君にかける言葉
『私と一緒にいてください』
最後に彼女が絞り出すように出したその言葉が、紛れもない彼女の本心なのだろう。
いつか、美沙輝が言っていたな。この子は、くっつくか離れるかの二極しかないということを。
気づいてしまった時から、人を信じれなくなったのだろう。唯一信じてたのが、裏表なく、それこそ等身大でいた恵だけだったのかもしれない。
だから、憧れていて、恵のようになりたいと願っている。でも、それは叶わなくて、自分は自分でしかいられないから。それでも、自分をどう表現したらいいかわからなくて、殻にこもりかけていた。
恵がいなければ、香夜ちゃんはどうなっていたのだろうか。
考えても、それは事後のことなので今どうなっているか、そちらを考えることの方が重要である。
どうなってる?
自分の境遇を話して、彼女は一人その瞳に涙を溜めて俯いたままだ。
……俺に、一緒にいて離れないで欲しいと告げたまま。
最善は、俺が近くに寄って抱きしめてあげて、泣き止むまでそうしてあげることが正しいのかもしれない。それで、香夜ちゃんは救われるのかもしれない。しばらく、俺を避けていたという罪悪感から。
でも、このまま香夜ちゃんを甘やかしていいのだろうか。たぶん、香夜ちゃんがこう言ってるのは、離れてしまっていた時間というよりは、俺に嫌われたかもしれない、という意識からかもしれない。無論、そんなことはないし、おれはいつでも香夜ちゃんの味方で、頼れる先輩でいたい。
でも、だからこそ、香夜ちゃん自身にも強くいてほしい。
俺は、椅子から立ち上がり、香夜ちゃんのよく梳かされた髪を撫でてあげることにした。
これで、なんの慰めになるかはわからない。でも、何もしないより、ただ香夜ちゃんは一人じゃないってそれだけを伝えたい一心で撫でていた。
俺が、かけるべき言葉はなんだろう。
いつも、浅はかだって言われる。言葉が軽いって言われる。そんな俺に、彼女に届くような言葉を言えるのだろうか。それこそ、その場しのぎの一時のものになってしまわないか?
でも、言葉は出さなきゃ伝わらない。
「香夜ちゃん。俺はここにいる。少なくとも黙って香夜ちゃんの目の前からいなくなったりはしないよ。俺だけじゃない。恵だって、美沙輝だって、アリサちゃんだって。みんな香夜ちゃんのことが好きだからな」
「……こんなワガママで自分勝手な子でもですか……?」
「香夜ちゃんでそうなら、恵なんかもっとだぞ。さらに言うなら俺だってそうだ。俺はいつだって、自由に適当に、俺がやりたいことをやってる。それが自分勝手でワガママじゃなくてなんなんだ?……だからさ、香夜ちゃんはもっと人を頼るべきなんだよ。辛いことを自分一人で抱えないでさ。香夜ちゃんは大人は信じられないかもしれない。でも、信じていい人は近くにいるだろ?」
コク、コクと二回、泣きはらした顔で香夜ちゃんは頷いた。
その返事だけ聞ければ十分だ。
あとは……そうだな。
「香夜ちゃん、あのさ。そのままだと俺が泣かしたみたいで大バッシング食らうと思うから顔、洗ってきてよ。恵とアリサちゃんは先に学校行っとけって伝えとくから」
香夜ちゃんは黙って、立ち上がって、リビングを出た。おそらく洗面所へと向かったのだろう。洗面所がどの位置かまで把握はしてないが。
さて、俺はどうしましょうかね。
俺もリビングを出ることにした。
「……どこから聞いていたか知らんが、君たち二人は学校に先に行きなさい。恵、お前どうせ一度家に帰ってるだろ。支度は整ってるはずだよな?整ってないのなら今すぐ家へ帰って学校へ向かえ」
階段の物陰にでもいたのであろう、二人がおそるおそる俺の前へと出てきた。
「盗み聞きとは趣味がよろしいな?」
「あ、あまり恵ちゃんを責めないであげてください。……私が悪かったですので」
「何も言わずに香夜ちゃん降りてきたんだな」
「お兄ちゃんをそのまま追い返すと思ったんだよ。でも、思ったより時間かかってたから様子見に来たら、なんか入りにくい状況で……話まで聞き取れなかったけど」
「……俺の口から言うことは何もない。香夜ちゃんがいつか話すかもしれない。でも、お前たち二人から聞くことはするな。……俺が言いたいのはそれだけだ。アリサちゃん。恵のこと頼むわ。香夜ちゃん、もう少し時間かかりそうだから」
「……弱みに付け込んで何かしないでくださいよ」
「……毎度思うけど、俺、どんな目で見られてんの?」
「人の下着を四六時中狙ってるような人ですからね」
「この金髪少女め。バラすぞ」
「いや〜変態が伝染ります〜。ほら、恵ちゃん。こんな変態お兄ちゃんから離れて私と学校に行こう?私にも星座教えてほしいな」
「え、う、うん」
後で埋め合わせしてくださいよ、とでも言わんがばかりにこちらに目配せをしてアリサちゃんは恵を連れて行ってくれた。
まったく、有能な後輩ばかりで頭が上がらないね。
二人が玄関から出て行ったのを確認して声を出すことにした。
「出て行ったぞ」
後ろの方から扉が開く音が聞こえ、そちらに振り返ると香夜ちゃんの姿があった。少しばかり、前髪が濡れているのは涙の跡か、顔を洗ったからかは分からない。でも、先ほどよりは落ち着いたみたいだ。
「すいません、先輩」
「可愛い後輩のためだからな」
「……襲わないでくださいよ?」
「いや、だからね?俺、どんだけ見境いのない鬼畜野郎みたいな扱いされてんの?そんなことをした記憶は一切ないんだけど」
「してそう、という固定概念からです。すいませんでした」
謝っとけばいいというこの風潮。香夜ちゃんだから許します。いやー、俺って本当に寛容。ただ、甘いだけとも言います。
「……私の部屋に来てください。本当は上げたくはないのですけど」
「そこだけは頑なに拒みますね」
「……でも、いつかあげるとするならば、それはいつでも変わらないので今あげます。クローゼットとか触らないでください。私が指定した場所に座っていてください。動かないでください」
やっぱり信用ないですね。確かに釘を刺さなければやってたかもしれないけど。
ならば、俺を部屋に案内しなければそれで解決する話ではないのでしょうか。
「……まあ、いつかのためです」
「いつか……ねえ」
そのいつかは本当に来るのだろうか。恵がいつか、俺たちから離れて、俺たちの目がなくても、自立して。……そして、俺がいつか……。
そんな先のことを考えても仕方ないと思うのか、すぐのことともう考えておいたほうがいいのか、それは迷うところではある。
「突き当たりの部屋です」
「部屋、多いな」
「……ほとんど使ってない空き部屋ですけどね。物置部屋にもなってますが」
「ふーん」
「……あまり興味はなさそうですね」
「香夜ちゃんの部屋には興味しかないけどな」
「……しばらく使ってない部屋にでも監禁しておきましょうか」
「どんどん愛が重くなっていくよ」
「言ったじゃないですか……私と一緒にいてくださいって」
「方向が歪んでる気がしてならない」
「まあ9割がた冗談ですので、入ってください。粗茶も出ないですけど」
1割は可能性はあったのか?
そして、俺は香夜ちゃんに招かれるがままに部屋に足を踏み入れた。
「で、俺を入れてどうすんだ?」
「……特に何もないですね。美沙輝さんのところへはいつまでに行けばいいんですか?」
「たぶん……天体観測始める前にやると思うから……あと、1時間以内には行かないとあれかなあ。香夜ちゃんを盾にすれば免れるかもしれんけど」
「……なんか曇ってません?」
「………」
香夜ちゃんの部屋の窓から外を見ると、確かに夏というのに少しばかり暗くなる見える。
「まだ梅雨明けてなかったんだっけ?」
「あと、1週間ぐらいだと思いますよ。……プール行きたいんですよね」
「そーだな……出来ればみんなと……そのためにも今日は合宿の話をする予定なんだよな」
「……もしかして、合宿するという話だけなんですか?」
「うん」
「……はあ。相変わらず何も考えてないですね」
「部長を介さず、天王洲先輩に直接掛け合って成立させたんだぜ?」
「それはそれで問題がある気が……」
「大丈夫。矢作だし」
「意味がわからないし、矢作さんが可哀想です。で、細かいことを決めようと全員集めて話し合いですか。人数多いクラブならまず収拾つかなくなるところですのに……」
「うち、四人だし」
「え?五人では……」
「だって、俺に美沙輝に香夜ちゃんにアリサちゃん。四人じゃん」
「先輩。そのままでは十月にあるという会議で部に昇格できなくなります。アリサちゃんが入って五人と言っていたのに……」
「はて、誰だっただろうか」
「確か……山……山……なんとか山さん」
「力士みてえだな。まあ、美沙輝なら把握してるだろ」
「……先輩。仮にも私のこと好きなんですよね?」
「超大好き。迸る愛が抑えきらないほど」
「……そこまで好きなのに、その好きな子の部屋に入ってなんのリアクションもなしですか。がっかりとともに私は悲しいです」
「理性で抑えてるという考えには至らないのかい?」
「だって……先輩、欲望の塊じゃないですか」
……………
「先輩。黙って人のベッドに乗って体操座りをして顔を埋めないでください」
……………
「体勢変えて枕に顔を埋めないでください。通報しますよ」
「いい匂い……この枕持ってっていい?」
「ダメに決まってるでしょう。私、今日から枕なしで寝ろというんですか」
怒るところそこですか?
「よし、俺のと交換しよう」
「代替案になってな……いです」
少し詰まってるぞ。一押しすればいけるか?
……やめとくか。香夜ちゃんの匂いを堪能したので、これで引き上げるとするか。
「香夜ちゃん。そろそろ行こう」
「そうですね」
立ち上がって出ようとしたが、改めて香夜ちゃんの部屋を見渡した。
……殺風景だな。必要最低限のもの以外……いや、なんか妙に少年マンガが目立つ。そういや、好きだって言ってたな。まあ、逆を言えば、それ以外は目立って女の子らしいといえるようなものがあまり置いてなかった。
元々、そういうことに無頓着だったのだろう。
でも、それでは香夜ちゃん折角可愛いのにもったいなく感じる。
だけど、俺にその類のセンスを求めることはまた筋違いである。興味がないといえばそれまでだけど……これ以上の追求はやめておこう。
部屋を出ると、すぐそこに壁にもたれかかって立っている香夜ちゃんがいた。
「どうでしたか……って聞くのもなんですね。あまり、想像していたものとは違ったでしょう?」
「仕方ないといえば仕方ないのかもな。でも、あれから大改造、って別にしたくもないだろ?」
「……せめて、床を変えれば印象変わるでしょうか?」
「フローリングごとでなくても、カーペット敷くだとかでも全然変わると思うぞ」
「じゃあ、また付き合ってください。先輩が可愛いと思ったものでいいので」
「そーいうセンスは前にないって言ったけどなあ」
「私は先輩に選んでもらいんたいんです」
下から覗きこんで、少し不機嫌っぽく言う後輩にそれ以上言い訳ばかりをする気も起きなかった。
「じゃ、また今度な。さて、そろそろ行かないと部長さまからカミナリ落とされるからな」
「落とされるのは先輩だけので私は大丈夫です」
「まったく不公平な世の中だ」
「私後ろ乗りますので先輩漕いでください」
「……それはいいんだ。それは……」
「どうしたんですか?」
「帰りが怖いので傘貸してください」
「……私折りたたみ傘持ち歩いてるので、降ってたら貸してあげます。最後まで締まらないですね先輩」
「そう言ってくれるな。いつかはちゃんとやるから」
「いつになるんでしょうね」
自転車のスタンドを外し、後ろに少しばかりの重りを乗せ、走り出した。
現時刻、17時。
また、美沙輝に怒られるんだろうなあ。
ほぼ確定事項のことを思ってると、今から行くのが若干ながら憂鬱になっていた。




