第一話:風来坊1
外の天気を見守りながら、紅茶を入れる。外の天気は朝から変わらず、雨足は衰えることなく、風は渦巻きながら強まっていく。
上の戸棚から以前に買い込んだ銀の箱を取り出す。中から三つほどフェアスを取り出し、皿に載せる。
紅茶と皿をトレイに載せて、ラウンジへ向かう。
ラウンジには、窓際に座り、悪天候を眺めながらたたずむお嬢様の姿があった。
「お嬢様。紅茶とフェアスでございます」
「ありがとう、セリス」
お嬢様は行儀よく、紅茶を口につけ一息つく。
最近、稽古も厳しく休まるときは午後の小休憩くらいしかないのだろう。手抜くところは手抜き、余裕を持ってもいいとは思うのだが、彼女はそれを良しとはせずに全力を尽くす。その姿は仕える者としてはずいぶんと心地よい。
お嬢様の目線は窓から遠く、外を眺めている。普段であれば手入れされた庭が美しいが、今日の暴風雨の前ではひどいものである。
「……天気予言、なんていうけれど、当たらないものね。この雨じゃ、明日の遠征も無理そうね」
「最近、当たらないことも増えてきましたか。仕方ありません、事前に断りの連絡を入れておきましょう」
「お願い」
憂鬱そうに窓から天気を見守るお嬢様は今日もあまり笑顔をお見せにならない。奥様がなくなってからはいつもこの調子だった。
「……ん?」
ふと、何かに気が付いたように、お嬢様がラウンジの入り口へ振り向いた。
「ねぇ、セリス」
「どうしましたか、お嬢様」
「どこかから音が聞こえないかしら。なんだか不規則な音が」
「はて」
年のせいだろうか。雨の音が強く、そのような音は聞こえない。
「ほら、居間の方……それとも玄関の方かしら?」
「む……?」
言われるままにラウンジのドアを開け、居間のほうへと耳をすませば、何か物がぶつかる音が聞こえるような気がする。
「……動物でしょうか? 今時期ならフェネキシーなどが活発ですが」
「フェネキシーってわざわざ玄関から挨拶するほど利口だったかしら。一応、見てきてくれないかしら」
「分かりました。お嬢様はここでお待ちください」
ひらひらと手を振りながらお茶を飲むお嬢様に見送られながら、ラウンジを出て、玄関へと向かう。
ラウンジを出た後、長い廊下を通り、居間を抜けて、もう一つの廊下の先に玄関がある。これだけ広いと最初は迷子にもなったものだが、もう20年になる。ずいぶんと経ったものだ。
長い廊下を歩きながら、玄関にいるであろう来客が何者かということを考えていた。お嬢様はああ言っていたが、フェネキシーには人に化けていたずらする、という伝承がある。
実際に人に化ける姿を見たものはいない、とは言われるが、そんな伝承ができるくらいには賢く、またいたずら好きである。もしかすると、この雨で餌を取れない固体が餌をねだりに来たのかもしれない。
玄関が見えてくるころには、音ははっきりと断続的に金属を打ちつける音が聞こえてきた。
この音はおそらく、ドアノッカーの音だろう。最近はすっかり使われなくなり、聞く機会も減ったが、この屋敷に仕えたばかりの20年前はよく聞いたので覚えている。
わざわざドアノッカーなどならす辺り、客人は野生動物などではなく人間で間違いないだろう。しかし、この屋敷に突発的に、しかもこの雨の中をわざわざたずねてくる人間はいただろうか。
「大変お待たせしました」
玄関のドアを開くと、暴風が屋敷の中へと入り込んできた。
「……ああ、よかった」
私の姿をみて、その青年は安堵したような笑顔を見せた。
ドアの向こうには、黒い短髪から、衣服を包む茶色いコート、そして革靴のつま先に至るまで雨で濡れきった幽鬼のような風貌の青年がいた。
「灯りはあるのに返事が無くて、もう眠ってしまわれたのかと思いました」
見ている限りでも、青年の手先は震えており、唇も真っ青になっている。
「実はこの雨の中を道に迷ってしまいまして、道を教えていただきたい。それと、雨が止むまでどうか、暖を……ああいや、雨宿りだけでもさせてはいただけないでしょうか」
そして近隣は別荘ばかり。今は近くに住んでいる人間はいない。おそらくはここを追い出されれば体温を奪われて倒れてしまうか、あるいはそのまま死んでしまっていただろう。
ドアを大きく開けて、青年を誘導する。
「そのくらいならかまいませんから、早くお入りください」
「ああ、ありがとうございます」
青年が家に入ると同時、ドアを閉め、施錠する。
確か、昨日の夜に使用した薪が、居間にまだ残っているはずだ。暖を取らせるならあそこが一番早いだろう。
「中に案内しましょう、すぐに火をつける準備は整っています」
「いやあ、本当にありがたい。九死に一生を得ました」
濡れた青年を連れて、居間へと案内する。
個人で使うには広すぎる、居間につながる廊下を二人で歩いている。
青年は屋敷の中が珍しいのか、辺りをキョロキョロ見回している。
「へぇ、外から見ても立派な屋敷でしたが。中から見ても豪勢ですねぇ」
「ええ。以前は王族の方が使っていたようで、調度品なども特注だそうです」
「そういわれてみると過剰に広い廊下なんかも納得でき……」
へっくし、とくしゃみをする青年。相当状態は良くないと思うのだが、ずいぶんと悠長にいやあ、すごいなあ、などと感想など述べている。
「こちらです」
「どうも」
居間に青年を連れてきた後、暖炉の元まで案内する。
暖炉の中には昼ごろに使っていた薪が残っている。暖をとるためなら問題なく使えるだろう。
「静かな火を我らが元に。【炎焼】」
手のひらから出る魔力の波が暖炉の中に積んである魔石へ伝わり、赤々とその色を変え、小さな火柱を立て始める。
「ほう……実に鮮やかなお手並みで」
隣を見てみればずぶぬれの青年が暖炉の火に手を当てながら感嘆していた。
「このくらいの規模の魔法であればどこでも見られることでしょう。大したものではありませんよ」
「謙遜なされずとも。強き力を振るうよりもこういった細やかな技術の方が難しいものでしょう」
「そういうものでしょうか」
「そういうものです」
青年はぱちぱちと燃える火を眺めている。今では手馴れたものだしなんとも思うことはないが、火力が強すぎれば燃え尽き、弱ければ火種も残らない。技術、あるいは経験によるものがあるのは確かだ。
「それに、最近は物騒なことに魔法を使う輩が多いそうですから。こういった生活に根ざしている魔法を見るだけでも安心しますよ」
昼に電話を受けた、刑事の友人の言葉が頭をよぎる。
「……どうされました?」
青年がこちらを伺ってくる。突然言葉をなくせばその反応も当然だろう。別に彼は、何の気なく世間話をしているだけなのだ。
「いえ、何でもありませんよ」
動揺が悟られないよう、冷静な対応を心がける。
「身体を拭くためのタオルと、代えの衣服を持ってまいります」
「ああ、服の替えもタオルもあるので」
青年の荷物を見ると小さなカバンは水浸しで中までダメになっていそうだが、もう一つのやや大きな旅行用と思われる荷物は水をはじいている。そちらの方に着替えなどを入れている、ということだろうか。
それなら別に何もいらないだろうか、とも思ったが、着替えを見知らぬ人間に見られたまま行うのも気味が悪かろう。
「分かりました。では、体を冷やさないための毛布を取ってまいります。五分ほどお待ちください」
「いや、気を使わせて申し訳ありません」
青年は深々と頭を下げた。
礼儀正しい青年を居間に残して居間を出た。
彼が間違えて例の部屋へと行くことがあれば止められるように気を配りながら、毛布を持っていくために近くの居室に入った。