5 白昼堂々2
学園内に紛れ込んだ探偵は少しくらい気配を消すしぐさを見せようとしたが、数歩のうちにやめてしまった。
なんせ、周囲には学生たちがけたたましく、あるいはかしましく会話を繰り広げている。足音やらなにやらなんて言うモノは何もしなくたって雑踏へと消えてゆく。
足取りはそのままに、生徒たちが集う廊下やホールを探偵は物見気分でぶらつくが、咎めるものは誰もいなかった。理由は単純で、咎めるほど、探偵は特別な存在ではなかったからだ。
魔導学院はグランブルト国内でも有数の歴史ある建築物である。
その歴史の深さに積み重ねられた知識の深淵を知りたい、と訪れる他国の人間も少なくない。
巨人種、妖精種、獣人種といった、グランブルトでは多くは見かけない人種の者も行き違う数は多い中で、グランブルトでは普遍的な『新人種』と相違ない外見を持つ探偵など珍しいものでもなく、奇異の視線どころか、気に掛ける者すらいない。
探偵はそれをよしとしたのか、自分が指名手配にも近い状態であるにもかかわらず、堂々と『関係者以外立ち入り禁止』の札も無視して、学院の奥へ奥へと侵入していく。
ふと、巨大な塔が探偵の目に付いた。
巨大な円錐で、ゆうに二十階はあると外からでも推定できる、天を衝く槍の穂先。
学園の中で、そしてグランブルトで比較しても有数の高層建築。
何が棲んでいるにせよ、学園の中では間違いなく権力と情報の集約される地点だろう、と探偵の中で推測が終わった瞬間には、足は動き出していた。
天頂に取り付けられた窓から、円錐の塔の内部へと陽光が降り注いでいる。
かつん、かつん、と甲高い音が上へ上へと響いていく。
探偵の足は、塔に備え付けられていた螺旋階段をひたすら上っていた。
一階ごとに螺旋階段はあちらこちらへと迷子のように場所を移していて、ただ頂上を目指して上り続けることを許さず、階層を移るごとに階段を探すことを余儀なくされる。
階段を探すための通路も歪で、迷宮でも作るのが目的だったかのような複雑さ。
一方、いびつならせん階段とは異なり、階層ごとの一番外側には一律な扉が外周を囲うように設置されている。
不便で歪で、にもかかわらず意図をもった規則が垣間見える。
探偵には作為的なものがあるのだろう、と推測はしたものの、それ以上の思索にはふけらなかった。
なんとなく、自分の領分ではないと感じていて、そして。
この建物にとって探偵は異物であり、内部の人間に見つかれば排斥される存在で、そうならないように立ち回らなければならない、と思っていたからだ。
「何をしているのかね、そこなる青年」
そう思っていても、潜むそぶりも見せなければ容易に見つかる。
かすれるような男の声が探偵の後ろから聞こえてきた。
探偵が振り向けば、初老の男がいぶかしげな表情の中の黒い深海のような瞳で探偵を見つめていた。
真っ先に目につくのは妙に小奇麗な白衣だが、教職で実験主義な人間であれば白衣と言うのはそう珍しくもない。
見るべきはもう一歩引いた視点。
背格好は少し丸まっていて、ぼさぼさとした髪の毛は整えられた様子もなく、靴は土に汚れてもいないのに妙にボロボロ。
長く務めたインドア派の教授だろう、と探偵が目星をつけるのはすぐだった。
「いやあ、ただの見学ですよ、リェール教授」
そして、探偵の記憶する学園の教員名簿から該当する人物を導き出すのもまた、瞬き一つとかからない。
「よく知っているな、外部の人間の癖に」
リェールは尊大な口ぶりを隠しもせずに、探偵を検分するようにじろじろと見回す。
「存じていますよ、精神と心理が魔術にどれだけの影響を及ぼすか、と言う新興領域を研究する魔導精神学の第一人者とも名高い、リェール=ナルキウ教授」
リェールと呼ばれた男は探偵の不足なく、あるいは少し持ち上げたような言いぶりに少し気をよくしたのか、しかめ面にわずかな笑みを浮かべる。
「第一人者、と言うほどのものでもないがね。踏みしめられた獣道をほんの数歩外れただけだ」
「はは、他の魔導をくまなく収めた方が言うとその言葉は格が違いますね」
「どこまで知っている?」
「あらゆる魔術・研究の分野において通じ、科学も魔術も歴史も一遍くまなく語れるほどの方、ということくらいは存じていますよ」
「――逆だ。そのすべてで才能がないと悟ったから、心なんて不可解なものに手を付けたに過ぎない」
リェールは自嘲するようなつぶやきの後、顔を上げて「とはいえ」と言いながらわずかに口角を上げる。
「僕の名前を知っている程度には受講経験があるあたり野蛮な用ではなさそうだ」
「野蛮?」
探偵が聞き返すと、リェールは「こちらの話だ」と言って言葉を濁した後、
「そんなことより、ちょうど私も暇を持て余していたところだ。見学と言うなら多少の案内はしてやってもいいが、どうする?」
と、バツが悪そうに探偵へと提案をした。
「ちょうど迷っていたところですからありがたく」
リェールは薄く笑うと、探偵を先導するように歩き出した。
「そちらは魔導物理学科、壁一つ向こうからは魔導経済学科の領分だ」
「違いないように見えますが」
「壁の紋様が少しずつ違うんだ。物理の連中は重力の魔術詠唱を簡略したもの、経済の方は魔力を金銭として扱うために開発された最初の魔術の原案をモチーフにしているらしい」
「所属を表すアイコン、と言うことですか」
「変遷こそあれ、魔術を扱うギルドはみなはるかな昔から使っている。言語が文字であらわされる前から存在した魔術の名残という説もあったかな」
「そういえば、この学園の学問はすべて魔導、とついてますよね。それと関連が?」
「長くなるぞ?」
「詳しく話していただけるならありがたい限りです」
「そうだな、せっかく僕の部屋も近いことだ。腰を落ち着けて話してやろう」
研究室は陽光だけの廊下と違い、いくらかの魔術によって光源が確保され、読書程度なら困らない程度。その中央で、二人は向かい合うように木製の椅子に腰かけていた。
手前は客人用と割り切っているためか、汚れの一つもない。あるいは、傷もほとんどなく、経年劣化による日焼けばかりが目立つことから、長らく使っていないのかもしれない。
リェールはがしがし、と不揃いに伸びた髪をかき上げながら口を開く。
「すまないね、こんな部屋で」
暗い、深海のような眼は迎えた探偵ではなく、部屋の奥へと向けられていた。
探偵はリェールの申し訳なさそうな言葉に誘導されるように、同様に奥へ視線を向ける。
手前側とは反対に、紙の束が無造作に転がっていて、普段から整頓を心がけている方ではないのだろうと思わせる。
「いえ、押しかけたのはこちらですし、私の部屋もこんなものですよ」
それならいいがね、と口にしながらリェールは言葉をつづける。
「それで、――おっと、僕としたことが君の素性も聞いていなかった。専門くらいはあるのだろう、こんなところに来るくらいだし。もしや、魔導に関する研究者であったとか」
「残念ながら魔術は縁遠いもので、専門は論理学。そちらも、極東で多少学んだ程度ですが」
よどみなく、探偵は偽りの経歴を語りながら、名刺を手渡す。
「ふむ、珍しいものを用意しているね」
リェールは渡された名刺をひらひらさせながら、まじまじと見つめる。
「ああ、別に大したものではありませんよ。ただの自己紹介のための用紙と思ってもらえれば十分です」
「――なるほど、なじみのない文化だが、名を売るには悪くないのだろうね」
リェールはふむ、と小さくうなずきながら、探偵に顔を戻す。
「論理学とは進退のなくなった完成された学問、と聞くが、研究する価値はあるのかね?」
探偵は、ええ、と肯定する。
「残念ながら、論理学を完全なものだ、と評価できるほど今の人類はいまだ論理的ではない、と言う結論が導ける程度には」
「ふうん、一介の学徒として興味はあるな。魔導の名を冠さないが、魔術を中心とした学問ではない、と言うことかな」
「ええ。ただ論理を追求するだけの学問、というには幅広な分野への出張もありますが。むしろ、私の方としてはこの学院で研究する分野すべてに魔導の頭言葉がつく方が不思議ですよ」
魔導学院で研究、および公演が行われる科目はすべて魔導とつく。
縁の深い言語学だけでなく、歴史も、数学も、社会や自然に通じるすべてが、魔術と結びついている。
「そうだな、遠方の人間からすれば奇妙な情景に映るかもしれないが、当然、理由はある。君は魔術と言うモノがどう発生しているのか知っているかね」
「詠唱・魔法陣・接触の三つが必要、と言う話ですか」
探偵が口にしたのは、魔術に必要な最低限のプロセス。
リェールは「その一歩手前だ」と言いながら机上に簡単な六芒星を描き、それをくるりと円で囲い、簡単な魔法陣を作る。
「魔術はなぜ、何もないところに火を起こせる?」
リェールがこんこん、と手の甲で魔法陣をたたくと、手のひらに、ぼう、と小さな炎の灯がともる。
誰から見ても、そこに物理的要因は生じていない。純粋な魔術だ。
「魔力と言うエネルギーを詠唱などによって術者の望む形に変えている、というところでしょうか」
リェールは「その通りだ」と言いながら、空をねじるようにつかみ取り、魔術によっておこされた灯を闇へと葬る。
「魔術に縁遠い、などと言うが、理解は深いようだ」
「ええ、知り合いに詳しい者がいますので。しかし、その魔術が研究の題目にされるに至ったか、と言う経緯は知りませんが」
「旧い話だからね。魔術の道の研鑽に努めている人間でも、魔導の本流から外れた道を進む人間であれば詳しくない、と言う人間もいることだろう」
リェールはわずかに息を整えた。
その言葉を、勢いのままに言うわけにはいかないと。
神聖なる、託宣であるかのように口にした。
「魔術の栄えた街において、魔術とは学問の中で神になった」
語る言葉はどこか、狂気的で。
先ほどよりも見開かれたリェールの眼は、現実よりも少し遠い場所を見つめているようだった。
「魔力と言う無色透明のものを、魔術を用いれば術者の方針でいかにでも好きな形に変生できる。それはつまり、魔術で何でもできるのだから、魔術さえ研究すればあらゆる分野に通じることができるだろう、と言う発想を生むに至った」
「また、随分な極論ですね」
「多くの人間はそう思ったし、事実誰かの戯言として処理されるはずの言葉だった。――ただ、いくつかの分野で明確な実績を残してしまった」
リェールは戸棚から一冊の本を取り出すと、机の上にぱらぱら、と広げる。
載っていたのは、いくつもの論文。古くは五十年近くで、そのいずれのタイトルも魔導という言葉が冠されている。
「魔導社会学。特に経済にまつわる話が多いが、これは魔力による物流の追跡が既存のものより正確であり、また、魔術を用いた循環は人々の経済活動の中でも発生している、という説が主流だ。
魔導薬物学。生物錬金術の通り名の方が有名だが、こちらも魔術によって薬効を作り上げる方が、自生する薬草を組み合わせたものより効果が高いとされている。コストパフォーマンスや一様な薬効を創り出すのがむずかしい、ということから現在は主流ではないが難病への対策として今でも一部の研究は市民へと還元されている。
魔導考古学などでも過去の歴史を解明するには魔術を運用する方が手っ取り早い、と言う結果を導き出した。
ほかにもいくつも画期的な成果を生み出した。君の言う論理学も、魔術理論を組み込んだ新しい分野として新生しているはずだ。
それらの結果が現存する人類が持つ科学よりも世界を統べる魔術の方が優れている、と言う信仰を生み出し、現在までこの学院で魔導を関する研究が席巻するきっかけにもなった」
「信仰、と言うのは大げさではありませんか」
リェールは探偵の言葉を「そうでもない」と言って否定した。
「君はこの国の神を知っているかね。いや、この国で神、あるいはそれに準ずるものを信仰している、といった人間を見たことはあるかね?」
探偵は一瞬考えるそぶりを見せて、そして戸惑うように口にする。
「――そういえば、なかったような」
そうだろう、とリェールは言う。
自分が納得する答えが返ってきたせいか、少しばかり得意げに。
「富、大地、海、あるいはグランブルト建国の際にはもっと多くの神を内包していたようだが、今ではほとんどの人間がその存在を忘れ、僕のような変わり者でもその御名までは知らない。そのぐらい、神と言うモノは廃れてしまった」
「その後釜が魔術である、と言うのは少々穿ちすぎのような気もしますが」
「簡単な対比で導ける事柄に過ぎないよ。
神は全知全能である。魔術は全能であることは間違いなく、全知である可能性もある。
神は人間にとって扱う、と言うのもおこがましい存在だ。だが、魔術と言うのは自分で触れられる。
神は使えないが、魔術は使える。
神をどれだけあがめても果てはない世界そのもの。魔術は果てに至れば世界を手にできるだろう。
結論として、この国の人間は魔術の方が神よりも優位と考え、やがて身近でなくなった神の存在を忘れてしまった」
淡々とリェールは語った。感情が入り混じるものではなく、歴史書を読み上げるように。
「それはすなわち、魔術を神と同等以上のものとして信仰している、ということだ。あるいは、それを操る自分たち自身をそうだ、と誤解しているのかもしれないが」
リェールは語り終えた後、テーブルの上の論文集を閉じ、丁寧な手つきで元の場所へと戻す。
「さて、話過ぎたか。退屈させてしまったかな?」
「いえ、興味深いお話でしたよ」
「そう言ってくれるのはありがたいが、君がわざわざここを訪ねた理由、というのはこんな話を聞きたいから、と言うわけでもないだろう。それなら講義を受けに来ればいいわけだしね」
「――まあ、ある程度、知りたかったところは知れてしまったのですが」
うなずく探偵の表情は真剣で、冗談めかしていたリェールは思わず少し背筋を伸ばした。
「このところ、治安が悪いでしょう。何か変わったことはありませんでしたか」
リェールは拍子抜けしたようにため息をつく。
「なんだ、そんな世間話か」
「先日の展示会で何やらコソ泥があったようでして」
「そうなのかい」
「ご存じありませんか」
探偵の淡々とした問いに、さて、とリェールは首をかしげる。
「聞いたような気もするが、僕もそこまで興味もなかったからよくは知らないなあ」
「では、教授の知る限り平和なものである、と」
「そうだね、今のところは」
リェールの含みのある言いぶりに、探偵は目を細める。
「教授。あなたはどこまで知っているんです?」
「さて。人の事情を探るのはいいが、君も探られたくない腹くらいあるだろう?」
探偵は確かに、と言いながら笑みをこぼしつつ立ち上がる。
「もう行くのかね」
「ええ。あくまで調査が主目的ですので、趣味で時間をつぶしては数年あっても足りなくなってしまう」
探偵はドアノブに手を付けて外に出ようとする直前に、「最後に一つだけお聞きしたい」と言いながらリェールに視線だけを戻す。
「何かね?」
「先ほどのお話の続きです。展示会で運び込まれた物資はどこに保存されていたかご存じありませんか」
「さあ、展示会と言うと大量に運び込んだんだろう。大きな倉庫は地上にはないし、地下の方じゃないか、とは思うがね」
「どうも。少しばかり探してみますよ」
探偵は軽い会釈と共に扉の向こうに歩を進めた。
バタン、と扉が閉じ、静寂が部屋に訪れ。
「気を付けたまえ、竜の逆鱗に触れないようにな」
リェールは扉の向こうへ、聞こえなくなったという確信を持ってから、薄く微笑みながらつぶやいた。




