第十八・五話 ロビン=アーキライトへ告げる最後通告
一番景色のいいところ、と探偵は言った。
この屋敷に限るなら、やはりここだろう。
「いいね。自然を見下ろす、というのは気分をおおらかにさせる」
倉庫の屋上に、僕と探偵の二人は立っていた。
眼下で風が木々を撫でる。
枝についた葉がこすれ合う音が、自然を感じさせる。
「ロビン君」
僕の横に立つ探偵が呼びかけてきた。
優しげな瞳で、こちらを見ながら。
「なんですか、先生」
「今回の二つの事件の真相、解けたかい」
「いいえ、まさか」
隣に座る探偵はくすりと笑うと、その視線を森へと戻した。
「人間というのは、常に誤認する生き物だ。今回の事件も、すぐに犯人が見つからなかったのはその誤認によって真相まで視線が届かなかったからに他ならない」
「まるで、事件の真相は解けたと言わんばかりの言い草ですね」
「もちろん」
断言するが、彼の言葉に自信が満ち溢れているようには感じなかった。
どこか弱々しくて、消えそうな。
不安定な感情の揺れが見て取れるようだった。
「ロビン君、人が誤認する条件は何だと思う?」
「勘違いすること、知識がないこと、あるいはだまされること、でしょうか」
「そうだ。思い込み、忘却、偽装。そういったもので前提がずれていると、人間は容易に誤認する」
探偵はその誤認の要因をつかんでいる、ということだろうか。
「なら、先生。この事件の真相を教えてください」
どうかな、と濁すような返答が返ってきた。
「君の決断で、私は真実を知ったことにするかもしれないし、しないかもしれない」
「なんですか、それ」
あまりにも謎めいた物言いだった。
「どういう意味で――」
「殺人というのはね」
理由を問いただそうとして、機先を制された。
「常になくてはならないものがある。なんだと思う」
「さあ。殺すための方法、ですか」
刺殺であればナイフが。絞殺であれば紐が必要だろう。
「それも重要な要素だけど、私はその上が存在している、と考えている」
僕は探偵ほど殺しに触れてきたわけでもない。
殺人者の思考を辿れるほど、理解は深くない。
「その上、というのはなんですか」
「理由だ。殺人に至る動機。それがなくして、殺人は起きない。己が利益のために、正義のために、突発的な怒りのために、恨みのために、快楽のために。たとえ余人が理解できるものでなくとも、確実に理由が存在する」
探偵の言葉は以前を思いだすような語りだった。
彼にとって、今まで触れてきた殺人は、その持論を形成するに足る物ばかりだったのだろう。
「殺人というのは許されるものではない。けれど、同時に殺人に至った想いというものまでは否定してはならない」
「じゃあ、先生は殺人者の片棒をつかむと。そういうんですか」
ケンカを売ったつもりだった。挑発したつもりだった。似合わないことをした、と口から出た瞬間に思った。
「――そうだね」
けれど、探偵は一度肯定を返しただけだった。
「どうして、ですか」
「今回に限りではあるけれど。真実なんて見つからなかったことにしてもいい」
「いいんですか、それで。次の殺しが起きるかもしれないのに。あるいは、今回の事件は自殺だった、ということにするんですか」
「――確実に殺人だ」
ほんの少しだけ、彼の声が震えていたような気がした。
「確実に誰かの手によって殺しは成された。けれど、同時に彼らの成してきたことは許されざることでもあった。だから――」
「例え私刑であったとしても正当性がある、と」
ならば、その真実を明かす必要はない、ということか。
「その罪をとがめることはしないんですか」
「私は何もしない、というだけさ」
やさしさのつもりなのかもしれない。
彼に見えた真相は、暴くべきではないと感じるところがあるのだろう。
だけど、否定しなくてはならない。
「それは違うでしょう」
口をついたのは、探偵の言葉の否定。
「例えあなたがそう思ったとしても、一度殺人の境界線を越えた人間は罰されなくてはならない。そうでないと、次の機会があった時、その殺人者は容易にその境界線を越えてしまう」
だから、罪を背負うためにも、罪は明かされないといけない。
「…………」
「…………」
しばらくの間、無言の返答が続いた。
ならば、もう一押しだけ。
「それに、先生は嘘をついたでしょう」
「……どんな?」
「先生は、今回の殺人を見逃そうとしているのは、その犯行の正当性なんかが理由じゃない」
分かりきっている。うぬぼれではないだろう。
彼は犯行の正当性があろうと、見逃すことはきっとない。
だから、もっと別の理由がある。
例えば。
「……これは最後通告だ。この真実を明かせば、君の生活は崩壊する」
隣にいる、依頼人のためとか。
「それでも、君は真実を知るのかい」
「はい」
悩むことも、迷うこともない。
その質問には肯定しか考えられなかった。
「……君はどうしようもなく正しい。正義感がある、と言ってもいい」
探偵は微笑みながら立ち上がった。
「そして、実に勇気がある。憧れさえするよ」
こつこつこつ、と靴音を響かせながら出口へと歩き去ろうとする。
「先生。これは依頼人としての頼みでもあります」
「分かってる。私も、一時の情で信念を違えるのはやめにする」
扉の前で、彼は身をひるがえした。
――立ちはだかるように。
「君に、真実を告げよう。あるいは、今更言う必要もないかもしれないけどね」
それでも、最後まで聞いてほしい、と前置きをして彼は語り始めた。




