2 容疑者
「逮捕だって? 何の罪で逮捕だっていうんだ」
クルビエは逮捕状にしわを寄せながら、いら立ち交じりに睨みつける。
ノイアは気にした風もなく、鼻を鳴らして応える。
「つい先日まで展示会によって国民に公開されていた、国宝殿に保存されるほどの魔道具の窃盗だ」
グランブルトにおける国宝殿は、その名の通り国家の所有する様々な宝物が保管された倉庫である。名高い宝剣や宝珠なども収められ、歴史的価値も踏まえると値段など付けられない物ばかりが立ち並ぶ。
「妙な罪を着せられたものだな、あの男は」
クルビエはとすん、と椅子に腰を下ろすと、机に逮捕状を置く。
「しかもこれ、よく見れば王家の限定行使書状じゃないか。よくこんなものを通したな、国王サマも」
「なんですか、それは」
ロビンは震えを押しとどめ、身を乗り出してクルビエへと問う。
「簡単に言ってしまえば貴族運営の行政の一部によって発行され、国王の許可が下りれば緊急で出せる逮捕状ってこと」
「そんな横暴な」
「グランブルトの歴史でもこれが発行されるのなんて数えても十度もない。そのすべてが国家転覆級の大犯罪者だけのはずだ」
「そんなものがどうして先生に適用されるんですか」
「その盗まれた魔道具、とやらが問題なんじゃあないか」
クルビエはジロリ、とにらみつける。
ノイアは小さく鼻を鳴らす。
「答える必要はないな」
「いいのかい。この家はボクが結界を張ったんだ」
クルビエはゆっくりとフードを持ち上げる。
「ボクの腹の中といってもいいんだぜ?」
表情は包帯によって覆われている。
ただ、蒼く光る、双眼が世界を視ていた。
深淵さえも見通しそうな眼が、光に揺らめく。
誰もが、足を一歩引いた。
引いた足が、パキリと音を立てる。
見れば、すでに木々の床はすべて凍り付き、白一面。
視界はすべて、一対の眼に支配されていた。
ぽきり、と枝が折れる音がする。
もしも、この場で不用意な行動をとれば。
腕くらいなら、瞬き一つで枯れ枝のように折られる、と理解する。
生唾を飲む音は、誰か一人の物ではなかった。
「もう一度聞こう。いいのかい」
クルビエの声は新雪の面にしんと響く。
逆らうものはいなかった。
「わかった。話せる限りでよければ話すとしよう」
ノイアの絞り出すような声に、クルビエはよし、と笑う。
「ま、つまらない脅しをボクの友人にしてくれたお礼さ」
パチン、とクルビエが指を鳴らすと、世界は日常を取り戻し、あたりはただの部屋に戻っていた。
ノイアはふぅ、と肩をなでおろし、後ろの警官たちも同様に安心したようにため息をついていた。
「で、なんでまた限定行使書状なんていう骨董品を使ってまで逮捕状が出たんだ?」
ノイアはネクタイをゆるめながら、小さく口を開く。
「盗まれた魔道具は十年ほど前に寄贈されたばかりの一品だ。その名は『夕暮れ』」
クルビエはバカな、とつぶやく。
「そんなものが盗まれただって」
わずかに焦る様子のクルビエを見て、ロビンはどうしたんですか、と口を開く。
「そんなに貴重なものなんですか」
クルビエはそうだな、と小さく応じると、落ち着きを取り戻したのか、浮いた腰を再度戻した。
「貴重には違いない。だが、それ以上に効果が問題だ」
「魔道具の持つ効果なんて、人間の扱う魔術ほどじゃあないと聞きました。僕が見たことあるのも大したものはありません」
「機械は唄わないし、人の身ほど複雑でもない。魔術の骨子を半分以上欠けたうえで、おおざっぱに作り出すものだ、そう大したものにはなりえない、という一般論は正しい」
魔術に必須とされるプロセスは三つ。
『詠唱』『魔法陣』『接触』。
そのいずれも、『循環』が人間の体で発生することが重要な要素となっている。
反面、魔道具というものは人間の体から独立した『魔法陣』に過ぎない。
よほど大がかりなものにならなければ強力な魔術にはなりえず、危険なものにもならない、とされるのが常識だ。
「だが、いくつかの魔道具は特殊でね、その出力を人間が扱う魔術以上に高める特性を持つものもある。その中に含まれるのが、通称『勇者の器』。勇者が召喚された際に別の世界との摩擦によって生じるエネルギーを一つの物品として形にしたものだ」
「――勇者って、もうおとぎ話のようなものになった存在でしょう?」
「十年も前に終わった話だ。対となる魔王の恐怖も完全に消え去って久しいし、勇者そのものは重要じゃあない。彼らが消え去った後も、彼らが生み出した『勇者の器』は残りつづける、と言うことだ」
「その中の一つが、『夕暮れ』という魔道具と言うことですか」
「そうだ。中でも『夕暮れ』は平穏な社会でも強力と言える代物だ。アレは一種の法とさえいえるかもしれないな」
「何ができるんですか」
「魔術の封印だ。単品で起動させたところでせいぜい学校の教室一つ程度の範囲の魔術を禁じるだけだが、手順に則り土地に力を埋め込めば国一つくらいなら『夕暮れ』の支配下におき、地域、もしくは種類を限定した魔術の封印ができる。監獄内での脱走を防ぐため、そして国内で使えない魔術を規定するために使われるんだが、ロビン君にもいくらか覚えはあるんじゃないか」
ロビンはこくりとうなずく。
魔術は万能に近いものの、グランブルト内では秩序のため、という名目でいくつもの魔術が国王によって『封印』されている。
街中での悪用や要人暗殺を防ぐため『透明化』の封印。
目視せずとも対象人物を衰弱、および殺害たらしめる『呪刻』の無力化。
罪人の拘留所や、国家元首が集う会議などで反乱が起きないようにするための区画一帯の魔術の使用そのものの禁止。
それらは、グランブルト国民にとっては周知の事実である。
「では、盗まれたら封印された魔術がまた使えるようになる、ということですか」
ロビンの焦るような声も当然で、万が一にもそんなことになればこの世の治安がまともに保たれるかも分からない。
クルビエは杞憂だ、と言わんばかりに首を横に振る。
「アレは土地そのものに魔術を刻むもので、一度封印された魔術の封印は同じ手順を踏まないと解けない。それも膨大な魔力が必要で、個人で盗んだ程度でどうにかできるようなものじゃあない」
「なら、大したことにはならないんじゃあないですか」
「だが、盗まれている間、国は魔術に対する法律を作れなくなるようなものだ。それに、国外からの魔術攻撃に対する防御の札を一枚失うことにもなる。治安の面でも国防の面でも少々よくない状況ではあるかな」
ノイアはふん、と鼻を鳴らしながら、天井にも届こうかという長身でクルビエを見下ろす。
「さて、事の重大さをわかってもらえたところで、捜査の方に協力してもらおう」
「ボクも情報提供くらいなら協力してやるさ。だが、彼は勘弁してやってくれ」
クルビエは立ち上がると、ロビンを守るように片手をノイアの前に持ち上げる。
「なぜだ。容疑者の同居人となれば重大な参考人だ」
「ボクだってあの男の友人だ。それに、ロビン君はまだ学生だ、明日も学校がある。子供の未来をはぐくむ時間を奪う、なんて大人のやることじゃあないだろ?」
ノイアは小さくため息をつくと、
「いいだろう、ただし、『探偵殿』に関するところを洗いざらいはいてもらうぞ」
「もちろん。時間も惜しいし、さっさと家を出ようじゃないか」
最後にクルビエは振り向き、
「――後で話は聞かせてもらうからな」
と吐き捨てるように言って扉は閉じ、魔術によって施錠した。
ロビンは慌てて席を立つ。クルビエの残した言葉の意味も意図も分からなければ、何もしようがない。
ばたばたと足音を立てて、扉に手をかけた時。
足元に、ぱさ、と一枚の封筒が転がり落ちる。
ロビンは一瞬辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、封筒の端を一息に魔術の刃で切り捨て、中身を取り出す。
出てきたのは、一枚の、簡素な内容の手紙。
『姿を見せられないことを大変申し訳なく思う。君も知っての通り、今の私は追われる身だ。信用しろとも、あるいは助けてくれともいわない。ただ、一点だけ。今回は大きな騒ぎになるだろう。そのすべてを、君の眼で判断し、そして最後まで見届けてほしい』
誰からの手紙か、なんていうことはロビンにはすぐにわかった。
消印もなければ、そもそもあまりにも封筒が小奇麗すぎる。
直接届けたものに違いない。
そして、ロビンに気づかせるかのようにわざとらしく落ちてきたのはどうしてか。
クルビエが『後で話を聞かせてもらう』と言ったのはなぜか。
すぐ近くに、探偵の姿があるからではないか。
ロビンの耳を、風が通り抜ける。
体をひるがえして、音を追う。
廊下を通り抜けて、角の先に顔を出す。
見えたのは、開けた窓と、夜空に浮かぶ星々。
ぱたぱたと舞うカーテンだけが動く物体で、他は夜の闇。
――先生!
ロビンは呼びかけそうになって、ぐっとこらえた。
なぜ姿を現さないのか、なぜこれだけの言伝なのか。
分からなくとも、そこに理由があることだけはすぐに理解した。
紙がひしゃぐ音がロビンの手の中にこもる。
何があったのか、追わなくてはならないと決意した。
探偵の後ろ姿だけではなく、彼がかかわる、今回の不可解な事件の真相を。




