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第二話:走り出す

「君のお兄さんが死んだ、か」


 探偵の表情は、突然の僕の言葉にもさほど驚いているようには見受けられなかった。


 それでも、見ず知らずの人間の死を悲しんでくれている、というのは十二分に伝わった。


「ご愁傷さま、と言わせてほしいが……そういう文化はこちらにもあるのかな」


 探偵が死を悼んでいる、というのは理解できる。


 しかし、僕の感覚からすれば少し奇妙な物言いでもあった。


「葬式の場でならともかく、そうでない場所で死を悼む、というのは珍しいですね。ここに死は残ってないのに」


「死は残ってない、か。不思議な表現だね」


 探偵は興味深そうに一度うなずくと、コーヒーに口をつけた。


 葬式、というのは死者を弔い、そしてそこで終わらせる場でもある。


 それ以外の場で死を引きずる、というのはやはり珍しいことだと思う。


「ああ、いや。さっきのは私の故郷の文化での悔みの挨拶、のようなものなんだ。迷惑であったのなら謝らせてほしい」


 もっとも、僕だって心の内ではまだ兄の死を忘れることなんてできていない。


 死の残っていない場でもその死を悔やむ文化、というのはこの世界よりも気遣いの多い文化なのだろうな、と感じた。


「いいえ。気遣いを無碍にしたりはしませんよ」


 探偵は困ったような表情で再度、コーヒーを一口だけすすった。


「かえって君に気を遣わせるのも私の本意じゃない。本題に入ろうか」


 懐から手帳を取り出すと、目の前の彼は真っ白なページをペンでトントン、と叩いた。


 僕も概要を頭の中に浮かべながら、口を開く。


「つい四日ほど前の話です。警察の話ではおそらく自殺だろう、ということでしたが、あまりに腑に落ちない点がありまして、探偵さんにご助力願えないか、と思った次第です」


「警察は信用できない、と」


「そう言ってもいいかもしれません。元より、彼らは貴族間の関係に余計なヒビを入れるのを嫌います。その矛先は警察自身に向くのですから」


「警察としては無用な諍いを招くよりは、穏便に自殺にさせたがったわけだ」


「その通りです」


 僕も出されていたコーヒーに口をつける。


 少し熱いが、味は申し分ない。


「しかし、ロビン君は穏便な解決よりも『答え』が欲しいんだろう」


「ええ。『真実』を知りたいのです」


 探偵は逡巡するように一度視線を上に向ける。


「『会合』での縁もある。貴族である、ということを加味すれば支払いも保証される。私にとって依頼を受けない理由はないな」


 淡々と、彼は『僕にとって』都合のいい理由を並べていく。


 縁などただ一度の出会いのみ。貴族である、というのは厄介ごとのサインである。


 僕は辺境の貧乏貴族の三男坊、というのも彼は忘れていないだろうし、今日の服装だってそう豪華なものでもないのだから、僕が貴族として期待されるほどの資産を持ち合わせていないことくらい、彼は分かっているはずだ。


 探偵なりの遠回しの了承の意ということか。


「なら、依頼を受けていただける、ということですか」


「ただし、一つ頼みがある」


 探偵は手帳をしまいながら、指を一本立てた。


「頼み、と言うと?」


 身内の死など、あまり表ざたにしたいような話題でもない。


 どんな条件でも、というわけにはいかないがある程度は融通を利かせるつもりだ。


「大したことじゃあない。さんづけ、というのはいかにも他人行儀なんで、何か他の呼び方はないかな、ということさ」


 探偵は笑いながらそう言った。


 気を張っていたのが馬鹿みたいに、肩から力が抜ける感覚がした。


「なんですか、それ。そんなのどうでもいいでしょう」


 どうも、身構えたのは力みすぎだったようだ。


 そもそも、この部屋の質素な構えからして彼が欲に走る人間じゃあない、というくらいは見当をつけてしかるべきだった。


「大事なことだよ。少なくとも、君の顔からこわばりを取るくらいの効力はあった」


 言われて、手元のコーヒーに映る自分の顔を見る。


 あきれたような自分の顔は映っていたが、少なくともこわばってなどはいなかった。


「それに、人の本質はその呼び名にある。その呼び名こそがその人間を規定するのだからね」


 そうは言われても、僕には彼の名は呼べない。


 名を呼べない以上、それに引っかけたあだ名というのも難しい。


 かといって、探偵、とだけ呼び捨てにするのは少々無作法な気もする。


「なら、先生、というのはどうですか」


 彼の『真実』へ至る能力を買っての依頼であるし、その力に敬意を示す呼称でもある。


 自分でも悪くない、と思う呼び名ではあると思う。


「その呼び方、懐かしいな」


 探偵は口元を少しゆがめ、窓の向こうへと目線を投げ出した。


「懐かしい、ですか」


「ここに来る前はそう呼ばれていたこともあった、というだけさ」


 懐かしむように、探偵は外を眺める。


 その表情は不快気なものではないようだったし、その呼ばれ方が嫌ということもないのだろう。


「ま、条件には十分だ。出向くとしようか」


 探偵はカップをクイ、と持ち上げ中身を飲み干すと、静かに立ち上がる。


「出向く、と言うとどちらへ?」


「どちら、って。そりゃ君の家さ」


「……まさか、今から?」


 僕の驚きに、探偵はおどけたように笑って答えた。


「当然だろう。他にどこに行くと思ったんだ」


 彼は部屋の端のコート掛けから、茶色いコートとショルダーバッグを手に取った。


 そのコートに袖を通した姿は、以前に出会った時と同じ格好だった。


 この時期にしては暑そうな格好だが、今年は例年以上に冷え込む。


 夜の冷え込みも考えるのなら、羽織る物一枚くらいはあってもいいのかもしれない。


「いえ、準備に時間でもかかるかな、と思っていたのでこちらに来るときの馬車は返してしまったんです」


 というよりも、探偵が二つ返事で受けてくれるとも思っていなかった。


 依頼を受けてくれても、別の仕事があればすぐにはこれまい、という予想は大きく外れてしまった。


「なんだ、グランブルト観光でもしたかったかい」


 バッグの中身を整理しながら、探偵はからかうような口調で語り掛けてきた。


「そんな気分でもありません。単に、移動手段をどう確保しようか、と思っただけです」


 実際、ティーチカまでは遠い。少なくとも、歩きなら一日かけての強行になるだろう。


「私ももう一度アーキライト家専属の馬車に乗りたくはあったけど、少し残念だ」


 探偵はさほど残念でもなさそうに、あごをさすりながらつぶやいた。


「そういうことなら、グランブルトのポータルに行くとしようか」


「転移をするつもりですか? しかし、ティーチカにはポータルはありませんよ?」


 多くの街には『ポータル』と呼ばれる、魔術を補助する特殊な力場が存在する。


 ポータルの間は【転移(リーポ)】の魔術によって、どれだけの距離でも一瞬で移動できる。


 もっとも、魔力が豊富な土地くらいにしかこのポータルは設置できない。ゆえに、僕の住むティーチカのような場所には存在しない。


 しかし、僕の返答に探偵は首を横に振った。


「いや、目当てはポータルそのものじゃあない」


「どういうことです?」


「この何もかもが集まってくるようなグランブルトの街では、転移を利用する人間は多い。なら、その転移をするために集まってきた人間を客にする人間も多い、とは思わないかい?」


「……それはつまり」


「商機あらば商人は寄ってくる。なら、人が集う場所には馬車も集う、ということさ」











 探偵に連れられたグランブルトのポータルの前は、彼の言う通りずらりと馬車が並んでいた。


 このグランブルトを訪れるとき、大概僕の用向きは決まりきっている。


 あえてグランブルトのポータルを用いる機会もなかったから、こんな光景は初めて見るものだった。


「しかし、軍務でも、あるいは会合でもないのに十や二十も馬車が止まっている、というのも不思議なものですね。競合相手がこんなに多いと商売しづらいと思いますが」


「ま、人の流通が多い分すぐに客も捕まる。客を食われるリスクよりもそれ以上に客が舞い込むメリットが多いんだろうさ」


 グランブルトはティーチカに比べて馬車が多い。


 人の行き交いが多いせいもあるだろうけど、馬の産地が近い、というのも多分な影響があると思う。


「ところでロビン君、良い馬車を選ぼう、というとき、君はどう選んでる?」


 なんともどうでもよさそうな調子で、探偵が語り掛けてきた。


「さあ。そもそも僕は馬車を選ぶ、という経験をしたことありませんよ」


「ああ、それもそうか。専属の御者が居るのだものな」


 それ以上に、わざわざ馬車に乗るような遠出をしたことは数えるほどしかない、というのもあるけれど。


「ま、足の早さを求めるなら若いのがいい。馬にしろ、御者にしろ、ね」


 探偵の言い分に半分は納得できるが、半分は承知しがたい。


「馬は若い方がいい、というのは分かります。彼らも老いれば魔力が乏しくなり、馬力も減りますから。しかし、なぜ御者も若い方が?」


「ほら、馬車に限らないだろうが、何事も仕事を早く終えた方が次の仕事に取り掛かれるだろう?」


「まあ、それは道理ですが」


「そして、そして若い人間はとくにその傾向が強い。他の要素よりも早さを優先して走ってくれる。乗り心地とか、安全とか、そういったものを捨ててね」


 なるほど、言い分は分かった。


「つまりそれは単に向こう見ずなだけなのでは?」


「理由はどうあれ早く着くだろう?」


 探偵はあっけらかんと言うが、少々不安が残る。


 向こう見ずに付き合わされて事故でも起こされたらたまったものじゃない。


「なら反対に乗り心地や安全を求めるなら年配の方がいい、ということですか」


「年を積めば相応に技術は増す。人も、馬も。運転技術に限った話にはなるけどね」


 なんだか、含みがあるような言い方をする。


「他の要因がある、と」


「そうさ。馬車のバネがいかれてるとか、車輪が一つガタついてるとか。そういった馬車自身の問題もある」


「……そんなの見た目ではわからないでしょう」


 少なくとも、馬車のスプリングなどを見分ける眼力は専門家でもなければ難しいだろう。


 僕の言葉が面白かったのか、探偵はくすりと笑う。


「なんであれ、数ある馬車からはずれを引かないのはともかく、よい馬車を引き当てるというのは、普通は少々難しい」


「じゃあ、先生はどうすると?」


「こうするのさ。――おおい、キルク!」


 探偵が呼びかけると、並んだ馬車の内、一台がこちらに近づいてきた。


 その馬車の手綱を引く御者は探偵と顔見知りのようで、こちらに軽く手を振っている。


「なるほど、先に有望な馬車の主と仲良くなっておく、と」


「事前調査、と言ってほしいね」


 なんとなくよい馬車を選ぶ方法、という問題の答えとしてはずるいような気がする。しかし、これからのる馬車を都合してくれたのは変わりないし、特に文句など言いようもない。


 馬がいななくと、僕たちの前でその馬車は止まった。


 その御者席には帽子を深めにかぶった男が座っていた。


「探偵の旦那。今日はどんなご用件で」


 その御者は慣れ親しんだ友人に語り掛けるように、探偵に呼びかけた。


「少々遠出だ。頼めるかな」


 探偵の願いに、その御者は歪な並びの歯を見せてニヤリと笑った。


「あいよ。そっちの坊やも御一緒で?」


「坊やじゃありません。立派な大人です」


「ん、そりゃ失礼」


 その御者は帽子をとると、御者席から降り立つ。


「この口はどうにも軽すぎましてね。ついつい無礼なことを言っちまうんですよ。俺の頭一つ下げますから、許してくださると助かります」


神妙な面持ちで僕の前に立った従者は、その頭を深く下げてきた。


「その、そこまで求めたつもりもないというか。僕の方こそ、つい余計なことを言いました」


 僕の方も御者に合わせて頭を下げる。


 僕が顔をあげた時には、御者の男は帽子をかぶりなおしており、人のよさそうな笑顔が戻っていた。


「心の広い御仁でよかった。んじゃま、お二人さんをどこまで運べばいいのかな?」


「そうだね、どこかで簡単な昼食を確保したら、あとはティーチカに住む彼の家まで一直線、と言いたいんだけど……。ロビン君、君の家の住所ってどこだい?」


 探偵の言葉に、御者がいやいや、と顔の前で手を横に振る。


「旦那、俺はグランブルトの出身でね。あのだだっ広いティーチカのことなんて住所だけじゃわかりませんや」


「……そいつは困ったな」


「中心街か役場か、ってぐらいならともかく、細かい場所まで、となるとちょいと難しい。旦那か、そっちの紳士殿が手綱を引く、ってなら何の問題もありやしませんが」


 御者の言うことはそう珍しいものでもないと思う。


 徒歩で一日もかかる街道を挟んだ街のことなど、ロクに知らなくても無理はない。


 そういえばいいものがあった、と思い出しカバンに手を入れる。


「御者の方……ええと、キルクさんでしたか。これをどうぞ」


 困り顔の御者に取り出したものを手渡す。


 御者は手渡された道具をじぃ、と眺めている。


「ほう、こいつは【方位(ノイト)】の魔道具ですかい」


 一目で見抜くあたり、御者も何度か利用したことがあるのだろう。


 しかし、探偵は初めて見る物なのか、興味深そうにそれを見回している。


「これ、なんだい?」


「簡単に言えば方位磁針の先を、目的地を指すように改造したもの、と思えばいいかと。今回で言えばアーキライトの家ですね」


 魔力の反応具合で目的地までの距離もわかる優れもの。これ一つあれば見知らぬ土地でも道に迷うことはない、と太鼓判が押された一品だ。


「便利なものだ。私も一つくらいは欲しいね」


「まあ、60万メントほどですから、そう手が出ないモノでもないと思いますよ」


 途端に探偵は顔をしかめた。


「道楽にそこまで金をかける、というのは少々難しいかな」


「ここで役に立っているんですから、ちっとも道楽じゃありませんけどね」


 探偵に反論すると、隣の御者から漏れてしまったような笑い声が聞こえてきた。


 笑われて初めて、どうにも子供っぽい反論だったかもしれない、と気づかされた。


 御者はニヤリとした笑い顔のまま扉に手をかけ、こちらを振り向く。


「承知いたしやした。では、お二人ともどうぞこちらへ」


 木のこすれる音と共に、御者の手で馬車の扉が開かれる。


「ありがとう、キルク。さ、ロビン君も」


 探偵に言われるがままに馬車に乗る。


 中はやや手狭だが、窓や座席は清掃が行き届いているようで、汚れなどは見受けられない。


 座席のクッションも綿を詰めたものを何重にも重ねているようで、それなりに長旅に耐えうると思う。


 馬車そのものの材質はやや安物に見えるが、いくらか魔術での補強の痕が見える。多少の衝撃であれば壊れることもないだろう。


 総合して、いつもの馬車と比較しうるくらいのつくりではあるかな、と感じた。


「そんじゃま、ゆっくりとおくつろぎください」


 御者の言葉と共に入り口の扉は閉じた。


 数拍して、足元で蹄が石畳を叩く音がすると、ゆっくりと景色が動き出した。


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