要塞の弱点-3 (にとり、椛)
舞台
妖怪の山…天狗による組織的な警備により、さながら要塞のような防衛機能を持つ。
登場人物
にとり…河童。風邪のような症状で倒れている。
椛…哨戒天狗。にとりの親友。
「……ゃだ……」
「洗濯するから、ほら、出して」
河城にとりは、布団に横になったまま、首を振った。
「新しいパジャマもお布団も汚れちゃうでしょ。ほら。」
犬走椛は、にとりが胸に抱き抱えるパジャマを引っ張った。
「……だって……」
「恥ずかしいのはわかるけどさ。ね?」
「……」
「そのままじゃ臭くなっちゃうよ?」
「……ごめん……」
にとりは、椛の微笑みに負けて、汚してしまったパジャマと下着を渡した。
椛はにこにことそれを受けとると、カゴに入れた。
「さっきのと合わせて、洗っちゃうから。もう夕方だから軒下に干すけど、今日は空気が乾いてるから大丈夫だと思う。ちょっと待っててね。」
「……」
にとりは、目線を反らした。
「やっぱり恥ずかしい?」
椛は、立ち上がりかけた腰をまた下ろすと、にとりの手を取った。
「……ぅん」
微かに頷いたにとりに、椛は語りかける。
「じゃあ、私が来ない方がよかった?一人で、お布団にくるまってる方がよかった?」
「……」
「一人じゃ歩けもしないぐらい具合悪いのに?」
「……」
「私は、にとりが苦しいの、嫌だから。にとりが大変なら、助けてあげたいから。だから、拒まないでほしい。お願い。早く元気になってね。」
そう言うと、にとりに布団をかけると、立ち上がった。
「早く洗わないと黄ばんじゃうから。ちょっと待っててね。」
「……ぁりがと……」
にとりは、去る椛に本当に小声でお礼を言った。
また眠気がやってきて、にとりは目を閉じた。
今日は、体は痛いし重いし、頭はぼーっとするし、熱はあるけど。
心は幸せな気がする。
きゃー。
椛は、選択カゴを抱えて、家の裏の水が引いてある所に来た。
いくら親友とはいえ、洗濯、それも下着、しかもやっちゃったのである。
動揺しない訳がない。
「……気にしない気にしないあんなこと言った手前恥ずかしがらない」
一念発起して、なるべく意識しないようにして、洗濯する。
冷たい水が手に刺さる。石鹸つけて、特に汚れた内側をよく洗う。汗だけの方は石鹸は軽くで、何度もすすぐ。
「……よし。干さなくちゃ。」
洗濯板と一緒に置いてあった縄を軒下の風通しが良さそうなところに張って、パジャマその他全部干す。
空になったカゴは、かこんといい音を立てて、棚に収まった。
部屋を覗くと、にとりはもう眠っていた。
椛は、しょうがないなぁ、と思いながら、枕元に放置してある体温計を取ると、にとりの脇に挟んだ。
にとりは、少し苦しげな表情だけど、特に反抗はしなかった。
目盛りは39.8。
「やっぱり夜になると辛いかぁ。」
椛は体温計を振り、傍らに置いた。
「……ちょっと寝間着とか取りに帰りたいけど、大丈夫かなぁ?」
呟きに返事はなかったけど、席を立つ。
うなされ始めたにとりの額に、濡れタオルを乗せて、椛はにとりの家を出た。
夕闇迫る中、家に急ぎ飛ぶ。
早く戻ってあげよう。一緒にいてあげよう。
そう思って椛は自宅の庭に着地した。
「……うぅ」
にとりは、全身の倦怠感と共に目が覚めた。外はもう真っ暗で、天井の電球がオレンジの光を弱々しく発している。
今日はゼンマイを巻き足してないから、ちょっと薄暗い。
昼頃は少し楽だったけど、今はもう……つらい。
朝と同じで、頭を持ち上げるのもつらいし、体を動かすのも大変。関節痛がまたぶり返してる。
全身が、動かない鉛の人形な気がする。
「……もみ……じ……」
気配が感じられない。さっき洗濯とか言ってたけど、もう終わったと思うけど。
なんだか、体は重いし、なにもかもうまく出来ないし、失敗はしちゃうし、椛は優しいけど私は大変だし、声はでないし、意識は朦朧とするし、椛いないし、恥ずかしいし、痛いし、だるい。
ゆっくりと頭を回っていたのがぐちゃっと一つになって、天井の電球がじわっとにじんだ。
「……」
頬を一筋、二筋と伝う気がする。
声は上がってないと思う。
泣いてるくせにどこか冷静な自分がいて、それで、爆発した感情と理性が別れたみたい。
布団に涙が染み込んでいく。
「またお邪魔しまーす……ってごめんごめん。なにも言わなくてごめんね。」
椛が玄関から入ってきた。
「椛っ……椛っ……いなくて、暗くてっ……やっちゃってっ……つらくて、苦しくて、でもっ……もうやだぁ」
椛は優しい微笑みを崩さないままにとりの頬に垂れる涙を拭った。
「落ち着いて。さっきは言わずに出てっちゃってごめんね。今晩は一緒にいよう。ね。大丈夫。安心して。」
「……でもっ、でもっ、……なんか悲しくてっ……」
「うんうん。今日は疲れたよね。でも大丈夫だよ。」
椛は持ってきたパジャマに手早く着替えると、にとりの布団に潜り込んだ。
「今日は一緒に寝よ?」
「……えっ」
にとりの涙が止まった。
「……大丈夫。心配しない。ね?」
椛は、にとりの体を背中からぎゅっと抱きしめた。
「……うつっちゃ……」
「ほら、早く寝よう?ね?」
「……ぅん……ぅん……ごめん……」
にとりは、また涙が出始めるのを感じた。さっきより暖かい雫が、頬を伝って、椛の腕に落ちた。