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第二十三話:『』

 何秒、あるいは何分、呆けていたか。


「姉さん、そこにいつまでもいたら危ないですよ」


 ロビンに片手をつかまれると、思いきり引きあげられた。


 力のままに屋根に足をついて、そのまま少しよろめいた。


「おっと、力を入れすぎました。姉さんが軽すぎるのかもしれませんが」


 ロビンは私の体を支えながら、おどけたように言う。


 その支えを、反射的に振り払ってしまった。


「――どうして」


 そして、言葉もつい口から飛び出した。


「なんでしょうか」


「どうして、書庫にいるはずのロビンが脱出して、そしてここにいるの」


「先生の手引きですよ。先生が犯人探しなんてする前から、この場所に姉さんが来るかもしれない、と教えてくれていたんです。だから、そもそもボクな書庫になんていなかったんです」


「――そう、だったのね」


 すべてを、あの探偵は知っていたのだ。


 ここにロビンがいるのなら、私が飛び降りることに意味はない。


 たとえ限りなく自殺に見えたとしても、ロビンがここにいるのでは、ロビンの無実の証明にはなりえない。


 それどころか、さらにロビンの罪の疑いを増やすだけになる。


「どうですか。良い景色でしょう」


 目に映らない下からは、こんな状況を作り出した男の声が聞こえてきた。


「ええ、とっても。心変わりするほどに」


「それはよかった」


 何がよいものか。


 何もかも、ぶち壊しだ。


 罪を一手に引き受けて、そして贖罪のために自らも死ぬ。


 美しい終わりだろう。それですべてが清算できたのに。


 体から力が抜けて、崩れ落ちたのは仕方がなかったと思う。


「――姉さん!」


 倒れそうになる体を、ロビンに再度支えられた。


 その腕は力強かった。少なくとも、私が知っているよりも。


「ねぇ、ロビン。あなたはどこまで知っていたの」


 その力強い腕の中で、弟に問う。


「少なくとも、下で語っていたことはすべて」


「それでも、あなたは偽りの罪をかぶせられることに文句を言わなかったの?」


「姉さんの代わりになれるなら、それでもいいと思っていました。それに、姉さんの真意を聞きたかった」


 抱きしめる腕の力が弱められ、そっと腰を地面に下ろされる。


「お願いだ、姉さん。どうして、エド兄さんを殺して、イラーミも殺して。そして、姉さん自身すらも殺そうとしたのか。その理由を教えてほしい」


 その真摯な瞳には、応えなければならないと思わされた。


 少なくとも、ロビンには罪を背負わせた負い目がある。


 そして、話すならば始まりから話さなければなるまい。


「私がどうしてこの家の子としてではなく、他家の娘として扱われていたのか、そしてクリストファーなんて架空の男を作り出していたのか、あなたはその理由を知っていたかしら」


 緩やかに、弟の首は横に振られた。


「始まりは簡単。五年ぶりにできた子供が女の子だったお父様は、その子を男として育てることにしたの。エドワードが死んだときに、その代わりとなるために」


 珍しいことではあるが、過去に例がないでもない。おとぎ話になるような英雄が、女であることを隠すなんてことは数多くあった。古い貴族のしきたりで女は家を継げないという固定観念が故だろう。


 アーキライトの家は数百年前のそのしきたりを捨てきれなかった。


「本当はね。私は十五歳くらいの時に流行り病にかかったの。余命は一年、とされていたのよ」


「そんなの、聞いたことない」


「隠していたもの。だって、クリストファーという名前の男の子として生まれてきたはずの私が、治療のために体を見せれば女だってばれてしまうから」


 アーキライト家は嫡男としてエドワードがいた。そのエドワードを支えるために、もう一人の息子を父は望んだ。


 けれど、もう一人の子供が生まれるまでに五年。それも、女だった時の失望はどれほどだっただろうか、というのは想像でしか補えない。


「クリストファーが女であったことを隠したいが、娘の病気を放置もできない。そう考えた父はティーナという偽名をつけて、自らとの血縁も偽装して、遠くグランブルトにいる医者の元へ送った」


 運命としては死にゆくべきだったのだろう。


 しかし、私は運がよかったらしい。


「本来なら、死にゆく病で私は死んでしまっていたのでしょうけど、お医者さんの腕がよかったせいで私は生き残ってしまった」


 風のうわさでは、そのお医者さんは治療の功績を建てられて、グランブルトで貴族としての地位を与えられるほど、と聞いた。


「一年ほどの時を経て病気は治療できた。けど、そのころにはクリストファーなんて人間はすでに家督を捨てた人間になっていた。当然よね。一年も家を空けていたし、それにクリストファーがこなすべきだった役目となる子供がもう一人。誰からも才覚を認められたあなたがいたのだから」


 それを聞いて、ロビンが少し困ったような顔になる。


「別に気にしないで。アーキライトの家には多くの人間が出入りする。ロビンがいなくても、女の子として過ごした時間が長すぎた私には、クリストファーを昼夜問わず演じるのは不可能だったでしょうから」


「それで、偽りの名前と本来の姿を逆転させた、と」


 話を聞いていたのか、探偵の声が聞こえてきた。


 彼の声はよくとおる。そして、その予想も正しい。


「ええ。普段をティーナ=アーキライトとして過ごして、時折異国の地に存在するクリストファーを造り出す。葬儀を行わずに死なせるのもおかしな話で、行方不明扱いなら捜索しないというのもやはり不自然ですから、そんな歪な手段をとった」


 あるいは、今回のように、エドワードもロビンも家を継げなくなった時の後釜としての意味もあったのかもしれない。


「そして、エドワードは件の殺人の手伝いを私に要請しに来た。ティーナとしてではなく、クリストファーとしての私に」


「姉さんは、本当に手を貸したんですか」


 ロビンの問いに、私は首を振る。


「エドワードは本当にしつこかった。アーキライト家にさらなる繁栄をもたらすためには、敵を排除するべきだ、と。何度も何度も打診された。当然、脅迫も」


「……そんな」


 まさか、という二の句はロビンにも告げることはできなかった。


 この子にとっても、エドワードの素行の悪さは古い記憶ではないのだろう。それに、あの『雲隠れ』の首謀者があの男と知っては、何をしていても不思議には思えないはずだ。


「警察に突き出してももみ消されるのは分かりきっていた」


 あるいは、アレでも兄妹としての情はあった。正義よりも、情を優先するなんてことを私は考えてしまったのかもしれない。そんなの、どちらでも結果は変わらなかったけれど。


「でも、しびれを切らしたのか、エドワードはある提案をしてきたの」


「それは?」


「父を殺す計画」


 ロビンは口を開いたまま、言葉を失っていた。


「そうすれば相続権を得るのはエドワード。一年も待てば父は天命を迎えそう、というのに待てなかったみたい」


「……どうしてそんなことを」


「彼らにとっては私の存在は邪魔で、殺しの主犯として身代わりにでもするつもりだったんでしょう。この家の実権を持つ父も、扱いが面倒極まりない私も排除できれば、彼らにとっては得しかないものね」


 言葉にしてみれば、ずいぶんと彼らの行動原理は単純だった。


「それに耐えかねて、エドワードを殺した。その後は、探偵さんの言った通りよ」


 自殺に見せかけたはずの殺人に細工が成されたことも。


 イラーミに脅されたことも、それに耐えかねて彼を殺したことも。


 証拠の隠滅も、何もかも、言い当てられた通り。


「姉さん」


 ロビンの顔は、いろいろな感情を押さえつけたような表情だった。


「何かしら」


「姉さんは、エド兄さんとイラーミを義憤のために殺したんですか」


 目の前にいる弟の感情はわからない。


 けれど、自身に眠る感情に、熱いものはなかったのだと今なら思えた。


「いいえ。正義感に駆られた、なんてことはなかった。だって、怒りなんて感じたことはなかったもの。でも、そうね。殺しを強要されて、脅されて。辛くて、逃げ出したくなったかもしれない」


 自分のことなのに、遠い出来事のようで、確かな語りができない。


「ティーナ=アーキライトという名前の人間は存在せず。クリストファーという名前は地についてはいても、そんな男はやはりいない。私という人間はこの世界に存在していないし、規定できない」


 こんなにも縛られて、そのくせ何もない。


「だから、そうね。今から逃げ出すついでに、私の人生に意義が欲しかったのかもしれない」


 そんなもの、殺しなんてものに手を染めた時点で手に入らないと気付くべきだった。


 あるいは、悪にしか手をかけていない、という免罪符でごまかせるとでも思ったのか。


 どちらにしたって、私の存在も、行いも、中途半端。


 何をやっても空回り。


 生まれてきた意味なんてとうに消えていた。


 そして贖罪のための死も迎えられず、無様に生きている。











 本当に、この人生は。


 なんて空虚なのでしょう。











「姉さん」


 ぐ、と私を抱きとめる手の力が強まる。


「――姉さん、ごめんなさい」


 力強く、全身で。私の体は弟に抱き留められていた。


 謝ることなどないのに。


「――――気づけなくて、ごめんなさい、姉さん」


 呼び止める声は震えていても、確かに私に届く。


 どうして、あなたは。


「ロビン、貴方が謝る必要なんてないのに、どうして謝るの」


 嗚咽だけが、弟の返事として帰ってくる。


「人間というものは、相対的に呼称されます」


 代わりに、意味のある言葉は姿の見えない探偵から発せられた。


「例えば、人々を率いる者は人々から王と呼ばれ。民を守るために剣を振るうものは民からは騎士と呼ばれ。生徒に教えを説く者は生徒から教師と呼ばれます」


 それなら、私は。


「ならば、貴女はロビン君にとって、姉であるのでしょう。それは紛れもなく、貴女の呼び名だ」


 胸の中で、すがるようにロビンは泣いている。


 この子の涙は、私のために流されているらしい。


「私なんかに、姉を名乗る権利はあるのかしら」


「弟が姉と呼ぶのです。ならば、貴方が姉を名乗るのは権利ではなく、事実によるものでしょう」


 ああ。


 そんなこと。


「子供でも分かることね」


「ええ。貴女は姉として、ロビン君の前では誇りある選択をしなければならない」


 それは少なくとも、死による逃避ではない。


「――――」


 そんなこと。


 もっと早くに気がついていれば。


 別の選択なんて、いくらでもあっただろう。


 一瞬で、無数の後悔が頭をよぎる。


 けれど、今からでも。


「――――ごめんなさい、ロビン」


 目の前の泣きじゃくる弟を、抱き返す。


 そのくらいの責務は、果たさないと。


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