終:歩き出す
――――馬車の揺れが止まった。
辺りの景色を見回すと、ずいぶんと騒がしい。
どうやら、目的地に着いたようだ。
「つきましたぜ。お代は――」
「3700メント。そうでしょう」
覗き窓から金札を御者に手渡す。
彼がうなずいたのを見て、馬車の扉を開け、街路に飛び降りる。
「坊ちゃま、危ないですぜ」
御者席から声がかかる。アーキライト家の専属であった御者の彼とも、ずいぶん長い付き合いだ。
「転んだりなんてしませんよ。それと、もう坊ちゃまなんて身分じゃない」
ははは、と御者は笑った。
「なに、立場は捨てられても過去は捨てられませんや」
つまり、彼は僕のことを坊ちゃまと呼び続けるらしい。
「……僕はティーチカに戻ることはないでしょうから、もう会う機会はないかもしれませんけどね」
「毎日のように顔を合わせることはなくとも、縁があれば出会う機会もあるもんですぜ」
四十も後半、という見た目の彼の口ぶりには僕なんかよりも経験と含蓄がたっぷりと含まれている、気がした。
「じゃあ、また木陰で会いましょう」
くく、と御者が笑いをこらえた声が聞こえた。
「……なんですか」
「いやまた、上品な挨拶をするもんだと思いやして」
確かにあまり使われていない挨拶だと思うけど、笑うことはないだろうに。
僕の無言の抗議が通じたのか、彼は笑い声をひそめて、手綱を握りなおした。
「そんじゃま、あっしは月下にて会いましょう、とお返しさせていただきやす」
パシン、と高い音が響くと、ゆっくりと馬車が動き出した。
雑踏の中、見えなくなるまで、それを見守っていようか――。
「なあ、ロビン君」
――と思っていたところに、横から声がかかった。
誰か、と思い振り向けば、茶色いコートを着た黒髪黒目の青年が訝しげな表情で立っていた。
「びっくりした、いつからそこに居たんですか、先生」
「ついさっき。それよりロビン君、さっきの挨拶、どういう意味?」
彼の何とも言えない表情は、その疑問が原因らしい。
「友人に別れを告げるとき、次にどこで再会するかを賭けるというものです。負けた方は勝った方に再会の食事を振る舞うんですよ」
「ふうん。再会を祈る、少し変わった別れの挨拶というわけだ」
「毎日のように会う人間ではなく、住まいが分かれてしまう様な相手に使うことが多いですがね」
もっとも、彼が言っていたように貴族の間で位しか使われないし、古くなった挨拶ではあるのだけど。
「それよりも先生、どうしてここに? 家で待っているという話ではなかったんですか?」
「ま、色々あってね。積もる話もあるし」
ちらり、と探偵の視線が少し横にずれる。
彼の視線がとらえたのは、僕のもつ旅行鞄。
「君の住まいのこともある。少しお茶でもしながら話そうじゃないか」
探偵に連れられてやってきたのは、こじんまりとした喫茶店。
「先生の部屋じゃあないんですね」
「密な話をするわけでもないし、かまわないだろう。ああ、ロビン君は苦手なものあったかな」
「いいえ、お好きに注文してください」
「了解」
彼は店員に注文を伝えると、一番奥のテーブル席についた。
僕も脇に荷物を寄せて、彼の向かいに座る。
「ま、一番聞きにくいところから聞いてしまおうか。結局、あの二人の事件の後、アーキライト家はどう始末をつける気なんだ」
本当に聞きにくいところをつく。
人の心情を気にも留めていないのか、あるいは食事中には話題を持ち込まないようにする、なんて程度の気遣いではあるのだろうか。
どちらにせよ、僕も彼に伝えたいところではあった。
事件の顛末を見届けた、この探偵には、聞く権利と義務があるだろうし。
「『雲隠れ』についてはイークルス家の方が調査するようで、エド兄さんとイラーミの両名の犯行はいずれ明るみに出るでしょう」
「それはよかった……と言っていいのかな」
「いいんですよ。正しいことで、そして暴かれるべきことでした」
貴族であれ、平民であれ。公正に裁かれるべきだ。
貴族だから犯罪が許される、なんて理不尽はなくなるべきだと思うし、その一助にこの事件が活かされれば、と思う。
「君がそう言うならそういうことなんだろう。なら、君の姉はどうなった」
「判決までは出ていませんが、贖罪金を積まないようであれば流刑であろう、と言われています」
「島流しか。場所は?」
「エルオミシーニ島と言われるところです。強力な魔術封印の術式の実験場でもあり、そこではほとんど魔術を使わない生活を強いられます」
このディーナルス列島でも【転移】や【透明化】の魔術が封印されているが、エルオミシーニ島はその封印魔術の実験場ともなっていて、ほとんどの魔術が使えない。使えるのは、【伝達】の魔術くらいではないだろうか。
「この世界じゃ魔術は生活必需品に近い。それを封じた生活なんて刑罰の中じゃずいぶんと重い方だろう」
「死刑の次に、と言われています」
「なら、最上級だな。でも、アーキライト家が贖罪金を払うんだろう。いくらかはましになるんじゃないか」
まだ、探偵は僕たちアーキライト家の決定を知らないらしい。部外にはまだ言ってないから当然だけど。
「いいえ。一切の贖罪金は支払わない、ということになりました」
「なんだ、ティーナさんが突っぱねたのかい」
「違います。アーキライトの家にそんな財産はなくなったからです」
「財産をすべて寄付した、とかそういうことか」
探偵の言葉は当たっている。彼の世界でも似たようなことはあったのだろうか。
「元より、十五年もエド兄さんの犯行を見過ごしていたことが『雲隠れ』を止められなかった原因であり、姉さんの犯行を誘発したきっかけでもあります。罪の多くは、アーキライト家そのものにもあるでしょう」
「その贖罪のために、というわけだね」
「本来はティーナ姉さんの名前で出そうとしたのですが、不要だ、と止められました」
「罰というのは罪と同じくらい重くないと意味がないからだろう。犯罪を抑止する意味でも、犯罪者が贖罪をするという意味でもね」
それで姉さんの心が救われるならいい。
しいて言うなら、その苦しみを肩代わりできればよかったのに、という後悔はよぎるけれど。
「気にするんじゃあない。少なくとも、それは君の姉さんの罪過だ。君が背負ってしまっては彼女が贖罪をすることはできなくなってしまう。忘れろとは言わないが、考えないようにするといい」
探偵は口にもしていない僕の心情を読み切ったかのようだった。
「どうしてそこまで」
「さすがにそんな深刻そうな顔でうつむかれれば見当はつく」
「……すみません。心配をおかけして」
「いいんだ、そんなの」
彼はそこまで言うと、それ以上の言葉を付け足さずにそっぽを向いてしまった。
会話が途絶えていくらかして。
「――いい匂いじゃないか」
彼が言葉と共に視線を僕の後ろに向けた。
その視線を追うように僕も振り向く。
「食事が来た。そちらを優先しようじゃないか」
店員が料理を二つトレイに乗せて持ってきていた。
「デルレペップ・シラーグでございます」
コト、と言う音をたててテーブルに大きな皿が二つ置かれた。
中は見慣れた料理だった。
「パスタですか。おいしそうですね」
「何が入ってるかは分からないんだけど、中々いいんだ、これが」
「デルレペップとシラーグでしょう。そう言ってたじゃありませんか」
「……わからないんだ、これが」
どうやら、彼にとっては【伝達】の魔術でも理解しきれていない物らしい。
「ま、中身は何であれ味は保証しよう」
「別に疑っていたわけではありませんよ」
フォークを手に取り、少量を口に入れる。
「尾を引かない辛みがいいですね。シラーグが味に深みを出しているようで、口当たりのまろやかさにも。……いいものですね、これは」
「気に入ってもらえたようでなにより」
探偵はいただきます、と口にしてから、フォークを手に取った。
しばし、互いに目の前のパスタを味わう時間が流れた。
「それでだ、ロビン君」
カラン、と前方から音がした。
音の方を見れば、探偵の前の皿には、フォークしか残っていなかった。
「君、これからどうするんだ」
「どう、というのは?」
「財産を寄付した、というならアーキライト家の屋敷も売りに出すんだろう」
「今すぐになくなる、というわけでもありませんけどね」
買い手がつくまでは一応父の所有物として残る予定だ。
「その前提も踏まえて、という話だ。君の荷物を見れば、引っ越しを考えているんだろう」
「その通りですが、当てが多いというわけでもありません」
正確には、アーキライトの家名を使わずに頼れる人間がいない。
大なり小なりはあるけれど、貴族としての付き合いしかしてこなかった。
ゆえに、貴族としての名を落とすところまで落とした僕には、貴族たちの力を借りることはできない。
力を借りることができたところで、多大な損失か担保を要求されるかの二択だろう。
「それで、私の元を尋ねに来たわけだ」
「グランブルトのことなら僕よりは先生の方が詳しいだろう、と思いまして」
彼もこちらに来て日が浅いとは聞くが、時折グランブルトを尋ねる程度の僕よりかは知識があるだろう。
「……私を頼ってくれるのはうれしいんだけど、ね」
そこまで口にしてから、彼は一口、コーヒーをすすった。
「ご迷惑でしたか?」
「いや、まったく。むしろ好都合でさえある」
よくわからないが、探偵にとって面倒な話にはなっていないらしい。
「では、僕に力を貸せない原因が他に?」
昨日の今日とはいえ、もしかしたらアーキライトの家が原因で彼に害を被らせてしまったかもしれない。
それが理由で僕に力を貸したくない、というなら何も言わずに引き下がるしかない。
「いや、単に君がグランブルトを選んだ理由が気になるんだ。別にティーチカでも家くらい探せるだろう」
「……なるほど、『動機』ですか」
そういうこと、と言いながら彼は再度カップに口をつけた。
実際、グランブルトを選んだのは理由がある。
そして、隠し通すような理由でもない。むしろ、力を借りる彼には話す方が礼儀だろう。
「これ、見てもらえますか」
探偵に一枚の封筒を手渡す。
「開けても?」
「もちろん」
彼は手馴れた動作で封筒から中の手紙を取り出した。
「……これは?」
「それは先日、イラーミに見つけてもらった母の遺言書です。中にはグランブルトの高等学校の推薦書と、グランブルトで生きる上で必要なもののリストです」
彼は怪訝そうな声をあげながら視線を僕に向けてきた。
「君の母が亡くなったのは十年も前だろう。なんでまたそんなものが今頃見つかるんだ」
当然の疑問だと思う。
僕も何も知らなければ同じことを疑問に思うだろう。
「母が言い残したんです。十年後にこの封を解きなさい、と」
ぺらぺらと探偵は母の遺言書をめくっていく。そして、その顔がどんどん怪訝に染まっていく。
「この遺言書、君がティーチカを出ていく前提で遺されてるじゃないか。それも、ティーチカからの援助は受けられないとわかりきったうえで。まるで――」
「――未来を見ているよう、ですか」
探偵の口にする言葉を、あえて先んじて言って見せた。
思えば、母はそれが得意だった。
「じゃあ、何か。君の母は【未来視】ができた、ということか」
【未来視】。方法は問わず、とにかく未来を視る魔術の総称。
過去と現在の積み重ねから未来を予測する方法、実際に未来へと飛んで起こりうる可能性を観測する方法。とにかく、未来を予見するだけなら様々な手法がある。
母はその中でも因果を辿り、結論だけを見る【未来視】を使えたらしい。その方法も理論もよくわからなかった。曰く、才能に因るところが大きいのだとか。
ただ、因果を辿る、という手法で僕が家を出ていく、という結果だけは見えていたらしい。
「ええ。死の間際まで王宮に勤めていて、その【未来視】で王家を導いていたようです」
「…………十年前に、王宮で勤めていた、【未来視】持ちだって?」
何が引っかかるのか、探偵はゆっくりと、数えるような口ぶりだった。
「ロビン君一つ確認させてくれ」
「なんでしょう」
「君の母親の名前はエナ=ウトフ。旧姓がグニエルタ。王宮ではエナ=ウトフ=グニエルタを名乗っていたはずだ」
彼は、言ってもいない僕の母の名前を言い当てた。
「答えはいい。君の顔で十二分に理解した。――しかし、そうか。ずいぶんな奇縁もあるものだ」
探偵は母の手紙を丁寧に折りたたむと、そのまま僕に返してきた。
しかし、感慨深そうに語る彼の口ぶりはずいぶん奇妙だ。
「先生はどこで母の名前を? 先生は十年前にはこの街にはいなかったでしょう?」
「この世界に来てから一年は経ってない。けれど、十年前に彼女に出会ってもいる」
その言葉は、一息の間に背反していた。
「一年も経ってないのに、十年前に母に会うのは不可能でしょう」
「私は一度この世界に呼ばれて、その後彼女によってこの世界に改めて召喚されたんだ。ほら、矛盾はないだろう?」
混乱する。
彼の言う言葉がうまく頭に入ってこない。
「ちょっと、意味が分からないんですが」
「君でも理解しきれないこともあるもんだね」
僕を何だと思っているのか知らないが、いくらでも理解の及ばないことはある。
特に、今のは本当にわからない。
「それは、一度この世界に来た先生を、十年後の未来に再度召喚しなおした、ということですよね」
「まあ、そうなるかな」
「――何のために?」
だって、意味がない。
彼を召喚した理由が何であれ、彼をわざわざ十年後に送りなおす理由が分からない。
「もう少しかみ砕いて説明できればいいんだけどね。一度に説明するのは難しい。でも、一言で表現するなら」
探偵は手に持ったカップを持ち上げながら。
「世界を救うためさ」
なんて真顔で言ってのけた後、ずず、とコーヒーを再度すすった。
「……真面目に答える気がないのは分かりました」
「これ以上ない真面目な回答なんだけどね」
ふざけているのかいないのか、ため息をついただけの彼から察するのは少し難しい。
ただ、その意図するところは理解できる。
「そんな世界を救う、というなら人手はいくらあっても足りないでしょうね」
にやり、と彼の口元が歪むのが見えた。
「そうとも。特に、優秀な助手がね」
つまるところ、彼は僕に仕事と住まいを用意してくれるらしい。
「優秀かは分かりませんけど、僕でよければお手伝いしましょう」
「なに、私の意図をくみ取れる時点で実に素晴らしい。十二分だとも」
彼はそう言うと、折りたたまれた白い紙をこちらによこした。
「契約書ですか?」
「そんなに用意がいいものか。我々の第一歩であり、君の最初の仕事になる一枚さ」
もったいぶった彼の言葉をバックに渡された紙を開く。
「……なんですか、これ」
「君と私の住まいを探しに行くところだよ」
中には、不動産屋のチラシが入っていた。
「…………」
「言ったろ、都合がいいって。私もちょうど家を無くしたところだったんだ」
事も無げに、実に重大なことを彼は口にした。
「――三日前まで住んでたあの部屋はどうなったんですか」
「一階にいた大家が詐欺で起訴されてね。建物ごと取り押さえられたせいで追い出されてしまった」
一階の、というとあの詐欺師スレスレの人間のことだろう。
実際に起訴されているなら詐欺師そのものにランクアップしたと言うべきか。
「じゃあ、僕らはこれから家を探さないといけない、と」
「そういうこと」
――訂正しなければならない。彼が用意してくれたのは仕事だけで、住まいなんてものは姿かたちもなかった。
「……先行き不安にもほどがあります」
「先が見えない方が面白いだろう」
本気でこう思っていそうなので、たちが悪い。
目を離せば、彼は見る見るうちに彼が思う面白い方へと堕落していきそうだ。
そんな彼と共に暮らすならそう退屈はしないだろう、という確信はあるし。
「――仕方ない。なら日が暮れる前に早く行きましょう。用事は早く済ますに限ります」
どうあれ、新天地でも友人が近くにいるのは心強いし。
「そうだね。何事も早い方がいい、というのは同意する」
僕の顔を見た探偵がくすりと笑いながら立ち上がった。
会計を済ませると、からんからん、と鳴るベルを背後に街へと繰り出した。
かつ、かつ、かつ。石畳の上を歩く。
「そういえば、ロビン君。一つ聞きたいんだけどね」
グランブルトの大通りを、件の不動産屋へ歩いていると、隣を歩く探偵が口を開いてきた。
「なんでしょうか」
「別に、このグランブルトを訪れるのに、わざわざ頼る人間が私でなくてもよかったろう。貴族がいけ好かないとしても、頼れる業者の一つや二つ、君なら渡りをつけられるだろう?」
確かに、住まいと金銭の都合をつけるだけなら何とでもできる。
「できなくはないですけど、それ以上に優先する理由があったんですよ」
「……理由?」
そう。
実に些細なことではあるのかもしれないが、彼を頼ると結論付けるに足る理由があった。
「先生、クリス兄さんの旅行記がニセモノだとわかった時に笑っていたでしょう」
「……まあ、そうだったかもね」
「あの時、先生は確信を得たはずです。向こうの世界に戻る手段は旅行記の中にないことと、二つの事件の犯人が姉さんであることを」
そして、その二つの過程から一つの結論を見いだせる。
「最初、事件の答えが分かったから笑ったと思っていたんですけど。本当は少しだけ違ったんでしょう」
「…………」
「友人である僕が犯人でない確信を得たから。先生は喜んでくれたんじゃあないか、と思ったんです」
つまり、彼は。己が元の世界に戻る手段を失うことよりも、友人と呼ぶ僕の潔白を証明できたことの方が占める感情として大きかったのではないか。
今の今まで、この発想は少しばかりうぬぼれていたかもしれない、と思っていたけれど。
「…………好きに解釈すると良い」
拗ねたように顔を背けた彼を見て、ようやくそれは確信へと移り変わった。
失うものの方が多かった。
でも、空っぽの中に納まる物もあったのだ。




