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異世界探偵 京二郎の目糸録  作者: 水戸 連
断章:風は語る
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第零話:殺意の流出

 屋敷の外では、豪雨が視界を埋め尽くし、時折雷が強く瞬いている。


 【防護】の魔法で強固にしてあるのだから、割れる心配はないし、【防音】の魔法で外の音が聞こえることはない。


 しかし、この悪天の中、外出するような勇気のある人間はそうはいないだろうと、目に映る情報だけでも判断できる。


 故に。決行は今日この日が良いだろう。




 目的の部屋である、この屋敷の主人アンガスタ=ポライソンの部屋の前についた。


 時刻は13時50分。ちょうどいい時間だ。


 三度、扉を強く叩く。


「旦那様、よろしいでしょうか」


「入れ」


 高圧的な声が入室を許可したのを聞いて、ドアを開ける。


「失礼します」


 部屋に入ると、きれいなピアノの音が流れてくる。最小限の音でドアを閉める。


「私の練習前に入ってくるのだから、さぞ重要な用件なのだろうな、セリス」


 私がこの屋敷に仕えて10年ほどになる。この高圧的な対応にもなれたものだ。


「最近、メイドの何人かが旦那様の暴力を受けたことを理由に仕事をやめたことです」


「その件なら少々私のほうで教育をしてやっただけだ」


「限度というものがございます。目に付かない部分とはいえ、見るに耐えないような傷を負っている者もいました」


「金は渡したのだろう。文句は出まい」


「人の口に戸は立てられません。続けていればいずれはこのような事件も明るみに出てしまうでしょう」


「曲に傷がつかなければよい。それともなんだセリス、お前がまた代わりになるのか?」


 その言葉が、腕の傷をずきりとさせた。もう傷は治っているはずだが、ぶり返すように痛む。痛くて喉の奥へと飲み込みそうな言葉を、どうにか引きずり出す。


「それだけでなく、お嬢様のこともです」


「エスティアか。アレにはちゃんと目をかけているつもりだがな」


「度が過ぎる、というものでしょう。お嬢様にも見て分かるほどの傷が増えました」


 手や足を覆うようにして隠してはいても、傷があると意識すればそれだけで見るのも辛い。


「ふん。初めに言うことを聞かなかった罰を与えただけだ。最近は真面目にやっているようだし、鞭などふるってはいない」


「それはただ、恐怖に怯えているだけです。心に受けた傷が、そうさせているのです」


「お前がそう言うのなら、そうかも知れんな」


 男はまるで聞く耳を持たない、という風で私の言葉を聞き流している。


「もうこのようなことは、おやめになりませんか。非人道的です」


「やめることはないな」


 もしかしたら、私の言葉はもう届かないのだろうか。


「どうしてですか。あれではまるで、お嬢様はあなたの奴隷のようではありませんか」


「何を言う。私の奴隷のように動く、というなら都合がいい」


 男は、私の言葉を分かっていながら、笑っていた。

 その顔を見たとき。

 黒い感情が心を覆っていた。


「……奥様が亡くなられてそろそろ一年です。当時に行えなかった本格的な葬儀などはやるおつおりはありませんか」


「死んだ女にかける時間も感情も無い。そんな些事には興味もない。勝手にやっておけ」


 心が割れるほどの痛みがよぎった。




「もういい、休めセリス。そして邪魔をするな。私には時間が無いんだ」


 男は内ポケットから取り出した予定帳を取り出し、中を見ている。遠目からでも、その中の濃さは見て取れる。


 だが、そんなもの。彼女を冒涜する理由のかけらにもならない。




 男が立ち上がり、その後姿を見せたとき。

 近くにあったハンマーを男の頭上めがけて振り下ろしていた。








 目の前に男の死体がある。

 流れる滝の水が逆流しないように、時が戻ることもない。現実を受け入れて、対処の必要がある。


 もとより、今日決行する予定だったのだから。今は14時。この時間なら、しばらくは死体の発見は誰にも行われないだろうという確信もある。

 窓の鍵を開けて、窓を開け放とうとして思いとどまる。


 外は嵐で、雨も風も強い。不用意に開ければ窓を開けた音でお嬢様に聞こえるかもしれない。あるいは、窓を開けっぱなしにすれば窓から入り込む雨音で想定よりも早く感づかれるかもしれない。引き返せない以上、できうる限り慎重にことを運ぶ必要がある。


 鍵だけ開けたままにして、近くのカビンの水を撒き散らし、雨が入り込んだように偽装する。


 死体を見ると、手帳が零れ落ちていた。中をわずかに散見すると、ずらりと予定が敷き詰められていた。

 中でも今日の予定に『14時 作曲室 セリス』というのを見つけた。これを見られれば、少し面倒かもしれない。手帳ごと処分しようとも考えたが、竜革の装丁は並の火力では燃えない。燃え残りを発見されても困る。


 今日の予定が書かれた部分のみを破り、手帳は遺体の内ポケットに戻しておく。


 仕上げに、「魔力」を手のひらに練り上げ、偽装のために【魔法】を行使する。詠唱一つで安全が保証されるなら安いものだろう。






 鍵を掛け、立ち去る。何食わぬ顔で立ち去れば、終わ――――。


「あら、セリス。お父様に何か御用?」


 部屋の鍵をしまい終わった直後に、背後から声がかかった。今のを目撃されただろうか。いや、ちょうど陰になっていて見えていないはずだ。しかしここに立ち寄っていることを見られたことには違いない。最後の詰めで誤ったか。いや、まだ舵は取れる。


「こんにちは、エスティアお嬢様。今日のお食事の希望など聞いておこうと思いまして」


「ふうん? ま、どうせお父様は食事には何でもいいとしか言わないわ。私もセリスの作った料理なら何でも良いし。それに、そろそろ『時間』でしょう? やめにしておいたら?」


 『時間』というのはあの男もお嬢様にも共通する、日課の練習時間のことだ。その時間に立ち入れば、たとえ緊急を要する用事でもあの男は鞭を振るうことがあった。


「そうですね、いらぬ怒りを買う必要もありません。今日はやめておきましょう」


「そうしなさい。私も『時間』だから。邪魔しないでね」


「かしこまりました」


 どうやら、今の言葉に違和感は覚えなかったらしい。部屋を出るところまでは見られていなかったのが幸いしたか。

 とにかく、ボロを出す前に離れよう。


「そうだ、セリス」


「……なんでしょう、お嬢様。何かおかしな点でも?」


 踵を返した瞬間に、お嬢様から再度声がかかる。


「いいえ、そんなことはないけど。17時にラウンジに行くから、って伝えたかっただけ」


 心の中で息を付く。いつものレッスンが終わった後の小休憩のことだ。


「お嬢様。今日のお飲み物とお菓子はどうなさいますか」


「……そうね、飲み物はいつもの紅茶。それとフェアスはあるかしら」


 フェアスは、お嬢様が時折食べたがるお菓子だ。保存がきくので、いつでも食べられるように在庫は用意してある。


「ええ、ご用意してありますよ。時間になりましたら持ってまいりましょう」


「それじゃ、よろしくね」


 お嬢様はそれだけ言うと、ラウンジの方へと歩き出した。

 私も用意のために、キッチンへと向かう。


 どうにか、最も危険なところは乗り越えた。

 あとは事件が発覚し、偽造がばれないようにやり過ごせばいいのだ。


 どう午後を潰そうか、と考えていたところにラウンジで『伝話』が鳴り出した。誰から電話がかかってくる予定も無いが、誰だろうか、と思いつつ『伝話』に出る。


「もしもし」


「こちらグランブルト警察……お、その声はセリスさんかな?」


 陽気な声と軽い調子が特徴的な、若い青年の声。それで刑事の知り合いといえば一人しかいない。


「ふむ……そちらはティック刑事?」


 以前、あの男のコンサートが執り行われた時に、警備として会場にいたティック刑事だろう。


 彼とは趣味が合ってか話が盛り上がり、それ以来、時折やりとりをする仲だった。


「大当たり。ちょっと連絡事項があってね。お時間よろしいかな」


 しかし、警察を名乗った以上、今回の用件はただの茶飲み話ではないはずだ。


 一瞬、先ほどの出来事が頭によぎるが、それは違うだろう。【予言】の魔法はこのような些事に使われる事はないし、【感応】の魔法で悟られた気配も無い。


 そうなると、普段から軽い調子のこの刑事がわざわざ電話するほどの用事とはなんだろうか。


「かまいませんよ。ちょうど時間は空いています」


「それはよかった。ま、手短に話そう。今日の大雨のせいで一部土砂崩れが起きてね。まあ、セリスさんが今電話を受けてくれてるわけだし、そっちのお屋敷は大丈夫そうだけど」


 外の天気を見る。雨だけでなく、雷と風も強く、海原の嵐のような天気になってきている。


「ええ。雨が強いだけで、屋敷の周りで崩れたりはしてはいませんよ。それで今土砂が崩れているのはどのあたりでしょうか」


「そうだな、セリスさんのところから近いところだと、アイン街道がタイガン山のふもとの辺りを差し掛かるところがあるだろう。まだ土砂崩れは起きちゃいないが、危険な状態だ。あの辺りは今入場を規制してるよ」


「それは……少し困りましたね」


 アイン街道はこの屋敷とグランブルト街を繋ぐ大きな通り。あの街道がふさがれては山から下りて街へ出る事が叶わない、ということになる。


「まさか、ちょうど食料が枯渇するところだった、とか? もしそうなら急いで救援を送るが」


 緊迫した若い友人の声はありがたいが、事態はそう急を要するものではない。


「いや、今日ちょうど朝方に買い込んでいましたから、しばらくは大丈夫です。お嬢様の小旅行がご破算になりそうだ、というだけです」


 『伝話』口の向こうから、安心したような笑い声が聞こえてくる。


「そりゃあ、とんだ災難だ」


「そんなわけなので救援は他に回してください」


「了解した。ああ、それともう一つ」


「どうしました?」


「いや、前にも言った気はするんだが、最近物騒な魔法の使い方をする事件が多い。セリスさんも気をつけてくれ」


「ええ、よく覚えています」


 本当に、よく覚えている。あなたの話は特に。


「よし、それならこれで用件は終わりだ」


「わざわざありがとうございました。それでは、お仕事頑張ってくださいね」


「ああ、セリスさんもお嬢様のご機嫌取り、頑張ってくれよ」


 『伝話』はそこで途切れた。


 若い友人による最近の『物騒な魔法の使い方をする事件』の語りは実に良く役立った。その事件に対する警察の動きや捜査についての講義は特に。


 今回の件も、それを参考に行った。


 外部犯であるとしか考えられない、となれば警察はすぐにそちらを優先して捜査するようになることであるとか。


 遺族へ配慮して、必要と感じなければ死体の検分は極力執り行わない、だとか。


 つまるところ、外部犯の犯行に見せかけたうえで、近しい人間に犯行の可能性がない、とわかったのなら、遺体に施された魔法の正体が晒されることはない。


 そして、少し自信も付いた。現職の警官に声の調子で気取られていないなら、誰に気取られることも無いだろう。


 事が露見するであろう夜に向けて、少し休むことにしよう。


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