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第十五話:朝と死は早く

 アーキライト家の朝は早い。だが、別に誰もかれもが早いわけでもない。特に、今日の様な休日の朝は朝食の時間すら家族によってまちまちだ。


 父は休日でもいつも決まった時間に起きるが、姉は昼よりは前に起きる、というくらい惰眠をむさぼる。


 エド兄さんは自分と同じくらいで、休日は少しだけ遅い時間に起きていた。二度と、廊下で会うことはないが。


「おはようございます、ロビン様」


 ぎぃ、と扉を開くとそこにはメイドの一人、メアリーがいた。彼女は普段は屋敷外の掃除担当であり、屋内の使用人と比べると合う機会は少ない。少なくとも早朝に待ち構えられたことは今までなかったのだけど、どうしたのだろう。


「おはようございます、メアリー。今日は朝早くから何か用でも?」


 僕の問いに、彼女は手元の封筒を渡してきた。


「探偵さんより、こちらをロビン様に渡すように、と」


 一般的な白い封筒。宛先は書かれていないが、手渡しの封筒にそんなものはいらないだろう。


「……中身は何ですか?」


「中は決して開けてはならず、そして重要なものだから必ず朝一番に渡してくれ、ということでした」


 どういうことだろう。


 彼からそんな重要なものを受け取る理由はないし、そもそもそこまで急ぎのものはあるだろうか。


「この封筒、どこで託されたんですか」


「早朝に設備の点検もかねて屋敷を歩いていたところ、この辺りを歩いていた探偵さんに捕まえられまして」


 ……分からない。


「それと、言伝も。朝食は早めに済ますといい、と」


「……それはまあ、そのつもりですけど」


 意図が読めない。


「よくわからないけど、ありがとう。どれくらいここで待ってました?」


「六時ごろに頼まれましたから、三時間くらいでしょうか?」


 早朝から待ちぼうけさせられるには長過ぎる時間だ。


「……ほんと、申し訳ありません。ラウンジのお菓子をすきに持って行ってください。それと、今日の午後からは自由に休んでいてください。エイラムには口利きしておきますよ」


 メイドはいえいえ、と否定した。


「これも私のお仕事ですから」


 それだけ言い残して、メアリーは立ち去って行った。


 彼女が遠ざかるのを確認してから、封筒を開けてみる。中には、クリス兄さんの写真と、小さなメモ用紙。『写しは取らせてもらったよ』とだけ書かれていた。


 余計にわからない。そこまで早くに返してほしいと頼んだわけでもないし、わざわざメイドを介すようなものでもないと思うのだけど。


 理由を尋ねてみるならば、直接聞いてみるのが良いだろうか。




 探偵の泊まる部屋を訪ねてみたが、返事はなかった。


 何をしているか知らないが、部屋の前に置いておいた手記も消えているし、未だに寝ているわけでもなさそうだ。


 探し回ってもいいが、宛もなく探し回るにはこの屋敷は広い。その前に僕の朝食を優先しても悪くはないだろう。




 メイドの一人に朝食を用意させて、ラウンジで外を眺めながらくつろぐ。


 時刻は九時を少し過ぎたところ。


 隣に座る人間はいないけれど、それはそれで落ち着くものだ。ここのところは兄の死をめぐる手続きで忙しかった。




 優雅に過ごす朝は、一日をも優雅にする。


 空高く飛ぶ鳥がぐるりと円を描く。


 それを眺めながら、朝食を少しずつ口へ運んでいく。平日の朝食は家族と共に食べるが、こうして一人で空を眺めながら、というのも悪くない。


 甲高い鳥の鳴き声が断続的に聞こえるだけで、それ以外に音はなく。


 実に静かな朝食だった。






 テーブルから物が消えるころ、鳴き声以外の音が聞こえてきた。それも、屋敷の中の方から。


 廊下へ続く扉を開けるとその音はより大きくなった。


 聞こえて来たのは聞き覚えのある男女の声。


「――ほう、ではディアメさんはこの屋敷にきて五年ほど、ですか」


「そうなります。ティーナさまと同じ時期に来たせいか、あの方にはよくしてもらっているんです」


 仲良さげに話す二人は、探偵とディアメだった。昨日の会話を見る限りディアメの方は探偵を避けているのかな、と思っていたが見る限りそんなそぶりもない。


「へぇ。なら、あなたはティーナさんとご同郷ということですか」


「いいえ、時期が同じだけでして、住んでいたところはまるで違いますよ。――おや」


 足音に気が付いたのか、ディアメがこちらを振り向いた。


「おはようございます、坊ちゃま」


「おはようございます、ディアメ、先生。お二人はこんなところで何を?」


 大したことじゃあないんだがね、と探偵は一言挟んでから話し始めた。


「ちょっと『伝話』を借りていたんだ。エルジェさんに用があってね。その後、『伝話』をつなげてくれていたディアメさんと雑談に励んでいたわけだ」


 探偵は妙にディアメに話しかけているような気がする。他にもメイドはいるのに、なぜか彼女とだけはよく話しているような。気に入ったのか。


 それは趣味嗜好としても、もう一点気になることがある。


「……昨日もイークルス夫人とは話していたと思いますが、何か頻繁に電話をかける理由が?」


「仕事の進捗なしと生存報告、かな」


 ディアメに視線を送るが、大きな反応はない。彼女が聞いていた限りでも、探偵の言葉に偽りは含まれていないということか。


「それよりも、坊ちゃまはもう朝食は済まされましたか」


 その理由を思考する回路はディアメの言葉によって遮られた。大した疑問でもないし頭の隅へと投げ、彼女の言葉に答えを出す。


「ええ。これから腹ごなしの散歩にでも出かけようかと」


 なるほど、とディアメが小さくうなずいた。


「であれば、ラウンジ側の庭がいいかと。今日の朝見た時にはビリディシーが集っていましたから、散歩にはピッタリですよ」


「それはいいですね。行き先もなかったしそうしますか」


 彼女の提案は少し魅力的だ。ビリディシーは美しい鳥で、彼らの集う姿も実に綺麗なのだ。


「……散歩、ねえ」


 その隣にいる探偵は僕らの話を聞きながらあごをさすり思案にふけっているようだった。何を思うところがあるのか分からないが、こんな雑談をしているくらいだし暇なのだろう。


「どうです、先生も来ませんか」


「ん、ご提案に乗らせてもらおうかな」


 視線を少し横に滑らせる。仕事中とはいえ、ディアメも散歩に出るくらいは問題ないと思う。


「ディアメも一緒に来ますか?」


 僕の提案に、ディアメは首を横に振った。


「これ以上仕事を抜け出していると執事長に怒られますので、キッチンの方に戻ります」


「別にエイラムも五分や十分で目くじらを立てるような人では……」


 そこまで口に出して、頭の中で何かが結びついた。


「もしかして、先生」


「なにかな」


「ディアメを連れ出して、何分ほどになりました?」


 ふうむ、と意味深につぶやきながら、探偵は懐の懐中時計を取り出す。


「キッチン向こうで会ってからだから……30分くらい?」


 悪びれもせず。探偵はとぼけたように答えた。それを聞いて、僕の頭は自然とディアメに向けて下げられていた。


「ディアメ。本当に先生が迷惑をおかけしました」


「――まあ、まったくですね。坊ちゃまの言葉を否定する要因はありません」


ディアメは小さくため息をついた。しぶしぶ付き合っていた、という風体。……それにしては長く話しすぎではないだろうか、というところは少し気になるけれど。


「なんであれ、ディアメの邪魔をしていたのは事実。もう邪魔はさせませんから、戻ってください」


「ええ、ありがとうございます、坊ちゃま」


 困り顔のまま、ディアメはスカートを翻す。


「ああ、それと」


 彼女は顔だけを振り返って、探偵にその視線を向けた。


「食事を作ってほしいという件ですが、考慮だけはさせていただきます」


 それでは、と言い残して立ち去るディアメ。そのはずんだ後ろ髪が、なんとなく彼女の心境を表しているような、それは考えすぎのような。ともあれ、なんとなく普段の彼女とは違って浮足立っているような。


 すたすたと歩き去る彼女の後ろ姿から視線を外すと、こちらを見ていた探偵と目があった。


「……なあ、ロビン君。怒ってる?」


「どうしてそう思いましたか」


「その声のトーンと目つき」


 つまり、観察眼による推察であり、心情をくみ取ったものではない。この男、怒っていることを理解できても、何に怒りを覚えているのかを判断するのが妙に下手だな、というときがある。今の僕に対しても、その鈍さが前面に出ている。


「彼女は僕の遠縁でもあります。ティーナ姉さんとは違う意味で姉のような人です。そんな人を捜査の依頼を任せたはずの男が口説いていれば悪態の一つもつきたくなるものです」


「……そこまで怒ってるとは思ってなかった、許してほしい。でも真面目に捜査に必要なことをしているんだ」


「では、ディアメから何を聞いていたんですか」


「働かざる者食うべからずの法則はこちらでも適用されるらしい。彼女は性分としてメイドをやりたいからやっていると聞いて、彼女の働きぶりを聞かせてもらっていた」


 深謀遠慮がある、と信じたいのだけど。その中身はどう考えても雑談の域を出ない。


「それ、捜査に関係あるんですか」


「なにより、早朝から美人と話すのは脳の回転をよくするんだ」


「まだ寝ぼけているようですね」


 時計を見る。午前の九時半。零時近くに別れて、そして彼がメアリーに頼みごとをしていたのが六時ごろ。そう考えると昨日の彼の睡眠時間は人間の平均よりも少し短いくらいでもおかしくはない。


「そんなつもりはないんだけどね」


 ちらり、と彼の視線が窓の外へ向けられた。


「ま、君の後ろを歩きながら広い庭を見て回るのもいいだろう」











 木々から延びる枝を屋根に、生い茂る草を踏みしめる。


「獣道にも程がある」


 探偵は少し不機嫌そうにそう言った。あまり登山のような自然を噛みしめる外出はしないのかもしれない。


「庭の中でも大浴場や倉庫へ行く道は整備されていますが、どうしてもこの手の普段使わない道は放置されがちで」


「散歩くらいにしか使わないのであればそれも当然か」


 昨日歩いた庭の道と違い、砂利や土で埋められたなんてことはない自然全開の道。


 人が踏みしめる以上の整備はなされていない。


 その整備を僕らも担っているうちに、一つの疑問を思い出した。


「先生、どうしてこれを手渡ししなかったんですか」


 探偵にメアリーから受けとった封筒を見せつける。


「ああ、それね。返すなら早い方がいいと思って」


「それにしたってわざわざ朝一番で、と念押ししてまでメアリーに押し付ける必要もなかったでしょう」


「んー、それはそうなんだけどね。気まぐれさ」


 探偵はごまかすような口ぶりだった。


「だったら、彼女を困らせるようなことはしないでください」


「これからは気を付けよう。そういえば、ロビンくん。私も質問良いかな」


露骨な話題転換をしようとするあたり、これ以上答えるつもりもないのだろう。僕としてもメイドたちに無理を押し付けるような真似をしないのであればこれ以上の追求はしない。


「構いませんよ」


「君の貸してくれた写本読ませてもらったんだけど、少し気になるところがあってね」


 さらりと、探偵は事も無げに言う。しかしそれはあまりに不思議なことだ。


「読ませてもらった、と言いますが。それは昨日僕が先生の部屋の前に置いていたロバート=アーキライトの手記のことですよね」


「ああ」


「……それを貸してからはたった半日も経ってない。それも睡眠時間も含めての話です」


「なに、人間一日くらいなら無理は利くし、今夜は少しばかり手の方が空いていた。ま、多少速読の気はあるがね」


 速読、というがあの手記は全六編。合わせて1000ページはある代物を一晩で読みあかせるものだろうか。


「あの中には私の知る地名もいくつも出てきた。一つ聞くが、こちらの世界にロンドンだのパリだのベルリンだの、といった地名はあったりするかい」


「いいえ、その手記の中にのみある地名ですよ。少なくとも、僕が生きてきた中ではその手記とクリス兄さんの手紙の中でしか聞いたことのない場所です」


「――なるほど、なるほどね。だとすれば大当たりだったよ、ロビン君」


 探偵はカバンの中から手記の一編を取り出しながらこう言った。


「これは間違いなく私の世界を知るものが書いた本だ。それと同じ地名にいるであろうクリストファー氏は世界を行き来できるに違いない。そう考えてもいい」


「そこまでの確証を得るに足る物でしたか、その手記は」


「まあね。細部の語りに至るまで、彼の過ごした情景が事細かに書かれているにもかかわらず、その中身に私の記憶と違うところはない。少々ヨーロッパに偏りすぎているところと、フランスの悪口が多い気がするが、その程度は人柄というやつだろう」


 ぽん、と一度だけ軽く手記の表紙を叩くと、彼は再度カバンにしまいなおした。


「クリストファー氏の記述も見れば確信に至るだろうが、これ以上はあとにしよう。個人の都合よりは仕事を優先しなければね」


 仕事を優先する、と言っているが今の状況がまさに捜査など関係ないことをしている。なんせぶらぶらと獣道を歩いているだけだ。


「この散歩もディアメとの雑談同様、気分転換という名目での仕事に含まれるわけですか」


 少し言葉に毒が混じってしまったか、とも思ったけれど、探偵は気にもしない、と言わんばかりに笑みを浮かべながら首を横に振った。


「いいや。暇だから君の後ろをついていってるわけではなくて、少しばかり私も庭の方に用があったんだ」


「僕の用事についてくる、というのはついでということですか」


 うん、と探偵は軽くうなずいた。


「さきほどのディアメさんとの会話でいろいろ聞いていたんだが、ついぞ得られなかった情報が一つあった」


「それは?」


「イラーミ=トゥクオール氏の所在だ。彼女の知る限り、屋敷の中を歩いていた彼を見かけたメイドはいなかった、という話だ」


「……昨日の要件を終えて門番の方に戻ったのでしょう。誰にも見つからない、というのは少し不思議ですが、夜の間に用件を済ませたならおかしくもないでしょう」


「残念ながら、その仮説も正しくない」


 探偵は少し振り返る。その視線の先にはこの家の白い門がある。


「先ほど門を訪れたばかりなのだけど、未だにフーリエルさんが門番をしていたよ。眠りかけているところを起こして少し話も聞いた」


「眠りかけていたんですか」


 門番代理としてはどうなのか。とはいえ、この家に入るには門と結界を抜ける必要があるのだし、侵入者の監視という意味ではどうでもいいのだけど。


「結界の記録でも彼女の記憶でも、彼女が門番を代わってからイラーミ氏どころか誰も門を通った記録はないらしい」


「……じゃあ、イラーミはどこへ?」


「名目上の目的だった書庫にも行ってみたが、誰かが隠れている痕跡はなかった。風呂であるとかトイレであるとかも探してみたが、やはり姿かたちもない。目撃情報も得られなかった、となれば屋敷の中ではなく、外にいると考えるのが自然な結論だろう」


 だから探偵はイラーミを探すべく庭に出てきた、ということらしい。


「しかし、そうなると、イラーミは庭なんかで何をしているんでしょうか」


「さて。証拠を土にでも埋めている、とか」


「……彼が犯人と言うならその可能性もあるでしょう。しかし、わざわざ土に埋めねばならない物なら今更埋めるでしょうか」


「ないだろうな。そも、庭で証拠を埋める、というのは実にリスキーだ。朝早くに出歩くディアメさんのような方もいるのだし、埋めてしまった証拠を誰かに見つけられるリスクが付きまとう」


 であれば、なぜイラーミは今姿を消しているのか。


「ま、なんにせよ。直接会って聞いてしまえば――――」


 探偵の言葉はそれ以上続くことなく、停止した。


 なぜなら、言葉を止めざるを得ないものが目に入ってしまったからだ。









 それは揺れていた。


 風に揺られ、右に左に。


 その頂点は太い幹から生えた大きな枝。


 下がる物は縄。


 揺れている物体は、首をつるされた青年の肉体。


 風が少し強く吹いた。






 わずかに見えた横顔は、生気を失ったイラーミ=トゥクオールのものだった。


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