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第七話之二:時の螺旋

 シャーリーンはぐるりと部屋を見回した後、京二郎に向き直る。


「話がある、というので来たのですが」


「ええ。マーエルグ氏を殺した犯人があなたではないか。その確証を得るためのお話をしたい、とお伝えしたはずです」


 はあ、とシャーリーンはため息をついた。


「……冗談じゃないか、と思っていたのですが。本気で言っていたのですね」


「もちろん。お話が長くなるかもしれませんから、場所を移しましょうか?」


「いいえ、結構」


 かつん、と音を鳴らしてシャーリーンは部屋の中に入ってきた。


「ふむ。ではせめて、どうぞそちらにお座りください」


 京二郎の言葉を無視して、シャーリーンは小さな本棚のある壁に寄りかかる。


「結構です。私が犯人だなんて疑われて、のんびりもできませんし」


「……ボクとしても、彼女が犯人とは思えない。彼女が犯行に及ぶにはあまりにも条件が厳しい。この入り組んだ道のりを、たかだか十数分で、しかも彼女はヒールの高いブーツで駆け抜けたことになる。そんなことは不可能だろう」


 シャーリーンは事件後十数分後にセントラルの喫茶店『イレストリア』で目撃証言がある。あの証言に嘘があるとも思えない。


「確かに、その条件なら難しい。けれど、一つ不思議なことがある」


「何が不思議なんだ」


「なぜ我々は彼女が犯行時にヒールの高いブーツをつけていた、と把握しているのだと思う?」


「そんなの簡単だ。ボクたちがシャーリーンの家を訪れた時に彼女がまだそれを履いていたからだ」


「ああ、そのとおりだ」


 ボクの返答にうなずくと、京二郎の目線がシャーリーンへと流れる。


「次に、シャーリーンさん、あなたに問いましょう。あなたがご自宅に帰ってきたのは?」


 シャーリーンは少々訝し気に口を開く。


「さあ、18時くらい、だったと思いますけど」


「どうも。では、我々がシャーリーン氏の家を訪ねたのは何時だろうか」


 細かい時間は覚えていないが、事件のあった部屋を出たのが19時、最後のトヒガルの家を出たのが21時ごろ。


「19時より後、21時よりは前。20時付近じゃないか。……あれ?」


 口に出して、違和感に気づく。


「そう考えると、どうしてシャーリーンさんは一時間半もヒールの高いブーツなんかを履いて家にいたのだろう?」


 ありえない、とは言えない。けれども、それは彼女の奇妙な違和感を言葉にしていく手掛かりには十分だった。


 いら立ちを隠さないかのように、シャーリーンは自身のブーツを床に打ち付ける。


「探偵さんは知らないのでしょうけど。このブーツ、脱ぐの面倒なんです」


「たしかに、私はブーツをはく機会はありません。けれども、スーツの方は理解があります。この夏のただなかに仕事から帰ってきてスーツを着たまま、というのは少々おかしいのではありませんか?」


「……少々ずぼらなもので。それに、昨日はつかれていましたから」


「スーツのまま、ブーツのまま休んでいた、と。それにしては、ずいぶんとしわのないスーツです。よほど丁寧に扱っているようですが、不思議なズレを感じますね」


 探偵の言葉は煽るように、燻るように、シャーリーンから言葉を引き出そうとしている。


 その言動に、シャーリーンは不快気に顔をゆがませる。


「人間、表と裏くらいある物でしょう。それとも、ブーツを家で履いていたからって何か犯人扱いされる理由になるのでしょうか」


「目の付け所、というだけですよ。犯人であれば、イローダルの悪路を把握している。少しでも自分が怪しまれない工夫のためにヒールを履いたままでいたのではないか、と思いまして」


 確かに怪しい、と感じるような気もしてきたが、その実何の証拠も示してはいない。


「怪しむのは構いませんけど。ブーツくらいなら私が昨日会った人間に聞いてください。皆が皆履いていた、と答えるでしょうから」


 人の履いていた靴を覚えているか、と言われれば怪しいが、彼女の靴音はよく響く。あるいは、コルーク氏の記憶能力なら覚えがあるかもしれない。


「それに、結局ブーツを履いたままではイローダルは駆け抜けられない。少なくとも、配達員が13分で駆け抜けるような立地を同じ時間で、というのは無理がある。それはどうなんだ、京二郎」


 京二郎は机の上の丸まった紙袋を取りながら、そんなことか、とつぶやいた。


「ヒールが高いからダメなんだろう。ならヒールを折ればいい」


「このタイプのブーツのヒールは取り外しできない。それは前も言った気がするけど」


「いや、そうじゃない。不可逆的に破壊したんだ。そのあと直す。これは不可能だろうか」


 べきん、と京二郎が丸まった紙袋を真ん中で折る音がした。ヒールを折る動作を示している、ということか。


「……破壊した後に、【再生】の魔術で修復する。そんな荒業もあるといえばある、か」


 確か、この部屋の窓から侵入する方法を話しているときに、似たようなことを話したかもしれない。


「なんであれ、ヒールの高いブーツ、というのは犯人ではない証拠にはならないが、それを見せつけていたのは実に怪しい、という話だ」


 シャーリーンは京二郎の言葉を聞いても、不快そうな表情をするばかりで、動揺した様子は見えない。


「それで、私に犯行が可能だったとして。私が犯人であることにはならないでしょう?」


「確たる証拠、というものはもう少しお待ちを。まだ、事件の真相で明かさねばならない点があります。犯行がどのように行われたか、ということです」


 京二郎はマーエルグの遺体が映りこんだ写真を手にした。


「彼の死は背中を無防備に襲われた、というもの。そのためにはどのような形であれ、不意を突かねばならない。ただし、犯人がだれであっても、マーエルグ氏に招待された、というのは考えにくい」


「彼女が犯人というなら、むしろ恋人の立場で家に上がる、という方が楽そうだけどね」


「それにしては、この家に誰かを招待した跡、というものが残っていなかった。誰かを家に招く時、飲み物の一つも出すだろう。なのに、飲みかけのコップすら見つかっていない。なら、事件当日は誰も招待していなかった、と考えるのが自然だろう」


 確かに、京二郎の言い分は筋が通っている。だが、彼の言い分を通すとなれば犯行に及ぶ手法は一つしかない。


「だけど、この家には結界がある。外部からの侵入があればマーエルグ氏は気づくんだから、待ち伏せなんてマネはできないはずだ」


「いや。魔術の方が完璧でも、人間の認識の方が甘くなっていたんだ」


「どういう意味だ、それ」


「クルビエ、この家の結界は家に誰かが入り込んだ、ということを検知する魔術だったね」


「ああ。留守であれ、誰かが入ればわかってしまう。侵入者がそれを隠す、というのもちょっと難しいだろうね」


「もう一つ。配達員君の話を覚えているかな。毎週同じ時間にコーヒー豆を届けている、という話」


「……そうか、毎週のように配達員が来ていたから、結界の侵入者がいても不思議に思わなかった、と」


 この家の結界は三階部分に差し掛かった時、この家の玄関をくぐる前に検知できた。なら、配達員が玄関先まで来た、と勘違いすれば、結界の乱れを不思議には思わないかもしれない。


「そういうこと。配達員君は配達前の仕事がいつもより多かった、などとも話していた。これもこの推理の裏付けの一つになるだろうね」


 つまり配達員が来るべき時間に犯人が潜入していれば、マーエルグ氏は『侵入者がいた』のではなく『配達員が来た』と誤解する。


「侵入した後はこの部屋の戸棚の後ろにでも潜んでおき、マーエルグ氏が帰ってきたタイミングでこの部屋の『伝話』でも鳴らして呼び寄せる。伝話の音で背後から忍び寄る音もいくらかごまかせるだろうし、殺害に至る確度は上がるだろうね」


 確かに、ここまでの京二郎の方法であればシャーリーンがマーエルグ氏の背後を取ることまでは可能だし、犯行後十数分にセントラルで目撃されることも可能だ。


「でも、それでは殺せません」


 シャーリーンの声は冷え切っていた。怒りなのか、それとも一周回って冷静になったか。


「私、警察の方から聞いているんです。犯人は凄腕の暗殺者だったんじゃないか、って」


「ティック刑事が漏らしてしまったのかな」


「さあ、その刑事さんの名前は知りませんけど。私にそんな技術があるとでも?」


 彼女の追求はこの事件で一番初めに指摘された、犯人の情報だ。


 それに合致する犯人でない限り、彼女を犯人と断言するのは難しい。


「ところで、シャーリーンさん。あなたの行動はずいぶんと、緻密が過ぎた」


「どういうことでしょう」


「イローダルの踏破が難しい、と思わせるためにブーツを履いていたこと。わざわざ私の通う『イレストリア』での目撃証言の工作。結界を利用した潜伏の偽装。あなたが犯人、という仮定を重ねれば、事件現場に髪の毛一本も残っていないことも。帽子をかぶるなりまとめるなり、という対策はありますが、素人がそこまで気を配るとも思えない」


「それが、なにか」


「――クルビエ。君の見立てでは、今回の『時間遡行』はどこまでできる」


 京二郎の言葉に、初めてシャーリーンの眼が驚愕に見開かれた。


「グランブルトに限れば、一日が限度。つまりは、昨日の昼。事件よりも少し前までなら、無数の未来を見るための『時間遡行』が可能だろう」


 奇しくも、昨日ボクが『時間遡行』を体感した瞬間でもある。


「あなたの奇妙なまでの緻密さ。それは、犯行の証拠、あるいは犯人と疑われた手掛かりを指摘されるたびに無数の『時間遡行』と偽装を重ねたから。そうではありませんか?」


「―――――ハ、ハハ」


 シャーリーンは驚愕を越えて、引きつったような笑いを浮かべていた。


「それでも、私がマーエルグをあんな手早く殺せる理由にはならない!」


「手早く? まるで殺した時の感触を覚えているかのような物言いだ」


「そんな揚げ足を――」


「それとね、クルビエ。彼女は無数の未来を見たんじゃあない」


 京二郎はまっすぐにシャーリーンを見つめながら、ゆっくりと口を開く。




「無数の過去を体験したんだ。『マーエルグ氏の殺害』まで含めて」




 まさか。


「ありえない。そんなことはありえないし、ありえていいはずがない」


「どうして。合理的な結論だろう」


「だってそれは、マーエルグ氏を何度も殺すことでその経験を得ていた、ということだろう」


「ああ。熟練の暗殺者になる段階まで、何度も、何十度も、何百度も。遺体の傷がそれを物語っている」


 そんなことは分かっている。ボクにだって、京二郎の結論を否定するような意見は見当たらない。シャーリーンからも反論の声はない。きっと、結論として正しいのだろう。


「けど、そんなことをしていたなら」


 そんな、同じ人間を何度も殺し続けた人間が。


「狂っていないはずはない。違いますか」


 語るシャーリーンの声はひどく、凍り付いていた。


 浮かんだ笑みは、仮面のごとく、人の感情を感じさせなかった。


「さて。狂気か、正気か、というのを余人が判別するのは少々難しい話ですが。殺人という結果自体は変わらない」


 京二郎の言葉を聞いても、シャーリーンは穏やかだった。先ほどまでのいら立ちは演技だったかのように。ただただ、穏やかだった。


「私もそう思います。それにしても、よく『時間遡行』、なんて結論にたどり着きましたね。『今までの貴方』はそこにたどり着けなかったのに」


「あえてたどり着かなかった、のでしょう。あなたの犯人と疑わしい証拠を『今までの私』が指摘しなかったのは、あなたを『今』捕らえるためです」


「――まるで、見てきたようね」


「いやあ、見るまでもありません」


 ククク、とシャーリーンは笑う。その笑みは、先ほどまでの彼女とは結びもつかない、タガが外れたような笑みだった。


「でも、本当に詰めが甘いのね」


 シャーリーンはよろよろと、京二郎から遠ざかるように後ずさる。


「ああ、それと。二点ほど伝え忘れておりました」


 京二郎はその様子を止めるでもなく、ただ眺めている。


「いいえ、そんなのは結構! 『今までの貴方』と違って『今の貴方』はこれだけの情報をくれたのだもの! 『次の殺し』は必ずうまくやって見せるわ!」


 シャーリーンは部屋に置かれていた『置時計』をつかみ取る。


「最後に、『今の貴方』に教えてあげる。この置時計にはね――」


 かぱり、と時計の動力部に当たる部分が開かれる。


 その中身を見たシャーリーンの行動は停止した。


「まず一点目。この部屋に『時間遡行』に使える魔術結晶は存在しません」


「――どうして。そんなはず、ないのに。この家が燃えた時だって、これは見つからなかったのに!」


 シャーリーンはつかんだ置時計を手にしながら、床に崩れ落ちた。


「本物は、マーエルグ氏が破壊したんですよ。今そこにあるのは私が買ってきたレプリカです。あなたに、『いつでも過去に逃げられる』という安心感から生じる隙を作るためにね」


 京二郎は折りたたんでいた紙袋を広げて、ひらひらとシャーリーンへ見せつける。


「嘘。ありえない。あの男の息の根は確実に止めたわ。今回はなおさら正確に」


「ええ。ですが、魔術師は死んでなお魔術を発動できるとか。たとえば、あなたが急いで現場を離れた後、とか」


「……ありえない」


「遺体の下に破片がなかったですから、遺体が倒れ伏した後に結晶が破壊されたのは間違いない。そして、あなたが破片で怪我した跡もありませんから、あなたがあの部屋にいる間にあの結晶は破壊されてはいなかったことになります」


 シャーリーンが、緩慢な動作でゆっくりと立ち上がる。


「手馴れすぎたのでしょう。殺しすぎたせいで最低限の力で彼を殺す、ということが可能になってしまった。そのせいで、彼にわずかな抵抗を許してしまった」


 その射抜くような狂気の視線は、まっすぐに京二郎に向けられていた。


「――ハ、ハハ。そうだ、そうよ、殺せばいいのよ。そうすれば、なかったコトになる。また、アノヒトに会える」


 彼女はバッグからナイフを取り出すと、振りぬく動作で鞘を投げ捨てた。


「そして、二点目ですが――」


 京二郎はその抜き身の刃と、狂気の視線に当てられても、語りを止めない。


 まるで、その刃では己を殺せないと確信しているようだった。


「殺す――!」


 ならば、その確信に応えよう。


 振りぬかれた刃が京二郎の直上から振り下ろされよう、というとき。


「【射弾(トサールブ)】」


 ボクの詠唱によって発射された魔弾が彼女の頭へ直撃する。


 回避はままならず、彼女はソファへと倒れこんだ。


「――この会話は『伝話』で警察とつながっています、と言おうと思ったのだけど。その前に限界だったか」


 京二郎の視線の先には、この部屋に備え付けられていた『伝話』がわずかに受話器の上がった状態で置かれていた。


「言っておくが、手加減はしてる。放っておけばそのうち回復するよ、その犯人殿」


「……うん。多分、話を聞いてた警察たちもそろそろ来るだろうから、処置はそっちに任せようか」


 京二郎の言葉を裏付けるように、下から鉄の階段を駆け上がってくる何人もの足音が聞こえてきた。


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