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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
終章:執念と情熱の讃美歌
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4 紅き侯爵

 ロビンはガクリ、と肩をおろしながら道を歩いていた。

 わざわざ訪れた警察の本部で何の成果も得られなかったからだ。


 探偵がらみで顔なじみの警官たちも何人かいたはずなのに、異動、あるいは出張したとかで、会うことすらかなわなかった。

 まるで、探偵一人を追い詰めるために人事さえも行われてしまっているような奇怪さ。


 ロビンはそれでも、といくらかの聞き込みを敢行したものの、得られた情報はほとんどない。

 何か大事なものが盗まれた、という情報は出回っていても、それが国宝の『夕暮れ』であることや、まして探偵に疑いが向いている、なんてことを話す人間はいなかった。


 箝口令が敷かれているのか、そもそも話が出回っていないのか、というのすら区別がつかなかった。

そもそも、どちらにせよ、話をできないのでは情報の集めようもない。

 ロビンはあきらめるようにして警察本部の外に出ようとして、ドン、と大きな体躯の男にぶつかる。


「ああ、すみません」


「気にするな――うん?」


 ロビンと互い違いに立ち去ろうとした男の足がふいに止まる。


「貴様、アーキライトの倅か」


 ロビンは名を呼ばれてビクリ、と振り向く。

 大柄な男と視線が合う。

 大きく垂れ下がった、立派なあごひげを蓄えた壮年の男性。


 両脇に二人の従者を従える様は並みの王よりも厳とした雰囲気を醸し出す。

 二人の従者は、一人は寡黙そうに無表情で、もう一人は温和なほほ笑みを絶やさない。どちらも歴戦の戦士と名乗られても違和感のないほどの屈強な肉体を携え、威圧感さえ滲み出している。


それに護られるはずの男自身も負けず劣らずの強靭さが垣間見える肉体。

 高貴さと威容を両立した紅のコートが特徴的なその男に、ロビンは見覚えがあった。


「――これはアルドレッド侯爵、久方ぶりです」


 ロビンは驚きで声を上げそうになるのをとどめ、平常と同様に応じる。

 アルドレッド侯爵。グランブルトでも有数の貴族の一人で、王家の分家筋とも呼ぶべき第一貴族の一員でもあり、国内外問わず名を知られているほどの名士。


 アルドレッドはフン、と鼻を鳴らす。

「アーキライト家が没落してどうしたものかと思っていたが、なんだ、警察に用向きでもあったのか」


 天下のアルドレッド家ともなると、遠地の貴族のゴタゴタ、それも一年以上も前の話でも当然のように把握しているらしい。

 あるいは、そこまでの記憶力とそれに伴う配慮が権力を保たせる礎なのかもしれない、と与太話のような思考を片隅に、ロビンは口を開く。


「ええ、少々聞き込みをしていました」

「貴様の家の話か?」

「いいえ。我が家のことではなく――」


 否定の言葉が出たところで、その続きに一瞬迷う。

 探偵の危機を明かすような行為を果たして、目の前の貴族に行ってもいいのかどうか。

 明かせば、情報を得られる可能性はある。


 代わりに、犯罪行為を行っているかもしれない探偵の肩を持った、などという冤罪に発展することもある。

 アルドレッド侯爵といえば苛烈な男。その様は噂話でも出回り、ロビン自身も何度か目撃している。


 余計なことをすればいらぬ虎の尾を踏むこともあるかもしれない。

 そこまで思考して、それでも、ロビンは続きを話すべきだ、と判断した。

 もとより、使える札は他にない。


 保身ですらない臆病でチャンスを失う方がずっと怖い。


「国宝が盗まれた、と言う事件に『探偵』が関係している、と聞きまして」


 少しでも侯爵の気を引くような語りを口から出す。

 その効果はあったようで、アルドレッドはほう、と興味深げにうなずく。


「あの奇妙な男のことか――なるほどな、話が見えてきた」


 アルドレッドは右隣の男に視線をやる。


「フルズ、閉じた席を用意しろ。簡易的なもので構わん」


 フルズと呼ばれた従者は無表情を崩さず、「承知」と短く答えると、大きな図体の割に素早くその場を離れていった。


「アーキライトの倅。ついてこい」


 アルドレッドは重苦しい深紅のマントをはためかせながら、ロビンを促す。


「どうせ警察ども相手に芳しい成果を得られなかったのだろう。私の話に応えれば、少しくらいは情報をくれてやる」


 アルドレッドは有無を言わせず一方的に言い放つと、ずんずんと通りを歩きだした。

 大きな背の隣から、もう一人残った、長身の従者が、申し訳なさそうに会釈をしながらロビンに駆け寄る。


 アルドレッドの強引さとは対照的に、優しげで、紳士のような印象を与える男だった。

 長身の従者はわずかにかがみ、ロビンに囁く。


「すみません。もしお嫌であれば断ってもらっても大丈夫ですよ。我々で何とでもしますので」

 ロビンは強引な手法にあっけにとられたものの、何か知っている様子のアルドレッドを逃す理由もない。

「お気遣いなく。ちょうどいい機会ですから、ご一緒させていただきますよ」

 ロビンは従者に告げると、アルドレッドの背を追うようにして小走りで駆け出した。




 太陽が頂点を少し過ぎたころ。

 アルドレッドとロビンは喫茶店のバルコニーを占領するように、たった二人だけで席を囲んでいた。

 ほかにはアルドレッドの無表情な従者が一人いるだけで、客の一人も姿が見えない。


「あの、もう一人の従者の方は?」

「人払いをさせている。密談と言うほどでもないが、静かな方が話しやすいだろう?」


 昼食時を過ぎたとはいっても、午後の一休みに立ち寄る客も数人くらいはいそうなものなのに、影も形もない。

 アルドレッドの意志で散らされたのだろう、というのはロビンにもすぐにわかった。


「存分に話せ、アーキライトの倅」


 アルドレッドはさあ、と手を広げ語るよう促す。

 一方、ロビンは話しづらそうに視線をそむける。


「あまり、表立っていうことでもないのですが」


「ここに我ら以外の眼も耳もない。それでも話せぬか、小童」


 アルドレッドのあざけるような笑みの混じる誘い。

 軽々しく応じて機嫌を損ねれば、貴族の立場と言う後ろ盾のないロビンはどうされても文句は言えない。

 以前には、アルドレッドの激昂によって社会生活が危ぶまれるほどになった人間もいたというのは市井にもよく伝わっている話だ。

 それでもここで退くわけにはいかない、とロビンは腹をくくる。

「実は――」




 ロビンが一通り語り終えると、アルドレッドは「なるほどな」と納得がいったと言わんばかりの相槌を打つ。


「あんなものが今の時代になって騒ぎになるとは奇妙な話だと思っていたが。そんな裏があったか」

「もしや、侯爵は今の話を存じていたのですか」

「半分は貴様よりも知っている。『夕暮れ』がどんな扱いを受けていた代物で、今に伝わっているのか、ということもな。もっとも、なかったはずのものが盗まれる、なんて所以は知らんが」


 あきれたようなアルドレッドの口調に、ロビンは一つの言葉を聞き逃さなかった。


「なかったはずのもの、と言うのはどういう意味ですか」


「文字通りにして言葉通りだ。国宝級魔道具『夕暮れ』が盗まれたのは展示会のための輸送の最中、と言う話だったが、『夕暮れ』はそんな場所に存在していない」


「どういう意味ですか」

「偽物だ。グランブルト国内を巡る展示会で飾られた国宝『夕暮れ』は職人による贋作だ」


 それはおかしい、とロビンは否定した。


「聞いた限りでは本物の国宝、および国宝級の芸術品が展示されるからこそ価値ある展示だ、と言う話でしたが」


『芸術は真に美しいものでなくては真に理解できない』


 展示会を開催したオーナーの言葉として、そして展示会のキャッチフレーズとしても浸透したこの言葉は同時に展示会の持つ意義や威信にかかわってくる命題のはずだ。おいそれとないがしろにできるものでもないはず。


 アルドレッドはそうだな、と応じつつ、あごひげを触りながら何かを想い返すように空に視線を向ける。


「その言葉も嘘ではない。半数以上は本物だし、偽物に関しても真に迫る造りで、ただの一つも美に欠ける品物はなかった。国宝級の芸術品のみの展示会と言う言葉に偽りはない。すでに真作が現存していなかったり、あるいは保存状態が悪くなり鑑賞品としての質が悪いと判断されたり、『夕暮れ』のように国防に影響が出る、と判断されたものだったりが仕方なく贋作を出す、と言う形を取られたにすぎん」


「有名な話なのですか」

「市井に出回るような類の話でもないが、王政にかかわる人間、あるいは贋作づくりに関わった者であれば知らぬわけにはいかないだろうし、審美眼の伴う人間であれば真贋を見分けるのは造作もないであろうな」


 どちらであれ、限られた人間になる。

 政に直接かかわるような者は数えるほど。

 審美眼も本物や芸術を知るからこそ養われるもので、それは都の貴族でもなければ多くの作品を知らなければ真贋を見分けるほどの力量には到達しえない。


 ロビンは一つの結論にたどり着く。

「それはつまり、王都の貴族であれば本物にたどり着くことができた、と言う意味でもありますね」

 くく、とアルドレッドは含み笑いをこぼす。


「ああ、そうとも。政にせよ、工芸にせよ、話を大きくしないために王都の貴族にしか知りえぬようにはしたであろう」

「先生はその事実を知りえない。つまり、それを主張すれば――」


「だが、それは希望にはならんぞ、小僧」


「どういう意味ですか、それは」


「真にも偽りにも価値がある、と言うことだ」

 アルドレッドの一言は楔を刺すように冷たい。

 ロビンがわずかに顔をこわばらせたのを見て、アルドレッドは笑みを深める。


「偽物が盗まれたのか、本物が盗まれたのか。そもそも、本当に盗まれたのかさえ、怪しいものだ。そこを明らかにしなければ話は始まらん」


 ロビンは思い至る。家を捜査に来た警察たちは真贋についての話なんてしていなかった。

 もしかすれば、偽物の方が盗まれ、その正体が明かされぬままに警察はその捜査に携わっていた、と言う可能性もある。

 そうなれば本物の正体を知っているから犯人たりえる、などと言う話にはならない。


「真贋どちらが主体になっているのか。それをたしかめなければならない、と」


 アルドレッドは「そうだな」と小さくうなずくと、値踏みするような視線でロビンをにらみつける。


「そして、ここで退くのも懸命な判断だぞ。なぜ斯様な礼状が出されたのか、貴様は理解しているか。たとえどの結論であっても、たった一つ間違いのない事実が存在する」


 ピク、とロビンのこめかみが震えた。

 それをみてなお、アルドレッドの笑みは深まる。


「あの令状を出すべきだと進言した貴族、あるいは国王そのものにとって、探偵は敵である、と言うことだ」


 ロビンは小さく息を吐いた。

 落ち着くためにではない。自分の語気が、強くなりすぎないようにするために。


「わかっています」

「国の敵かもしれんぞ、あの男は」

「かもしれませんね」

「国賊にこれ以上情けをかけるのか?」

「それでも、僕はまだおりませんよ」

「信じる、とでもいうつもりか?」

「それは、もう。信じていますよ」

「あんな流浪の旅人をか? だとすれば愚かにも――」

「いいえ」


 アルドレッドの言葉に、ロビンが切っ先を差し込むように否定の言葉を口にした。

「違います。僕が信用したのは先生の言葉でも先生個人でもない」

 ロビンは淡々と言葉を紡ぐ。


 言葉の隙間に垣間見えるのは信頼でも、信仰でもない。

 まして、疑惑でも疑念でもない。

 ただ、自分の中に培った、確信だった。


「僕が、僕たちが頼りにすべきはもう一つ奥です」

 ロビンの物言いに、アルドレッドも威圧的な形相をわずかに崩し、思わず問うた。

「それはなんだ?」

「論理の積み重なった真実。それがどうしようもない破滅でも、眼をそむけたくなる無残でも、追い求めないといけないんです」


 いつか辿った過去を思い返すように、ロビンは応えた。

 ハ、とアルドレッドが嘲笑する。


「青いな。駆けずり回ったところで得られるものは徒労だけかもしれんのに」

「結構ですよ。立ち上がるべきだったと後から気づくよりは、ずっといい」


 ロビンは席を立つと、その場を後にしようと扉に手をかける。


「まて」

 地の果てまで届くような、はつらつとした声がロビンの足を止める。

「ロビン=アーキライト」


 ロビンが振り返ると、アルドレッドと目が合う。

 見透かすように細められた、そして為政者としての冷徹に満ちた、凍り付くような視線に。


「なんですか」

 ロビンの問い返す声はその視線を受けてか、こわばっていた。

 アルドレッドはその様子を笑いも嘲りもせず、ただ視線を注ぐ。

「忠告だ。要因なくして結果は存在せず、火種なくして戦火は広がらぬ。何もせず手を引く方が傷は浅かろう」


 アルドレッドの口調は、歴史書の1ページを語るよう。

 ふと、ロビンは思った。

 噂に聞く、あるいは今まで感じていたアルドレッド侯爵への印象は『苛烈』の二文字だった。


 ただ、今の彼はその像とは少しブレて見えた。

 その本質が何か、と突き止める前に、アルドレッドの表情はにやりとゆがんだ。


「だが、それでも、手傷を追ってでも、真実とやらに興味があるなら、国宝殿に滞在する貴族を訪ねてみろ。一端くらいはつかめるやもしれんぞ」


 ロビンはアルドレッドに感じた『苛烈』と異なる何かについて尋ねようとして、やめた。

 親切であれ、罠であれ、選択肢はないのだから。


「ご助言どうも。ありがたく受け取ります」

 バタン、と扉を閉じるとロビンはたった今増えた目的地へ向かうべく、急ぐように店を後にした。




 アルドレッドの背からぎし、と椅子が軋む音がする。

 ゆがんだ口元に手を添えながら、情報を反芻する。

 ――さて。次代も近いか。


「よかったのですか、わが主人」

 アルドレッドのまどろむような思考に割り込むように、フルズがポツリ、とつぶやくように疑問を口にした。

「そんなに気になることか?」


 アルドレッドは意地悪く、にやりと口をゆがめながら聞き返す。

「わざわざ敵地に水路を引くような行為ですから、気になりまして」


 フルズは無表情を崩すことはない。

 しかし、口々の端から不満が漏れ出るのは誰にも理解できることだった。

 アルドレッドはにやりと笑う。


「あの小僧もそうだが、お前もまだまだ青いな、フルズ」


 語りながら懐からパイプを取り出すと、慣れた動作で火をつけ、口にくわえる。

 肺にため込んだ煙を、ゆっくりと、至福の時間といわんばかりに味わい尽くすように吐き出す。


「これから動乱が始まるというのに、敵を増やすというのが腑に落ちなかっただけです」


 フルズの表情はやはり無表情のままだったが、その口ぶりには不満が見え隠れしている。

 寡黙な男の感情の発露に応じるように、アルドレッドは笑みを深めてしまう。


「フルズ。この世に敵と味方だけ、なんてことはない」


 諭すように、アルドレッドは言葉を紡ぐ。

 先ほどまでの威圧的な態度とは異なる、まるで子供をたしなめる親のよう。


「人間にはそれぞれ立場があって、それに従っているだけだ」


 紫煙がくすぶるパイプを傾けながら、ため息をつくように口にする。


「敵だと思って邪険にするばかりでは本質を見損なう。逆に、味方と思って妄信すれば寝首を掻かれることもある。移ろい、惑い、変化するのが人間だ。それを見失えば、自分すら見失う羽目になるぞ」


 アルドレッドはパイプを手にしたまま、がた、と席を立つ。

 同時に、扉の外に控えていたであろう、優しげな顔の従者が戻ってくる。


「わが主。僕も一つお聞きしても?」

「盗み聞きとは趣味が悪いなローゼ」


 ローゼと呼ばれた従者は微笑みを絶やさぬまま、困ったように頬を掻く。


「悪気が合ったわけじゃないんです、と言い訳させてください」

 アルドレッドはふん、と鼻で笑う。

 機嫌を悪くしたふうでもなく、むしろその笑みは優しさを讃えているようにも見えるほど。


「お前の癖の悪さは知ってる。それで、何を聞きたい」

「いや、自分を見失ったらどうなるんでしょう、と思いまして」


 アルドレッドは分かりきった話だ、と嘲るように浅く笑う。

 遠い空を見つめながら、紫煙を交えて言葉を吐いた。


「他人の言葉の奴隷になり、時代の波に飲まれ、誰の心に残ることもなく朽ち果てる」

「――心に銘じておきます」


 アルドレッドはうやうやしく礼をするローゼを横目に立ち上がる。


「『会合』も控えている。戻るとしようか」


 従者二人の返事を背に、悠々と歩きながら空を見上げる。

 煌々としていたはずの空に薄い雲がかかり、山の向こうにはどんよりとした曇り空。


「荒れるな」

 アルドレッドは、誰に向けてでもなく、つぶやいた。


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