第三話:隣り合わせ
「そろそろ時間かな。名残惜しいが、今日はこれまでにしておこう」
いくつもの店を回って、日が傾いてきた辺りで、京二郎はこちらを振り向いて、そう告げてきた。
時計を目にしてみれば、17時も半分を過ぎようかというところだった。楽しい時間、と言うのは過ぎるのも早い。
「もうこんな時間とはね」
「私はこれから依頼人のところに行くが、君はどうする」
今から帰っても、今日はロビン君も帰りが遅いだろうから探偵事務所に行く意味もないし、教師としても、魔術師としても今日やらなければならない仕事もない。
暇を持て余すよりは、京二郎の普段の探偵ぶりをそばで見る、というのも悪くないかもしれない。
「邪魔でなければ、その依頼人のところについていきたいが、どうかな」
ふむ、と京二郎はあごに手を当てて考えるそぶりをした。
「ただの結果報告だから、面白い話にはならないと思うけど、それでもよければ」
「構わないよ」
淡々と話が進むのであれば時間が余るのだし、夜の食事にでも行けばいい。話が難航するようであれば、込み入った話になるだろうから、それなりに楽しむ部分もあるだろう。
「了解した。ついてきてくれ」
依頼人はイローダル、と呼ばれる通りに住んでいる、と京二郎が語った。
大通りの裏に位置する、店と呼べるものはほとんどない通りのことだ。多くの住宅が密集していて、窓から見える景色はずっと暗闇に見えるほどらしい。
さすがに人間の住むところであるから、道もあれば明かりもあるだろう。ダンジョンと比較するのは噂が高じてのことであろう。
などと、思っていたのだけど。
手を差し伸べた先は闇、とでも言うべき位の暗闇が広がっていた。
「…………この先に、依頼人がいるのか」
通りの奥からは、何者かの叫びの様な音がする。きっと、風の通り抜ける音に違いないのだが、目の前の闇と相まって不気味極まりない。
「その通り、この先が依頼人の住まうイローダルだ。この暗闇だからね、もしかしたら何か出るかもしれない。気を付けてほしい」
そんなものが出るわけはない、とはわかっている。京二郎の冗談なのだろう、と言うのもわかっている。にやにや笑っているのもわかっている。街中なのだ、という前提も踏まえている。普段冒険者稼業で向かうダンジョンよりも安全な場所に違いない。
しかし、この現代において、ダンジョンと言うのは、事前に構造を【探索】の魔法で調べ切ったうえで向かうものでしかなく、未知の領域、というのは入る前に調べつくしてある。故に、どれだけ危険であろうと、脅威なんてものは分かりきったうえで侵入する。
であるならば、ボクが普段はいるダンジョンよりも、目の前の闇は情報が少ない。脅威度としては上ではないだろうか。
立ち尽くしていると、京二郎が心配そうな顔でこちらを見つめてきた。
「怖いなら来なくてもいいけど」
「京二郎が心配しているところ申し訳ないが万が一何かが出ようとも魔術を用いればどんなものが現れても撃退など容易なのだし戦闘能力だってボクの方が上だしキミを再度発見することも簡単だしこの町に住んでいる歴は彼よりもボクの方がずっと長いから一切迷う余地などもありはしないし全く問題ない」
ボクの反論を聞いた京二郎はたじろいだように一歩引いた。
「……途中から支離滅裂になってないか?」
「全くなってない」
まあ、しかしだ。万が一、ということもある。
「……どうしたんだ、クルビエ。私の腕をつかんだりして」
「……怖いわけじゃあない。あれだ、道が暗いだろう、『迷わないための』最善の策をとったのさ」
こうすれば少なくとも離れ離れになることもない。単に合理的な方法である、と言う名目もたつ。
「……まあ、君がいいならいいけどさ」
そのあいまいな返答を肯定と受け取ることにした。
狭く、暗く、入り組んでいるの三拍子が揃っている。今歩いているイローダル、と呼ばれる通りはその評価がふさわしい、と思わせる不便極まりない通りだった。
狭さは人がどうにかすれ違えるほど。少なくとも、ボクと京二郎が横に並んで歩くのは少々難しい。玄関先に置かれた道具や、強引に増築されたであろう屋根なんかがただでさえ狭い道をさらに狭くしている。
「なんでこんな狭いんだ」
「少しでも居住スペースを広げよう、という苦肉の策だろうね」
空を見上げれば、うずたかく積み上げられた住居のようなものが右と左にならんでおり、それらを支えるように、あるいは繋ぐように、いくつもの橋が積み重なるように架けられている。傾いてきた太陽の日差しなんてものはわずかにしか差し込まず、ところどころ掲げられたランタンの方が足場を照らす光は強いくらい。それでも、注意しながらでないと危険なくらいだが。
「なんでこんな無茶な建築をしてるんだ、ここは。アパートメントってこんなものなのか」
近年の人口増に合わせて、集合住宅、というものが多く作られるようになってきた。アパートメント、と言う言葉も普及する程度には、それも広まってきた。
「やはり、スペースがないからだろうね」
しかし、このイローダルは、小さな一軒家にさらに一軒家を乗せ、その上にさらに……、というのを繰り返して巨大な建築物を作り上げていた。こんな積み木の様な建造物はそうは見ない。
「……こんな適当に家の上に家を乗せた、みたいな建築で大丈夫なのか? いつか壊れるんじゃないのか。というか今落ちてこないか」
「そう怖がらなくてもいい」
「怖がってない」
つかんでいる腕をひねって抗議の意を示そうか、とも思ったが余計に怖がっているように思われるのも癪なのでやめた。
「『階層式』と呼ばれる建築方法らしく、掛け合わせた橋のおかげか見た目の割には丈夫な建築方法らしい。建てられて数年たつが、特に壊れたりなんだり、というのは聞いたこともないらしい」
見た目の割には、という言い方はすごく気になるが、つみあがった住居が風にあおられたりしているようには見えないし、すぐに倒れそうにも見えない。
「まあ、先人の知恵というやつを信用するとしよう」
「……ここ数年で発達した建築方法らしいよ」
「……進化した時代の技術、とやらに期待するとしよう」
「どっちでもいいが、少しでいいから袖を握る力を緩めてもらってもいいかな」
道の煩雑さは、明らかに不法に作られているであろう建造物がいくつかあり、それらがこの通りの複雑さを増している。そのうえ、似たような素材の壁、床、なんてものを見続けていると、まるで同じような道を繰り返し歩いているような錯覚さえ覚える。
「しかし、京二郎、地図もなしにキミはよく迷わないな」
一度はぐれるとこの中で再会する、というのは難しいだろう。はぐれないために袖をつかむ、というのは方便のつもりだったが、ここに至ると真実でしかない。
「私はよくこの辺りで情報を集めるからね。それなりに道にも通じているのさ」
「それなり、どころでもないだろう。入り浸っていると見たけどね」
京二郎がすいすい進むから迷わないようなもので、初めて来た人間はどうあがいても迷うに違いない。
「ここに住むのは商売人ばかりでね。彼らの情報の網はずいぶん広いから、それなりに重宝するんだ」
一つ通りを戻れば人々の喧騒が聞こえてくるというのに、それこそ街の裏側にでもいるようだ。
「こんな景色も減ったくれもない、その上不便極まりないところに住んで、なのに商売は大通りまで行く、っていうのは不思議だね。向こうに住むか、ここで商売するか、というほうが楽そうだけど」
「大通りに住む、っていうのは難しい連中も多い。そもそも地価が桁違いだから新しく買う、というのはまとまった金が必要だ。先代から受け継いだ自分だけの店を持ってる人間というなら話は別だけど、そういう人間は少ないし、絨毯と簡単な布の屋根を張って露店を作る、という人間が多数だろうね」
「……言われてみればそんな店が多かったかもしれないな」
巨大な通りには多くの露店が存在した。場所が不定な露店も多かったが、それはここイローダルを根城にした商人が、いろいろなところを転々としていたせいだったのかもしれない。
「それに、このあたりは視界が悪く、露店の様な店は立ち行かない。ここを寝床にする商人以外の客もそうは来ないだろうし。彼ら向けの食事処、酒場くらいがいいところだろうね」
時折、小さな酒場による、と思われる看板が目に入ることもある。
「そもそも、こんな迷宮みたいなところに好んでくる人間はそうはいないか」
「大通りまで行けば立ち並ぶ店の数々がある。生活の拠点である住居を立てるには高水準な土地だから、寝床だとか、倉庫代わりにしたがる商人も多いというわけさ」
「それで所狭しと詰め込むように家を建ててるわけだ。こんな密集した土地にこんな小さな家を建てる気分もわからないが」
この通りに面した家はほとんどがボクの家にある一室の研究室の半分くらい。住居全体で比較すれば二十分の一にも満たないだろう。庭も含めれば平面に百や二百は収納できるかもしれない。
そんなボクの感想に、京二郎はハハハ、と軽快な笑い声で返してきた。
「お貴族様らしい意見だ」
「なんだ、キミもあんな事務所を構えてるくらいだ。広い家の方がいいんじゃないのか?」
京二郎の持つ事務所は、やや街の中心からは遠いものの、一人で住むには広すぎる、と言うような住居だ。ボクとロビン少年がそれぞれ一部屋ずつ使っても、まだ部屋はいくつか余っているほどだ。彼も狭苦しい家に住みたがる、というタイプではないと思っていたが。
「まあ、狭いよりは広い方がいいけどね。家の広さ云々よりは眺めの良いところがいい、と考えていた」
「具体的には?」
「イースタンの平原、あるいはアトラントの海が見渡せるところかな」
「へぇ、悪くない趣味だね」
どちらもグランブルトの観光名所である。自然が作り出す巨大な風景が見る者を圧倒する、なんて宣伝文句もあった。
しかし、京二郎が現在の住まいを建てているのは雄大な自然が見渡せる絶景ではなく、交通、物流、ともに優れたセントラルだ。
「それでイースタンにもアトラントにも住まず、市街の中心であるセントラルに立派な拠点を構えている理由はあるのかい?」
「まともに仕事をするつもりがあるのか、とロビン君がうるさくてね。初めは間借りのつもりだったが、いつの間にか事務所になっていたよ」
京二郎の当時を思い出すような語り口から、その情景は十分に想像できた。肝心なところ以外は大雑把な京二郎に、日ごろからなんだかんだと口出しをしているのは見ているし、その延長線上に住居のこともあったのかもしれない。
「それは彼の方が正しいな。田舎に事務所なんて構えられても探す方が大変だ」
セントラルの中心部に住むにしても、ロビン少年は貴族のおぼっちゃまであるし、こんな坑道の様な暗がりの一室に住むなんて耐えられないのではないか。もしかしたら、事務所の場所を巡ってロビン少年の奮闘があったのかもしれない。
ボクが彼らとともに住まうようになったのは、彼らが探偵事務所を開設してからしばらくのことではあったが、狭苦しい都会の牢獄であったのなら、考えを改めたかもしれない。その点はロビン少年に感謝したいところだ。
ただ、京二郎がイースタンかアトラントの田舎にでも家を建てていたのなら。眺めのいい景色で日が昇ってから沈むまでのんびりする、という毎日もあったのかもしれない。
そんな益体もないことを考えていると、足元で木をけ飛ばすような音がした。
「――!」
自分が何かに躓いたのだ、と思う頃にはもう遅い。
次の瞬間には、体が倒れこみ、地面が迫っていた。
魔術の使用は間に合わない。空いている手を――。
「――危ないな」
――つこうとする前に、京二郎の袖をつかんでいた腕を引き込まれ、抱きかかえられた。
「…………」
「ケガはないか?」
心配する声をかけられて、我に返る。
あわてて京二郎から離れて、足元を確認する。どうやら、木製の床が経年劣化ではがれてささくれ立っていたらしく、それに足を引っかけてしまったらしい。痛みはないし、足を怪我した、と言うことはないだろう。
「……大丈夫だ。その、ありがとう」
もう少し気の利いたことでもいえればよかったのに、礼一つで口が開かなくなった。
そんなボクを見て、京二郎は微笑みをかえした。
「気にしなくていい。それより、この辺りはまだまだ暗いからね。くれぐれも気を付けてくれよ」
普段なら言われなくても、などと強気に言い返した気もする。ただ、今はそんな言い返す気にもなれず。
「……うん。気を付けよう」
それだけ言って、再度京二郎の袖をつかみなおした。
「それじゃあ、行こうか」
先導する京二郎にひかれながら、ぼんやりとした暗がりをゆっくりと進んでいった。
少しだけ、先の見えない不安、というのは薄らいでいたような、そんな気もする。
歩みを進めるとともに、少しずつ整っている道になってきた。道幅も広く、道路に投げ出された用具、というのも見かけない。
「このあたりは商売がうまくいっている人間が多くてね。それなりに小ぎれいにまとまっているんだ」
「この狭いイローダルにも地域の特性が現れるものなんだな」
辺りの明かりも先ほどまでよりも強いものを使用しているのか、足元も幾分にも見やすい。
もう迷うこともないだろう、とそっと京二郎の袖を放すと、彼はこちらをちらりと見ただけで、そのことについては特に何も言わなかった。
「この先に、マーエルグ氏の住まいが……うん?」
曲がり角を過ぎたところで彼の足が止まった。
誰かにぶつかりそうにでもなったか、とでも思ったが、そうでもないらしい。彼の視線は遠く曲がり角の先の方を見ている。
「向こうに見えるのが依頼人の家のはずなんだけど、妙に騒がしいな」
「騒がしい?」
その騒がしい、という風景を見るために角の先に顔を出してみる。
視線の先には、周囲の建物と同様に、小さな家を積み重ねたような建物があった。そして、その玄関の前には何名かの険しい顔をした男たちが数名、周囲をはばかることなくたむろしている。
いかつさから見れば冒険者だとか、剣闘士だとか、そんな野蛮な連中であると紹介されても不思議はない。ただ、男たちの身に着けている制服と襟の紋様はグランブルト王国直属の人間である、と証明している。それに、腰につけた竜の紋様を施した剣と、同一の意匠で固めてある紺の服装を見れば、その正体もすぐにわかった。
「あれ、警察だろう。彼らがなんでキミの依頼人の屋敷の前にいるんだ」
京二郎は依頼人によって何かを調べさせられていた、というが。もしかして犯罪の片棒でも担がされたんじゃないか、という不安がよぎる。
「聞いてみればわかることだ。おい、そこの警察官君」
そんなボクの心配などよそに、京二郎はのそのそと警察官に近づいていった。彼にとって、無用な心配はつゆほどもするほどではないらしい。
彼の呼びかけに対して、警察官のうちの一人がこちらを振り向いた。
「む、申し訳ありませんが、一般の方は……」
言葉を言い切る前に、その警察官は一瞬、ピタリと体を止めた。
この日も差さない時間にボクの様なフードを被ったローブの人間を見て驚いたのか、とも思ったが、彼の目線はボクの隣の人間に向けられていた。
「……もしや、あなたは探偵さんでは?」
「そういうキミはティック刑事じゃないか、元気そうで何より」
「探偵さんこそ」
ティック刑事、と呼ばれた警察官は、京二郎のことを探偵である、と知っている程度の仲ではあるらしい。
「最近調子はどうだい」
「それがですね、ペットのレガリエルタちゃんが最近火を噴き初めてですね――」
二人とも顔を合わせて早々、会話が弾んでいるようで、ずいぶんと親しげに見える。
京二郎は時折、警察が事件を解決する手助けを行うことがあるらしい。彼が解決した事件の中に、刑事の助力を借りた、というのも見たことがあったらしいが、ティック刑事もその一人だったのだろう。
「――いや、オレの話はどうでもいいんですよ。それより、せっかく探偵さんがいるならぜひ協力してほしいことがあるんです」
「へぇ、私に。それはどんな案件だい?」
ちらり、とこちらの方にティック刑事の目線が向けられた。どうも、ボクのことを部外者だと思っているらしい。
「……失礼ですが、そちらの方は?」
「ああ、名前をクルビエ、と言ってね。気にしなくていい、私の相棒だよ」
ボクが京二郎の相棒、というのは初めて聞いた話だ。しかし、ここで問いただしても面倒が広がるだけ、というのは分かりきっている。とりあえずは何も口を挟まず、礼だけをしておいた。
「かの助手殿とはまた違う方ですか」
助手殿、というのはロビン少年のことだろうか。助手の名前まで売れているとは、よほど深く事件で関わることがあったのだろうか。
「魔術に関してはロビン君よりも数段上でね。今までも時折手を借りていたことはあったんだ」
「……まあ、探偵さんの協力者である、というなら構いません。お二人にまとめてお話ししましょう」
ティック刑事はコホン、と一つ咳払いをした。
「マーエルグ=ネンリヒト氏が殺害された事件に関して、ご助力を願えませんでしょうか」
ほう、と京二郎があげた声は、普段のものよりも少し高く聞こえた。よほど、興味を惹かれる内容だったらしい。
「詳しく話を聞こうじゃないか。私の依頼人がなぜ死んだのか、ね」




