兄という立場
恵が帰ってきたのは夜の7時頃だった。
俺はそれまでにノルマの宿題を美沙輝とこなし、晩御飯は食べるというのでその支度をしていた。
「たっだいまー!おにいーちゃーん!」
そして帰ってくるなり俺の胸に飛び込んでくる。
突き放す気もないので、飛び込んできた妹の頭を撫でてやる。
「楽しかったか?」
「うん!すっごく!お兄ちゃんは私がいなくて寂しくなかった?」
「久々に羽を伸ばせたな」
「え?お兄ちゃん、普段羽をしまってたの?今から出して!」
「比喩だっつの」
こいつは実際に翼の生えた人間を見たことがあるのか。いたら是非俺にも教えてほしい。
「あ、お兄ちゃんご飯作ってくれたんだ」
「お前がそれぐらいには帰ってくるって言ってたからな。なんか食ってきたのか?」
「ううん。お昼ご馳走になってから何も食べてない。それじゃ、いただきまーー……す?」
「冷めてるから温めてやる。あと手洗ってこい。ご飯はそれからだ」
「はーい」
もう妹というより、親と娘だなこれじゃ。俺はお母さんだった……?
恵の晩御飯を電子レンジで温め、タイミングよく戻ってきたところに出してやる。
俺は恵の対面に座ることにした。
「いただきまーす」
「恵」
「もぐもぐ。なに?美味しいよ?」
「いや、料理の感想聞きたいんじゃないけど。宿題やってるか?」
「香夜ちゃんがいる中で何もしないという選択肢があると思ってはならないんだよ」
「アリサちゃんだけだったらやらなかった可能性があったのか」
「でも、まあ香夜ちゃん様々だよ。おかげで出された課題の半分ぐらい終わったもん。でも、これ終わってもまだ課題は出てくるらしいんだよ……。お兄ちゃん何か聞いてる?」
「いや、夏休み入ってからそういや会ってねえな……。明日あたり大丈夫かな」
「明日はバイトだって。そうだ!明日の晩御飯ファミレス行こう!」
「あのな?恵」
「はい」
「ご飯を食べるのはタダじゃないんだ。お前は払ってないからあまり関係ないかもしれんが、お金というのは使えば減るものだ」
「あまりないの?」
「いや、普通にあるが、お前に節制という概念を教えたくてな」
「お兄ちゃんのご飯が不味いからとかそんな理由じゃないんだから。香夜ちゃんに会いたいんだよ」
「……お前って俺以上に香夜ちゃんの事好きだよな」
「大好きだよ?香夜ちゃん」
「まあ……香夜ちゃんもそれで幸せなのかもな」
「?」
あまり彼女は友達を作れない子だと言っていた。本人は可愛らしいし、人気の出そうな容姿なのだが、そもそも香夜ちゃん自身は自分から喋ろうとしないのだ。
社交性の問題かもしれないし、香夜ちゃんの家庭環境がそれをもたらしてしまったのかもしれない。
恵は香夜ちゃんのことをどこまで知ってるのか分からない。でも、こいつの能天気さに香夜ちゃんも救われてる部分もあるのかもしれない。
「ふい~ごちそうさま~」
「食器は冷やかしておけよ。あとで洗っておくから」
「アリサちゃんの家は食べ終わったらすぐにデザートが出てきたよ?」
「うちはアリサちゃんの家じゃないから出てきません。風呂沸かしてあるから先に入ってこい。あとつっかえるから」
「後って、お兄ちゃんしかいないじゃん」
「そういや、親父が8月の頭ぐらいに帰ってくるとかそんな連絡があったような」
「なんでそんな中途半端な時に?お盆とかじゃないの?」
「いや、会社の休み事情で休む日を分けてるみたいだな。親父はそこに当たっただけだ。というわけで帰ってくるらしい」
「ええ~帰ってこなくていいよ。むさ苦しいだけだし。三者面談で会ったし。私はお母さんに会いたいよ」
「お前は自分の親が誰なのかをもう一度考えろよ……。それに母さんはたまにふらっと帰ってくるからな。さながら台風だ」
「そういえば、一学期は休みにならなかったね。台風発生してないの?」
「上陸する前に消滅してるんだよ」
こいつは一切合切天気予報というものを見ないからな。全部俺任せ。雨が降るかどうかも俺に確認を取っている。だから、俺はお母さんかよ。
「でも、天気予報なんてどうやって分かるの?」
「お前は天気図とか理科の授業でやらなかったのか」
「え?あ~う~ん。そんなのがあったようななかったような……」
「覚えてないなら覚えてないでそれでいいから。別に怒らんし、俺が教えてやる」
「あ、あはは。すいません」
「まだ中学の教科書あったよな。これは覚えてて損のない知識だからちゃんとやるんだぞ」
「は~い。……お兄ちゃん」
「なんだ?」
「お兄ちゃんの言葉通り取るならほとんどの知識が覚えて無駄な知識と聞こえるんですが」
「ぶっちゃければそうだ。でも、なんで勉強するかという話になるが」
「うん」
「高校程度の勉強からも逃げた奴が社会で適応できるかって話だからな。会社で働くにしろ結局覚えてることが出てくる。それも一種の勉強だ。だから今から最低でも言われたことを”覚える”っていう習慣をつけるんだ」
「ほー」
「今は教えてる奴らが俺とか美沙輝とか香夜ちゃんとか天王洲先輩だから間違えたら何度も付き合ってやるし、出来るまで教えてやれるけどな。そうやって働くようになったら教えてくれるけど、何度も聞き返されたり教えを請うてたら向こうにだって仕事がある。それだけで無駄な時間を取らされることになるんだ。まあ、人間だからミスが出ないことはほぼありえないけどな。でも、出来る限り聞いたことを自分なりにすぐ吸収する必要がある」
「……私は社会不適合者だったみたいです。死ぬまでお兄ちゃんの脛をかじって生きていきます」
「こらこら。お前はまだ一年だろ。そら、勉強はできるに越したことないし、やるに越したこともない。でも勉強ばかりやってても行動というものが伴わなければ仕方ないしな。でも、恵だってこの一学期の間勉強やっててなんとなく勉強のやり方っていうものが分かってきたんじゃないか?」
「なんかね、お兄ちゃん」
「ん?」
「習慣というのは怖いもので、いつの間にかこれをやらないと落ち着かないという気分になってきたわけです」
「いい傾向だな」
「でも、ふと思ったりするんだよ。なんで私はこんなに頑張って勉強してるんだろ?って。別に私が頑張って1番を取ろうとしなくても、私はもっとやることがあるんじゃないか?って」
「うーん」
恵の話が一理ないわけじゃない。
俺だって一年のしばらくの間はテニス部に籍を置いて活動していた。
恵だって、勉強、勉強言ってるが、天文部に入って活動している。束縛して、やりたいことがまったく出来ない状態を作ってるわけではないが、今まで習慣としてなかったものが生活の中に入ってきたせいで、自分の時間が少なくなっているというのは感じるところなのかもしれない。
でも、恵はほぼ1からのスタートなのだ。他の人と合わせていたら恵の目標とするところに到達することは難しいと俺は判断した。
だから、家に帰ってから。それでも2時間程度だが、勉強する時間を設けた。それ以外は恵が何をしていようが俺は口を挟まない。まあ、夜遊びだとか非行はさすがに取り押えるけどな。恵にそんなことをしようとなんて考えは一切ない。良くも悪くも純粋なのである。
「恵。生徒会長やりたいって言ったよな?」
「うん」
「その気持ちは今も変わってないか?」
「うん。天王洲先輩から色々話聞いてるんだよ?毎年立候補者は少ないから恵ちゃんのようにやる気がある子なら是非してほしいって」
「生徒会長っていうぐらいだからな。全校生徒の代表なわけだ」
「うん」
「やっぱり代表となるんだからそれ相応の威厳というものが必要だな」
「威厳……」
「まあ、恵は今は就職クラスの方だから対抗馬が進学クラスから出たりすると一気に苦しくなるな」
「どうして?」
「印象の問題だ。お前が頑張ってることは俺たちは知ってる。でも、生徒の過半数はまずお前の名前すらも知らない。そうすれば何かしらの肩書きから判断することもある。そうすると、進学クラスと就職クラス、さらには学年というのも関係してくるな」
「次……2年生で進学クラスにあがるとしても?」
「そうだな。現段階での肩書きが判断基準だ」
「うう……それじゃ私は難しいの?」
「まあ、半期ごとに交代だからなうちは。次は9月に行われる」
「出馬してもいいん?」
「今の段階じゃ先生方から却下喰らうわな。それなりの格というものも必要だからな」
「格……」
「今じゃ難しいが、国家資格を取ってるだとか、成績優良者だとか、部でレギュラーだったり部長やってますだとか、そんなんだな」
「ぐ……」
「今のホワホワなお前のままじゃ先生方から認印がもらえん」
「うぐぅ。……なら私はどうしたらいいの?」
「ふむ。現役の三年生は後期は受験とか就職があるから基本的に生徒会には出馬しないけどな……」
「なんの話?」
「ちょっと天王洲先輩に掛け合ってみるか」
「だからなんの話?」
「あくまで俺が言ったのは”生徒会長”という役職の話だ。いきなり出馬したところで総スカンを食らう可能性もある」
「総……すかん?」
「まあ、好意的な意見が得られないってことだな。言ったろ?格が必要だって。ないなら作ればいい」
「作るって言ったって……どうやって?」
「下積みがあればいい。あくまで生徒会長にならなくても生徒会というのには役職がある。幸い、うちの学校は立候補者が毎回少ない。ほぼ信任決議のみで決まる。まあ、だから言ってしまえばだが、出馬した時点でほぼ当選してるようなものだ」
「なら、その格っていうのに拘ることもなくない?」
「まあ、投票になった場合の確率を上げるためだ。前にも生徒会やってましたっていうなら、この人なら大丈夫だろうって判断材料にもなる」
「……お兄ちゃん。そこまで計算できるなら自分がやればよかったのに」
「俺はお前と自分の周りの人間以外のために自分を犠牲にしようなんて殊勝な精神は持ち合わせてないからな」
「お兄ちゃんって結構敵を作りやすいタイプだよね……」
「味方にしたら心強いぞ。ただし、その味方からは集中砲火を食らう」
「ダメじゃん」
「だからあくまで俺は参謀だ。あと立候補するにも推薦責任者っていうのが必要でな。自分ことをアピールしてくれる人が必要だ」
「お兄ちゃんでいいよ」
「アピールしてやりたいし、お前の可愛さを全校生徒に知らしめてやりたいことは山々だが、まず大前提として俺は教師に嫌われてるのだ」
「もうお兄ちゃん、何をしたらそんなことになるの……?」
「一年の頃からの積み重ねだな。授業態度悪いくせにテストは好成績ばかり残すからそら印象は悪くなるわ。先生がそんなやつを推薦責任者にしてもいいとかいうか?」
「言わないね……」
「あと香夜ちゃんも止めとけ」
「なんで?」
「あの子壇上に上がって喋るとか淡々とこなすだけだから印象に残しにくい」
「だ、誰だったらいいの?」
「本来なら天王洲先輩に頼みたいけどなあ。来年前期の生徒会選挙のためならそれでいいけど、今回やるとすると……そうだ」
1人いたな。アリサちゃんでも美沙輝でもなく、同じ天文部で、恵と同じクラスの子が。
その子であれば恵が頑張ってる姿も知ってると思うし、クラスでどんな人なのか、客観的に伝えることができるのではないだろうか。
まあ、問題はその子がうまく伝えられるのか、引き受けてもらえるのか、その二点なのだが。
「どうしたの?」
「ま、後のことは任せておけ。こんなもんは言ったもん勝ちみたいなところもあるからな。今日はちょっと勉強して俺と遊ぶか」
「本当⁉︎最近ゲーム買ったはいいけどやる時間なくて、一緒にやろ!」
俺は恵に手ほどきをしてやることは出来るが、きっとどこかへ導いてやるということはできない。それは恵が決めることなんだから。
だから、恵がやりたいようにやらせる。
兄として、恵がやりたいことが最大限できるように助力する。
妹が頼って力になれずに兄は名乗れないだろう。
使えるものは全部使おう。
俺は1人の女の子と連絡を取ることした。




