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第四話之二:鮮血の一閃2



 ティック刑事に案内された部屋は、先ほどの休憩室と同じか、やや広いくらい。印象としては、書斎と応接間の中間とでも言うべき部屋だった。


 向こうには書き物をするであろう机が、部屋の奥には大きな一枚窓が一つ。壁には統一感のない背表紙で埋め尽くされた本棚がいくつか。背の低い本棚の上には仕事用のものと思しき『伝話』が存在した。


 手前には応接用のソファとテーブルがあり、テーブルの上には布をかぶせられた大きな物体が覆いかぶせられていた。おそらく、その下にはマーエルグの遺体があるのだろう。


 そして、床には抵抗の跡と思われる何かの破片が転がっていた。


 京二郎は特に臆す様子もなくひょいひょいと遺体へ近づくと、薄手の手袋をはめ、その遺体にかけられた布を躊躇なくめくりあげた。


「……何度見ても、人間の死体と言うものは慣れないな」


 遠目に見ているだけであるが、それでも人間の遺体からは目をそむけたくなる何かがある。


 ボクの言葉が意外なのか、京二郎は興味を示したようにこちらに目線を向けた。


「冒険者、と言うのは危険を伴う職業と聞いた。人死にも珍しくない、と思っていたけど」


 ボクのつぶやきに応じつつも、京二郎は遺体に触れると、以前見た時と変わらぬ手さばきで遺体の検分を開始した。


「ボクのような素材目当ての冒険者にとって、危険性など最初から排除しておくものに過ぎない。白骨化しているような古い物でもなければ、死体、というのは久しく見ないよ」


「私のように見慣れると嫌でも慣れてしまうものだけどね。それでも、慣れないに越したことはない。……ん?」


 何かに気が付いたのか、京二郎が一度手を止めると、ティック刑事の方を向いた。


「どうされました?」


「腐敗防止のためか【保存】がかけられているようだけど、この遺体が見つかったのはいつごろだったかな?」


「死亡時刻は15時より少し前、と聞いております。通報が16時ごろ、【保存】をかけたのは我々が駆けつけ情報を整理した後の16時半ころです」


 遺体を目の前にしているからか、少しティック刑事の口調も固いところがあるように感じた。あるいは、これが彼の仕事に望むときの状態なのか。


「死亡推定時刻も【保存】される一、二時間くらい前、というところだし、大体あってるか。15時くらいに亡くなった、というのは遺体から推測したのかい?」


「それもありますが、あちらの時計を見てください」


 ティック刑事が指さした先を見ると、ソファの裏に、木製の時計が落ちており、その周りにガラス細工の破片のようなものが散らばっていた。


「おそらく、マーエルグ氏が最後に抵抗したときに発動した【射弾(トサールブ)】の魔術が破壊してしまった、と思しきものです」


「【射弾】?」


「魔力を弾丸状にして手のひらから発射する魔術です」


 ソファよりも上に視線を持ち上げると、小さな本棚の上部に各地のお土産のようなものが飾られていて、その奥の白い壁に弾痕と思しき焦げ跡があった。どちらも入り口からは陰になっていて気づかなかったが、土産と共に置かれていた時計が魔術で打ち抜かれ、そのまま床に落ちてきた、と考えるのが自然だろうか。


「あれが指している時間が15時だから、殺害時刻もそうだろう、というわけか」


「遺体の上にばらまかれている破片が時計の上にも散乱していることから、ローエルグ氏の抵抗によって落ちたもので間違いない、と思われます」


「ただし、落下時の衝撃で壊れた確証はない、と」


「そうでなくとも、犯人が小細工した可能性はないとは言い切れません」


「……気になるところではあるね。後でもう少し詳しく調べたいんだけど、この時計の写真、というのはあるかな」


「ええ、後でお渡ししますよ」


「ありがとう」


 京二郎は少しの間時計を見つめると、こちらを振り向いた。


「クルビエ、君はどう思う?」


 この場で彼がボクに助言を求める、とすれば一つしかない。


「魔術で破壊した、という点か」


「鮮やかな傷から見て、抵抗するころにはすでに首を斬られている、とみてもいい。死の間際だったのにも関わらず魔術でそんな抵抗ができるだろうか?」


 確かに、写真でも見た通りマーエルグ氏は後ろから首を切られ、背中を刺されていた。よほど面倒な偽装をするつもりがないなら、彼がその二つの傷を受けた後に、この抵抗がなされたことになるに違いない。


「可能、不可能、という話であれば可能だろう。ここはマーエルグ氏の結界内だし、喉がつぶれて『詠唱』ができずとも、『魔法陣』の中にあるようなものだ。簡単な魔術なら使えてもおかしくない。まあ、無理やり行使するのだから精度がひどいものになるか、発動までに時間がかかる、と思うけどね」


 魔術の行使において、『循環』というものが不可欠だ。『詠唱』及び『魔法陣』というのはそれを確保する手段に過ぎない。


 喉を潰しても、心臓を潰されても、結界の内部であるならば『魔法陣』を起動する、ということが魔術師であるなら不可能ではない。自分の意識を保てるわずかな時間で魔術を行使した、と言う可能性は低くない。


「おそらくは、最後の抵抗として発射した魔術が、集中力不足で明後日の方へ向けられたか、あるいは時間をかけすぎて犯人に避けられたか。どちらにしても、一発限りでいいなら可能かもしれない。試したことはないから確信をもって、とまでは言えないが」


「……なあ、ティック刑事、この世界じゃ心臓が止まっても弾丸を放てる、というのは常識なのかい」


 ティック刑事は緩やかに首を横に振った。この世界の一般的な感性、というのはティック刑事のものが近いだろう。ボクの言葉はあくまで魔術師としての意見に過ぎない。


「マーエルグ氏は結界を張れる程度の魔術師であったことは間違いない。死の間際に魔術を起動する力量はあってもおかしくないというのが、ボクの見解だ」


 はあ、と聞こえてきた京二郎のため息はいつものよりも大きく聞こえた。


「……つくづく、魔術師と言うのは人間離れしていると思わされるね。そして、この破片は何だい? 時計の飾り、ということもなさそうだけど」


 京二郎は時計の周りに散らばっている結晶を一粒手に取った。


 色は無色で、光をよく反射しているのか、きらきらと光輝いている。


 不純物のない輝きを見て、一つのものが思い起こされた。


「それ、魔術結晶の破片じゃないか」


「抵抗のために放たれた魔術で一緒に破壊された、ということか」


「しかし、もったいないな。この大きさと純度からして――」


 元の大きさであれば、『国宝級』であるかもしれない。


 そう言おうとしたとき、ふいに、頭に一つの疑念がよぎり、口を止めてしまった。


「どうしたんだ、急に黙って」


 口を止めたボクを怪しんだのか、京二郎がこちらを気遣うようなそぶりをみせた。


「いや、今話さなければ、ということでもない。詳しくは後で話そう」


「そうか」


 京二郎はうなずくと、時計をもとの落ちた位置に戻して、遺体の方に戻っていった。


 彼が遺体を調べている間に、ボクの方も疑問を少し解決したい。


「少し聞いてもいいかな、ティック刑事」


「もちろん。構いませんよ」


 ほぼ部外者でもあるにもかかわらず、ティック刑事はボクの質問にも真面目に答えようとしてくれている。刑事である、という側面を除いても、彼が意図的な嘘をつくことはないだろうな、とぼんやり思った。


「あの散らばった結晶、あそこに落ちている分で全部なのか」


「ええ、犯人が持ち去った、と言うことでもなければおそらくは」


「それはないだろう。結晶として巨大であるから価値があるのであって、あんなにも砕けた魔術結晶は意味がない」


 大きく純度の高い魔術結晶であればそれだけ大きな魔力を保有し、大きな魔術を使う補佐になりうる。しかし、砕けてバラバラになっているモノでは魔力の循環が崩壊し、ほとんどが大気に取り込まれてしまっているだろう。


 逆に言えば、あれだけの破片が散らばるような結晶であれば、膨大な魔力を保有していたに違いない、ということでもある。


「それと、あれほどの魔術結晶なら、何らかの形で輸入された、あるいは貴族から譲り受けたと言うのであれば警察はその動きをつかんでいるはずだ。そんな情報はあったかな」


 大きく純粋な魔力結晶は、それだけ強大な力を有する。下手をすれば国家転覆、なんて荒事にも使われかねない代物である。ゆえに、このグランブルトに存在する魔術結晶の全ては、王家によって管轄されている。外からの輸入の有無、所有者の変動などというのも把握されているはずだ。


「……さあ、話題になるようなことはなかったかと思います。念のため、本部でも調べてみましょうか?」


 話題にならない、ということは動きがなかった、ということでもある。そして、記憶が正しければセントラルに存在する国宝級の魔術結晶は確か一つ。それをマーエルグが持っていた、ということなのだろう。現状、それ以上の情報は求めていない。それに、万が一を考えるなら不用意に情報を集めさせて、ティック刑事に危害が出ても困る。


「いや、大した話じゃない。忘れてくれて構わない」


 疑念を抱く、程度のものが、少しずつ形になってきたような感覚がする。心の中のとげが、少しずつ膨らんでくる。


「了解しました。また気になることがあればお聞きください」


 ボクにとっては事件の解決は本分ではない。故に、ティック刑事にこれ以上事件の話を聞くことはないだろうが、わざわざ彼の心遣いを無碍にするつもりもない。


「ならもう一つ。たった今気になったことを聞こうかな」


「どうぞ」


「我らが探偵殿が何やってるのか、と言うのはわかるかな」


 遺体の近くで傷に何か細長いものを当てながら、じっと座り込んでいる京二郎を見て、真っ先に浮かんだ疑問を投げかけてみた。


「……さあ、定規を持っていますから、傷の深さでも計っているのでしょうか」


 断定はできない、と言ったティック刑事の口調に、直接聞いてみねばわかるまい、と感じた。


「京二郎、何してるんだ」


 ボクの声に反応して、京二郎の顔がこちらを向いた。


「何、って傷を見ていたんだ」


 京二郎は定規の表面をふき取ると、折りたたんで懐へとしまい込んだ。


「それは見ればわかるが。そこまで熱心に見る必要があるのか?」


「例えば、傷がほんのわずかに右肩上がりに傾いていた、とか、遺体の下に結晶の破片は転がり込んでいない、とか。こういったものは近くで見なければわからない」


 言われてみても、遠目からでは傷口が傾いているようには見えないし、遺体の下など覗きようも無い。確かに、その情報は丹念な捜査でしか得られない情報かもしれないが。


「……それが何か問題になるのかい?」


「裏づけ程度にはなる、という程度さ。それともう一つ、遺体が妙にきれいなもので調べたくなってね」


「きれい? 血まみれのこの遺体が?」


 遺体を見ても、その血まみれの死体がきれい、とは言い難いと思う。


「首の傷跡の方さ。迷いも無駄もない。最低限の力で確実に致命となる傷を残している」


 京二郎はそう言うと、遺体に布をかけなおした。わざわざボクが見る必要はない、ということか。


「つまり、犯人は暗殺の知識を持っているだけでなく、鮮やかに一閃するだけの技術も持ち合わせているだろう、と」


「あくまで、斬る技術と殺す知識が必要だ、と認識できただけだけどね」


 遺体に関しては十分調べた、と思ったのか、京二郎は立ち上がると、部屋の奥に備え付けてある窓へと歩き出した。


「鍵はかかっていない、と」


 ぎぃ、と窓枠の軋む音を立てつつ、窓が開かれた。


 その窓の向こうに広がっている風景は休憩室のものと同様、壁ばかりで高所から見渡す風景としてはあまりにもの足りない。


「三階だっていうのに、ずいぶんと景色が悪いものだ」


「利便性を追求した結果、と言えるかな。……しかし、これだけ視界が悪いと窓からの出入りでも誰にも見られない、ということは可能かもしれないね」


「……ここ、三階だぞ」


「魔術師であるなら不可能でもないだろう?」


 京二郎に言われて、窓から地面を見下ろしてみる。平べったい壁が広がっていて、手と足で駆け上がる、というのは難しいのではないだろうか。


「……まあ、魔術で足場を作るなり、脚力を高めるなりの工夫をすればできなくはないだろうが、しっかりとした魔法陣か、詠唱か、そのどちらかは欲しいところだね」


「降りるほうはどうだい?」


「まあ、ロープでもぶら下げるか、飛び降りてから治療の魔術でも使うか。いくらか難易度は下がると思うが。……しかし、何がそんなに気になるんだ」


「犯人が窓から侵入および脱出したとしたら、と思ってね。本棚の奥に身を隠せば、事前に忍び込んでおく、ということも不可能ではないし」


 部屋の奥の本棚を見れば、確かに身を隠す隙間はある。よほど大柄な人間でなければ、身を隠すことは可能かもしれない。しかし、犯行に至るのは不可能だ。


「侵入、に関しては不可能だ、と断言してもいい」


「どうして? 鍵ならいくらでも壊しようがある。特に魔術もかけられていないようだし、破壊してから【再生】する、なんて荒業も可能だろう」


 そこまでの強硬手段に出る人間がいるのか、と思わなくもないが、根拠のある理由も存在する。


「結界が張ってあった、といったろ? あれは侵入者感知の結界でね。三階部分に無断で侵入した人間がいるのならマーエルグ氏は必ず気づく」


「その感知、というのは侵入した人間が誰か、というのもわかるのかな」


「あまり、強力なものではないし、設置しているだけだろうから、誰かが侵入していた、と言うのがわかる程度だろう」


「それは侵入者が来たらいつでもどこでもすぐに気が付く、とかそういうたぐいのものかい?」


「いや、家に戻ってきた時に、結界の乱れを見て誰かが侵入していたのだな、と気が付く代物だ。とはいえ、侵入者がいたとわかれば家中を調べるだろう。ローエルグ氏が帰る前に忍び込んでいたとしても、無防備に殺されることはない。しかし、今回の死に方はあまりにもあっけなく殺されている。となれば、犯人はマーエルグ氏の同伴でこの家に入ったとみるべきだ」


 なるほど、とうなずく京二郎。


「まあ、そうだとしても、だ。脱出には使えるだろう?」


「普通に玄関から出入りする、というのとはそこまで違いが出るのか」


「犯行時間の短縮が可能かもしれない。どこから来るかにもよるだろうけど、こちらから脱出できればいくらか回り道が減る。私であれば数分の短縮ができそうだ」


 窓から見下ろせる風景には先ほどまで歩いてきた道と変わりないようにも見えるのだが、歩きなれた京二郎が言うなら間違いないだろう。


「たかが数分のために飛び降りを実行する人間がいるとは思えないけどね」


「少なくとも思いついた人間はここにいる。可能性を頭に入れておく、というのは重要だよ」


 屁理屈を、とも思ったが、事実としてはその通りである。可能性、というのであれば否定する必要もない。


 京二郎は窓を閉めなおした。


「……む?」


 京二郎が顔をしかめると、指先を見つめていた。よく見ると、彼の手袋の先が切れていて、赤くにじんでいた。


「京二郎、その傷、どこで付けたんだ」


「どこ、というとさきほど遺体を調べているときに魔術結晶の破片で、だろうか。違和感のないように薄い手袋を使っていたのだけど、それがあだになるとはね」


「どれ、見せてみろ」


「意識しないと痛みも感じないほどだ、気にしなくていい」


「治すに越したことはないだろう」


「……なら、お願いしようか」


 差し出された彼の手を取る。見たところからしてもただの切り傷に過ぎない。最低限の詠唱で十分だろう。


「【治癒(ラエフ)】」


 簡単な魔術で彼の傷を癒す。自然治癒力を高める程度の魔術ではあるが、小さな傷を癒す程度なら問題ない。


「さすが、いい腕だね。痛みも引いたよ」


「治った傷も見ないで適当言うなよ。その手袋を脱いで見せてくれ」


 手袋の下から出てきた指は、血がにじんではいるものの、傷はふさがっているように見える。


「痕は少し残るけど、それも日が経てば癒えるだろうさ」


 治療魔術を使った後のお決まりのセリフを言ってみたのだが、京二郎からは何も返答がない。


 傷をじっと見つめているのみだ。


「なんだ、そんなに傷が残るのが嫌だったのか?」


 たしかにきれいな指をしているな、とは思うが。大した傷でもないし、すぐに痕も治るものだ。


「いや、そうじゃなくてね。クルビエ、君ほどの魔術師でも、この手のケガ、と言うのは傷跡まで治すには至らないのかい」


「できなくはないけど、皮膚の傷痕まで修復すると、単に傷をふさぐ何十倍もの負荷がかかる。自然治癒するものであるし、傷さえふさげば皮膚の役割は取り戻す。無理にするべきではない、というのが通説だ」


 京二郎の視線は指の傷から、床に散らばる破片へと移行した。


「もう一つ。この破片の飛び散りようから言って、おそらくは犯人の顔にその破片が飛び散っているだろう。その破片から顔を守るとき、たとえ魔術師であっても、手で身を守ることはあるかな?」


「とっさの時は、魔術を使わず体を使うことは珍しくない。普通に手で顔を守るだろう」


 何かを投げ渡されれば手で受け取るし、転びそうになれば手をつきそうになる。魔術に慣れ親しんでいたとしても、体の動きで間に合うのなら、魔術を使わずにとっさの行動をしてしまう、というのは普通のことだ。


「……となると、だ。犯人も同様に指先を怪我していた、としたら。その痕は今も残っているかもしれない」


 確かに、京二郎の推測が正しければ、犯人の手に傷は今も残っているかもしれない。


「それはそうかもしれないが。どうやって確かめるつもりだ」


「そりゃあ方法は一つだろう。実際に行って確かめるんだ」


 そう発言する京二郎の行動力は見習いたいところだが、今日はもう日が暮れている。


「そんなこと言っても、場所も容疑者となるべき人物もわからないし、今日は遅い。早くても明日か」


 京二郎は懐から懐中時計を取り出すと時間を確認した。今が何時であれ、今日向かうのは難しいだろう。


「19時か。なら今から行こう」


 かちり、と彼が懐中時計を閉じて懐にしまう。その動作を終えるまで、ボクが彼の言葉を理解するまでにかかった時間だった。


「……なにを言ってるんだ、キミ」


「場所もわかっているし、時間も間に合う、と言う話だ」


「いや、その容疑者がわからないだろう」


「道すがら話すさ。ティック刑事、少々急用ができたんだがね――」


 ボクが制止する間もなく、京二郎はすでにティック刑事とこの場を後にする話を始めていた。






 京二郎はティック刑事に最低限の別れを告げ、マーエルグ氏の家を後にした。


「本当に、決断するとすぐだな」


「当日中にしかわからない証拠、というのも多々ある。ケガのことがなくても行くつもりだったし、早いに越したことはないんだ」


「……そうは言うけど、ね」


 イローダルの暗がりの中にいると、先ほどの疑念がより脳内にこびりつく。


 あの強大な魔術結晶と、魔術結晶が流通した記憶がない、というティック刑事の証言。その二つを組み合わせるのなら、一つの疑問に回答が出てしまう。


「正直、今からの調査というのは私の趣味に近い。君にまで強いるつもりはない」


 ボクが思考に沈んでいたのをどう思ってきたのか、京二郎はそんな言葉を投げかけてきた。


 その言葉はボクを気遣っている、と言うつもりかもしれない。


 しかし、今のボクはありもしないものにおびえているのではない。一つの事実による危険が迫っている、と理解しているだけだ。


「……京二郎、一つ忠告がある」


「なんだ、言ってみてくれ」


「……今回の犯人、おそらくは『時間遡行』をした張本人だと思う」


「それは、あの砕けた結晶をみての判断かい」


 京二郎も推測はしていたらしい。


「あの大きさで、あの純度。元の形状なら、間違いなく『時間遡行』を行える。そして、今日時間遡行がグランブルトで行われたのは間違いない。それも、このセントラルで」


 京二郎は反論もなく、ただボクの言葉を聞いていた。


「そして、その結晶が犯行現場に残されていた、ということは。この犯行に『時間遡行』が関わっていた、ということじゃあないか」


「……まあね。犯行の証拠が少なすぎる、とは感じていた。靴から落ちた土も、指紋をとれそうな痕もないほどに慎重なのに、自身の情報が載っているかもしれない手帳を漁った様子すらなかった。もしかしたら、それが証拠にはなりえない、という未来を知っているのかもしれないな」


「いや、『未来を繰り返している』と言った方がいい。試行と錯誤を繰り返して、最適な行動をしているんだ」


「別に、少し未来がわかっているくらいだろう。『未来を繰り返している』前提で行動すれば、多少のハンデに過ぎないよ」


 無茶を言っている、などとは思わない。彼にとって、その言葉はただの事実だろうから。


 しかし。


「それは、あくまで犯人を当てるまでの話だろう。キミが犯人を見つけてしまった後、間違いなくあの技術で命を狙われるんだぞ」


 首を一閃と、背中を一突き。その合間に振り返る余裕も、抵抗の時間も与えなかったのだ。ボクでも不意を打たれれば生存の目はない。魔術を扱えない京二郎ならそれ以前だ。


 イローダルを抜けて、月がよく見える夜空が見えてきた。けれど、袖をつかむ手を離す気にはなれなかった。この男は一人でも、どこにでも行ってしまうだろうから。


「……」


 京二郎はその夜空に浮かぶ二つの月を見上げると、その歩みを止めた。以前、彼は月が二つあることすら不思議でならない、なんて言っていたのを思い出す。


「未来を経験した暗殺者に、命を狙わる必要はない。手を引けば、そいつもキミを狙うことはないだろう」


「そうかもしれないな」


 ボクの言葉は、京二郎には言うまでもなくわかっていたことなのかもしれない。あるいは、自分の命など勘定に入っていないのかもしれない。


 それでも、言わずにはいられない。


「だったら――」


「しかし、そいつは一度、人を殺す、という一線を越えている。それを罪と感じていないのなら、いずれ別の殺人を犯すかもしれないだろう?」


「……」


 こちらを振り向いた京二郎の双眼には、決意が満ちていた。


「それを見過ごすことは、私にとって唾棄すべき事案でね」


「例え命を狙われてもか」


「ああ」


 何を言っても引かないだろうし、何をしても止まらないだろう。


 ボクでなくとも、この表情を見ればそう考えるに違いない。


「……本当、強情だこと」


「君は帰ってもいい。私は私でうまくやるさ」


 その言葉と共に、袖をつかんだ手をもう一方の手でやんわりと離されそうになる。


 きっと、そのまま放っておけば京二郎は犯人を見つけ出し、そして対峙することになる。


 以前の事件でも、犯人を見つけ出すために、自らの命が犠牲になることは気にもしていなかった。そんな無茶を平気でやっているような男が、『未来を知り尽くしている』相手にどんな手段を取ろうとするのか、なんて想像もつかない。毒杯を呷るような真似も、平気でするだろう。


 けれど、それを見過ごして、いいわけもない。


 離されそうな手を、反対に強く握りしめる。


「……以前、命を救われた借り、というのがある。今回はボクが協力してやってもいい」


 ボクがそう言うと、京二郎はボクがつかんでいる手を引き離そうとするのをやめた。それはよかったのだが、彼はなぜだか、笑っていた。


「何がおかしいんだ」


「いやあ、何も。実は犯人を追い詰めても私一人では捕まえられない、と心配してたんだ。できることなら、力を貸してほしい」


 京二郎は冗談めかすように、そんなことを言い出した。真偽のほどは分からないが、そういわれては、手を貸してやりたくなる、というものだろう。


「……まったく。いらない気兼ねなんてしなくていいんだよ」


 その笑顔を見ていると、どこかへ消えてしまう、なんて気もしなくなった。掴んでいた袖を放してやった。


 それを見て京二郎はにやりと笑うと、ゆっくりと歩き出した。その遅い足取りはボクが一緒に歩くのを期待しているのだろう、と勝手に解釈させてもらおうと思う。




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