第十七話:小さな籠の鳥
エドワード=アーキライトの部屋の前。
扉を前にした探偵はこちらを振り向いた。
「ロビン君、たしか君たち家族の私室は、家族だけが持つ鍵でのみ開けられる。そうだったね?」
彼の質問の意図は分かる。
「僕にエド兄さんの部屋を開けてほしい、ということでしょうか」
「そのとおりだ」
「……それは」
この扉の先は兄さんのものだ。たとえ亡くなった後でも、その部屋を荒らすために人を入れたくはない。
「君がためらうのもわかる。なら、こういう体はどうだ。君は遺品整理のために入る。私はその手伝いだ。そうすれば君の心の尊厳を汚すこともない。個人の持ち物を整理するのは残された人にとっては必須なんだ」
「……そんな取り繕った言い訳はいりませんよ」
この部屋の前に来るまでに止めなかった時点でこうなることは分かっていた。犯行の手掛かりを見つけるためだけに兄の部屋へと侵入する、という気持ちを変えることはない。それが、必要であるのなら。
「ただ、約束を一つ」
「なんだい」
「これ以上この事件で人死にを出さないと言ってくれますか」
「約束しよう。そして次の朝を迎える前に、ケリをつける」
探偵は断言した。
彼に如何な理由はあるか分からないが、その言葉を疑う由もない。
返答として、兄の部屋に鍵を差し込んだ。
「――実を言うとね、もう殺人は起こらないと踏んでいたんだ」
その鍵を回す前に、探偵の声が聞こえた。
「だからこそ、少々悠長な手段で外堀を埋めるような捜査をした。いや、私がこの家に来た本当の理由を優先しながら捜査してしまっていた」
「本当の理由?」
彼の言葉を聞くために、手が止まっていた。
「――そうだ、その部屋の中に、私が明かしに来たもう一つの真実がある」
エド兄さんの部屋は、他と比べてもさらにきらびやかだ。ぎらぎらと輝く金を基調にしていながら、品性を失わずに部屋の彩りとする、高貴な部屋だった。
「エドワード氏はずいぶん高級志向だったようだね」
「使い捨ての細かな用品に至るまで、その品質に固執するような人ではありました」
椅子や机の様な家具から、インクの様な使い捨てのものまで、できうる限りの最高級品を選んでいた。
探偵が今手に取っている置時計もこの列島でも有数の職人によるものだったと記憶している。
「私でも値段が一桁違うとわかる物ばかりだ」
「エド兄さんは、自らを纏うものの価値が自らの価値にもつながる、と考えていたようです」
身に着けた高貴な品格とそれに比例するような傍若無人な態度。そこから察するのはたやすいエド兄さんの哲学だった。何度か、自身の口で語っていたこともあったか。
それを聞いていた探偵は納得したようにうなずいた。
「ま、聞き及んでいた通りの性格ではあるな」
「……そんなことまで話を聞いていたんですか」
ディアメとはよく話していたようだけど、果たして彼女が故人の話をそうつらつらと語るだろうか。
彼は気にするな、とつぶやくと首をぐるりと回して部屋をながめた。
「本題へ入ろうか」
脚の動きをいつもよりも早くして、探偵は部屋の奥へと突き進む。
「先生は何を探しているんですか」
「鍵のかかった棚とか、あるいは巧妙に隠された箱とか。とにかく、エドワード氏が物を隠しそうなところにあるであろう紙の束だ」
探偵は言いながら、机の棚をガコガコと開けていく。すぐに閉めてしまうあたり、目的の物は見つからないらしい。
ただ、その紙の束、というのが何かはすぐにはピンとこなかった。おそらくは、イラーミの握っていた破れた紙にかかわることなのだろう。
けれど、それは部屋を捜索する理由にはならない。
「エド兄さんの部屋よりも、イラーミのいた見張り小屋を探るべきではありませんか?」
「いや、この部屋でいいんだ。ここで見つかれば、彼ら二人の死が同じ理由に起因することになるだろうから――おや」
探偵の手が止まった。
「見つかりましたか」
「――――うん、残念ながらね」
紙束を取り出すと、その中を彼は一枚一枚検分する。
「中身も予想通り。君も見るだろう?」
探偵に差し出された紙束を受け取る。タイトルもないその書類は、顔写真とプロフィールが乗せられていた。めくれば、紙の枚数だけ異なる人間のものがあった。
「なんですか、これ」
「その書類自体は調べた人間の素性を調べたものだ。その行動パターン、そしてとある一日に関しては時間単位で彼らが取りうるであろう行動が調べられている」
そんなものは見ればわかる。この書類は、調べた人間の素性を丸裸にするものだ。過去のものから、未来のものまであるが、とにかくこれがあればその人間の行動をすべて把握できるだろう。
けれど、聞きたいのはこの書類そのものではなく、これがなにに使われていたか。
「何のためにこんなものが?」
「こちらの情報も聞けば少しは話が分かるんじゃあないかな」
探偵はメモ帳を取り出すと、それに目を通しながら口を開いた。
「167年1月3日、メアリー=リリエル。168年2月10日、カルエスト=ボールグ。169年7月29日、アルジェスタ=ニードック」
「……王国歴の話ですか?」
「そうとも」
今は王国歴182年。なぜ、15年も前の話をするのか。そもそも、その日付は何か。なぜ貴族公爵の子息の名前ばかりが挙げられるのか。それもいまではとんと聞かなくなった没落した名家のものばかり――――。
「――――」
書類を再度めくる。この書類に載っている名前と、探偵の上げた名前は同一。
だが、この書類には探偵は先ほどの一瞬で目を通しただけ。なぜ彼はこの書類に書かれた名前をつらつらとあげられるのか。
ふと書類の一部が目に入る。そこに書かれた日付は探偵に読み上げられた日と同一。
そして、その日を最後に、書類に書かれた人間の行動の日付は止まっていた。
なぜか、冷や汗が止まらない。理由ははっきりと分からないが、何かどうしようもなく嫌なものが脳内を通る。
「170年――――」
「先生、もういいです。もういいですから、答えだけを」
探偵は小さくうなずいた。
「では端的に。私が読み上げたのは『雲隠れ』と呼ばれる現象によって姿を消した、とされる貴族の子弟のリストだ」
探偵が知っているのはいい。彼が事件を調べていてもそうおかしなことじゃあない。
それよりも不思議なのは、どうして雲隠れの情報をエド兄さんが握っているのか。
「エド兄さんも『雲隠れ』を調査していた、とか」
「それは違うだろう」
探偵は断言した。
「その書類に書かれている情報はあまりに詳しすぎる。後から得た情報ではなく、先んじて、対象の行動を把握するために作られた。そのたぐいの情報であるだろう」
「……なら、彼らを陰ながら守護するために利用していた、とか」
「さて。誰かに依頼されたのならともかく、エドワード=アーキライトという人間はそんな正義の人だったか、というのは私には分からない。ただ、それだけの情報を集める理由としては、守るよりも殺す方が自然だろう、というのは当然の発想ではないかな」
「――発想の飛躍でしょう。この書類のみを証拠にするなんて弱すぎるし、何より理由がない」
そう。アーキライト家の長男であるエド兄さんに、自らの地位を貶めるリスクを折ってでも殺人に手を染めるメリットは果たしてあるのだろうか。
「ところで、ロビン君には私がこの家に来た理由を話していなかったよね」
僕の依頼を受けてエド兄さんの死因を探るために来た。そのはずだが、彼はしきりにある人物と連絡を密にしていた。
「イークルス夫人からの依頼も受けていた、と」
「ああ。彼女はずいぶんな情報屋だ。私のような庶民の下っ端の様な人間までくまなく調べるほどね。彼女の娘が今度ティーチカに嫁ぐらしく、『雲隠れ』についても情報を得ていたようだ」
つらつらと探偵は語る。
「ティーチカで起きた『雲隠れ』は貴族の子息が突然いなくなる現象を大雑把にまとめたものだ。共通性もティーチカに住まうもののみという程度で頻度も年に一度。その全容をつかむ者は今まで居なかった。しかし、イークルス夫人はあることに気が付いてしまったらしい」
「それは?」
「雲隠れが起こるたびに、とある一家が必ず恩恵を受けている、ということだ」
探偵は具体的な名を伏せた。けれど、聞くまでもなく理解は及ぶ。
「このアーキライト家がその恩恵を受けた一家であり、雲隠れはエド兄さんの犯行によるものだったと言いたいわけですか」
探偵はさあ、とごまかすような返事をした。
「敵対的な関係にあった家の後ろ盾、近くの鉱山の利権を得ていた管理者。直接的なものではないにしろ、とにかくその家は『雲隠れ』が起きるたびに着々と利を得ていた」
「――そんなことになれば、すぐにでも警察だって気が付くでしょう」
口から出たのは、思ってもいない言葉だった。
「君も言ってたじゃないか。警察というのは貴族同士の諍いを嫌うと」
彼の言うとおりだ。警察という機構が、貴族同士の枠を超えて介入することはそう多くない。
そんなことは分かっているのに、彼の考えを否定したくて口から言葉が出てしまった。
「それに、ここにたどり着くには実に迂遠な過程が必要だった。イークルス夫人が不審に思わなければ調査さえされなかった。そのくらいにはこの『雲隠れ』は巧妙だったし、証拠もなかった」
「では、先生はその証拠を探しに来たということですか。しかしお言葉ですがそんな証拠、ありはしません。もしも存在するのなら、僕の方が先にその証拠を世間に晒すでしょう」
「分かってるよ。実際、犯人の部屋を漁るような真似をしなければこのような証拠を探し当てることも難しいと思っていた。エドワード氏以外が犯人であれば証拠を探し出すというのは不可能だった」
ならば、本来の彼は一体何をしにここに来たのか。
「だから、私の仕事は証拠を作りに来た、というのが正しい」
その疑問の答えは、いささか怪しいものだった。
「……でっちあげるつもりだったんですか」
「いいや。そんな真似はしないし、仕掛けもなしに人をだますに足るものを作り上げられるか、と言えば難しいと答えよう」
探偵は否定するが、ならば彼は何をするつもりだったのだろう。
彼は頻繁にイークルス夫人に連絡を取っていた。ディアメに聞くところでは、彼の会話は生存報告のようであった、という話だった。
そこまで思い出して、一つの考えが脳裏をよぎった。
「――――まさか、あなたは死にに来たんですか」
「いい線いってる」
彼は書類を片手に、にやりと笑った。
「あなた自身が被害者となることで、この屋敷の捜索に正当性を持たせようとした、と」
「エドワード氏が主犯と確信できれば撤退するつもりだったし、本当に死ぬつもりはなかった。だが、万が一死んでもいいように連絡を密にしていたのは事実だけどね」
聞いた話に、小さな鳥をカゴに入れて鉱山に入る、というものがあった。曰く、鉱山の中では、人間よりも小さな鳥の方が有毒なガスに敏感で、人間よりも早く死ぬ。それを利用して、鳥が生きているところでは安全だと判断できるらしい。
用途は少し異なるが、彼はその小さなカゴの鳥、ということだったのか。
「結果として、証拠の一つはここにあった。殺害の立証そのものにはならないだろうが、手がかりとしては十分すぎる。その書類に書かれた中には未だに『雲隠れ』されていない者の名前もある。彼らの動向とエドワード氏の予定がかみ合うようであれば、大きな一歩となるだろうね」
まるで探偵はエド兄さんが『雲隠れ』の主犯であるかのように語る。だが、それはあり得ない前提が存在する。
「先生は『雲隠れ』がそう呼ばれている由来の一つを覚えていますか」
「君が言いたいのは行方不明になった人間は戻らない、という点だろう。遺体の痕跡すらない、というのは実に奇妙な話だった」
そう。その遺体がないのであれば、犯行を行ったという証左はない。
「何も痕跡を残さない、なんて人の所業ではないでしょう」
だから誘拐事件とも失踪事件とも呼ばれず、奇妙な『雲隠れ』などという名前が定着した。
「しかし、遺体そのものを持ち去ってしまうというのであれば、ちょうどいい隠し場所がある」
探偵が語る隠し場所とは何か。
その意図が読めた時、血の気すら引いた感覚がした。
「……この家に持ち帰ってきていたということですか」
「そう。警察の出入りすら最低限というこの屋敷の結界の中なら、誰も手出しはできないだろうし、見つけることすらできないだろう。たとえ死体であってもね」
「――そんな」
――そんなはずはない。兄が殺人鬼で、この家に遺体を隠していたなど。
「そして、そう考えるならイラーミ氏もかかわりを持っていなければならない。なんせ、遺体を持ち込むには門番の眼をかいくぐることは不可能だろう」
「…………」
信じられない。けれど、同時に探偵の描く推察はそれなりに筋が通っているとも感じる。
兄が殺し、イラーミが隠す。警察であっても明確な証拠、あるいは大義名分がなければこの家の捜索などできはしないのだから、それ以上の痕跡を調べることなど不可能。
「そう考えれば、イラーミ氏が最期に握りしめていたこの紙片。おそらくこれにも『雲隠れ』を示唆する内容と、そして彼を殺した犯人がその共犯であったことでも載っていたんだろう」
「――だから、殺して奪い取った、と」
「おそらくね」
未だに、予測の範疇でしかないのだろう。探偵も言葉を確かにはしなかった。
そして、その根拠を確かにする方法はもう一つ。
「では、イラーミの部屋にも行くつもりですか」
「ああ。彼の部屋にも今回の犯人を示すものが残っているかもしれない。少なくとも、この書類と同じものは残っているだろう。彼も共犯であるなら、万が一の時のために身を護る、あるいは道連れにできるこの資料は重要だからね」
彼は書類をカバンの中にしまうと、ゆっくりと扉へと近づいていった。
「先生」
僕が呼びかけると、その歩みは止まった。
「なにかな」
彼は背を向けたまま、手をかけたドアノブを回さずに返事をした。
「先生は僕の依頼人でもあるはずです」
「ああ、その通りだ」
「なら、たとえ兄さんにどのような謂れがあったとしても。その死を明かすこともまた、先生の義務のはずです」
返事に困っているとも思わないけれど、彼は背を向けたまま止まっていた。
数秒ののち、彼は顔だけをこちらに向けながら口を開いた。
「君は強いな」
「……どういう意味ですか」
「気にしなくていい、ただ口をついた感想だよ」
僕の困惑なんてよそに、彼は扉を開いた。
「君の件もおろそかになんてしていない。君の兄と、イラーミ氏の死の要因、その最後の欠片もイラーミ氏の部屋にあるはずだ」




