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第九話:足跡を追う

 食堂を出て辺りを見回すが、探偵の姿はなかった。


 代わりに、鼻歌を奏でながら窓を拭いている一人のメイドが目に留まった。


「フーリエル、少し聞きたいことがあるんだけどいいですか」


 僕が声をかけると、メイドは掃除の手を止めて、スカートを翻しながらこちらを振り向いた。


「このフーリエルに何か御用ですか、坊ちゃまっ」


 フーリエルの様子はいつもと変わらず、実に元気いっぱいで少女のよう。15にもなっていない、と言っても信じる人間の方が多いだろう。


 しかし、この家に住んでいる年数は彼女の方がはるかに上。それでも坊ちゃま呼びはやめてほしい、と言いたいのだけど、それよりは探偵を追うことを優先したい。


「先生、でなくて、探偵さんを見ませんでしたか?」


「あの茶色い人ですか? うーん、見かけた記憶はあるんですけど、どっちだったかな」


 茶色い人。確かに茶色いのだが、その呼び方はなんとなくかわいそうな気がした。


「フーリエル。茶色い人ではなく、探偵とあの人のことを呼んであげてください」


「……どうしても、ですか?」


「どうしても。使用人がお客人を失礼な呼び方をするのでは、アーキライトの家まで無礼者扱いされてしまいますから」


「む、了解しましたっ」


 かわいらしく敬礼するフーリエルを見ていると、その外見年齢も相まって少女にしか見えない。


 ……こんなのでも僕より年上なんだよな、と時折疑問に思うこともある。


 むむむ、と顎に手を当て、難しい表情でフーリエルが考え込む。


「忘れてしまったのなら無理して思い出さなくても大丈夫ですよ」


「いえ、あと少し、あと少しで……あ」


 思い出した、と言わんばかりに彼女の瞳が大きく見開かれた。同時に、ビシリと手袋をはめた指が屋敷の奥を指していた。


「ピンときましたっ。確か、厨房の方に向かっていた気がしますっ」


「厨房か。ありがとう、フーリエル」


「いえいえ、お気になさらずっ」


 ぴょんぴょんと跳ねるフーリエルを背にして、厨房へと歩き出す。


 ……しかし、彼はこの事件を捜査しているはずなんだけど、厨房に何の用があるのだろう。











「――――」


 厨房前の廊下から誰かの声が聞こえてきた。


 見れば、探偵がメイドになにやら話しかけている。そういえば、彼に寝床をどうするのか聞いていなかった。今日思い立った、ということだし宿の予約などとっていまい。


 探偵に話しかけられているディアメはそのあたり、ずいぶんと気が利く。今話しているのも、寝室の場所でも紹介してもらっているのかもしれないな、と聞き耳を立てる。


「どうでしょう、ディアメさん。どうか私に手料理をふるまってくれませんか」


 ……と思ったのだけど、何か毛色が違う。


「……その、おさそいはとっても嬉しいんですけど」


「む、何かいけない理由でもおありでしたか」


 よくわからないが、探偵が我が家のメイドを口説こうとしている。


 とりあえずその間に割って入る。


「おや、ロビン君」


「先生。ウチのメイドの仕事の邪魔をしないでください」


「仕事の邪魔をしていたんじゃなくて、ちょっと引き抜きをかけていただけなんだ」


「なおさら悪いでしょう。何が目的なんですか。依頼にかかわること、というなら助力しますが」


「んー。趣味」


 言いつくろうことなく、趣味と言い切った。


 自分で言っておいてなんだが、この男は目を離すと本当に何をしでかすのか分からない。


「ディアメ、もう用はないそうなので持ち場に戻ってください。それと、余裕があれば探偵さんの寝室も用意してあげてください」


 こくこく、とうなずいたのち、逃げ出すようにディアメはこの場を去った。


 立ち振る舞いの全てが淑女の鏡、と言っても過言ではない彼女にしては珍しい姿である。


「……まったく、先生は何を言ったんですか。あの堅物のディアメがあんなに動揺してるの初めて見ましたよ」


「実に大したことじゃあないんだが、今日の料理にイモ料理がなかったじゃないか」


「まあ、旬じゃありませんので」


「魔術で取り置きとかあると思ったんだけど」


「旬じゃないものをいつまでも食べ続けるってなかなか地獄ですよ」


 そもそも、食べた分だけ在庫が減る、という原則を超えることは魔術でも適わない。


 農作物の収穫、という点でも技術が発展し、収穫量が増えてきてはいるけれど、それでも限度はある。


 冬を越せばその在庫も10分の1近くになり、春にはイモを主体とした料理を見る機会はほとんどない。


 今はもう五月。もう春も半ばを過ぎていて、秋に収穫した野菜のほとんどは在庫から消えている。


「そうだったか。ティーチカはイモにイモをかけて食べるほどの名産地と聞いていた。是非食べてみたくて、厨房担当らしい彼女に直談判していたわけなんだが、悪いことをしたな」


 まさしく己の食欲に従っての行動だったらしい。というか、ティーチカでもそこまでイモばかり食べているわけでもない。


 どうでもいい、と突っぱねてもいいのだが、元気のなさそうな探偵を見るとそういう気分にもならなくなる。


「……もともと、先生には依頼金のほかにお礼を支払うつもりでした。その一つにティーチカの名物料理も入れておきますよ」


「ほう、そりゃいいね。俄然やるきが出てきた」


 食事一つでやる気が買えるのなら安いものである。


「ですので、まじめに仕事をしてくださいね」


「しているとも。彼女、アーキライトの遠縁なんだってね」


「……よくご存じですね」


 彼がアーキライトの家に来てから、僕のそばを離れたのはそう長くないはずなのに。


「君の父上から聞いたのさ。人間、楽しい時は口が軽くなるものだし、聞き出すのはたやすかった」


 本当に驚いた。


 ふざけたことをやっている、と思ったがその実、探偵は会話の傍らでアーキライト家の実情に探りを入れていたらしい。


「まあ、ディアメがアーキライト家の血を引いているのは隠している事実でもありません。父さんも特段隠すつもりはなかったのでしょう」


「その辺はともかく。私としてはディアメさんが君の遠縁と言うのなら、アレを持っていると思ったんだ」


「アレ、というと?」


「倉庫の鍵だよ」


 エド兄さんの遺体が安置されている倉庫のことだろう。


「あの遺体にどんな仕掛けがあったにせよ、倉庫に入るのには鍵が必要だ。それはキミも言っていたことだ」


倉庫の結界を破壊せず、痕跡も残さず侵入するには、その結界を一時的に解除するための鍵が必要だ。


 それは間違いない。


「念のため確認するけど、犯行後の倉庫に誰かが隠れていた、なんてことはなかったよね」


「一階にも、二階にも、三階にも、そして屋上にもそんな人間はいませんでしたし、万が一いたところで常に倉庫は鍵をかけています。どのタイミングであれ倉庫を脱出すれば、結界に引っかかるはずです」


 もしもそんなやつがいたのなら、そいつを犯人として警察に突き出している。


 だけど、今回の事件でそんな分かりやすい犯人はいなかった。


「鍵の掛けられた倉庫で亡くなったエドワード氏の殺人の疑いは、鍵を開けられる者に絞られるということだ。そして、あの倉庫はアーキライト家の祖先から受け継いだものが多数保存されている。倉庫の鍵を持つ人間の中に君にとって縁遠き者はいない。そうだね?」


 知っていた。


「つまり、エドワード氏が自殺でないのなら。犯人は君の縁者となる。それを明かしても本当に良いものだろうか、と私は君に問わなくてはならない」


 もしも、兄の死を自殺としていたならこの事件はそこで終わっていた。


 そして、兄の死因を疑った以上、犯人は僕の手の届くところにいるに違いないことは分かりきった話だ。


「ま、今聞くことでもない。答えを出すのはもう少しばかり捜査を進めてからでもいい」


 だから、それまでに覚悟を決めておけ、ということだろう。


「……心しておきます」


「とにかく、犯人は倉庫の鍵を持ち合わせている可能性が高い。それなら、その鍵を持ち合わせている人間から絞っていく方が犯人を見つける手段としては効率がいいだろう」


 探偵は懐の手帳を取り出すと、その中身を見定めるようにゆっくりと視線を動かし始めた。


「倉庫の鍵を第一に受け継ぐのはアーキライト家の家系に連なる者、ガリバー氏だ。これは間違いないね?」


「そうですね。他の鍵はすべて父が持つべきだと判断した人間にしか渡していません」


「そのご子息であるエドワード氏とティーナ氏。そして、執事のエイラム氏も使用人の長として所持していると聞いた。あとは、面識はないがクリストファー氏もアーキライト家の子であるし、鍵を持っていてもおかしくないかな」


 つらつらと探偵は語る。


 そのほとんどは間違っていないが、注釈を入れねばならないところもある。


「一つ訂正を。クリス兄さんは倉庫の鍵を持っていません。兄さん用の鍵はあるのですが、まだ受け取っていない、と言うべきでしょうか」


「うん? そうなのかい」


「五年ほど前に倉庫の鍵を結界の更新に合わせて作り直しているんですが、その時にはクリス兄さんはこの家によりつかなくなっていました」


 正確には十年ほど前。僕が魔術を覚えるよりも前に、クリス兄さんはこの家からすでに消えていた。


「今はクリス兄さん用の鍵をエイラムに貸し出している状態です。名目上、ということにはなりますが、あの鍵はアーキライト家にゆかりのある人間のみが本来の所有者になっています」


「そういう決まりがあるのか」


「慣例の様なものです。不用意に鍵を持つ人間を増やすべきではありませんし」


 隠すべき秘伝なんてものがあるわけでもないが、貴重な品は多い。むやみにあの倉庫の扉を開く機会を作るべきではないだろう。


「なので、倉庫の鍵を持っているのは今この家にいる人間だけですよ」


「……そうだったか。クリストファー氏との交流というのは、今はもうないのかい?」


「今では半年に一度、手紙と旅行記を送ってくれるくらいです」


 ふむ、と探偵がうなずいた。


「顔も合わせない人間にはそもそも鍵なんて渡しようもないな」


「ええ。顔も手紙に挟んだ写真を見ないと忘れてしまうくらいです」


 半年に一度、手紙と共に送られてくる写真だけが、今の僕の知るクリス兄さんの顔だ。


「その写真、今も持ってるかい?」


「持ってますよ」


 クリス兄さんの写真は、手帳の一番後ろにいつも入れっぱなしになっている。


 カバーを取り外し、零れ落ちた写真を探偵に手渡す。


「どうぞ」


「ありがとう。……クリストファー氏は君のエドワード氏やティーナ氏と違って髪の色は赤いんだね」


「ええ、母の血を色濃く引いているようで、瞳も髪も赤いんです」


 アーキライトの家は金髪が多い。


 僕の覚えている限りでも、祖父や叔母も金髪だった、と記憶している。


「ディアメさんに聞いたけれど、一部の地域では金色の髪を持たない貴族を混血呼ばわりして差別する風習が残っているらしいじゃないか」


「……そんなことまで聞き出してるなんて、驚きました」


 正確には、王家の血を継ぐ第一貴族の中で揶揄されていた話の一つに過ぎない。


 歴代の王はその総てが輝くような金色の髪であり、その色から遠ければ遠いほど、王家の血が薄いのだ、などという程度のうわさ話。


 グランブルトの会合に呼ばれるような家であればそんなもの噂にもしない。なんせ、第一貴族の最大派閥である公爵様の髪がそもそも燃えるような赤い髪なのだ。彼の機嫌を損ねたい、という変人でもない限りグランブルト近郊ではそんなことはおくびにも出さない。


 ただ、グランブルトから離れた辺境では彼の威光も届きはしない。ティーチカよりもさらにグランブルトから離れた地域では、金の髪を持たない第一貴族を下に見る風潮は残っている。


「彼女もその深紅の髪でひと悶着あったようで、五年くらい前に実家を追い出されてこの家に来たんです」


「クリストファー氏も赤髪だったか。彼の出奔の理由も、そのあたりにあるのかね」


 アーキライト家の管轄する領地にも、その手の風習が残っている地域はいくつかある。


 口を塞ごうとも、こびりついた偏見というものはそうは簡単に消えないものである。


 ただ、クリス兄さんは決してこの家を出た理由を口にはしなかった。


「……さあ。今はもう手紙でしか交流はありませんが、今日までクリス兄さんの真意を聞き出すには至りませんでした」


 クリス兄さんとの最後の思い出は、外出する兄さんを見送るときに抱きしめられたこと。


 幼いころの記憶なんてもうよく覚えていないけれど、やわらかくて、優しい人だった、ということだけはなんとなく覚えている。


「こちらの世界では死者を弔う際に、魂を送り出す儀と、肉体を送り出す儀の二度の葬儀を行うよね」


 魂の葬儀は死者が死後安らかに眠れるように。


 肉体の葬儀は生きる者が死者と別れを告げるために。


 二度に分けて、ようやく生と死を切り離す。


 それこそがこの世界での死との向き合い方だ。


「ええ。魂の葬儀はすでに三日前に終えています」


 一般的には死後すぐに魂を送り出し、七日の間を開けて肉体を現世から切り離す。


 特段何もなければ、肉体の葬儀は今週末にでも行われるだろう。


「その時にクリストファー氏は顔を出さなかったのかい」


「……僕もエド兄さんの死を聞けば、クリス兄さんでも帰ってくると思っていたのですが、今のところ何もありません」


 たとえ不仲であったとしても、文の一つくらいは、と思ったのだけど。


 元より所在の知れない人であるし、エド兄さんの死を未だに知れていない、という可能性もある。


「実は普通の人のふりをして葬儀に紛れ込んでいた、とかないかね」


 クリス兄さんはこの家に近づかないなにがしかの理由がある。


 それを考えれば、人目を気にしてそのような手段をとろうとしていてもおかしくはなかったかもしれない。


「残念ながら、その可能性は低いかと」


「理由があるのかい」


「参列者は全員身元の知れた人間でした。僕でも顔の知らない人間はただ一人としていませんでしたよ」


 アーキライト家とかかわりがある人間なんてそう多くない。


 まして、突発的な葬儀に顔を出す人間、となれば数は限られる。エド兄さんの友人や恩師なんて人もいたけれど、そのなかに名の知れていない人間はいなかった。


「……変装、なんて可能性は?」


「多少取り繕った程度ならクリス兄さんの顔を知っている僕なら判別がつきます」


「魔術による偽装とか」


「【変身(サナート)】の魔術を使われたのなら、骨格や顔つきに至るまでの変装が可能ですから、見ただけでは見破れないこともあるかもしれません。しかし、そんなものを使っていれば魔素の乱れで容易にわかります。少なくとも、魔術を扱える人間であればだれにでも判別できるでしょう」


「クリストファー氏が出ていったのは彼が何歳頃?」


「僕が六つになる前ですから、17歳くらいと記憶してます」


「ずいぶんと年の離れた兄だ。しかし、そのくらいになれば身長も伸びまい。ミ・エル単位でいいんだが、どれくらいだったか覚えてる?」


「クリス兄さんの背丈は300ミ・エルよりも少し大きかったかと」


 探偵よりも大きく、【変身(サナート)】を使ってないのなら群衆の中で頭一つ跳び出るくらいだろう。


 そして、身分や顔を偽って葬儀に参列しようとしていた人間はいなかった。


「そこまで覚えているなら、君が見逃す可能性も低い。この家の結界のことも考えると、不法侵入、というのも難しいか」


 探偵のクリス兄さんへの追求は、どうも過剰に見える。


「……そんなにクリス兄さんが疑わしい、ということですか」


「厳密に言えば、『所縁も知れぬ誰か』が殺した場合を考えていた、と言うべきかな。変装も難しい、結界も破られていない、という君の言を聞けばその可能性は著しく低そうではあるけど、それを考えないわけにもいかない」


 探偵はクリス兄さんの写真をぴらぴらと揺らした。


「この写真、借りても構わないかな。もう少しだけ検討したいところがある」


「大切に扱ってくれるなら構いませんよ」


「もちろん」


 探偵はいいながら、丁寧に写真を手帳にしまい込んだ。


「何か手掛かりになりそうなんですか?」


「別件で少し、ね。それよりロビン君、容疑者はある程度絞れたのだから、次にやるべきことは決まっていると思わないか」


「やるべきこと?」


 パタン、と音を立てて手帳を閉じると、探偵は僕に向けてにやりと笑った。


「事情聴取さ」


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