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第七話:縄は垂れ下がる

 木造の階段に足音を響かせながら登っていく。


「この倉庫、ずいぶんと年季が入っているくせに腐った様子もない。やっぱり【保存】の魔術のおかげか」


「そうですよ。この倉庫自体が百年単位で受け継がれていますから、使われている木材も当時のものを使っています」


「本当に便利なものだ。風化腐敗と縁を切れる、というのは歴史家が泣いて喜ぶだろうに」


 はあ、とため息をつく彼の言葉は、どこか実感がこもっていた。【保存】の魔術なんて用途はいくらでもあるのに、真っ先に史料の心配をするあたり、彼もまた歴史に興味を持つ人間の一人だったのだろう。


「食材の貯蔵にも便利ですよ。むしろ、【保存】のない世界での食材はどのように貯蔵しているのか不思議なくらいです」


「一般的な家庭では、冷蔵冷凍がメジャーかな。こちらの世界でも冷却によって腐敗につながる雑菌の繁殖を抑える、というのは常識だったりする?」


「ああ、魔力が尽きて無人島で遭難した方の伝記でそんな手法を用いていたのを見たことがあります」


 ははは、と探偵は笑う。


「冷蔵技術が火おこしと同レベル扱いとはね。いやあ、文化や世界の違い、というのは考えだすと面白いね」


 たわいもない雑談をしながら、三階にたどり着く。


「しかし、倉庫に吹き抜けというのも珍しいが」


 探偵は吹き抜けまで歩くと、手すりに体重を預けながら見下ろすように体を乗り出した。


「この景色もまた倉庫というには似つかわしくない。博物館か美術館とでも言いなおしたほうが良さそうだ」


 僕もそれにならって、一階部分を見下ろす。


 一階と二階に取り揃えられた収蔵品の数々がいっぺんに視界に入ってくる。


 上から見下ろすと、雑多に置かれていても壮観だった。


「向こう側なんて休憩室代わりにも使えるんだろう? 倉庫にあっていい設備じゃあない」


 円形の机と、それを囲うように置かれた椅子。


 今は締め切っているが、窓を開けば壮大な風景が。


 吹き抜けを見下ろせば祖先たちの収集品が目に入る。


 使う機会はほとんどないが、言われてみれば少々贅沢な休憩所であるかもしれない。


「一年に一度開く程度の倉庫にはもったいないな」


「一年に一度は必ず使うのです。少しでも便利な方がいいでしょう」


「なるほど。それも道理だ」


 探偵は乗り出していた体を戻すと、吹き抜けの周囲をぐるりと回るように歩き出す。


「ここから見下ろせる二階部分は少々実用的なものが多く見えるね。家族の写真とか、、衣服に遊び道具の様なものもある」


「祖先が趣味に使ったんじゃないか、と思うようなものまでありますよ。一階部分とは違って、収集品ではなく思い出の品を遺しているのが二階の主な用途ですね」


 ほほう、と探偵が興味を示したように声をあげた。


「ロビン君。小さいころにあの中から何か持ち出して遊んでいたりしなかった?」


「しませんでしたよ、そんなこと。そもそも、鍵を与えられたのが十歳の話ですから、そのころには思慮分別はありました」


「なんだ、つまらない。君にもそんな悪ガキのような過去があれば面白いと思ったんだけど」


「……何を言い出すかと思えば」


 ため息をついてしまったのは仕方ないだろう。


 おもしろい、なんてふざけた理由で僕の過去をねつ造されても困る。


「なら、君の小さい頃は何をして遊んでたんだ。優等生真っ盛りのロビン君の趣味、少し聞いてみたいものだね」


 小さい頃はおおむね本を読んだり、勉学に励むことが多かった。今も多いが。


 時折兄や姉に連れられて外に遊びに行くことはあったが、その中に趣味として自分に定着するほどのものはなかった。


 ただ、今でも続いている外出する趣味と呼べるものは一つある。


「しいて言うなら釣りでしょうか」


「……釣り、ねぇ」


 探偵の視線はこの階の一つ下、二階に捧げられていた。


 それも、亡くなった祖父の持ち物であった釣り竿に。


「念のために言っておきますけど、僕自身の釣り道具もきちんとありますよ。断じて、この倉庫から持ち出して使っちゃいません。証拠を見せたっていい」


「悪かったよ、そうムキにならないでくれ」


 ムキになどなっていない、と反論しそうになるが、その前に口を閉じる。


 その反論こそがムキになっている証左になりかねない。


「しかし、釣りか。誰の影響で始めたんだい」


「亡くなった祖父に連れられて行くことが何回かありまして。特段釣りそのものが好きなわけでもないんですが、本を読みながらできる、という点で気に入っています」


「なんというか、自分の趣味に対して不義理極まりないな、君は」


「……どういう意味ですか、それ」


「いや、なんとなくそう言いたくなっただけさ。大した意味はないよ」


 手すりを半周した辺りで探偵の足が止まった。


 そのまま吹き抜けに向き直る。


「本題はこの縄だ」


 探偵は手すりに結び付けられた縄をとんとん、と叩く。


「単純に考えるなら、この休憩室で飲み物に眠り薬でも混ぜて、そのあと首に縄をつけて落としたんだろう。しかし、その場合はなぜ縄をつけたんだろうか」


「不思議ですか?」


「ああ。縄もつけずに落下死でも自殺、あるいは事故死に見えるだろうから構わないだろうに。なぜわざわざ首吊りを演出したのだろうか、と思ってね。そもそも、三階から落とせば首に極大の負担がかかり千切れたっておかしくないだろう」


 そういえば、この探偵は魔術に疎いのだった。


 魔術を扱わない人間では、その感覚にピンとは来ないかもしれない。


「それは亡くなった兄さんも魔術師の一人だったから、だと思います」


「どういうことだい」


「魔力を内包できる人間は、眠っているときは無意識に内包した魔力を自身の生存のために利用してしまうんです。空気が薄くなれば空気を生成し、血が流れだせばその傷をふさごうとします。そして、落下した時は」


「その衝撃を緩和する可能性が高い、と」


「もちろん、内包した魔力で形成できる事象に限りますから、限度はあります。そして、首を絞められて魔術の詠唱を封じられれば、そもそも魔力で自身の肉体を保護する、なんてことはできないでしょう」


「それなら三階からの落下の衝撃を受けても首が引きちぎれず、かつ首の骨を破壊することもある、か」


「警察の方も同様の見解をしていました。膝をついていた理由はひもが緩んだんだろう、などと適当な言い分でしたが」


 手すりに結ばれた縄を、探偵がぐいぐいと引く。その結び目は容易にはほどけそうになかった。


「……ま、この結び目の硬さで緩むなんてことは考え難い。それはそうなんだろうけどね」


 探偵は納得いかない、とでも言いたげな顔をしている。


「何か気になることでも?」


「君は以前魔術の成立には接触、詠唱、魔法陣のどれかがあればいい、みたいな話をしていなかったかい。もしそうなら、首吊り……つまり呼吸の喪失、あるいは酸素の欠乏という事象に対してもいくらか無意識の抵抗、というやつをするんじゃないか」


 以前の『会合』で彼に魔術を解説するとき、そんな話をしていたような気もする。


 ただし、それは魔術を体の内部から外部へと持ち出すために必要な条件。


 その手前に、魔術を扱うためのさらなる条件が存在する。


「それ以前の前提として、『循環』する一つのサイクルを確保していないと、魔術というものは扱えません。多くの魔術師は『吸う』と『吐く』を繰り返すことで成立する『呼吸』を『循環』に当てはめているのです」


 接触することで、接触した物体ごと『循環』に取り込み、わずかな魔力で魔術を成立させることができる。


 詠唱を重ねることで、『声』と『耳』を循環させ、より高度な魔術を用いることができる。


 循環の輪を複雑に、あるいは巨大なものにしていくことで魔術の精度を高めるのが魔法陣である。


「自身で結界を一から作り出せるような人であれば、呼吸もなしに魔法陣だけで、あるいは血流なんて不純な『循環』でも魔術を行うことも可能かもしれませんが、そんなのはそうはいません。呼吸ができる、というのは魔術師にとって必須だと思ってください」


「なるほど。ところで、そこまでの魔術の使い手というのは、この家にはいないのかい」


「ええ。この家の結界も先祖の作ったものに手を加えているだけですから」


 あるいは、竜を殺す、なんてほどの魔術を扱える人間ならできるのかもしれないが、少なくともこのティーチカ地方にその手の化け物はいない。


「それはつまり、君のご先祖様は呼吸もなしに魔術を使いかねない人間、というわけだ。さぞ名を馳せたんだろうね」


「どうでしょうか。僕の先祖に限ったことではなく、二百年ほど前はこの世界は戦乱に明け暮れていまして。今の時代よりも魔力の扱いにたけた人間が多かった、と聞きます。ありふれていた魔術師の一人だった、としても不思議ではありません」


「聞きます、というけどね。そんな昔の話を見聞するなんてできないだろうに」


「できますよ、百年くらいなら生きている長命な種族も少なくないですから」


「……そういう世界だったな、ここは」


 探偵は手すりにもたれかかると、首を振りながらため息をついた。


 ただ、その口元が吊り上がっているのも間違いなく。


 あきれたようにも、あるいは面白がっているようにも見える。


「理不尽だが興味深い、と言ったところですか」


「いいな、そのフレーズ。少し気にいったよ」


 にやりと笑いながら、探偵は手すりにもたれた体を押し上げる。


「ま、この世界の常識はともかくとして、だ。手掛かりの一つくらいは見つけたいものだが」


 探偵は手すりに難く結びつけられた縄の周囲を検分しだした。


 僕の方も何か見つけられるものはないかな、と辺りを見回した辺りでふと気づく。


「先生、よろしいですか」


「うん?」


「あちらを」


 背後の窓を指さす。


 締め切られているとはいえ、わずかに外の残光は漏れ出しているのが目に見える。


 その色は朱に染まっており、すでに日が暮れつつあるのだろう、と想像するのは容易だった。


「む。もうそんな時間だったか」


 探偵が懐から取り出した懐中時計はすでに六時を半分ほど回っていた。


「もう食事時です。先生も御同席されませんか?」


「もちろん。その提案、ありがたく受けさせてもらうよ」


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