第五話:アーキライト家
「いやあ、大きいねぇ。これでも貴族の中では小さいほうなんだっけ?」
かつかつ、と靴音を鳴らしながら歩く探偵は、きょろきょろと辺りを見回している。
僕にとっては見慣れた我が家であるが、彼にとっては興味を惹かれるくらいには物珍しいらしい。
貴族など招いてもこういった反応はしてくれないので、新鮮でさえある。
「庭は広いのですが、屋敷は小さなものですよ。王家の血を引く家系の屋敷は何もかもが我が家の三倍くらいの規模です」
多少誇張は混じっているかもしれないが、少なくとも通路と寝室の大きさは三倍くらいで間違いない。
「ま、王城の中もやたらと大きかった。こっちだと大きいことがステータスなのかね」
探偵は何の気なしに言ったようだが、聞き逃すわけにはいかない言葉が聞こえた。
王城、と言うとこのあたりにはグランブルト王城しか存在しない。
そして、その王城に入ることができる人間は限られている。
「先生、もしかして王城の中に入ったことがあるんですか?」
「うーん、微妙なところかな」
「微妙、ってどういうことですか」
王家の血を引く者、貴族の地位を得て王への謁見を許可された者、聖騎士、または守護者の地位を与えられ、王城を守護する者。
この三者のみが王城に入ることが許されるのであり、他のあらゆる人間は覗き見ることすら許されないはずだ。
「いやあ、なんていうの。入ったことはないんだけど出たことはある、というか」
「……はあ、どういうことですか」
入ったことのない場所から出ることは適わない。
そんなこと、常識以前の大前提だと思う。
「そうとしか言えないのさ」
探偵は困ったように笑う。
その表情は説明できないが故だろうか。
あるいは、語りたくない事情があるのだろうか。
どちらにせよ、閉ざした口をこじ開けるほど野暮でもない。
「――あら、ロビン。帰っていたのね」
どう話を変えたものか、と視線を遠くにむけると、背後からよく通る声が聞こえてきた。
振り返れば、幾度となく顔を合わせた人の顔がそこにあった。
「ただいま、姉さん」
僕が呼びかけると、姉は肩にかかるほどの金髪を揺らしながら、にこりと微笑んだ。
「お帰りロビン。それと、そちらの方は?」
そのやわらかな碧眼の視線は僕の後ろに向けられていた。
「紹介します。昨日話していた探偵さんですよ」
「京二郎と申します。職業は探偵でして、呼び方も探偵で構いません。どうぞよろしくお願いします」
ぺこり、と恭しく探偵が礼をする。
それに合わせて、姉の方も軽く会釈をする。
「あなたが例の『会合』での事件を解決した探偵さん、でいいのかしら」
「解決、という意味ではここにいるロビン君の助力も大きいものでした。私一人ではあの数百人から容疑者を絞り出す、なんて容易ではありませんでしたから」
「あらあら、褒められてますよ、ロビン」
くすくす、と笑いながら姉は長い袖で口元を覆い隠す。
どうも、背中がこそばゆい。
「いいでしょう、その話は。それよりも姉さんの自己紹介もしてくださいよ」
「あら、忘れていたかしら」
姉は笑みを崩さぬまま、そのたたずまいを正した。
「ティーナ=アーキライトと申します。ロビンは姉と慕ってくれていますけど、正確にはロビンの遠縁にあたります」
「雰囲気がそっくりなので本物の姉弟かと。笑うところなんて特に似ていらっしゃる」
「…………」
姉は探偵の発言の何に驚いたのか、目を丸くしていた。
「おや、この手のご指摘は初めて、とか?」
言われてみれば、あまり姉と似ている、と言われることはなかった。
直接の血のつながりはないので当然と言えば当然だけど、ショックを受けるほどのことだろうか。
「……気に障ったのなら謝りますが、ただ黙っているのではロビン君が悲しんでしまいますよ」
「ああ、いえ。ロビンと似ている、と言われて驚いたわけではないの。ごめんなさいね、探偵さん。そしてロビンも」
すぐに気を取り直して姉は優しく微笑んだ。
「よろしくおねがいしますね、探偵さん」
「こちらこそよろしくお願いします」
やさしげに微笑む姉に、探偵も笑みで返す。
「それで、ロビン。これからエド兄さんの所へ?」
「その前に父のところへ行きますよ。探偵さんも紹介したいですし」
「そうね、それがいいわ。ロビンが居なくて、お父様寂しそうだったから」
一日家を空けたくらいなのだが、その程度で寂しいと言われても困る。
「私もロビン君の父君には挨拶しておきたいね」
「それじゃあ行きましょうか。姉さん、また」
ひらひらと手を振る姉を背に、廊下を歩き出す。
「なあ、ロビン君」
姉と別れて少し。探偵は歩みを止めずに、僕に声をかけてきた。
「なんですか、先生」
「さっき、ティーナさんがエド兄さん、なんて言っていたけど、もしかして君のお兄さんはエドワード氏以外にもいる、と考えていいのかな」
「……ああ、言っていませんでしたっけ。しばらくこの家に帰りついていませんが、エドワード兄さんのほかにクリストファーという兄もいるんです。最近では手紙でしかやり取りしてませんけど」
なるほど、と探偵は納得したようにうなずいた。
「どこの家庭にも事情はあるものだね」
語る口が止まるとともに、足を止める。
父の部屋の入り口である、大きな扉にたどり着いたからだ。
他の部屋と比べても、この部屋は扉からして装飾が過多である。
「ここがロビン君の父君の部屋か」
「そうです。入りますよ、父さん」
こんこん、とノックしながら扉の奥に語り掛ける。
「おお、ロビンか。入りなさい」
父の声を聞いてから、大きな扉を開く。
「ただいま、父さん」
視界には大きなベッド。
そこで上体だけを起こした、しわがれた父が居た。
その父がこちらを振り向いて嬉しそうに微笑む。
崩れたような笑顔からは、アーキライト家の長としての威厳は感じられなかった。
「おお、おかえりロビン。大きくなったか?」
一日も経ってないのに見違えるほども大きくなるわけもない。
「冗談はよしてください、父さん。それよりも昨日言っていた方を紹介します」
「どうも、京二郎と申します。職業は探偵です」
探偵の紹介におお、と感嘆するような声が父から漏れた。
「あなたが噂の。ロビンから話を聞いていますよ」
「それはどうも」
「私はガリバー=アーキライト。そこのロビンの父で、アーキライト家の家長でもあります。こんな姿で申し訳ありませんが、どうぞよろしく」
父が毛布から持ち上げた手に、探偵が手を合わせる形で二人は握手をした。
「それで」
その手が離れると同時、父の顔が真剣なものに移り変わる。
「息子のエドワードの死を調査するのはあなた一人、ということでよろしいのかな」
「ええ。大人数で屋敷を荒らしたりはしませんよ」
探偵の言葉に、父は仰々しくうなずく。
「なら結構。我が息子の死が本当に自死でないのなら、その真相を明かしてほしい」
父は引き留めることも、また、釘をさすこともしなかった。
僕が事前に話を通していたのもあるだろうけど、それ以上に睨みを利かせる体力もないのだろうな、と感じた。
「ロビン、案内してあげなさい」
「分かりました、父さん」
「探偵さんも、よろしくお願いします」
それだけ言って、父は背を向けてごほごほと咳をした。
父の背中はどこか、小さく見えた。
バタン、と大きな扉を閉じる。
父の部屋を後にして屋敷の中をさらに奥へと歩く。
「なあ、ロビン君。父君のことなんだけど」
「父の体のこと、ですか」
横を歩く探偵が一度うなずく。
来客というのにもかかわらず、父はベッドから出ようとはしなかった。
「病を長く引きずっていまして。最近は起き上がるのも億劫だとか」
「魔法でも何でも使えば治せるんじゃないか」
「【治療】の魔術を使えばたいていの病気は治せます。しかし、それには本人の魔力が残っていることが前提です。もう父は、生命維持のほかに魔力の余剰を捻出できないんです」
さらに言えば、人間の免疫力でどうこうなる病気でなければ、そもそも【治療】の魔術は効果がない。
そして、今の父にはその免疫力が枯渇していると言ってもいい。
二重の意味で、父はもう長くない。
「父君は昔から体が弱かったのかい」
僕は首を縦に振った。
「病状が悪化したのはここ一年ですけど、以前から父の体は健康とは言い難い物でした」
「ふうん。それは母君も大変そうだ」
「……母はすでに他界しています」
「……すまない」
探偵はバツが悪そうに眼をそむけた。
「いいんですよ。僕が五つにもなる前の話です」
ずっと前に言われた言いつけは鮮明に思い出せる。
けれど、母のことはもう遠い昔の話のことだ。
記憶はすでに思い出の一部。
今はもう、ほとんど記憶にない。
「そんなことより。こっちですよ、先生」
廊下の一番端、庭へと通じる扉に手をかける。
扉の先には、生い茂る森が目に入る。
「あれが、件の倉庫か」
森のさらに奥に、その姿がわずかに覗いていた。
木々よりも背の高い、白い建物。
あの中に、兄の遺体が今も眠っている。




