序
連綿と続くとある探偵の物語を娯楽として楽しむ、あるいは歴史の一端を知らんとする好奇心を持つ、奇特な読者諸君へ。
初めに断っておくが、この物語は他の誰もが真実をもって語りたがらなかった物語だ。
語れば終演に至るから。知れば続きはないから。当事者ならざる観客たちは口々にそう言った。
すでに終わった話なのだから、と口を閉ざすものもいた。
ただ、もっとも大きかったのは、彼をよく知る二人の人間が、この物語を公正に語る筆を執ることはなかった、ということだ。
助手であるロビン=アーキライトであれば間違いなく、探偵の内情にさえ触れ得る内容を描くには至る。友人を名乗る、とある魔術師であればこの世界を象る魔の法則を淵から隅まで述べつつ、正しい形でこの物語を終えられる。
だが、二人は筆を執ることはない。いや、なかったのだ。無論、私にとってもそれを強要することはできなかった。理由などは語るまでもなく知っているかもしれないが、もしも知らなくてもこの書を読む君たちはいずれ知ることになる。
しかし、その二人が筆をとらなければ、必然的に誰かがこの物語をその人物の視点で描くことになる。
それは、時にあるべきだった真実を欠いたままで。それは、時の政を良きもの悪しきものと断じるための道具としての色を持って。それは、物語としての娯楽性を優先した冒険活劇とさえなるだろう。
だが、それは真実とは異なる物語だ。
あの日には、事件を追ってきた人間以外に、あるいは探偵をよく知る人間以外には描き得ない事実を積み重ねた真実が眠っている。
それを面白おかしく描かれる、というのは構わない。だが、真実を語る歴史もまた、この世界に残されるべきである。そう考えるのは、私がかの事件の当事者であるから、というだけでなく、かの探偵が辿った軌跡をやはり、正しく語らなくてはならないと思う義務感の様な物が一介の読者としてあるからだろう。
文豪が描く情緒に満ちた、儚くも喜びに満ちた作品として生まれ変わるとて、否定はしない。あるいは、この事件を異なる視点で描き、異なる物語が生まれたとて、それはよいことであり、彼の一端に触れる機会になるのならそれは喜ばれるべきことだろう。
しかし。遺さなくてはいけない。
人は遺すために生きるのだ。であれば、彼の軌跡は遺さなくてはならない。
彼の辿った結末を正確に記さなければならない。例え、彼と出会ったのがこの事件であり、彼との付き合いは三日に満たない私のような人間であったとしても。
あるいはもっと彼に近い誰かが語るべきかもしれないが、さりとて彼に近すぎるものにはあの結末は受け入れがたいものであったことだろう。
だからこそ、あの事件にとっては縁深く、そしてかの探偵からは実に縁遠い私こそが、あの事件を客観的に語れることだろう、という自負もある。だから、記す。
とある探偵の最期を記した、執念と情熱の讃美歌を。
傍観者にして語り部であるイトラ=イロムより。




