第二話:風来坊2
五分ほどして居間に毛布を持ってきてみれば、青年は着替えを終えて暖炉で暖まっている。
青年に毛布を受け渡すと頭を下げてきた。
「何から何まで本当にありがとうございます」
「気にしないでください」
「いえ、本当に助かりました。ありがとうございました」
再度、青年は深々と頭を下げると、毛布の中にくるまった。火の近くにいても、まだ寒いらしい。
しかし、この暴風雨の中やってきた青年は何者なのだろうか。
「そういえば物騒な魔法の使い方、というとちょうど刑事の知り合いがそんなことを言っていましたが、もしやあなたも警察関係の方なんでしょうか」
「うーん、似たようなものといえるんでしょうか。……そういえば自己紹介をしていませんでした。私、職業は探偵をしておりまして、名前は京二郎と申します。探偵、とお呼びください」
青年は自己紹介をするなり、立ち上がって一礼した。
「私はポライソン家につかえる執事のセリスと申します。よろしくお願いします、探偵さん」
こちらも青年に習い、自己紹介をする。しかし、探偵、という言葉も京二郎、という名前もどうも聞きなれない。
「セリスさん、ですね。どうぞよろしくおねがいします」
青年はまた一度、くしゃみをした。彼はすぐに身を縮めると、暖炉の方へとのそりのそりと近づいていった。どうにも寒さがこらえられないらしい。
「探偵さん。なにか暖かいお飲み物でもお持ちしましょうか?」
「ああいや、そこまでは。そうだ、私の荷物、小さい方から銀色の水筒を取ってもらえませんか」
「構いませんよ。……ふむ、奥までずぶぬれですね」
中は乱雑でいくつもの旅行用と思われる道具が詰め込んであるが、何に使うものか検討がつかないものも多い。
「いや、ほんとひどい雨で。今度からカバンも防水仕様にしたほうがいいかもしれないなあ」
「ははは、『備えこそが万事への治療薬』といいますから。……ありました、こちらですね?」
銀色の細長い筒状の物体で、ふたに当たるであろう上部分が着脱式になっている。あまり見ない形だが、水筒らしきものはこれしかなかった。
「それです。……中身がこぼれていたりしていませんか?」
「大丈夫そうです。どうぞ」
「どうもどうも」
暖炉に近づいたときと同様に青年が近くまでのそりのそりと近づいてきて水筒を受け取る。そして片手でだけ毛布から出すと器用にふたを開ける。どうも、腕の一本すら外に出すのが億劫らしい。
ふたをテーブルの上に載せると、それを容器代わりに水筒の中身が注がれていく。見た目からして暖かいコーヒーのようだ。
「変わった水筒ですね。形状もそうですが、特にフタに取り分けて飲む、という水筒ははじめて見ました」
「ああ、自作なんですよ。故郷の水筒をまねて作ってみたんです。暖かい飲み物の持ち運びなんかには便利です」
「見ても構いませんか?」
「ええ。内部にもう一つふたがついてるんでひっくり返してみてもらっても大丈夫ですよ」
よく見ると、内部に小さな栓がしてあり、これが内フタらしい。
「ではお言葉に甘えて」
外面は銀色に塗られた滑らかなものでできており、底部には小さな赤い魔石が埋め込まれている。そして見た目が銀色ですぐには気がつかなかったが、このふたがつけられている部分の形状には覚えがある。
「なるほど、中身は竹筒ですか。となると、そちらのフタは一回り大きい竹でできていそうだ。そして【保存】の魔法を水筒自体にかけることで熱を保存する。これなら中身にいちいち【保存】をかける必要がなくなりますね」
【保存】の魔法は食材などの腐敗するものを不活性化させる。そして、【保存】は一つの食材、一つの物体にかけるほうが効果が高くなる。竹筒も一つの植物なので、【保存】の効果は高くなるだろう。
「その通り。実際は直接コーヒーを【保存】したほうが持ちはいいし魔石も不要ですし、容器も何でも良い。外部への熱も遮断したまま【保存】できるんで熱い液体を熱いまま運べるのは利点ですが、どうせそれも【加熱】の魔法が使えれば解決します。そういった魔法が使えない人間用のものです」
「ふむ。確かにそういった魔法は集団での行動であれば誰かしらは使えるものです。しかし、一人旅ですとか、あるいは魔力の温存などには有効に扱えそうです。誇っていい代物だと思いますよ」
青年はにやり、と笑った。
「ふふ、そういってもらえるとうれしいです。実はですね、さらに底の魔石をいじると、圧縮した空気の【保存】を解除して水鉄砲みたいに中身を発射できる仕組みがあるんですよ」
水鉄砲みたいに撒き散らされたコーヒーを想像する。大惨事極まりない。
「……ここでやらないでくださいよ?」
「やりませんよ、大丈夫です」
しかし、発射の仕組みはともかく、なぜそんなものを作っているのだろうか。探偵という聞きなれない職業が関係しているのだろうか。
「探偵、と言っておられましたがそれはどのようなお仕事で? 刑事と近い、と言っていましたが何が違うのでしょうか?」
「一口で説明するのも難しいんですが、それは海原を航海する冒険家のような、あるいは未知の食事を求める美食家のような……。おや、誰か来てませんか?」
耳を澄ますまでも無く、ラウンジのほうから靴音が聞こえてくる。この音は聞き間違えることも無い。
「セリス、あんまり遅いから迎えに来たわよ」
靴音が止まり、豪奢な扉が音をたてつつ開くと、靴音の正体であるお嬢様が現れた。
「……あら、そちらは?」
お嬢様の鋭い視線が、隣の青年へと向けられる。値踏みするような視線を受けても彼は特に動じる風も無かった。
「ご挨拶が遅れました。私、探偵の京二郎と申します。このたびは寒さと雨と風に打ち震えているところをあなたの執事であるセリスさんに助けていただきました。本当にありがとうございます」
青年はそこまで言うと、最後に一度大きく礼をした。その礼儀正しい振る舞いを見てか、お嬢様の表情も幾分か和らいだように見える。
「私はエスティア=ポライソン。どうぞそちらに座って」
「どうも」
お嬢様が椅子に腰掛けるのを見てから、青年はゆったりとした調子で椅子に座る。
「それで、ええと。探偵さん、で構わないかしら」
「ええ。あなたのことはエスティアお嬢様、とお呼びすれば?」
「お嬢様、なんていらないわ、外の人から言われてもくすぐったいし」
「ではエスティアさん、と」
お嬢様はそれでよい、と一度うなずいた。
「じゃあ探偵さん、まずは……その格好は何かしら」
お嬢様が示しているのは毛布にくるまった青年のことだろう。
「この天気の中歩いてきて体の芯まで冷え切ってしまいまして。ほら、さっきまで着ていた服もあの通り」
青年が顔を向けた先には上から下までくまなくびっしょりな衣服がワンセット。
「どうしてまた、そんなことになったのかしら。雨具の一つも持ち合わせはあるでしょうに」
お嬢様があきれたようにつぶやく。実際、今日は朝から鬱々とした天候で、昼からはずっと雨が続いていた。道行く人はみな傘を差していたし、雨に対する備えも無く駆け回る人間はいなかったように思える。
「近くのカリスの駅で一晩宿を取っていたんですが、ちょうど出る前に雨が降って来まして。まあグランブルトも歩いていけない距離ではあるまい、と思っていたら途中で傘を風に取られまして」
つらつらと流暢にはなす青年。元々考えていたのか、それともよく口が回るのか。
話を聞いていたお嬢様は、首をかしげた。
「少し待ちなさい。まさか、あなたこの天気の中グランブルトまで歩いていくつもりだったの? カリスからグランブルトまでなら転移魔法陣があるでしょう?」
「いやあ、その転移のための駄賃も無くて。歩いて半日、と聞いていましたから、日が変わるころにはたどり着くと思っていたのですが。土砂崩れがあったらしく、道がふさがってしまっていて。そして民家で他の道を尋ねようとして転々としてこの屋敷に着いた、というわけです」
話を聞き終えたお嬢様はため息を一つ、大きくついた。どうもこの青年、話を聞く限り無鉄砲というか無計画というか。このあたりは複雑なつくりで迷子になる人間は多い。そして何よりこの青年は不幸な点が一つある。
「この時期はほとんどこの辺りの別荘は使われてないものね。ここを見つけるまで相当歩き回ったんじゃない?」
「実に50ほどは明かりの無い住宅を拝見しました。山の中に明かりの灯ったこの屋敷を見たときは蜘蛛の糸かと思いましたよ」
「本当にご苦労様。困っている人間を見捨てるほどポライソン家も余裕が無いわけじゃないから、今日一晩くらいゆっくりしていきなさい」
「それはありがたい提案ですが……」
お嬢様の言葉を聞いた青年は困惑した表情を浮かべる。提案が気に入らない、ということもないだろう。この悪天にもかかわらず、宿を引き払ったところを見ると、礼をするための金銭が無く、それを気にしているということだろうか。
困り顔の青年を見て、お嬢様は意地の悪い笑顔を見せた。
「いいのよ、別に今から放り出しても」
お嬢様が要らぬ揺さぶりをかけると、青年はこちらに目配せして来た。助けてくれ、ということだろうか。お嬢様としても、別に本気で言っているわけではないだろうが。私としても今日のお嬢様のご機嫌取りが増えるのは喜ばしいし、追い出す理由もない。
「お嬢様、よろしいでしょうか」
「どうしたのかしら、セリス」
「探偵さんは大変愉快な方であらせられるようなので、彼の体験した愉快な話をこの屋敷の宿泊費に代える、という形式を取ってはいかがでしょうか」
愉快、という言葉にピクリと青年が反応したようにも見えたが、特に気にしないことにした。少し話を聞いただけでも愉快であるのは違いない。
「ふぅん、肩を持つじゃない、セリス。まあ、探偵さんがその方がいいならそういう形にしましょうか」
お嬢様が私の提案を改めて青年に提示すると、観念したのか納得したのか、困惑した表情は消えていた。
「分かりました。エスティアさん、セリスさん両名のご厚意に感謝します」
お嬢様は青年の言葉に満足したらしく、小さくうなずいた。
「それじゃあ、探偵さんは暖まり終わったらラウンジに来てちょうだい。セリスはその後夕飯を作ってラウンジに持ってきて」
それだけ言うと、お嬢様は元来た扉からラウンジの方へと戻っていった。
わざわざラウンジに行かずともここで話せばよいのに、とも思ったが、調度品の数々が並べられている物々しい居間より、閑散としたラウンジの方が話しやすいと考えたのだろう。
「探偵さん、何か羽織るものでももう一つ持ってまいりましょうか?」
「もう十二分に温まりましたのでお気になさらず。セリスさんは料理の方をお願いします」
本人がそう言うのであればこれ以上の気遣いは不要か。
「かしこまりました」
「それとも、お料理の方お手伝いしましょうか? これでも皮むきくらいならできますよ」
「そのご提案はありがたいのですが、お客様にそんな事はさせられませんよ。それに、ずいぶんとお嬢様はあなたのことが気に入ったみたいですから、是非お相手していただきたい」
そうでしょうか、といわんばかりに青年は首をかしげる。最近気が滅入っていたお嬢様の機嫌が良いのは久方ぶりである、と言っても伝わらないだろうが、とにかく今日はずいぶんと笑顔を見せてくれている。
「そこまでいうならそちらで少々頑張ってみますか。ラウンジの場所だけ教えていただけますか?」
「あちらをまっすぐ言って、七枚目の扉がガラス張りになっています。そちらがラウンジです。近くまで行けば明かりがついていて分かりやすいとおもいます」
「わかりました。丁寧にありがとうございます」
「いえいえ。それでは、お嬢様をよろしくお願いします」
「ええ。おまかせください」
言うべき事は言ったので後はキッチンへ向かう。今日の献立は何にしようか。
ドアを閉めて、廊下に立ち、不意にひとりの空間になると、あの男のことを思い出してしまった。
不意にやってきた青年を犯人に仕上げる事は不可能だろうし、そんなつもりもない。であれば、あの男には死体のもう一人の発見者となってもらおう。警察のようなものだ、と言っていたし、上手く誘導すればこちらの後ろ盾としては大きなものになる。
お嬢様の好意を裏で利用するのは気が引ける部分もある。せめて、今日の食事はいつもよりも手を尽くそうか。