第七話之一:時を見据えて
ごとり、と紙袋が机の上に置かれる。
「……その紙袋の中身。そんなものを買ってきたのか」
「どうしても、こうした手段は必要でね」
こすれるような音と共に京二郎は紙袋を折りたたむ。中身はすでにこの部屋に鎮座していた。
「下準備はいいのかい?」
「ああ。これで準備完了だ。しかし――」
京二郎が時計を見る。時刻は12時を回ったところ。
「まだ犯人殿が来るまでもう少し。事件の整理でもしていようか」
「事件の整理、といってもね。今回の事件は不可解なところが多い。どこから手を付ける?」
「まずは、遺体と現場の状態の確認だ」
机の上に、一枚の写真が投げ出される。首筋に一文字の赤と、背中に大きく刺された傷がある、マーエルグの遺体がそこにあった。
「マーエルグ氏を自室で殺害したにもかかわらず、犯人は金目の物を盗んだ、ということもない。顔見知りによる怨恨、というのは筋だろう」
「あの四人が容疑者になる、と」
商人仲間のレフレクス、元恋人にして医師のフィンスター、現恋人、歴史学教師のシャーリーン、そして建築家で金銭関係のあるトヒガル。この四名が犯人である可能性が高い。
「その通り。そして、遺体の傷から察するに犯行の技術は手馴れたものだった。犯行はおそらく招待されるか、あるいは隠れ潜んで、背中から隙をついて殺傷に至った。まあ、これは置いておこう。犯人を特定するに至る情報ではないからね」
京二郎は窓へ近づくと、こんこん、と窓をたたく。
「事件現場のこの部屋の窓だが、鍵はかけられていなかった。侵入、および脱出に扱いうるし、この現場までの道のりも少し短縮できるし、玄関の鍵を無理にこじ開ける、なんて必要もない。まさに理想の扉と言える」
「ただし、侵入者感知の結界がなければ、だが。少なくとも、玄関からだろうと、窓からだろうと、侵入者がいればマーエルグ氏は必ず気づいていただろう」
ボクの言葉に京二郎は微笑むだけで何も返事はしなかった。
「……まあ、ここまでが前提条件だ。次に容疑者を絞る」
京二郎は遺体の写真の上に四枚の似顔絵を置いた。それぞれに容疑者の顔が描き出されている。
「犯行時刻の観点から行こうか。殺害はほぼ15時。そして、殺害方法がどうあれ、彼らの生活していたセントラルとイローダルは配達員の彼の足なら11分。彼が荷物を手に持っていたことを勘定に入れれば、10分あれば事件現場には行けることになる」
「つまり、15時の前後10分の間にアリバイがある人間は犯人ではない、と」
「正確に言うなら、彼を殺す算段をつけるには先に忍び込むのであれ、招待されるのであれ、もう少し余裕が欲しい。細かい時間はともかく、事件が起こるよりも手前の時間帯にアリバイが存在するというのが重要だ」
「その辺りはコルーク氏がいやに詳しく覚えていたね」
「ああ。フィンスター氏は犯行時刻前にあの診療所に出前を受け取っていたことになるんだから、犯人の可能性は限りなく低い。そうでなくとも、彼女は診療所を開いていた。店を開けている間に万が一にも客が来れば、その空白の時間の言い逃れは難しくなる」
京二郎はフィンスターの写真を折りたたむと、ポケットにしまい込む。
「それと、あの配達員君の証言から、トヒガル氏の可能性も低い」
「だが、あの配達員は計算した結果なんて言っていなかったか。普段一時間くらいかかるから、マーエルグ氏の家に着いた16時から逆算して、とか」
少々、証言としては弱いものになるのではないだろうか。
「まあ、多少ずれていても構わないんだ。犯行時刻ちょうどじゃなくていいし、それに、配達員君は荷物が少し多かった、なんて話をしていた。配達にかかる時間は増えこそすれ、減りはしない」
「……配達時間が増えれば、逆算する時間はより遡る。アリバイが保証される時間は犯行時間より前になることがあっても、彼が犯人でない証拠にはなり続ける、と」
「そういうことだ」
トヒガルの写真もまた折りたたまれ、京二郎がしまい込む。
「なら、残りは二人か」
「そして、レフレクス氏。彼は最も犯人とはなりえない人物、と言ってもいい」
言いながら、彼はそのレフレクスの似顔絵を折りたたむ。
「その理由は? 彼だけは左手に傷がついていたけど」
「そう、それがそもそもおかしい。今回の事件の犯人の利き腕、どっちだと思う?」
「……さあ? わかる証拠なんてあったか?」
とんとん、と京二郎は自身の首を指でたたく。
「マーエルグ氏の首の傷だ。ほんの少し右肩上がりに傾いてる、と言ったろう?」
「ああ、そんなことも言っていたかな」
「どんな武器であれ、振り下ろすときは多くの場合、多くの人間が利き手の側から反対側へ袈裟に切り下ろす」
「……ケサ?」
「斜めに、ということだ。やってみるといい」
京二郎から、丸められた紙袋を投げ渡される。
普段は剣どころか杖も使わない。武器を持つ、ということはないから、そんなことは考えてもいなかった。
軽く二、三回振り下ろしてみる。
「……まあ、確かに」
実際に振ってみれば、確かに右手で振り下ろす分には右上から左下に斬る方が自然だ。
「そして、彼は緑茶を左手で受け取った。よくやる手なんだが、人間、物を受け取るときはとっさに利き手を使うことが多い。特殊な職業だと変わってくるが、盾を持つような冒険者ではないようだし、こちらの世界に野球なんてないからね」
「……ヤキュウ?」
さきほどから、京二郎はボクの知らない言葉を盛り込んでくる。
「ああ、すまない。なんというか、つい口が回ってしまうんだ。とにかく、彼は利き腕の観点からも犯人とは言いにくい」
「……だが、首筋と背中の傷がほぼ同時につけられたんだ。両方の手で同時に傷をつけた可能性の方が高い、と言ってもいい。なら、首筋の傷は利き手でない可能性も考えるべきだろう」
「ま、利き手でない方で真一文字に近いレベルで斬りつけられるものか、という問題もあるけど」
「キミが思いついた可能性は考慮に入れるべきだ、と言ったからだろう」
京二郎が少しだけ笑みを深めたように見えた。
「ただ、今回はもう一つ、彼が犯人でない大きな理由がある。それは、この部屋から何も見つからなかったことだ」
「何も?」
「そう、特に体毛がね」
体毛、と言われて思い当たるところがある。
「レフレクス氏は全身を毛皮で覆われた獣人だったな」
「そうだ。あれだけ体毛に覆われておきながら、毛の一本も落ちない、なんてことは難しい。後から清掃した、とか全身を覆うスーツでも着れば別かもしれないが、そんなことをするような人間でもないだろう」
レフレクスの仕事場は埃だらけだった。毛一本落とさないような几帳面さがある、とも思えない。
「まあ、レフレクス氏が犯人でない可能性が高い、というのはそういうわけだ」
京二郎は折りたたんだ紙をしまい込む。
「――となると、だ。犯人は一人しか残らない」
京二郎が言うと同時、玄関の扉が開く音がした。
ヒールが床をたたく音が、甲高く部屋に響き、近づいてくる。
「ようやくお出ましらしい」
がちゃり、と扉が開く。
現れた顔は、机に残っていた写真と同じものだった。
「ようこそ。お待ちしていましたよ。シャーリーンさん」




