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三題噺「忍者」「秋の味覚」「商店街」

作者: tetori

 美しく金色に輝く月が、黒の絵の具で塗りつぶしたように星の無い空に浮かんでいる。中秋の名月と呼ばれる今日の月は雨が降りやすいためなかなか見ることができないと言われているが、我が物顔で空を占領しているようだ。

 月夜を眺めるのもほどほどにして走り出す。瓦屋根はずいぶんと少なくなり、集合住宅も多いため高低差の激しいこの辺りは、どうしても走りづらい。集中しなければ。

 ―――はて、私は今何かおかしなことを言っただろうか? いやいや、そう思うのも無理はない。そう、私が走っているのは道路ではない。屋根の上だ。

 月夜に舞う黒い影、というほどファンタジックなものではないが、何を隠そう私はくノ一。現代日本に忍び生きる、忍者の末裔なのである。

 今日は久しぶりの任務が与えられるのだ。つい先ほどスマホに主から連絡があった。『急用』『任務』の二行に私は自分の血が騒ぐのを感じ、着もしなくていい忍装束に身を包み、走らなくてもいい屋根の上をこうして走っているのである。現代日本の忍者とはいえ、重んじるは伝統。トラディショナルなスタイルを守るのも立派な忍びの務めというもの。

 さあお待ちください我が主、すぐにでも貴方の所まで向かいましょう。徒歩で。


 と、意気込んではせ参じたというのに。

「松茸が食いたい」

 同い年で幼馴染の我が主様はソファに寝転がって雑誌を見つめたまま、こちらを見もせずにそう仰った。

「………えっ」

 思わず聞き返すが、主様は不機嫌そうに「松茸が食いたい」と繰り返すだけだった。

「ええと、恐れながら主様」

「なんだ」

 肩透かしを食らったものの、すぐに跪いて進言する。

「―――今なんどきか、お分かりでしょうか」

 私の言葉に主様はちらっと時計のある方向を見、すぐに雑誌に目を落として。

「もうじき日付が変わるな」

 しれっと仰った。

 ………この現代日本、忍者の末裔として自ら修行を積み身体を鍛え技を磨いてきたというのに、我が主様の望みはただの松茸という。なんたることか。我が忍びとしての魂はこうも熱く燃えていたというのに、松茸の為に呼び出されたというのか。

 いやいや落ち着け私。主様の望みを叶えることこそ我が使命。たとえこの夜中であっても、我が主様の為に何としても松茸を手に入れてみせなければ!

 と、ポジティブに燃えてみようとしたものの。

「主様、この時間になりますと、もうスーパーも商店街も閉まっております」

 手に入れようがないのだ。松茸が買えるようなところは、もう閉店時間をとうに過ぎている。

「そうだな」

 なんでもないかのように返事を返してくださる。

「二十四時間スーパーとかあるんじゃないか?」

「いいえ主様、近くのスーパーは隣駅の近くに一件、その二つ向こうに一件、反対側の駅から少し離れたところに二軒ありますが、どこも朝九時開店夜十時閉店です」

 スーパーのチラシには毎日目を通し、特売日を逃さないことに自信を持つ私はすらすらと答える。

「商店街は?」

「閉まっております。八百屋の曽根さんも最近お歳ですから、少し早めに片づけをされています」

「……お前、主婦だろ」

「くノ一です! 表の顔も歴とした女子高生です!」

 訝しげな顔を向けて呟く主様に涙目で反論する。昔ならきっとこんな返しをすれば斬られていたのだろうが、現代日本の忍ということで寛容な主様は許してくださるのだ。つまり、いつもこんな感じのやり取りだ。

「都内のどっかにあるはずだが」

「主様はこんな夜更けに女子高生一人でそんな遠くまで行けと仰るのですか! 終電もとうに終わっております!」

 自分の目に涙が浮かんでしまっているのがわかる。さっきはテンションが上がっていたので走ってこれたが、正直こんな時間の外出なんて滅多にするものではなく、夜道は単純に怖い。主様は男性なのであまり思わないかもしれないが、私にとっては本当に怖いのだ。幽霊も、人も。

「し、商店街のお店を当たればあるいは分けて頂けるやもしれませんが……この時間ですし、望みは薄いと思います」

 涙を拭って進言すると、主様はにっこりとほほ笑んだ。

「じゃあ、十五分な」

「それってタイムリミットってことですよね!?」

「じゃあタイムはかりまーす。よーい」

 無慈悲。あまりにも無慈悲。十五分というとここから商店街までダッシュで往復して割とギリギリの時間である。つまり、行けということだ。

「スタート」

 主様の声と同時に玄関のドアを開けて外に飛び出し走り始める。頭の中は松茸のことでいっぱいで、夜道が怖いとかが入り込む余裕はなかった。


 体力に自信があるとはいえ、ダッシュで走るのは限界がある。ペースを考えながら、でもできるだけ早く走る。五分ほど過ぎたところで商店街に到着した。

 荒く乱れた息を整えながらも、いつもお世話になっている八百屋の曽根さんのお宅の戸を静かにたたく。こんな時間に大きな音を立てるわけにもいかない。ご近所にも迷惑になるし。少し待ってみても反応は無く、少し強めに叩いても同じく反応が無い。

「うぅ……やっぱりダメかぁ…」

 ぽつりと呟いて踵を返そうとすると、郵便ポストの側面に白い封筒がテープで固定してあるのが見えた。顔を近づけると「夜に張り付けるように頼まれました。これを持って帰りなさい」とお年寄りの字で書かれているのがわかった。頼まれた? 夜に? こんなところに?

 ……はっはーん。なるほど? これは、つまり。

「図られた…」

 主様のイタズラだ。なんたってこんなことを。

 私は荒々しく封筒をポストから引きはがすと、それを握りしめたまま来た時と同じ道を全力でダッシュした。夜道の怖さを感じることはなかった。頭の中は、主様への怒りでいっぱいになっていたから。


 帰ってくる頃には汗だくで、せっかく着た忍び装束もべたべたになってしまっていた。それでも一言言わないと気が済まない。

 走ってきた勢いそのままに玄関のドアを開けて、ふと気づく。

「……いいにおい?」

 これ、何かを焼いているにおいだ。思わず声が漏れたが、こんな時間に何を焼いているのだろう。夜食か? 夜食なんだな? 人を使い走らせて自分は優雅にお月見か?

 靴を脱いで向きを直して部屋の奥へ進むと、主様と目が合った。

「なんだ、早かったな」

「な―――」

 平然と言う主様に怒りがさらに膨れ上がって、問いただそうとしたとき、主様が焼いているものが松茸であることに気づいた。

「―――は?」

 松茸を指さして素っ頓狂な声をあげてしまう。現代日本でよかった。

「とりあえずシャワー浴びてこい。五分で済ませろ。その頃には焼ける」

 主様はなんでもないように言う。ようやくわかった。急用、任務、イタズラ。嘆息して、言われた通り脱衣所に向かう。

 要するに、今回の任務は、「主様と松茸を一緒に食べる」ことだったのだ。焼きたてを食べるために時間を稼ぎたかったが、あの主様のことだ、恥ずかしがって素直に言えなかったんだろう。なんだ、あのツンデレ。わかりづらい。ふふっと笑みが零れる。

 この部屋には私の替えの衣服も少し置いてあるのでさっとシャワーを浴びて着替えると、焼きあがった松茸を主様が皿に移していた。

「ほら、食うぞ」

 ぶっきらぼうに見えて恥ずかしがり屋な主様は、カーテンを開けて月が見えるように部屋の照明を落とした。

 薄めに切ってこんがり焼けた松茸を二人で食べる。秋の芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。労働―――というか運動―――の後ということもあり、美味しさはひとしおである。

「主様」

 しばらく二人で静かに月を見つめながら食べてから、私は口を開いた。

「たまには素直に一緒に食べたいって仰ってくださいね」

 笑って言うと、主様も笑みを返す。

「俺は松茸を餌にお前で遊んだだけだぞ?」

「またまた、照れなくていいんですよ」

「ははは。照れるわけないだろう、本心なんだから」

 主様の言葉に、固まる。つまりなんだ、私は勝手に肯定的にとらえていただけで、主様は本当にただ遊んでいただけ……?

「―――許すまじっ」

 言いながら、最後の一切れを素早くつかむとそのまま口に運んでやった。

「あっ、お、お前、主を差し置いて!」

「しーりーまーせーんー! 忍で遊ぶような主様は主じゃないですぅー!」

 ようやく本心で表情を変えた主様と、その後もしばらくわーぎゃー騒いでいた。

 月から見て私たちはどんな風に見えたんだろう。じゃれ合う友達? 仲のいいきょうだい? それとも―――なんて、ちょっと思ってみたりしたのは、私の心の中にそっとしまっておこうと思う。

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