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第十六話:揺れる肉体

 揺れる。視界に映る肉の体が、揺れている。


 大地から靴一足分くらい、彼は浮いていた。


 首には縄が巻かれ、見上げるほどの高さに結び付けられた支点によって吊り下げられていた。


 なぜ、どうして。彼がつられている。自殺? そんなことを――。


「【切断】だ! 縄を切り落とせ!」


 その声で我に返る。探偵は僕に指示を出しながら駆け出していた。


原因の究明など後回しだ。最優先は彼を降ろすこと。まだ首を吊ったばかりなら、助かる可能性がある。


 彼の後ろを追いながら体内の魔力を形成する。


「【切断(ティウク)】!」


詠唱も最小限に手のひらに魔力の刃を造りだし、縄へ手の平を押しつける。


 縄の半分辺りまで刃が差し込まれた辺りで縄はちぎれ、つられていた肉体は地へと落ちた。


「先生!」


 堕ちる体を探偵は受け止めていた。けれど、その表情は歯ぎしりが聞こえそうなほどにゆがめられていた。


「――――遅すぎたか」


 探偵の抱きかかえている肉体を見る。


 息はない。鼓動も聞こえない。


視界に映る、彼の魔力を測定する。それは、目に見える形で生者には考えられないほど、目減りしている。


 確実に死んでいるのだと、わかってしまった。


 それを理解した時、吐き気を催すほどに視界が揺れた。脳内で出来事を整理するよりも先に、拒絶という反応が体を支配した。


床に手をついただけで済んだのは多分、慣れてしまっていたからだと思う。


 エド兄さんの遺体を、見ていたから。











 呼吸を戻すまで、僕はその場にうずくまっていた。その間の探偵の行動は迅速だった。


 まずは屋敷まで戻り、見つけたメイドにイラーミの遺体があったことを伝えたらしい。動揺しながらも、すぐに屋敷の皆に伝えると言って駆けだしていったそうだ。


 その後、探偵の方は警察に伝話をしたらしい。


しかし、戻ってきた彼の表情は芳しくない。というか、怒りに満ちている。


「――今日は休日だから人員が少ない。対応は翌日になる、なんて返事が警察に許されるものかね」


 なるほど、探偵の怒りはもっともだ。正当な通報をそんな理由で無視されればたまったものではないだろう。


 ただ、理由は推測できるので僕としてもなんとも言えない。


「ストライキでもしてるのでしょう。賞与の月が近いので、これをネタに引き上げようとしているんです」


「公務員に許されてるのか、そんなこと」


 あきれたようにため息をつく探偵の発言が全面的に正しい。


「毎年公務員がストライキをするのは常なので慣れたものですよ。去年は地方の役所が結託してティーチカで手続きを滞らせた、なんてこともありました」


「……信じられないな」


「彼らに払われている給料が安すぎると知っているのもよく知っていますから、彼らの行いを批判する権利は僕にはありません」


 僕が生まれるよりも前の話、国に仕えながらも王城へ入ることの許されていない、公務に勤める人々を見下げる風潮があった。多くが仕事を失った炭鉱夫などの受け入れ先であったため、らしい。そのせいか、彼らへの風当たりは強く、その給与も低く抑えられていた。


 一般的な労働者の6割程度が彼らの給与という時期もあったらしい。グランブルトや、大陸の方ではそんなこともないとは聞くけど、今でもティーチカではその傾向自体は残っている。


「それに、場合によっては機嫌を損ねた貴族に首を切られかねませんから、彼らにとっても命がけの行動です」


「なるほどね。しかし、好都合と言えば好都合か」


 探偵の困ったような表情は変わらないが、その発言はどこか前向きだった。


「どういう意味ですか」


「二人目の殺人が起きた以上、悠長にはしていられない。そして、警察が来ない以上、今日の間は邪魔をするものもいない。なら、家中をひっくり返してでも犯人を見つけ出す」


 探偵の眼は未だに怒りに燃えていた。けれど、その矛先は警察なんかではなく、己自身に向かっているのだろう、というのは強く握りしめられた拳から察せられた。




 イラーミの遺体は先ほどと同じように寝かせられたまま。


「ロビン君。イラーミ氏に残っている魔力の残存量はどれくらい?」


 白い手袋をはめつつ、探偵は僕に尋ねてきた。


 イラーミの方に視線を向けて、その漏れ出した魔力を計る。


「七割以下、六割までは減っていない程度ですかね」


「ということは死亡してから六時間以上。体温の状態なんかを見ても十時間は経ってないか。逆算して、午前1時から3時ごろが死亡時刻となるだろう」


 言いながら、探偵は遺体の衣服をめくる。


「死斑や遺体の汚れから、場所を大きく偽装したとは考えにくい。一般的な首吊り自殺といって差し支えない。しかしなあ」


 探偵の声は何かが引っかかる、と言わんばかりに煮え切らない。


「何か気になる物でも?」


「彼の左手に握られていたこれだ」


 探偵の白い手袋の先には小さな紙片がつままれていた。破いた痕があるし、何か大きな紙の一部分だったのかもしれない。


「この紙片と適合しそうな紙は彼の体からは見つけられなかった」


「なら、破られた後持ち去られたか、燃やされたか、ということですね」


 ふむ、と探偵は顎に手を当てながら考えるそぶりを見せた。


「魔術に詳しくないんだが、こういった紙に魔法陣を描いて魔術を起動させ、悪漢に抵抗する、ということはある物なのかい」


 探偵が確認しているのはイラーミが魔術的な抵抗をしたのかどうか、という点だろう。


 それならば、その抵抗の折に魔法陣を描いた紙を破り捨てることはあるかもしれない。ただ、それは考えにくい。


「そういった戦い方もあるとは聞きます。ただ、先生の手にしてるそれは材質も一般的なもので、魔法陣を描くには少々不適に見えますから、印刷物かメモにでも使うものだと思います」


 ふうん、と探偵は不思議そうな声をあげた。


「なんだ、魔法陣というのは描く紙にもこだわるのか」


「魔力効率に少しばかり差が出る、という程度ですが。魔力を通しやすい動物の皮を使った紙の場合が多いかと」


 探偵の手にしている紙片は材質からして植物性なのは間違いない。魔術に使うには不向きだろう。


「それに、周囲に痕跡が少なすぎます。魔術での争いがあったにしては何もその証拠が残っていません」


 焼けこげた雑草もなければ、凍り付いた痕も切り裂かれた痕跡もない。特異な魔術を使えば使うほど、周囲にはその残り香が強く残るはずなのに、それがない。


「なんであれ、彼の死因は魔術を使わない方法だった、と考えるべきか」


「縄を使った自殺、でしょうか」


 僕の見解は周囲の被害から予測したもの。そもそも、首をつって死んでいたのだから自然とその答えに行きつく。


 探偵も否定する気はないのかそうだね、と同調してきた。


「他殺でもおかしくはない、とは思うけどね」


「しかし、どうして突然」


「まあ、人からすれば自殺も他殺も突然に感じるさ。しかし、なぜこの切れ端はイラーミ氏が――いや、そうか」


 探偵は何かに納得したのか、その紙片を小さな袋にしまい、懐に入れた。


「何か気づいたことが?」


「そうだな、それは彼らに説明をしてからでもいいだろう」


 探偵の視線は僕の後方へ向けられていた。


 振り向くと、事件の話を聞きつけたであろう屋敷の人間が集ってきていた。






 集まったのは父、姉、エイラムとメイド数名。


 父の表情は静かなものだった。長として、取り乱す姿を見せるわけにもいかないのだろう。


 姉は対照的に崩れ落ちていた。その肩を、メイドのディアメが支えていた。


 執事のエイラムは沈痛な面持ちで、父の後ろに控えていた。


 警察が来ないと知ると、父の命でイラーミの体には【保存】の魔術が掛けられた。


 探偵は遺体発見時の説明を簡単に終えた。その後、ほう、とため息をつくと屋敷の方へと歩き出した。まるで人目を避けるように。


 逃げるような探偵の行動が気になり、その後ろを追うことにした。






 探偵に追いつくころには、死体を囲む輪からは遠く離れていた。こちらに気づいたのか、彼は一度こちらを振り向いた。


「なんだ、ロビン君も来たのか。君はいいのか、イラーミ氏に別れを告げなくて」


 彼の言葉はややぶっきらぼうで、焦りを感じるものだった。


 今は、亡くなったイラーミよりも、歩き去ろうとする彼の道行きの方が気になっている。まだ、その死を目の当たりにしたばかりで現実を受け入れていないからかもしれないが。


「僕の方はともかく、先生の方こそいいんですか?」


 その背後から、探偵に小さな声で話しかける。


「いいって、何が?」


「父さん達に話を聞かなくてもいいのか、ってことです」


「……さすがに知人が死んだ直後にその殺人の疑いをかけても、反発が強いだろう。それに、犯行時刻である深夜二時は昨日聞いた時点で皆寝静まっている時間だと知ってるからね、情報が得られない可能性も高い」


「つまり、優先すべき事柄ではない、と」


 うん、とつぶやきながら、探偵はわずかに歩くペースを落とした。僕と話すために、その歩調を緩めてくれたらしい。


「それと、イラーミ氏が握っていたこの紙。なんの紙だと思う」


「さあ、魔法陣を描きこむ紙でもなし、自殺するにしてはおかしなものを握っている、と思いましたが」


 それに、昨日も元気に話していたのだ。彼が自殺するとも思えない。


「他殺と考えるなら、彼が握っていた紙は犯人にとって重要なものだったんだ。だから、殺害の後で奪いさった」


「重要なもの?」


「詳細は分からないが、おそらくはエドワード氏の死に関する証拠になりうるものじゃあないか。でなければ、私のような人間がいる今日に殺しはすまい」


 探偵は歩きながら、そしてしゃべりながら考えをまとめているようにも見えた。


「借金の証書であれば動機を強く疑われる。弱みを握った証拠、愛人関係でも記したものがあればそれも殺害の動機を疑うには十分か。あるいは――」


 そこまで言ったところで、探偵の足は止まった。


 そして、彼の黒い眼がこちらを見つめていた。


「……どうされました?」


「――――いや、少しばかり踏み込んだ捜査をする。私の仮説が正しいなら、少しばかりショッキングなものを見る羽目になる」


 探偵はこちらを気遣うように言葉をかけてきた。だが、先ほどイラーミの死体を見たばかり。


「兄の死も、そして友人の死も見届けたばかりです。ですから、多少のことでは取り乱さない自信があります」


「その背中をさらに崖に一押しするかもしれないよ」


「だとしても、逃げたくないんです」


 毅然とした対応をしたつもりだった。それが功を奏したのか、探偵はあきらめたようにため息をついた。


「事実であればいつか知ることだし、間違いであれば杞憂だ。どちらにしても対応は変わりないか」


 探偵は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


「その仮説、聞かせてもらってもいいですか」


「実物を見るのが早いだろう。今ならその部屋に侵入するのをとがめる人間もいないだろうし」


 侵入、などと物騒な言葉を使うが、何をしようと言うのか。


「どこへ入るつもりですか」


「エドワード=アーキライト氏の私室だ」



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