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第六話:横たわる死

 目の前には視界からはみ出るほど白く巨大な建物。


 アーキライト家に代々伝わる秘宝やら武具やら、あるいは思い出の品、と言ったものまで何もかもが保存されている蔵だ。


「ずいぶんと生い茂った森だ。夜の闇に紛れれば、屋敷からこの倉庫までの道のりで目撃されないとしても不思議じゃないな」


 その周囲を背丈の高い木々が取り囲む。


 この倉庫の入り口から緑以外は見えないし、屋敷から見てもこの倉庫の入り口を見ることは適わないだろう。


「魔素が少ないティーチカの土地柄か、成長を阻害する物が少ないせいで植物が成長しやすい、なんて説もあるらしいですよ」


「ふうん、魔素っていうのは植物には害なのか」


「ただの一説ですけどね。雨が降りやすくて肥沃な土地になっただけなのかもしれません」


 探偵と雑談を交わしながら、かちゃかちゃと音を立てて鍵を差し込む。


 この倉庫の鍵は少々面倒な構造で、半分差し込んで時計回りに半回転。その後、奥まで差し込んで反時計回りに四分の三回転。それを二度繰り返して、ようやく開く。


「なんだい、錆びついてる?」


 他人が見ると、手間取っているように見えてしまうらしい。


「少しだけ特殊な開け方が必要なんです」


「無理してこじ開ける、というのはできそう?」


「できなくはないでしょうが、確実にその痕は残ります。魔術に長けた人間なら見た目はうまく侵入するでしょうが、この結界を管理しているイラーミならその痕跡を逃すことはないでしょうね」


「つまり、犯行に至るまでにこの倉庫をこじ開けて侵入した不届き者はいなかった、と。しかし、イラーミくんは冴えないナリをしている割には魔術に長けているということか」


 冴えない、という評価はひどいものだと思うけど、僕にもあまり強く否定もできない。もう少し見た目に気を遣ってくれてもいいのに、と思わなくもない。


「イラーミは僕の魔術の先生でもあります。座学に限定すればティーチカどころか、ディーナルス全体を見回しても上位一割の見識があると思いますよ」


 代わりに実戦的な魔術の応用なんかは苦手だったけど。


「魔術の話、というのはあまり体系的に聞く機会もない。時間があれば、次はもう少し話を伺いたいものだね」


 たわいもない雑談をするうちに、鍵が開く音がした。


「ほら、空きましたよ」


 鍵を取り外して、扉の中を覗き見る。


 中は暗い、闇が広がっている。


 ぎい、と扉を大きく開くと、広い闇の中に外気の明かりが取り込まれる。


 そのわずかな明かりを頼りに、室内のスイッチに手を触れる。


 少しだけ魔力を流し込むと、倉庫に張り巡らされた灯火が光を放つ。


 光に照らされて、中のしまわれていた品々が色を取り戻す。


 ほう、と感嘆の声が隣から聞こえてきた。


「外から見てもわかっていたが、実に広い。そして鎧に宝剣、陶器やら絵画やら。豊富な品ぞろえだ」


「歴代の当主が集めた選りすぐりの物品ばかりですから、一つ百万メントは下らない品ばかりですよ」


 そっと伸ばされていた探偵の手が、僕の言葉におびえたようにさっと引かれた。


「文字通り触らぬ神に祟りなし、というわけだ」


「不用意に触れると、呪い返しなんてものをしてくる面倒なのもありますから、それが賢明です」


「……それ、先に言ってほしかったね」


 よどんだ表情の探偵を見て、少し笑みがこぼれた。


「そうは言っても本格的な呪いの物品なんかはありませんから、痛い目に合う程度で済むとは思いますが」


「……ほう、その程度で済むのか」


 実際、触れただけで命を取られるような代物はここにはない。せいぜいが少ししびれる程度。


「そういうわけなんで、気を付けてついてきてください」


 とはいえ、不用意にケガをする必要もない。


 少々脅しが過ぎたかもしれないけれど、まあ好奇心旺盛にもほどがある探偵にはいい薬だろう。


 目的の場所へと歩き出そうとしたと同時。


「――痛っ!」


 背後から、好奇心の報いを受けたような叫び声が聞こえてきた。


 ……訂正しよう。この興味と好奇心の塊には、少々脅す程度では足りなかったらしい。






 倉庫の中心へと足を踏み入れる。


 入り口近くの宝物の数々が雑多に置かれた場所とは違って、こちらはゆとりがある。


 あるいは、空間を余らせている、と言ってもいいかもしれない。


 この倉庫に収納された品々をいっぺんに見回すための場所なのだから当然だけど。




 ただ、本来のこの空間にはなかった異物が三つ。


 それは、この場所を知らぬ探偵にとっても異質に映る物であるだろう。




 吹き抜けを通って三階部分の手すりからぶら下がった縄。


 僕がぶら下がったくらいでは千切れたりしないだろう、と思えるくらいには丈夫そうだ。


 この広い部屋の一角を占めるほどの魔法陣。


 その直径は十エルほどで、成人男性の身長で例えるなら三人分くらい。


 そして、その上に安置されるように置かれたエドワード=アーキライトの遺体。


 遠目から見ても、その肌はまだ白さを残している。




「君のお兄さんの遺体、未だに埋葬していないんだね」


「七日の間だけ現世での滞在を通してから、来世へと送りだす。それがディーナルスの風習ですよ」


「……そうだったね。そういうものだった」


 小さくつぶやかれた探偵の言葉は、とても静かなものだった。


 その横顔は、何かを思い起こし、回想しているようにも見える。


「先生、どうかされましたか」


 けれど、それ以上に悲しそうにしているのが、どうにも気になった。


「いや、気にしなくていい。大したことじゃあないからね」


 その声はすでに心配など無用、とでも言いたげで。


 僕が次に声をかける前に、探偵はすでに魔法陣の外周まで近づいていた。


「それより、遺体は時間の割にあまり腐敗が進んでいないように見える。化粧を施しているのかい」


「いいえ、【保存(ストログ)】の魔術を使っているんですよ」


 物体の時間経過による腐敗を防ぎ、元の状態を保つ。


 生活の一つとなって久しい、と言われる魔術の一つだ。


「なら、床の仰々しい陣も?」


 探偵が指さしたのは、遺体の眠る床に描かれた、六芒星とそれを囲む円を主体とした魔法陣。


「ああ、それはイラーミの提案で敷かれたものです。魔術効果の『増幅』の効用がある魔法陣ですけど、短期間の【保存】に限って言えば、あまり意味はありません」


 【保存】でも、いやどんな魔術を使っても風化は完全に止めることはできない。


 数千、あるいは数万分の一の速度ではあるが、中の時間は動き、腐敗へと近づいていく。


 ただ、そんなのは数か月以上の保存期間を考えているモノでもない限り、ほとんど考える必要はない。


 ゆえに、たった七日のために【保存】を増幅させる魔法陣は必要ではない。


「ふうん。イラーミくんと君のお兄さんは仲が良かったのかい」


「ええ。趣味が合う、とも思えませんでしたが、よく話しているのは見かけました。年齢も近いですし、幼いころの付き合いであったとも聞きます」


 ただ、必要ではなくとも。


 少しでもその姿を保ちたい、という友情に基づく理由はあったのだと思う。


「……そうか。なら、魔法陣に触れないように遺体を調べた方がいいかな」


「できる限り主軸である六芒星には触れないようにお願いします」


「了解」


 抜き足差し足、と言った調子で慎重に探偵は床を踏み越える。


 五歩くらいの接近を経て、ようやく遺体へとたどり着く。


「それで、【保存】の魔術がかけられている、という話だけど」


 探偵は遺体を探りながら、ふと思い出したようにこちらに語り掛けてきた。


「【保存】の魔術が掛けられたのは四月二十八日の何時ごろ、というのは覚えているかな」


「ええと、13時……だったような。昼を少し過ぎた辺りだったのは間違いないかと。正確な時間は怪しいですが」


「いや、十分だとも。一分単位で正確な死亡時刻なんて割り出せないしね」


 探偵は遺体のそばにしゃがむと、その腕を触ってみたり、衣服をまくり上げて状態を観察したりしている。


 一通り見終わると、満足したのかふむ、とつぶやきながらその手を止め、こちらを振り向いた。


「ロビン君」


「なんですか」


「君、物を修復する、みたいな魔術は使えるかな」


「【再生(エタネ・ネジェレ)】でしたらなんとか。規模の小さなものに限りますけど」


「このくらいなら大丈夫?」


 探偵が両手で小さな四角を作り出す。


 大人の手のひら程度の大きさか。


「まあ、そのくらいなら。それで何をするおつもりですか」


「こうするのさ」


 ビリリ、と大きな音を立てながら探偵が遺体のズボンを引き裂いた。


 エド兄さんの身に着けていたものはずいぶんな高級品のはずだけど、それも台無しだ。


「そんなことをせずとも、脱がせばいいでしょうに」


「少しでも楽をしようと思ってね。それに、見るのは膝から下だけでよかった」


 なら捲ればいいのに、とは思わなくはない。


 元あった物をつなぎ合わせるくらいの【再生】なんて手間でもないからいいのだけど。


「一応聞くが、【保存】というのは遺体の状態を保持できる、と考えていいんだね」


「ええ。他の干渉を阻害することによる停滞ですから、劣化、腐敗といった時間がたつことによっておこる変化を限りなく遅らせます。その遺体の状況は【保存】がかけられた瞬間とほぼ同じ状態といっても問題ありません」


「なら、やはり妙な点がある。この世界でも、そして私の世界でも人間の構造は変わらない。それは死体であってもね」


 くいくい、と探偵は遺体の腕に力を入れるそぶりを見せた。


 ただ、その動きはあまりに緩慢、というよりは固まっているようにも見えた。


「温度にもよるんだが、人間は死んでから半日ほど経過すると筋肉が硬直する。そして、この遺体にはその硬直が見られる。春先の夜で冷え込んでいたことを評価しても、死亡時刻から10時間以上経っているのは間違いない」


 この遺体が【保存】されたのは13時ごろ。


「……なら、死亡時刻は夜分遅く、ということですか」


「そうだね。ただ、そっちは本題じゃない」


 探偵ははがした布を取り払いながら、遺体の脚を指し示す。


「人間の血液は死後低いところによどんでいく。数時間もすれば死斑と言う血が浮き出たような紋様が遺体の下部に現れる。10時間もすれば間違いなく、ね」


 彼の言うとおり、遺体の脚にはまんべんなく赤黒い紋様が浮き出ている。


 皮膚に血がにじんでいるのだ、と理解するにはそう時間もかからなかった。


「すまない、あまり見るべきものではなかったね。塞いでくれるかい」


 探偵に言われるがまま、ズボンを【再生】する。


 瞬く間に裂かれたズボンは元の形状を取り戻した。


「しかし、先生の言うところと遜色ないようにも見えましたけど」


「いや、注目すべき点はここだ」


 とんとん、と彼は修復されたズボンの上から遺体の膝を叩いた。


「そこにも血がにじんでいるようにも見えましたが、何か変でしたか」


 探偵が破り裂いたズボンの下、膝からくるぶしに至るまで、まんべんなく赤黒い痕は残っていた。


「それはおかしな話なんだ。死斑、というのは毛細血管なんかを辿って皮膚までにじみ出る現象だ。そして遺体は膝をついていたんだろう。だとしたら、床に圧迫された部分には死斑は生じないはずだ。なのに、彼の膝にはその死斑が浮き出ている」


「……つまり、兄さんが死んでからしばらくは膝をついていなかった、と」


「そして、死斑は上半身には広がっていなかった。遺体が寝かされていた、ということはないだろう」


 話しながら、緩やかに探偵は立ち上がり遺体の頭の方へと足を向けた。


「また、この首の痕。首吊りに使われていた縄以外の痕はない」


 探偵が兄の頭を少し持ち上げる。


 見せ付けられた首には、太い縄の痕が一本だけ。


 それ以外の絞め痕もなく、外傷もない。


「となれば、この遺体は首吊りで死に、死体となってからしばらくは膝が大地より離れていた。そう考えるのが道理だろう」


「では、なぜ膝をついた状態で発見されたんですか」


「さて、ね。この縄も不思議なものだけど、その謎も解けちゃいない」


 探偵の視点はすでに垂れ下がっている縄に注がれていた。


 垂れた縄は僕の身長よりやや低いところに結び目があり、そこから別れた二股の縄には鋭利な切断痕があった。


「この切断の痕は、エドワード氏を降ろすときにつけたもので間違いないね?」


「ええ。ほかならぬ僕が使った魔術ですから、間違いありません」


「なら少し検証しようか」


 探偵はバッグから赤い紐を取り出すと、その一方を地面へと落とした。


 その赤い紐は上を垂れ下がった縄の結び目に、下を大地に触れられていた。


 よく視れば、その紐には一定間隔で黒い痕がつけられていた。まるで、目盛りのように。


「それ、エルリオクですか」


「なんだ、巻き尺のことをこちらではそういうのか。時折伝わらない言葉もあるんで驚くよ。私たちの使っている【伝達】魔術とやらも万能ではないらしい」


「【伝達】の魔術にも限度があります。文化とか、常識を超えたつじつまの合わないものはどうしても伝わりません」


 例えば、探偵の名前を僕が発音できないように。


 あるいは、探偵がピリシという動物を言葉だけでは認識できなかったように。


「仮の話ですが、人間全員が同じ文化に育てばお互いの知識に齟齬なんて生まれないでしょうから、伝わらない言葉なんて無くなるんでしょうけど」


「ははは、それは無茶な注文だ。生まれた家、育った環境、そもそもの話もって生まれた精神で世界の見え方なんて大きく違う。同じ文化に育つ、なんてことはありえないとまで言ってもいいね」


「……少し寂しい話ですね。人間は決して分かりえない、なんて話にも聞こえる」


「人間によって違いが必ず生まれる、ということでもある。それを探す努力ができ、そして理解、学びに発展できるというのは良い話でもあると思うけどね」


 探偵はそこまで言うと、止まっていた手を動かし始めた。


 今度は兄の遺体の身長を測りだす。


 分からないことがあれば検証し探求する、というスタンスは彼にとって根付いたもので、先ほどの言葉も、現在の行動も、その切れ端に過ぎないのだな、と感じた。


 さて、と小さく呟きながら、彼は測定に使った赤い紐をくるくると自分の手元に巻き上げた。もう測定は十分、ということだろう。


 紐をカバンにしまいこむと、探偵はゆっくりと立ち上がった。


「縄の下端から地面までは220ミ・エル。エドワード氏の身長が私よりも少し小さいくらいで290から300ミ・エル程度。……この縄につるされているだけなら、間違いなく膝でもついていなければおかしな話だ」


「でも、間違いなくエド兄さんの膝はついたままで見つかりました」


「なら、なにがしかの理由があるんだろう。なんにせよ、もう少し調べる必要がありそうだ」


 探偵の視点は遠く駆け上がり、その頂点にたどり着いた。正確には、この縄が垂れ下がる三階部分の手すりに。


「ロビン君。この倉庫の上まで案内してもらってもいいかな。この縄が上の手すりでどう結びついているのか、なんてことをもう少し詳しく調べたい」


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