後ずさりするのを見て、学長はヒヒヒ、と引きずるように笑う。
「いいねえ、生意気な若造のそういう顔は嫌いじゃない」
「……いい趣味してますね」
「カカ、そうほめてくれるな」
学長は石の床の上で、木製の大杖を滑らせ、自らの周りに円を描く。
「おや、尋問されても何も出せるものはありませんが」
「へぇ、国宝の話も――何も話せんかね?」
「そのあたりもご存じですか」
学長はシワの寄った頬をさらに、くしゃりとゆがませる。
「アタシの庭で盗みをした疑いはないようだからねぇ、その辺は見逃してやるさ」
「それはありがたい」
「本題さ。今ね、ちょいと周囲の魔力の乱れを調べてみた。微弱だが、歪みがある。【軽量化】や【輸送】のような類じゃあない、色のついた魔力だ」
「――色のついた、ですか」
ピンときていない探偵の様子に、学長は「簡単な説明だがね」と前置きをしつつ、口を開く。
「魔法が持つ『属性』と言うべきものさ。古代においては人間と魔術が持つ属性を共鳴させ、より強力な魔術を扱うための研鑽が進んでいたんだ。もっとも、現代じゃあ『強さ』より『利便性』を求めるようになった。多くの魔術は一般化され、あらゆる人間が扱えるように無色の魔術へと変遷されていった――飲み水を作る魔術も、昔は【青】の魔術だったが、凝結を利用した『無色』へと姿を変えていったのさ」
「……なるほど?」
探偵の気のない返事に、学長はため息をつく。
「興味なさそうだね」
「そんなつもりはありませんが、魔術の原理に関して初心者ですのでそっけない返事しかできんのですよ」
「なら結果だけ言おう。ここにあったのは太古の【赤】の魔術式の残り香。世界でもっとも攻撃的な破壊の因子さ」
「それを扱うとどうなるのですか」
「【赤】を扱う人間には紅い紋章が顔や体に浮き出る。文献程度の話だが、【赤】を使えば【竜】だって簡単に、とは言わずとも計画的に狩れる相手になるらしい。現代で活躍する冒険者どもの上澄みですら苦労するってのにねえ」
学長は面白がりながら、言葉を続ける。
「もしも【赤】の魔力を宿した武器を扱える人間が百もあれば、この街に混乱をもたらすのはたやすいだろうし、千もあれば制圧と占拠も難しくないだろうねぇ」
探偵は辺りをぐるりと見渡す。
手元の灯りだけでは奥まで見渡せないほど長大な空間が視界に入る。
「――もし、剣や槍だけで十分と言うならここには数千もの武装を収容できる可能性はありますよ」
「カカ、そう焦るでない、若造。その武装がココに運び込まれたのは展示会に乗じてだろう。なら、ここは展示品の仮置きとして使われてたからねぇ、せいぜい一割くらいしか余計なものを置く隙間はなかったろうよ」
「それでも数百、と言うことになりますが」
「そも、一番の問題として、無色ならざる魔術ってのは現代の人間にはほとんど使えない。生まれたころから【赤】の魔術の訓練を積まないとまともに扱えないくせに、そんな訓練をしてしまえば現代魔術たる【無色】への適性を失っちまう。よほどの変わり者だって、他人が作った武具に宿った【赤】を扱おうとはしない」
学長は、こんこん、と杖で地面をたたく。
「つまり、ここにあったのはまともに扱えやしない古代の遺物が数百丁あっただけ。どこぞの馬鹿な貴族が詐欺にでも巻き込まれた、って結論付けるのが妥当だろうねぇ」
学長は、うむうむ、と大げさなそぶりでうなずいて見せる。
探偵はその様を、白けた眼で見つめる。
「自分でも信じてないウソを語ったところで誰も信じませんよ」
学長は「なんだいつまんないねえ」とつぶやきながら首をすくめる。
「アンタも同類だろうに」
「ハハ、私は嘘をつかず、ただ真実を明かすのが生きがいですので」
「じゃあ、嘘つきならぬ『真実つき』の若造はどう見る?」
探偵は「ふうむ」とつぶやきながら、周囲に目を凝らす。
「ここにあった武具を身に着ける対象がグランブルトの民でなくともいい。そう考えるのは少々穿ちすぎですかね」
学長は「イイトコ行ってる」と言いながらも、首を横に振った。
「しかし、具体性がないねぇ、再提出だ」
「おや、手厳しい」
「――ま、魔術を知らぬ身で見当をつけたにしては悪くない。そこは褒めてやるとも」
学長はぞんざいな手つきで拍手をする。
「どうも」
「だが、逆に言えばそこまでしか至れない」
学長は腕に抱いた杖を真っすぐに、探偵へ突きつける。
「これ以上先はアンタが出張る領域じゃあないよ」
切っ先のように向けられた杖の先端は、探偵の目前へ。
「だから手を引け、と」
「そういうことだ」
「確かに、私は魔術に対して少々知識が浅い。表面上なことはともかく、その奥に至るのは少々厳しい、と思っていました」
探偵はそう言いながら、真っすぐに学長を見つめる。
「でも、見て見ぬふりはしない、と」
「未知である、難解である、ということは私が手を引く理由にはなりませんので」
「なんて強情な男だ」
学長は杖を下ろす。
これ以上脅すことに意味はないだろう、と結論付けて。
なんせ、目の奥の炎が、爛々と輝いているのだから。
「その原動力はなんだい?」
「謎がある。今はそれだけです」
学長はぼそりとつぶやく。
「歪だねえ」
「……何かおっしゃられましたか?」
探偵の言葉に、学長は首を横に振る。
「いいや、独り言さ。それより、アンタ見てるとアタシもやる気が出てきたよ」
ぐるぐる、とローブ越しの腕を回しながら探偵に背を向ける。
「ちょいと気になることが出てきたからね、調査してみるさね」
「――ふふ、ご無理のないように」
「ハン、若造に心配されるような年でもないよ」
カアン、と高く木を打ち付ける音が響いたと同時。
ローブ姿の魔術師の姿は、闇に消えていた。




