第一話:依頼人 ロビン=アーキライト
人の声の騒がしさで、目が覚めた。
続いて、馬がいなないて、馬車が止まる。
どうやら、目的地に着いたようだ。
前方についた小さな窓から、御者がこちらを覗き込んでいた。
「グランブルト、つきましたぜ。お代は特急料金込みで3700メント」
「3700メントですね」
錬金術の魔法陣が書かれた札を取り出し、体内の魔力を流し込む。これでこの札は内部の魔力分の金貨を生み出せる、金札と呼ばれるものに変状した。
以前は通貨として金貨を用いていたが、錬金術の発達とともに、魔力を用いて金を作り出す手法が確立。そのおかげで金の価値は暴落した。現在はこの金札が通貨代わりに使われている。持ち運びの面でも、重量の面でも手軽でいいので、技術の発展には感謝することしきりだ。
そのままのぞき窓を通して、御者に金札を渡す。彼は受け取った金札に軽く魔力を通して検分すると、にっこりと笑った。
「ん、ちょうどいただきましたぜ」
御者はぴしり、と金札を指ではじくと、懐にしまい込んだ。
「急なお願いにも関わらず、助かりました」
「いえいえ。今後ともごひいきにしていただければ十分でさぁ」
僕が馬車から降りたのをみて、御者が馬車に鞭を打つ。
再度馬がいなないて、馬車はゆっくりと遠ざかっていった。
グランブルトの街並みを、巨大な水路沿いに歩く。
市井のにぎやかさは以前と変わらないのに、どうにも奇妙なところに目が留まる。
例えば、品ぞろえ。僕の地元のティーチカと比べて、グランブルトは生鮮食品が多い。果物、魚、肉。ティーチカでは見られない品種のものもいくらか並べられている。
グランブルトに多くの人間が住んでいる、というのも大きいのだろう。それ以上に、港や水路で交通の手段もまた豊富であるのも影響していると思う。
あるいは、これだけ交通の便がいいからこそ、ここまで発展してきたのだろうか。
「……星が先か、天が先か、とでも問うようなものかな」
どちらであれ、このグランブルトがどうして栄えたのか、なんてことには今日まで興味もなかった。
そんなことに興味を覚えるようになったのは、前回グランブルトを訪れてからだった。
探偵を名乗る、不思議な人物。彼は妙なものがあればすぐに目をつけて、その謎を解明しようとする、子供のような、好奇心旺盛な人間だった。
僕が以前と違って目移りするのは、彼に影響されたせいかもしれない。
「そんな感傷に浸ってる場合でもないけど」
今日は急ぎの用でこのグランブルトを訪ねたのだ、と自分に言い聞かせて足を速める。
目的は、その件の探偵が住まう場所だ。
一目見て、その店は怪しかった。
店の顔と呼んでもいい看板は経年劣化のためか、塗装が一部剥がれている。かろうじて店名を保っているくらいだ。
内装を見せるための窓ガラスは黒いカーテンをかけられていて、中を見通すことはできない。
これで閉店とか廃業とかなら話は分かるが、入り口には営業中の札が吊り下げられている。
中の明かりが漏れ出しているのは見えるし、間違いなく人はいるのだろう。
看板に書かれた名前は『ロー=ベックマン魔導雑貨店』。一応、目的の店と同じ名前がそこに冠してあった。
入口となるドアも壊れかけで、手をかけることもためらわれる。……ドアノブに手をかけたら朽ち果ててしまいそう、という気さえする。
とはいえ、この中に用がある。立ちすくんでいてもしょうがない。
意を決して、手を扉にかける。
ミシリ、と木が軋む、どころかヒビでも入ったかのような音を立てながらドアが開く。
中は太陽を遮っているせいか昼にしては暗いが、足元が見えないというほどでもない。
日光を遮っているのは、内部の魔道具を傷めないように、という配慮なのだろうか。
店の奥には、ローブを身にまとい、目元までフードで覆い隠すような男が机の奥に座っていた。
僕の存在に気付いたのか、その男はフードをあげて、その目を晒した。
暗がりではっきりしないものの、男の風貌も若い人間のものに見える。
「いらっしゃい。今日は如何な用向きかな」
陰鬱な店内の雰囲気とは裏腹に、その男の声はやや高めで店内によく響いた。
用向き、と言われるとある人物を尋ねに来たに過ぎない。
ただし、僕にはその人物の名前が言えない。
分からないのではなく、発音できない。
「ここに探偵を生業にしている方がいると思うのですが。お取次ぎ願えないでしょうか」
ゆえに、職業で、あるいは彼自身がよく名乗る通り名でその彼を呼び出す必要がある。
もっとも、『探偵』などという職業はこの広いグランブルトの街を探しても彼一人しかいないようだけれど。
目の前の男もこれだけで理解したらしく、そうか、と小さくつぶやいた。
「彼なら奥の階段を上った三階にいる。用があるなら上がるといい」
「それはどうもご丁寧に」
その男の横を通り抜けようとして、ローブ越しの手がボクの道を阻んだ。
「……この手はどういうことです?」
「その前に、私の質問に答えてもらおう。ここはどこだと思う?」
ここはどこ、という問いほど包括的な問いもないが、ここで問われているのは多分。
「ロー=ベックマン魔導雑貨店、でしょうか」
「その通りだ。で、その魔導雑貨店を通ろうっていうのに何も買わないで行くつもりじゃあないだろうね?」
「ひどい、ひどいぼったくりじゃないか!」
憤りが声をつく。
結局、指の先ほどの大きさの魔術結晶を5000メントもかけて買わされた。
原価にして100メントもないだろうし、流通のことを考えても700メントには抑えられる。
だっていうのに、そのさらに七倍以上の値段で買わされた。
信じられない。
売る方も売る方だが、買ってしまった自分がさらに信じられない。
焦りが過ぎたのかもしれない。
探偵はすぐにいなくなってしまうかもねぇ、と時間的にせかされ。
この店はもうボロボロで、買い替える金さえないんだ、と心情面で同情を誘われ。
ほら、君の懐にはちょうどいい5000メント分の金札があるじゃあないか、と手のうちまで見透かされたようになり。
急いでいて、施しても構わないかなと思わされ、そして気味が悪くなってその場を去りたくなり、たたきつけるように5000メントで魔術結晶を購入した。
けれど、階段を上る途中で気づいた。
この階段は最近補強でもしたのか、妙に小ぎれいだ。
それに、明かりや調度品の数々もそれなりの高級品。
多分、これらの一つでも売ってやれば店の看板くらい買い替えられるだろう。
そもそも、僕はこの日なら一日中探偵がここにいる、と知っているから尋ねに来たはずだった。
――思い返せば思い返すほど、あの男の言葉は嘘の塊だったのだ。
なおも怒りが吹きあがるような感覚がしたけど、深呼吸して落ち着く。
三階まで足を運んだ辺りで、とりあえず感情の波は過ぎた。
今は、この扉の向こうにいる人に用があるのだから、別の人間への感情を持ち越してはいけない。
扉をコンコンコン、と三度叩く。
「どうぞ」
聞き覚えのある声が扉の向こうから響く。
それを聞いてから、ドアノブをひねり中へと入る。
視界に入ってきた部屋は小さなソファが二つと、その間に机が一つ。
そのうちの一つを陣取っている男。
彼こそが、今日の用向きの相手である、『探偵』だ。
「どうも、探偵さん。お久しぶりです」
「久しい、というにはまだ二週間ほどだろうに。とりあえずそっちに座るといい」
探偵はずず、とコーヒーをすすりつつ、こちらを横目に捉えてきた。
その言葉に甘えながら向かいのソファにつく。
テーブルにはすでに、僕のものと思しきコーヒーが置かれていた。
手に取った熱さは淹れたてで間違いない。
探偵はこの街でも特殊な人間で、ほとんど魔術を使えないらしい。
ならば、【保存】や【加熱】といった魔術を用いたのではなく、僕がこの時間に来るのがわかっていたから淹れたものに違いない。
下でのいざこざが聞こえていたのだろうか。
「まあ、その。いろいろありまして」
「そういった話もゆるりと聞きたいところだけど。今日は急ぎ、という話だろう。とりあえず、用件だけでも話してほしい」
探偵に促されて、問い返されないように、はっきりとした声で告げる。
「僕の兄が先日殺された事件について、真相を暴いていただきたいのです」




