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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
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6 暗闇に潜む炎

暗闇。

 足元をどうにか照らすだけの最低限の灯りがあるだけで、およそ人が棲むようには設計されていない、牢獄のような空間。

 探偵は足元に気を配る程度で、特に躊躇もせずずんずんと進んでいく。


 周囲には多くの木箱。表面には走り書きで中身を記された紙が値札のように取り付けられている。

 保存食や非常用のテントなど、災害時のための必需品、あるいは使われなくなってしばらくしたと思しき画材のようなものが立ち並んでいる。


 別の区画には、花火大会用、と大きな張り紙をされた木箱が一つ。

 においから、火薬の類でも入っているんだろう、と探偵は推測する。


 しかし、探偵が見つけたいものではない。

 立ち並ぶ鉄格子の奥を見やりながら、先へ歩を進める。


 奥の奥まで行って、ようやく歩みが止まる、区画の一角につい先日まで何かが置かれていたような跡があった。展示会に使われた美術品はここに一時保存されていたのだろう。

 しかし、現物がここには存在しない以上詳しく捜査したところでこれより先の情報は得難い。


 さてどうしたものか、と考え込む探偵の後ろから、靴音。

 石畳をカツカツと軽快に鳴らす音は歩みの速さを音だけでも理解させる。

 若者だろう、と探偵がアタリをつけつつあると、探偵の後ろで音が止まる。


「――おいアンタ、こんなところで何をしてるんだ」


 やや高い、区画中に響く、糾弾の意も混じるような声が探偵の背後から聞こえてくる。


「コソ泥か? 悪いことはいかねえから別を当たりな」


 振り返った探偵の視界は、暗闇に浮かぶ影だけがようやく見えるかどうか。

 隙間風によって、その影が長髪の持ち主だろう、と推測できる程度。


「盗みとは違いますよ。少々好奇心で調査なんてしてましてね」

「調査ぁ?」


 あくまでも温和に場を収めようとする探偵に対し、暗闇の向こう側からはいぶかしむ声。


「税務の査察でもするってんなら文書の一つもあるだろうが」

「いや、盗みがあったんじゃないか、ってことで個人的にその要因を調べてるんですよ」

「そりゃ奇特でご立派なことだ。しかし、人様の倉庫に入って好き勝手漁ろう、っていうのはどうなんだ?」


「人様、と言いますが、この倉庫はどなたか個人の持ち物でしたか?」

「そりゃ、学園のものだろうよ」

「ああ、それなら。何の問題もありませんね」


 探偵はやや大げさに安堵したそぶりを見せる。


「学園の関係者から案内されまして。ほら、それなら無許可じゃあないでしょう?」

「ちなみに、どこのどいつから?」

「リェール教授ですよ」


「ふぅん、アイツか」

 不満を隠しきれないような相槌に、探偵は興味を持つ。


「おや。何かいけないことでしたか」

「別に、個人的に奇妙だ、と思っていただけだ。そんなことより、オレみたいなのに今後も絡まれるだろうから用事はさっさと済ませるんだな」


 ふむ、と探偵は一瞬考え込むそぶりを見せた後、

「教授。もしもお暇であれば一つ、お話でもどうですか」

と目の前にいる何者かに問いかけた。

「あン? 知り合いだったか?」


 教授、と呼ばれた影は不審そうに探偵を見やる。

 自分が対峙している人間は妙に知りすぎているような、不信感。

 探偵からすれば、自明なことを口にしただけ。

 相手が教授と判断したのはリェールへの距離感。


 そしてこんな倉庫をうろついてる時点で学校の関係者に相違ない。

 わずかに見える傷の少ない革靴からさらに何者かであるかは絞り込みつつ。

 そこまで言うのは野暮だろう、と探偵は短い言葉にまとめる。


「ええ、たった今知り合いになりましたとも」

 探偵の煙に巻くような物言いに、ため息が一つ返ってくる。

「――いいけどさ。ちょうどプロジェクトの待ち時間だったし、話し相手も欲しかったところだ」


「おや、ありがたい」

「ついてきな。立ち話ってのもなんだし、オレのラボに案内してやるよ」




 こつ、こつ、と暗闇の中を二対の足音が響く。


「あなたはこの学園に来てからずいぶん長いんですか」

「十年近くは経つかな」

「道理で。この暗闇でもずいぶん慣れたように歩くわけです」


「アンタこそここは初めてだろう、なのに転びもしないもんだな」

「なに、眼が見えずとも大体の障害物はつかめます」

「なんだ、そういう魔術か」


 一瞬、あきれたような声。

 種を明かされた手品でも見てしまったかのような。

 探偵は「いいえ」と口にした。否定の言葉ではあったけれど、どこか安心してほしい、とでも言いたげな柔らかい声音だった。


「一度だけ友人に案内してもらったんですよ。それで覚えている、と言うだけです」

 探偵は口にしながら、暗闇にほど近い空間の曲がり角を眼が見えているかのようにすいすいと曲がる。

 探偵の前方の声は、その様子を感じ取ってため息をつく。


「たった一度でその調子か。アンタ、常人離れしてるぜ」

 探偵の前方から聞こえる声に非難の色はなく、さぞ愉快だ、と言わんばかりの甲高い声音だった。


「まさか。魔術一つで容易に、かつ今の私以上に再現することは可能でしょう。私からすれば魔術を扱える、と言うだけで常人離れしているというほかありませんよ」

 探偵はほんの軽口のように口にして。


「――そうだな。そいつは本当にそうに違いない」

 先導する声は深く、探偵の言葉を肯定した。




 カン、とひときわ高い音が響き、靴音が止まる。


「ついたぜ。ここがオレのラボ。つってもここは大したものはないけど」


 ぎぃ、と開くと同時、紙の匂いと、わずかに薬品の匂いが薄く広がる。

 先導していた人間は早足で中に入っていくと、カチカチ、と歯車がかみ合う音を鳴らしだす。


「おっと、早く閉めてくれよ。こういうのは閉じた部屋でやるのが相場ってもんだ」

「……何かなさるつもりで?」

「簡単な演目さ。初めてくる客には見せてやりたくてな」


 探偵も体を部屋の中に入れると、言葉通りに扉を閉める。

 ジジ、と焼けつくような音が一瞬した後、ボウ、と周囲が燃え広がる。

 火は研究室を包むように配置されたガラス管を潜り抜け、闇しかなかった視界すべてを光で照らす。


 煌々とした火に照らされ、プロミネンスの嵐にいるかのよう。


「……これはまた、素晴らしいですね」


 探偵は感嘆とした声を上げながら、今もなお周囲を駆け巡る、部屋を照らす火のうごめきを視線で追っていた。

 火に照らされた、地球儀や世界地図、魔法陣の数々もまた、それ自身が燃えているような錯覚を覚えさせるほど。

周囲を炎の壁が包むように囲うさまは原初の火山を思わせる恐怖と壮観を兼ね備えていた。


「自信作だからな、驚いてもらえて何よりだ」


 自慢げに笑うのがこらえきれない、と言った感じの声が部屋の奥からする。

 先ほどまで探偵を先導していた声と同じ声。

 暗闇の中、影だけだったその姿が、炎に照らされる。


 揺らめく金色の長髪は手入れもぞんざいなのか、ところどころ枝毛が目立つ。

 垂れ下がった、着古した白衣に細身の体を包み。

 赤い炎に照らされてもなお青白い、病弱そうな肌。


 唯一、目つきだけは鋭く、と周囲の炎よりもなおぎらついてさえ見えるような金の瞳。

 教師と言うには世間離れしていて、研究者と言うには少々荒々しい風貌だった。


「ようやく顔も見えたし、あいさつの一つもしようじゃないか」


 くく、と笑う口元は常人よりも三割増しで吊り上がって見えた。


「オレはアルセト=アローキン。アンタは?」

「ロージキィ。しがない学者、と言ったところです」


 探偵が偽装した名刺を手渡しながら挨拶をすると、アルセトはふうん、とあいまいな相槌を打つ。

 謙遜の言葉に興味はない、と言わんばかり。


「アンタ、専攻はなんだ。こんなところをうろつくくらいだし、魔導か学府のどちらかにくらいには半身くらいは突っ込んでるだろ?」

「専門があるとも言い難いのですが、論理学を少々。魔術は門外漢ですよ」

「そりゃ珍しい」

「論理学がですか?」


 アルセトは「それも聴きなじみはないけどよ」、と言いながら笑う。


「魔導学院に魔術を知らない人間が来るなんて、って話だ」

「知らないからこそ知ろうとするものでしょう。魔術もその他もそう違いはないはずです」

「どうだかな」


 アルセトは「おっと」と首を振る。


「別にアンタのように、知識をどん欲に求めることは否定してないぜ。あらゆる理論は思いもよらぬところで絡み合うものだからな」

「お気になさらず。それより、アルセト教授」


「よせよ、教授なんて呼ばれる柄でもない」

「では、アルセトさん。あなたの専門は?」

「魔導物理学ってやつ。アンタになじみはあるかな」


「ええ。物理学なら存じてますよ。万有引力や光速についての論文がこちらでも見れたのは驚きましたよ」


「そっちの分野もオレはかじっちゃいるが、ちょいとズレた別モンかもな。あくまで魔術の関わる物理学、ってのがオレの領域だ」

「少しばかり詳しく聞いてもよろしいですか?」


 アルセトは上機嫌に「いいとも」とうなずく。


「最近は二つ携わっててな、一つはこんなプロミネンスの海にだって耐えられる材料の試作、研究が金になる方の仕事だな」

「金になる、と言う辺り、重宝されるような技術、と言うことのようですが」


「つまらん小金稼ぎさ。主だったところはオレの手を離れて久しいし、オレの理念とは程遠い話だ」

「――では、収入にならない方が本命ですね?」

「ご名答。魔術はどこからきているのか、ってのがオレの研究だ」


 探偵がほう、と興味ありげに相槌を打つ。


「どこからきている、となれば、それはつまり、魔術の本質に迫る研究ですか」

 アルセトは「そうだ」と明るく相槌を打つ。

「魔術が円環からきているってのは知ってるかい?」


 アルセトの語り口は得意げで、たった一言でも今後の語り口はさぞ雄弁だろう、と容易に察せられる。

 探偵もそれにつられてか、少し調子よく話しだす。


「ええ。始まりと終わりをつなぐことこそが魔術の基本だ、と友人が――そう、クルビエ教諭がよくしゃべっていました」

 へぇ、とアルセトは嬉しそうに相槌を打つ。


「あの人も珍しく魔術そのものを研鑽する人だからな。少なくともこのグランブルトで純粋な魔術師と呼べるのはクルビエ教諭を含めて五人といないだろうな」

「ずいぶん高く買っているんですね」


「ああ。クルビエ教諭を正規雇用も、魔術研究のプロジェクトに参加させることもできなかったのは魔導学院の今世紀に残る失敗の一つじゃないか、とオレは思ってるくらいだ。根っからの探求タイプ。魔導でも魔術でもなく、魔そのものを研究するああいうのが本来の魔術研究だと思うんだよな」


「その言葉、本人に伝えておきましょうか。喜びますよ」

「よしてくれよ、恥ずかしい」

 まったく、と言いながら頬をかく。


「なんの話だったか。そう、魔術の基本は円環からきているって話だったな。その基本はどこからきているか、ってのは知ってるか」

 探偵が首を横に振るのを見て、アルセトはにやりと笑う。

「地球の自転だ。あれによって世界の大気が循環し、同時に大気の中の魔力も世界を巡る、一種の魔法陣みたいなもんになってる」


 アルセトはつまんだ小さな木片をピン、と指をはじき、部屋の片隅の地球儀に当てる。

 くるくると回転する地球儀の周囲に、光の輪が浮かび上がる。

「それを人間が描いた魔法陣なり、詠唱なり、あるいは人間自身を媒介として「繋ぐ」ことで地球に満ちた魔力を使って魔術を行使できる、ってわけだ」


 アルセトは机の上に広げたハンカチに即席で六芒星を記し、トンとたたく。

 地球儀の周囲の魔法陣が消えると同時、机の上に針のような氷山が浮かび上がる。

 へぇ、と探偵は前のめりに相槌を打つ。


「こいつは本当に初歩の初歩だが、そういった魔術の基本に迫ることで、より根元を解析し、現在の魔術をより発展させていく手段を見つけていく、ってのが魔導物理学の思想だな」

「聞く限り、魔術の根本にも思えるような学問に思えますが、主体で研究している、と言う方はアルセトさん以外知りませんね」


「基本過ぎるがゆえに重視されなくなった、と言ってもいい。これ以上の発展は望めないんじゃないか、っていうのが魔術に携わる多くの人間の見解だ」

「でも、アルセトさんはそうは思っていないわけだ」


「当然。この程度で魔術を支配した、なんて人間様のおごり極まれり、って感じなやつが多い。だが、オレはそうは思わない。天動説を覆した地動説が生まれたように、浮かれた理論に基づいた世界であるべきじゃあない。地に足つけて、すべての法則を紐解くように、進歩し続ける世界であるべきだ」


 たたきつけるように語ったあと、アルセトは照れたようにそっぽを向く。

「悪いな、青臭い思想を語っちまった」

「いえいえ、私もそういった人の思想に興味がありまして」

「ふうん、論理学ってのはそういうのもテーマにするのかい」


「――まあ、そんなところですよ」

 探偵は言葉を濁しながら、

「ところで、私の質問にも答えていただけますか」

 と、露骨に話題を切り替える。


 アルセトも気にした風もなく、『そうだったな』とつぶやく。

「アンタの本題ってやつだな」


「なに、この頃治安が悪いようでして、なにか変わった話をご存じではありませんか」

 アルセトは顎に手を当てながら、ふうむ、と首をひねる。

「オレが知ってるのは貴族連中がどうもよからぬことを企んでいて、うちの学長殿に粉をかけてる、ってことくらいのもんだ」


「それは珍しいことなのですか」

「出資者になって一儲けしてやろう、って連中はいつでもいる。最近はちょいと動きが活発かもな、って程度。ま、あの学長殿にそんなつまらん話に乗るような隙は無いと思うが」


「なるほど」

「こんなもんで力になれてるのか」

「ええ、十分な情報です。ありがとうございます、アルセトさん」


 探偵が頭を下げ、アルセトは眉をひそめながら「いいって」と探偵に声をかける。

「こんなの協力した内にも入らねぇよ。ところで――いや」

 アルセトは考えを振り払うように首を横に振る。


「何か質問でも?」

「別に大したもんじゃないさ。今日はもう遅いし、また会うことがあれば聞くさ」


 探偵はそうですか、と答えると、くるりと背を向ける。

「それでは、また今度」

「ああ。首突っ込みすぎておっ死ぬ、なんてないようにしてくれよ」

 探偵は手を振るだけで返事をすると、そのまま研究室を後にした。


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