商人と傭兵と
馬車の御者台には一人の男がいた。
彫りの深い顔立ちの男は手を振り、笑みを浮かべながら大声で言う。
「すまん助かった! おかげで命拾いしたよ!」
アナタは手を振り返し、乾いた笑みを浮かべる。
もし馬車がこっちに向かってなければ見捨てていたのだ。素直に喜ぶことなどできない。
馬車はゆっくりと減速しアナタの手前まで来ると止まった。
御者台から男が降り立ち、アナタの前に立つ。
アナタよりも頭一つ分高く威圧感たっぷりながっしりとした体系と顔にアナタは気押され無意識に一歩後ずさった。だが、男は気にした素振りもなくアナタと距離を詰め、半身になり差し出される形となった手をがっちりと握った。
男の手はグローブを握ったかのように硬い。そのまま手を上下に二度振られ、離される。
「ありがとう。改めて礼を言わせてくれ、俺はダンカン。サジームとイハクを中心に飛び回ってる運び屋だ。アンタがいなけりゃ今頃俺たちはダークウルフの晩御飯になってだだろうよ」
サジームとイハクは街の名前で、ダークウルフ……これは恐らくはあの名状しがたき肉片へとジョブチェンジを果たした魔物の名称だろうと当たりをつけたアナタは、自分は何もしてないと言う。倒せと言ったのは確かにアナタであるが、実際に倒したのはエンジェなのだ。その称賛を受け取るべき人物などではない。
そう言ったアナタだったが、ダンカンはぽかんと顔を呆れさせると。「ハッハッハッ!」と大口を開けて笑い声を上げた。
「アンタは気の良い男だな! 謙虚なのは良いことだ! だが自分の成した功績と勝算はしっかりと受け取るべきだぞ!」
いやいやだからと続けるアナタはふとあることに気づいた。
何故ダンカンはエンジェには何も言わないし、まるで視界に入っていないかの如く振舞っているのだろうかと。確かにエンジェは人として見るには些か見辛い大きさではあるが、アナタ顔の横に浮かぶエンジェが見えないということはありえない。
そんな疑問を抱いたアナタがダンカンに問いかけようとした時、エンジェがアナタに応えた。
「アナタ様。私は守護天使、人に限らず生きとし生けるもの全てが見ることの出来ぬ存在なのです。ですからその者の対応は何も間違ったことはありません。どうか私のことはお気になさらず続けてください。むしろ気づかせないで下さい。私も必要になるまで沈黙しておりますので、アナタ様も見えないお友達と会話する危ない人にならないように注意してください」
首肯し応えたアナタだったが、ダンカンの方が礼を受け取ったと錯覚したらしくうんうんと頻りに頷いていた。
「で、アンタはこんな平原のど真ん中で何していたんだ? ここじゃ魔物も滅多に湧かねぇし、アンタみたいな魔術士だったらこんな所じゃなくてもっと旨味のある狩場があるだろうに」
そう言われても、気づいたら此処に送られていたアナタには応えようがない。
言葉に詰まったアナタは、脳をフル回転させ答えを模索する。
道に迷って……駄目だ。これだけ見晴らしのいい草原の何処に迷う要素があるんだ
ちょっと散歩に……駄目だ。見渡す限り都市も人の痕跡も見当たらない草原を、目印もなく散歩するようなバカはいないし、どこから来たのかを聞かれたら詰む。
じゃあ記憶喪失? ……それこそまさかだ。いや間違ってはいないが、だが記憶のない人間の演技なんてしたところで今更過ぎる。というか下手に抜けて残ってるから、逆に演じにくい。
結論。どう答えても凌ぎ切れない、と脳内シュミレートで弾き出したアナタは答えられないとにこやかにダンカンに告げた。
ダンカンは答えないと分かっていたのか「まぁ、そりゃそうだよな」と言うと、アナタに馬車を親指で指し示し言う。
「なぁ、良かったらサジームまで乗ってかねぇか? 礼ってのは言葉だけでするもんじゃねぇからな。酒ぐらい奢らせてくれや」
アナタはダンカンの提案に頷いた。馬車に乗れるなら楽して街に行けると思ったからだ。歩くことは嫌いじゃないが、それは趣味としてだ。楽できるなら楽がしたい、実に現代人的な思考だった。
「じゃあ早いとこ行くとするか。さ、荷台の好きなところに乗ってくれや。一人無愛想な奴もいるがまぁ気にしないでやってくれ」
♢ ♢ ♢
ガタンゴトン。ガタンゴトン
馬車が揺れ、アナタも揺れる。初めは流れる景色を堪能していたアナタだったが、代わり映えのしない景色に早々に飽きが来ていた。だがそんなアナタでも決して正面だけは見ない。絶対に。何があってもだ。
アナタの対面には包帯らしき布状のモノを顔にぐるぐる巻きにした包帯人間がいた。バラクラバのように眼だけをだし、鋭い視線を此方に向けている。まるで動物園の珍獣にでもなったかのような気分にアナタはストレスに胃が幻痛を発し始めていた。
アナタが包帯人間の対面に座ってしまったのは必然だった。
馬車に積み込まれた木箱は、馬車の荷台ギリギリの所まで積まれており、上は幌の屋根の部分にまで達している。となれば荷台を選んだ時点で座れる場所は対面か、それとも隣かの二択しかなかったのだ。
守護天使であるはずのエンジェはアナタの隣に腰かけていたが、助け舟は出してくれない。ガタンゴトン。ガタンゴトンと馬車が揺れ、流れる景色に一瞬一秒でも早く着いてくれと祈りを捧げる。
「なぁ」
車輪が石を跳ねる音と、木箱の揺れる音だけの世界に、異音が混じった。
「なぁ、聞こえてるんだろう?」
中性的な掠れ声が聞こえた。この声の持ち主は――考えるまでもない、アナタの対面に座っていた包帯人間だった。
何か用かと、硬い声で答えたアナタはいつ何が起こってもいいように体に力を巡らせる。
「そんな警戒するなよ。俺はただお前がさっき使った魔法について聞きたいだけなんだよ」
両手を上げ敵対する意思はないと、アピールし言う包帯人間は片目を瞑り続ける。
「見たところあの魔法は古代言語で構成した精霊契約の降霊術式に似てた。最も威力も操作性は段違いにこっちが上だが、そいつをベースにして発展させたと見た。だけどありゃここらの魔物に使うには過剰過ぎだな。あれじゃあ魔石まで粉々だ。なぁ、アンタのそれだけの知識と技術をどこで身に着けたんだ? 師匠は誰だ? どんな書物を今までに読み漁ったんだ?」
推論から矢次早に質問を繰り出す包帯人間に、アナタはダンカンの時と同じくにこやかに答えられないと言った。当然だ、知らない以上は答えられない。
「まぁそうだよなぁ……自分の飯の種をどうどうひけらかす様な真似はするわけがないよあなぁ……」
はぁ……と包帯人間は溜息をつき落胆する。
目に見えて落ち込むのを見たアナタは、どうにかして話の流れを変えようと、アナタは勇気を振り絞って包帯人間に名前を尋ねた。
「あぁ……そう言えばまだ名乗ってなかったな。俺はセラス。見ての通り傭兵をしてる。アンタは何ていうんだ?」
セラスの返しに、どう答えたものかと逡巡したアナタだったが、隠さず伝えることを選んだ。勿論普通に言っても信じてくれないだろうから、少し濁してだ。曰く、昔の事故の影響で名前を忘れてしまったと。今は友人の勧めでアナタと呼ばれていると。
それを聞いたセラスは胡散臭いモノを見る目でアナタを見た。
「は? 名前だけ忘れたって、そりゃ本当かよ」
確かに信じられない話だが、本当なんだから仕方がない。
「いやいやそういうことじゃなくて――あぁ、いやなんでもない忘れてくれ。いまのは俺が悪かった」
セラスは何か言おうとして、口籠りアナタに謝った。
視線も心なしか胡散臭いモノを見る目から可哀そうなモノを見る目に変わっている。どういう経緯でそういった結論に至ったのか、気になったアナタは何を言おうとしたのかと問いかけようとしたが、口を開いた瞬間ダンカンの声が塗り潰した。
「サジームが見えてきたぞ! 談笑してるのもいいが、そろそろ降りる準備をしろ!」
アナタが顔を馬車から覗かせてみれば、遠くにそびえ立つ巨大な黒色の城壁が見えた。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。
後、評価いただければ作者の今後の執筆の励みになります。