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第五話之一:調査1


 月が照らす街道を道行く人々とすれ違いながら、京二郎と肩を並べて歩いている。


 目的地は容疑者の一人がいる仕事場、と彼は言う。


「しかし、場所は分かっている、などと言っていたが、キミはどこからそんな情報を?」


「君の真似じゃあないが、前提から話すとしよう。そもそも、私がマーエルグ邸を訪れた理由は何だったかな」


「依頼の報告のためだろう?」


「そうとも。マーエルグ氏の依頼は、彼の周辺の人物を調べる、と言うものでね。その過程でマーエルグ氏の知り合いも調べる必要があったんだ。その過程で、マーエルグ氏を殺害する容疑者となりえる人間のことはおおよそ把握していた、というわけだ」


 生前の依頼のおかげで自身を殺した犯人の容疑者が絞られる、というのは皮肉と言うべきか、因果であるというべきか。


「その容疑者となりうる人物、っていうのは具体的には?」


「悪評を撒いていたレフレクス=スィーオン氏、以前関係を持っていたフィンスター=ハイト氏、恋人のシャーリーン氏、そして金銭の貸し借りがあるトヒガル=ニウス氏の四名。他にもいるかもしれないが、私の調査ではその四人以外はこのグランブルトでは彼に深いかかわりを持つ人間はいなかった、と思う」


 京二郎は自信なさげに言うが、彼の調査能力はこの世界でも有数のものだ。彼以上に捜査の手を広げる、というのは警察でも難しいところだろう。


「それにしても、ケガの痕を見るにしても、今日急いで向かう必要はないだろうに」


「言うじゃないか、『疾きは万事を成す』とね」


 もともとは今日ボクが教えてやった言葉だが、得意げに言う京二郎を見ていると、野暮な反論はしなくてもいいか、と思ってしまった。


「一度言い出すと聞かないよな、キミは」


「……自分ではそうは思わないんだけどね」


 彼は拗ねたように言う。そう言い張るあたり、やはり意固地であるな、と再確認した。


「ああ、あれが目的地だ」


 京二郎が指し示す先には、建てられてから長い年月を経て、老朽化が目立つ小さな一軒家が見えた。他と比べて、古ぼけた看板が吊り下げられている、というくらいが大きな違いだろうか。


 看板には、『雑貨屋』とだけ簡素に記されていた。


「ここは?」


「容疑者の一人、レフレクス氏の商店さ。――お邪魔します」


 京二郎は看板と同様に古びた引き戸を開けた。


 扉の向こうには、やや大きめのレンズの眼鏡をした、全身を毛皮に包んだ男が、店番として座っていた。亜人の一角、『獣人(ティーシーヴ)』だろうか。亜人は貴族としてはあまり姿を見ないが、商人や冒険者など、平民としての生活を謳歌している者は少なくない。


「おや、こんな老舗にいらっしゃい。何の御用で?」


 店番らしき獣人の男の低い声は、温和な雰囲気であった。歓迎しているのかどうかはともかく、邪険にして追い払おうという気配は感じなかった。


「私、探偵の京二郎と申します。そして、こちらが相棒のクルビエです」


 探偵の紹介に合わせて軽く会釈。


「実は、こちらの主人であるレフレクス=スィーオンさんにお話を伺いたいと思い、こちらに足を運んだ次第でして。あなたがレフレクスさんで間違いありませんか?」


「ああ、私がレフレクスで間違いない。話、というのも商談でなければ聞いても構わない」


 普通、商談であれば聞いてやる、というのが商人の語り口ではないだろうか。辺りを見回すとほとんどの商品は雑多に置かれており、中には埃をかぶったものまである。この店はあまり繁盛しているようにも見えないが、果たしてこの店主はどう生計を立てているのだろう。


「ええ、残念ながら、というべきかもしれませんが。商談ではありません」


「ならいい。そこに椅子が二つあるだろう。話が長くなるなら座るといい」


 レフレクスは値札が張り付けられた椅子を指示した。


「商品のようですが、座っても構わないので?」


「ああ。どうせ中古だ」


「では遠慮なく」


 いくら中古と言われても、商品に違いはない。京二郎は気にしていないようでどさり、と座っていたが、ボクの方は埃を軽く払ってから、心持ち普段よりも丁寧に座ることにした。


「それで、探偵というのがどんな職業かもわかりはしないが、私にどんなことを聞きたいんだ」


「マーエルグ氏が殺害された、という件をご存知でしょうか」


 京二郎の言葉に、レフレクスの目が見開かれた。その表情は温和な雰囲気から、獣の要素が強いモノへと変化していた。


「いつ、どこで」


「15時ごろ、彼の自宅で」


 京二郎の返答を聞いて、レフレクスは下を向いて一度大きく息をついた。


「嘘をついているようにもみえないが、そうだとしても信じがたいな」


 顔を上げたレフレクスの表情は、すでに最初に彼に会った時と変わらない温和なものに戻っていた。


「そのあたりの裏付けは警察にでも取っていただければ。私はその件について、できる限りの情報を集めていまして」


「……なるほど、犯人探しか。君はマーエルグの友人だったのか?」


「いいえ。ただ、私の仕事相手ではありました」


 京二郎の言葉をどう受け取ったのか、レフレクスはそうか、と軽くうなずいた。


「ま、私も似たようなものだ。それで、具体的には何を聞きたい」


「まずは今日の午後はどちらに?」


 ふむ、とレフレクスは考え込む様子を見せる。


「昼飯を食った後はずっとここで店番をしていた」


「では、15時ごろもここで?」


「ああ。いつもどおり誰も来なかったがな」


 端的に言えば、アリバイは存在しない、ということだろう。


 このさびれたを通り越した店によりつく客もそう多くはないだろうし、多分真実だと思う。


「次に、マーエルグ氏についてお聞きしても?」


「答えられることなら」


「大したことではありません。マーエルグ氏とはどのような付き合いがありましたか?」


「さあ、商人仲間として時折取引をしていたくらいだよ。以前はゴーレム用の生体部品の取り寄せ、なんてのもさせられてたかな」


 マーエルグは家事用のゴーレムを所持していたらしい、というのは聞いた話だった。その部品の調達ということだろうか。


「彼の趣味による個人的な取引、ということですか?」


「その側面もあったかもしれないが、それにしては多量の部品を要求された。やつの店先に並んでいるのも見たことがあるし、商売の一環として買ってたんだろうさ」


「卸売りのようなものですか」


「卸売りそのものさ。安く買って高く売る、というのが商売の基本でね。この店での売り上げなんかよりは、商人どもに売りつける方が何倍もの収入だったよ。やつはお得意様のひとりだった、と言ってもいい」


 レフレクスの語り口に歯切れの悪さのようなものはなく、いらぬ意地を張るような内容でもない。誇張はあるかもしれないが、このいかにも物が売れていなさそうな商店を見ていると、卸売りが本業、というのは事実に聞こえる。


 ちらり、と京二郎は手元の手帳に目線を向けた。


「では、マーエルグ氏に小汚い商売術だ、とののしられていた、というのはただの噂話でしたか」


 京二郎の言葉を聞いて、レフレクスは特に表情一つ変えることもなかった。


「大層昔の話だ。商談で手ひどい目にあって悪評を撒いていたこともあるし、お互いさま、というところだろう」


「……なるほど。では最後に、マーエルグ氏を殺すような動機を持つ方、というのはご存じありませんか」


「さあ、知らないな。別に故人を悪く言わない、なんて殊勝な意味じゃあない。単に奴はそこまで敵を作るやつではなかった」


「その理由は?」


「そのあたりの世渡りが商人としてうまかった、ということだ。……女周りまでは知らんが、な」


「……ありがとうございます。大変参考になりました」


 パチン、と手帳を閉じる音が響くと、京二郎は話は終わり、と言わんばかりに立ち上がった。


「それは何より。私もこの手の仕事にかかわらない無駄話は嫌いではなくてね」


 ぼくも京二郎に続いて椅子から降りた辺りで、レフレクスのぼやきともとれそうな言葉が聞こえてきた。


 さきほどより思ってはいたが、レフレクスはどうも、「仕事」というものを心底嫌っているような言いぶりだ。


「……あなたは、仕事が嫌いなのか」


 そんな言葉がボクの口から洩れてしまった、と気が付いたのはレフレクスの視線がこちらを向いた時だった。


 しかし、視線は向けども、レフレクスの表情に大きな変化はなかった。獣人であるから表情を読み取り難いのかもしれない、という点を差し引いても、彼から感情を読み取ることはむずかしそうだった。


「仕事が嫌い、なのではなく人生は道楽、と考えているだけだ。やらなくてはならない、ということが非常に面倒でね。ゆえに、生きるために必要な労働、というのを嫌っているようにはみえるかもしれない」


「なかなか個性的な理由だな」


「人間、少なからず共感するところもあると思うがね」


 どうだろうか。少なくとも、ボクは同意しかねるが。


「仕事を道楽でない、と思っている点以外は分かる気もしますよ、レフレクスさんのお気持ち」


 隣の探偵殿には共感できるところがあるらしい。しかし、京二郎はその言いぶりでは、人生皆道楽、とでも言うつもりだろうか。


「なんであれ、レフレクスさん、回答感謝する。それと、口をはさんで悪かったな京二郎」


「いやあ、かまわないとも。私の方もこれで――いや、最後に一つお礼でも」


 京二郎は立ち去る前に手持ちの小さなカバンから緑色の手のひらサイズの物体をレフレクスに向けて放り投げた。


 レフレクスはそれを左手で受け止める。


 一瞬まくれた袖からは、彼の毛皮についた一筋の傷の痕が見えた。


「…………」


 京二郎も傷が見えたのか、あるいは傷を見ることが狙いだったのか。少しだけ目を細めているように感じた。


 レフレクスはそれに気づかぬ様子で、手元の物体を怪訝な顔で見つめていた。


「……なにかな、これは」


「緑茶の茶葉ですよ。こちら、どうも和風の……いや、大陸の果ての食器が多いようですから、緑茶も御趣味に合うだろう、と思いましたが。お嫌いでしたか?」


 店内をよく見れば、確かにグランブルトではあまり見ない食器が多い。


「……好きな方ではあるがね。なぜそんなものを私によこしたのか、と聞きたいのだ」


「いやあ、ただのお礼ですよ」


 京二郎の言葉を聞いてもレフレクスは少々訝しげではあったが、突き返すようなこともしなかった。


「礼、というならありがたく受け取ろう」


「それはよかった。では、失礼します」


 レフレクスが拒否する様子を無いのを見て満足したのか、京二郎は一礼し、外へと歩き出した。それを見習って、ボクも軽く会釈してから彼の後を追った。






「それで、レフレクス氏は犯人に見えたかい?」


 レフレクス氏の店を出て数分後、歩きながらも考え込むようなしぐさの京二郎へと質問を投げかけた。


「彼の左手には疑わしい傷はあった。動機はともかく、アリバイと呼べるものも怪しい。だが、ちょっと犯人とは思い難い、かな」


 京二郎にしては歯切れが悪い、と思ったが、これでも彼なりに話せるところは話しているつもりなのかもしれない。


「今の情報じゃそれ以上は話せない、ってことか」


「あくまで、一つの証拠で犯人を決めつけるのはよくない、という話だ」


「まわりくどいというか、用心深いというか」


「そのくらいでなくては探偵は務まらないさ。それに、次が見えてきた」


 京二郎の視点の先には『フィンスター診療所』と書かれた看板が、明かりに照らされているのが見えた。


「フィンスター、というとマーエルグ氏の以前の恋人、だったか」


「二年ほど前に別れた仲、と聞いている。現在の付き合いはすでにほとんどなかったらしい。今回の事件もまだ知らないかもね」


「ふうん、そんな人間をわざわざ訪ねる必要が?」


「犯人でないにしても、情報を得られるかもしれないだろう?」


 しかし、診療所の外には営業中の札が掛けられている。


「仕事中に行く必要はないだろうに」


「少しでも相手の余裕がない時を狙うほうがいいのさ。少しでも嘘の少ない情報を得たいときはね」


 こんこんこん、と診療所の入り口が京二郎によってノックされる。


「どうぞ」


 中から聞こえてきた声は、凛としたものだった。


 京二郎がガチャリと扉を開くと、奥にはその声の主と思しき女性が座っていた。


 凛とした声の印象とたがわないそのすらりとした外見は、外を歩けば見る者の目を引くだろう。


「あら、こんばんは」


 女性がこちらの姿を認めると、椅子から立ち上がり、笑顔で挨拶をしてきた。


「お邪魔します。私、探偵の京二郎と申します。探偵、とお呼びください。こちらはクルビエ」


「どうも」


 京二郎の紹介に合わせて軽く会釈する。


「これはご丁寧に。私はフィンスター。ここに来たからには私が医者と言うのは知っていると思いますけど」


 フィンスターは京二郎の体を上から下まで見回した後に、困ったように首を傾げた。


「どうも怪我をした、なんて理由で尋ねに来たわけではなさそうですね」


「ええ。マーエルグ=ネンヒリト氏が亡くなられまして。そのご報告ですよ」


 京二郎の言葉に、フィンスターは引きつったような笑いを見せた。


「……まさか、冗談でしょう」


「残念ながら事実です。遺体の写真もありますがご覧になられますか?」


 京二郎が見せようとした写真を、フィンスターはひったくる様に取り上げた。


 まじまじとその写真を見つめる彼女の眼からは、その表情は読み取れなかった。


「……これは、偽物なんかじゃないでしょうね」


「そんなことはしませんよ」


 フィンスターは、はあ、と一息つくと、近くの椅子に落ちるように座り込んだ。一般の人間であれば、死体の写真と言うのはそう見る物でもないし、その態度もおかしなものではない。


「申し訳ありません、刺激の強いものを突然お見せして」


「いいえ、勝手に見たのは私の方ですから。謝らないでください」


 フィンスターは顔を上げないまま、京二郎に写真をさし返した。


「ごめんなさいね、つい動転しちゃって無礼な真似をしました。この写真はお返しします」


「いえ、お気になさらず。私も彼の死を聞いた時は大変驚きましたから」


 京二郎は写真を丁寧に受け取ると、そのまま懐にしまった。


「それで、あの人……マーエルグはいつ、どこで、亡くなったのですか?」


「15時ごろ、彼の自宅で、と聞いております」


「そう、ですか。本当に残念です」


 うつむき気味のフィンスターの表情からは、その真意は読み取れそうにないが、ショックを受けているのは間違いないだろうと思えた。


「……その、申し訳ありませんが。外の営業中の看板を裏返してくれますか? もう患者さんも来ないでしょうし、今日は少し休みたい気分ですので」


「ええ、そのぐらいかまいませんよ」


 京二郎が玄関へ向かうと、フィンスターは机の上のカレンダーの今日の日付にバツを書いた。その左手に傷のようなものは見られなかった。


「閉店中にしてきました」


 フィンスターは京二郎が戻ってきたのを見ると、患者用と思しき椅子を2つ、机の下から引き出した。


「ありがとうございます。お話があるようでしたら、こちらにお座りください」


「どうも。夜分に押しかけて申し訳ありません」


 フィンスターが促した椅子に京二郎とボクが座る。診療所なのだから当然だが、白衣を着た彼女を前に座るとこちらが診察を受けている気分になる。


「それで、私のところに来たのは、私がマーエルグ殺害の容疑者の一人だから、と言うことでしょうか」


 フィンスターの直球の切り出しは、彼女の性格がにじみ出ているようだった。


「鋭いようで助かります。できれば彼について詳しく聞きたい、というのもありますが」


「構いませんよ、私に答えられることであれば、ですが」


「では、まずは今日の午後、フィンスターさんはどちらへ?」


「ずっとこの診療所で患者さんの診療を行っていました。13時が一件、16時頃のが一件、ですかね」


「診療時間、というのはどれくらいかかりますか」


「今日来た患者さんはどちらも通いの方ですので、おしゃべりも併せて一時間くらいでした」


 つまり、彼女の確実に犯行が不可能な時間は13時から14時と16時から17時。犯行時刻の15時のアリバイの立証はできない。


「15時から前後三十分ほどの間に、明確な証人というのはおられませんか?」


「……一応、出前を取りましたから。14時半過ぎはここにいた、って言えるかもしれませんけど」


「伝票のようなものは余っていますか?」


「ええと……。ありました、こちらです」


 その伝票を見た京二郎の表情が少し驚きに変わる。


「喫茶イレストリア、ですか」


「ええ。そこがお気に入りでして」


 『イレストリア』と言うと、今日の昼食をとった喫茶だ。出前なんてやっていたのか、というところにまず驚いた。


 ただ、その証言をできるのは出前に来た人間のみ。それが見つかっても、犯行時刻ちょうどではない。彼女の明確なアリバイは存在しない、ということになる。


「疑うような聞き方をして申し訳ありません。これも形式、というやつでして」


「いいえ。彼の死の真相がわかり次第、伝えていただければ十分です」


「……分かりました。必ずお伝えしましょう。次に、マーエルグ氏についてお聞きしても?」


「どうぞ。といっても、彼は昔の男、というだけですよ。あなたもそれを知っているから私に聞きに来たのでしょう」


「ええ、まあ。よろしければ、彼と別れた理由をお聞きしても?」


「単に、仕事の都合です。私が開業してから、彼と過ごす時間が減って、そのままなし崩しに別れました」


「最近彼の動向で変わったところはありませんでしたか?」


 その言葉に、フィンスターの手が少し震えたような気がした。


「さあ、最近会ってませんし、わかりませんけど。元から変わってる人でしたから、少しくらい変なことをしてもわからないかもしれませんね」


「変わっている、ですか」


「以前は家事をするゴーレムの制作に凝っていましたよ。家事なら私がするからいらない、って言っても強情で」


「その言いぶりだと、フィンスターさんが知っているころの彼のゴーレム、というのは完成していなかったようですね」


「ええ。私が見た時はほとんど腕だけ。家事などほとんどできないというくらいでしたが」


「今はもう、実用段階で家事にも使われていましたよ」


「へぇ、そうですか」


 フィンスターの態度はそっけない。本当にゴーレムに関しては興味がないのだろう。


「今も研究を続けているらしいですが、それについて何か聞いたことは?」


「いいえ、まったく。……それが何か?」


「少し気になりまして。あと、彼を殺害する動機を持ちうる人はご存じありませんか?」


「……大成した商人の一人ですから、彼に蹴落とされた人間は恨みを持っているかもしれませんけど。殺す、とまでなるとちょっと」


 ふんふん、と京二郎はフィンスターの言葉にうなずいていた。


「……探偵さん、これで十分でしょうか」


「最後に、一つだけ。お好きな飲み物は?」


 急に、京二郎からとんちきな質問が飛んできた。


 フィンスターも困惑気味に見える。


「……紅茶、ですけど」


「なるほど。参考になりました」


 広げていた手帳をパタン、と閉じた。これで終わり、ということらしい。


 彼が立ち上がるのを見て、ボクも椅子から腰を上げる。


「十分な情報をお聞きできました。本当にありがとうございました。これにて失礼します」


 フィンスターは座ったまま、先ほどよりもやや穏やかな表情で言葉を紡いだ。


「いいえ。次来るときは患者として来てくださいね」


「……善処しましょう。では、お邪魔しました」






 フィンスター診療所を後にして、次の目的地までの道すがら、先ほどの質問の意味を問いただすことにした。


「なあ、好きな飲み物って捜査の上で聞く必要あったのか?」


「うん? 好奇心半分、重要事項半分といったところかな」


「へぇ。その重要事項は?」


「フィンスター氏に真相がわかったら教えてくれ、と言われたろう? その時に持っていく菓子の判断基準にでもしようと思ってね」


 悪びれもせず、しれっと京二郎はそんなことを言った。


「……じゃあ好きな菓子を聞けばいいだろう」


「それじゃあ彼女も答えにくいさ」


 そういうものかな、と一瞬思ったが、よく考えなくてもおかしい。


「なあ、結局捜査の上では必要ないんじゃないか」


「被害者の一人ではあるし、彼女のケア、という意味では重要だよ」


「……ケア?」


「ああ。マーエルグ氏の写真を見せた時の動揺からして、別れたはずのマーエルグ氏に未練はあったらしい。恋慕の残りか、知り合いとしての情か。その感情に名前を付ける意味はないが、まあそれなりに思うところはあったのだろう。であれば、そのケアは必要だと思ってね」


 確かに、真相を暴くだけではなく、その後の被害者のサポートというのは必要なことではあるだろう。


「細やかなのはいいことだけど」


 裏があるのかないのか。飄々としているせいか、京二郎の行動の意図を読み取りきれないことがある。


「……まあ、彼女は彼女で疑わしくないわけではないが。次に回るとしよう」


「次、というと誰だったかな」


「現恋人のシャーリーン氏だ。歴史学の教師をやっているとか」


「ほう、教師か」


 教師同士で話が弾む、ということもないだろうが、同職とあっては少し気になるところもある。


「この時間なら帰ってきてるだろうから、次の訪問にはちょうどいいと思ってね」


「それで、そのシャーリーン氏はどこに?」


「すぐそこだよ」



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