第二十一話:終演の時
すべてを終わりにしよう。
ふと、窓から外を見上げると二つの月が、よく見えた。
この夜空の下で最期にするのも、悪くない。
倉庫の長い階段を登る。
断頭台に向かって歩くような感覚。
一歩ごとに、息が詰まっていく。
それは自らの行いの結果であるのに、それでも死が近づくことに恐怖はある。
軋む音を立てながら、扉を開く。
見渡す景色は壮観だ。
自分の屋敷や、門、庭である森、そして月が照らす薄暗い地平線。それらが見えるだけではあるのだけれど、そのすべてを眼下におけるのは少し気分がいい。
天に上る月も。地に見える風景も。余計な感情がなければ、美しいと断言できる。
けれど、それを見るヒトは少しどころでなく醜い。
そんなことを考えるのも今日で最後だろうけど。
死ぬための一歩を踏み出そうとして、ひときわ大きな風が通り抜けた。
砂埃でも目に入ったか、とっさに目をつむる。
その瞬間に、見えない前方から誰かの足音が聞こえた。
「……誰?」
足音に問いかけながら、目を開く。
「誰か、と言われればお答えしましょう。しがない探偵です」
風を背に立っていたのは、探偵を名乗る青年だった。
「あなた、どうしてここに」
「夜風に当たりたかった。そういえば納得してくれますか」
探偵はコートをなびかせながら、私の前に立ちはだかっていた。
その飄々とした態度は、彼の真意を隠す飾りに過ぎないだろう。
「用件を話してくださいます?」
彼はほんの少し口元をゆがめた。
「せっかちな人だ。この事件の真実を解き明かしに来ただけですよ」
「真実? そんなの、あなたが語った推理がすべてでなくて?」
屋敷の居間で語られた、アーキライト家で起きた事件の答え。
ロビン=アーキライトを犯人とする、彼の推理は正しいものである、と余人は思うだろう。
「いやあ、まさか。少なくとも、語らねばならないことが残っているでしょう」
「……語らねばならないこと?」
「ロビン君を犯人とするのなら、彼自身の人格も考慮しなければならないと思いませんか」
改まった疑問だ。そもそも、それを否定する可能性は彼自身が語っていた。
「殺しはしないと? 私もそう思っていましたけれど、衝動的な殺人というものはある、と他ならぬ貴方自身が言っていたでしょう」
「殺人を犯した可能性を、性格だけでは否定できません。少なくとも、衝動的な可能性は。しかし、私が言いたいのはそちらではありません」
探偵はこちらに背を向け、その視線を月へと向けた。
一瞬見えた横顔は、どこか自嘲でもするような表情に見えた。
「理性よりも感情が勝る、ということはどんな人間にも起こりえます。しかし、彼はその罪の意識から逃げ出すような男ではありません。彼は果たして自分の保身のために、嘘をつくような人間でしょうか。そんなこと、貴女の方がわかっているでしょう」
「…………そうね」
分かっている。
命に対して真摯であり。
貴族の子としての矜持があり。
大人びていながらも、善いことを善いと言えるだけの素直さがある。
そんなロビンが、責任感のない行動をするとは思えないことくらいは分かっている。
「彼は、殺しをした記憶にふたをする、などという子供の様な逃げはしない。決してね」
少なくとも、ロビンを5年は見守ってきたのだから、彼の正義感以上に、責任感の強さはよく知っている。
「ロビン君は殺人者では、いいえ。己の罪から逃げるような、弱い男ではありません」
そして、そんなこと。目の前の探偵はよく知っているだろうに。
「――それなら!」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。でも、この行き場のない怒りは口をつく。
「どうしてロビンを犯人などと、偽りの結論を作り上げたのですか!」
「その説明には、今回の犯人像を正確に描き出す必要があります」
彼は私の怒りを受け流し、小さく口を開いた。
「まずはこの倉庫で行われたエドワード氏の殺人に関してです」
「……殺人? さきほど、あなたは自殺と言っていたでしょう」
探偵は私の言葉に返事をすることはなく、一つの鍵を取り出した。
「エドワード氏には『雲隠れ』という悪習が存在しました。二人の死人の共通点から考えるに『雲隠れ』が原因の犯行と推測すべきでしょう」
彼が手にしていたのは、私たち家族だけが持ちうる鍵。
「しかし、共犯者以外でその悪行を明かすには、何らかの確信がいる。――例えば、彼の部屋にあった『雲隠れ』のための書類とか」
「……エドワード=アーキライトの部屋に入れた人間であればその事実を知ることができる、と」
探偵は微笑むだけで、私の言葉にうなずきはしなかった。
けれど、その無言が何よりも肯定の意味を示していた。
「そして、その悪習は外に漏れるようなことは今までなかった。なぜだと思います?」
「…………」
無言で返すと、探偵はわずかに笑みを深めた。
「一つはスパンが長かったこと。一年に一度。それも規則性は貴族であることのみ、とあらば捜索は難航することしきりでしょう。事実、イークルス夫人の情報網をもってしても確信に至るまでは届かなかった」
そちらは先ほど探偵が語っていた通り。
「もう一つが、遺体が発見されなかったこと。遺体がないのではいなくなってすぐに捜査ができませんから、やはり証拠が少なくなってしまう」
けれど、そちらは彼が語っていなかった事実だ。
「好きに語るのはいいですけれど、それが事件と関係がありますか」
ようやく返答できた自分の声は、自分が思う以上にとげとげしく。
「ありますとも。エドワード氏の悪習が見つからなかった二つ目の要因こそが、あの遺体が足をついていた理由につながるのですから」
探偵の声はこの夜によく響いた。
「暗殺した貴族の死体。それはどこに隠されていたのでしょう。森の中? 使用人がうろつくところには隠せないでしょう。屋敷の中? 他の部屋なら誰かに見つかるかもしれないし、自分の部屋に死体を積み上げておく、なんて不気味にもほどがあるでしょう」
探偵は一息つくと、床を見下ろした。
いや、正確にはいま私たちが立つこの建物を。
「しかし、この倉庫。ここなら、鍵を持たない人間は入れませんし、持っていても入る人間はそういない。隠してさえしまえば、見つける人間はいないことでしょう」
「でも、そんな遺体。なかったでしょう」
「ええ。エドワード氏の遺体のあった一階にも、多くの宝物がしまわれていた二階にも、この倉庫の休憩室たる三階部分にも、今いる屋上にもそんなとものはありませんでした」
先ほども見てきたばかり。この倉庫に、そんな遺体が見つかるわけないことは私も、そして目の前の探偵も理解しているはずだ。
「ですが、もう一つ」
こん、と探偵の足の爪先が床を叩く。
「この倉庫の地下。入り口となる扉も、降りるための階段もありはしませんが、だからこそ絶好の隠し場所となりましょう」
「入口もない場所に、どうやって侵入すると言うんですか」
「ないならば作ればいい。それこそが犯行時に足が浮いていたにもかかわらず、発見時に膝をついていたエドワード氏の遺体の疑問の答えにもなる」
真実を見抜こう、という相貌が、目の前に在る。
「エドワード氏の首が吊られた時、その足元には地下に通ずる入り口が開いていたのです。数多くの貴族の遺体が収納された、墓場の様な穴に」
「…………」
「あくまで推測ですが、秘匿性も考えるなら物理的に床を破壊し、出るときに【再生】の魔術でも使うのでしょう。それならば、扉のない地下への出入りも可能になります」
推測と言いながら、探偵の口調は確信じみた物言いだった。
「その殺人者は、エドワード氏の自殺というシナリオにするつもりだった。死体の山の上で首をつる男。遺書の一つでも偽装すれば、贖罪のために男は死を選んだのだ、と疑う者はそういないでしょう」
けれど、そうはならなかった。
「しかし、ここで殺人者に誤算が一つ。第一発見者である門番のイラーミ氏が、殺人者にとって予期せぬ行動をとりました。なんだと思います?」
「……さあ」
喉からは、しぼりだすような、かすれた声しか出なかった。
それを聞いて、探偵はわずかに微笑み、懐に手を伸ばした。
「その死を偽装したのです。遺書を盗み、床を【再生】させ、本来あるべき姿にこの倉庫を戻した」
探偵は一本の紅い紐を取り出すと片手でつまみ、目の前でぷらぷらと揺らし始めた。
「そう考えれば、発見時の首吊り死体にもかかわらず足をついていた理由も説明がつきます。足が床についていたのではなく、床の方が足につくように【再生】された、ということです」
もう片方の手が、下からせりあがる。
紅い紐に接触した時、紐の先端がわずかに折れ曲がる。
それが、兄の遺体が膝をついていた情景と重ね合わせたもの、ということだろう。
「地下の遺体を持ち込むには、門番たる彼の眼を盗むことは難しいでしょうから、何らかの形で協力者だったのでしょう。それと同様に地下の隠匿の方法も知らされていてもおかしくはない」
探偵が指をくるくると回し、紅い紐をしまいこんだ。
「それに、あの無意味に近い魔法陣も近づく者に地下が空洞であることを悟られないよう、無数の死体がある空洞の直上に張り巡らせたものだったのでしょう。魔法陣を消さないように忍び足になりますから、足音の反響で階下の空洞を悟るのは難しくなる」
「仮にそうだとして、なぜ彼はそんなことを」
「一つは彼自身の利権を守るためでしょう。死体が露見すれば、『雲隠れ』の真実もいずれ明らかになる。そうなれば、共謀者たる彼も犯罪者の仲間入りです。そしてもう一つが」
探偵は赤い紐をしまい、小さな袋を取り出した。
「彼はエドワード氏の遺書を手に取って理解したんです。これは自殺ではないだろう、と」
その中から取り出されたモノは、紙の端。破られた跡からして、何かの一部であることは容易に想像できる紙の欠片。
「……それはイラーミが最期に持っていたという紙片ですか」
「おそらくは、イラーミ氏が盗み出した、エドワード氏の遺体の近くにあったと思われる遺書の破片です。材質は一般に流通する普通の紙でしょう」
居間での推理の時にも聞いたのだから、よく覚えている。
「それが何か」
「エドワード氏が残す遺書にしては奇妙ではありませんか?」
その質問こそが奇妙だ。
ただの紙の破片一つ。その中身が遺書であったとして、だ。
「中を見てもいないのに、どこが不思議だと言うんですか」
「消耗品の隅に至るまで高級志向の彼の遺体の近くに、どうして一般に流通する紙で遺書が存在したのか、という点ですよ」
「――――」
とっさに手にしたものであれば偶然の一言で済む。
けれど、人生の最期に遺す遺書が、己の信念と違うものを使うだろうか。
その思考が頭をよぎり、反論ができなかった。
そして、兄が遺した物でないなら結論は一つ。
「それはもう、エドワード氏以外の人間が残したモノだったから、というのが妥当な結論でしょう。そして、偽りの遺書なんてものを遺すのは殺人者くらいです」
探偵は紙片を再度懐へとしまいなおす。
「イラーミ氏はこの遺書を片手に、殺人者を推定した。紙の質か、それとも筆跡か、あるいは彼にしか知りえない情報から推定したのか。――例えば、『雲隠れ』の真相を知るもう一人の誰かとか」
探偵は見知ったように語る。
「そして、その殺人者に脅しをかけたのでしょう。『君がエドワード氏を殺したことは知っている。世間に公表されたくなければ――』なんてね。殺人者の弱みを握ったようなものですから、彼も欲が出たのでしょう。そして彼は口封じとして殺人者によって殺された。これが第二の事件です」
「……」
「殺人者はイラーミ氏を背後から絞殺した後、偽の遺書を奪い取った。その場に遺せば、それが殺害の動機だとすぐにわかりますから。しかし、イラーミ氏は最後の抵抗としてこの紙の切れ端を握っていた」
一息に語り終えると、探偵はふう、と息をついた。
「つまるところ、この二つの事件にまたがる犯人は、エドワード氏を殺す意義を持つ人間であり、彼を自殺に見せかけて殺そうとした人間だった。そう考えるべきでしょう」
その条件を果たしうるのは、探偵が居間で披露したものとは様変わりしていた。
「それは、ロビン君ではありえない。私に自殺であると言わせるのが目的ならば、その細工をしないはずがない」
探偵が口にしたのは、居間での結論の否定。
「アーキライトの血を受け継ぎ、エドワード氏を殺す意義を持つもう一人の人間。十年前にこの家を出ていったという彼のもう一人の兄であれば、この犯行をするに足る人間でもあります」
探偵が口にした犯人は、この家の次男。
その男は、この場にいない。
「その人物ならば、エドワード氏の部屋に入ることも可能です。そして、ガリバー氏と違い魔術を扱えないほど体を弱めているわけでもない。であれば、エドワード氏の殺害の折に床を破壊することもたやすいでしょう」
だが、その男が罪を犯したというのは不可能だ。
「……クリス兄さんは姿を見せていませんし、倉庫の鍵も持っていません。それに知っているんでしょう?」
「何を?」
「クリス兄さんは偽りの存在だと、あなたも語っていた。そんな人間に――」
「――彼は偽りの存在です。ですが」
殺害なんてできない、と言おうとした声を探偵にさえぎられる。
「それを演じた人間がいないとは言っていません」
――――――。
「そうでしょう、クリストファー=アーキライトさん」
探偵は微笑みながら、私をもうひとつの名で呼んだ。




