39話:料理研究同好会として
足取りが一向に早くならないまま、俺は恵と香夜ちゃんに引きずられる形で部室という名の家庭科準備室へと運び込まれた。
嫌だ。まだ奴隷になりたくない。俺の心の叫びはみんなに届いているはずだ。
「懇願するような目で私を見ないでください。私を頼っても賭けをしたのはお二人なんですから。当事者で話をまとめて下さい」
あなたも当事者ですよね?
そう思ったが、香夜ちゃんは成績だけ渡して、恵のテストを見てあげるようです。
そして、俺の視線の先には、静かに、というよりはどこか意識がどこかに行ってしまったかのような状態の美沙輝とようやく復帰したもう一人の部員。
「悪い!お前もう一度名前教えてくれ」
「山岸だよ!部員の名前忘れんな!」
「悪い悪い山中くん」
「以前に同じような間違われ方をしたような気がする」
「まあ、来ない上に男だから忘れるのも仕方ないな」
「いつ活動してるのか全然宮咲が教えてくれねえから」
「……何週間ぶりぐらいだ?」
「停学明けに指導を避けて以来だから三週間ぐらい」
「そりゃ忘れるわ。謝りなさい」
「すま……なんであやまる必要あるんだよ⁉︎」
「そりゃ悪いことしたからには反省の意を込める必要はあるだろう」
「人の名前を忘れてたお前が言えることですかねえ⁉︎」
「いや、記憶力はいいぞ。現に一個の賭けに勝った。証拠を後で見せる。が、お前だけは登場するごとに名前を聞くのが礼儀かと」
「そんな礼儀はいらねえ‼︎」
「あーもううっさい‼︎騒ぐんなら外で運動してこい‼︎」
「なんだよ宮咲。さっきからカリカリしてよ」
「やかましい!お前は料理ぐらいしか能がないんだから手料理の一つや二つ、すいませんでしたって作ってこい!」
「……食材は?」
「3時半からここのスーパーでタイムセールがあるわ。広告に印打っておいたからその通りに買ってきてちょうだい。それで一割は許してあげるわ」
「よっしゃ行ってくる!」
実際のところは0.1割ぐらいなんだろうなと思いつつ、外へ出て行った山岸を見送った。
校庭をすごい勢いで突っ走り校門を抜け曲がっていく。あの無駄そうな体力はどこからくるんだろうか。
しかし、あいつはあいつで何をそんなに恨みを買う真似をしているのだろうか。
声を荒げたせいか少し息が上がっている美沙輝に今度は目を向けた。
「はあ……はあ……」
「大丈夫か?」
「大丈夫よ……もう、あんたが来ると調子が狂う」
「ペースを乱していくのが俺のジャスティス」
「そんな持論は捨ててくれないかしら。話が進みやしないわ」
「まあ、早いほうがいいわな」
俺は二人の成績表を美沙輝の前に差し出した。
それを美沙輝は受け取り見比べる。
見比べる回数が多いのは一個で勝っていたらという条件の下だから見落としがないようにするためだろう。
見終わったのか、成績表を俺に返してきた。
「ま、賭けは私の勝ちね」
「……負けた以上は言うことを聞こう」
「そうね……もう一度部員勧誘しますか」
「なんだってまた」
「真面目な男子がいいわね」
俺たち二人が役立たずってことですね。すいません。これから私はあなたの奴隷となりますが。
「しばらくはあんたを顎で使えるわけね。優越感が半端じゃないわね」
「性格歪んできてないか?」
「誰かに毒されたんでしょ」
正直こんな制約を設けなくても俺は美沙輝からの言うことはだいたい聞いてきた気もするが、俺に勝っているという証明が欲しいんだろうか。
「ひとつ、代わりと言ってはなんだけど、二学期の奴隷は開放してあげるわ」
「なんだ?その気の回しは。怖いぞ」
「人の善意ぐらい素直に受け取りなさいよ……。まあ、実際こんなことしても意味はないし。育也。あんたは私の言うことなら聞いてくれるでしょ?」
「聞ける範囲というものもある限度はあるけどな」
「あんたなら何だってできるわよ。ひとり無人島に着の身ひとつで行ってもやりくりできると私は信じてるわ」
「評価してくれてるとこありがたいが、俺の場合一人でいると孤独死するぞ」
「依存してるのはあんたの方だったか」
人間何かしらの生きがいがないとやっていけないよね。
俺の場合はそれが恵を世話する、構ってやるそれが生きがいなのだ。だから、ひとりでほっぽり出されても、俺がやることなんて途端になくなる。
生きるために何かをするという気概が俺にはないのかもしれない。誰かが喜んでくれればいいのだ。
でも、それが誰かが喜ぶ一方で誰かが知らず知らずに泣いてる状況は看過できるものではないけど。
「なあ、美沙輝」
「なに?」
「なんか俺に対して怒ってることないか?」
「なに急に」
「いや、さっき山岸がなんかカリカリしてるって言ってたからさ……あとさっき、俺と香夜ちゃんが話してたの聞いてたろ」
「……なんで見えてなかったはずなのに知ってるのよ。まあ、隠すようなことでも……私がわざわざその場から立ち去らなきゃ行けなかったのはなんか腹立たしかったけど」
「別に来ても構わなかったけどな」
「なんかね……あんたと香夜ちゃんが二人でいるのを見ると割って入ることが出来ないのよ。話してる内容はどうでもいいとして。あんたはいいかもしれないけど、香夜ちゃんのほうかな。育也は私のものですって主張してるようかオーラが出てる気がするのよ。割って入ったら刺されそうだわ」
香夜ちゃんがねぇ。
的をいてるような気がしなくともない。なんとなく独占欲は強そうに見える。私が、私が、って口には出さずとも勘付いている人にはそう感じるのだろうか。
「いや、香夜ちゃん。結構、先輩、先輩って尻尾振ってわよ」
「マジか」
「口が裂けても肯定はしないだろうけどね。あの子天邪鬼だし」
「人との付き合い方があまりわかんないんだろ。まだクラスで話せるような人がいないって言ってたし」
「ふーん?」
「なんか含みのある聞き方だな」
「まあ、香夜ちゃん大人しいからね。高校上がったばかりだと猫の皮被ってるのばっかりだから本質が見えてこないと話しかけづらいかもね。それこそ自分から話しかけるとかしないと」
「するタイプにも見えないし、そもそも中学時代の友人が恵ぐらいしかいないって言ってたぐらいだしな」
「まあ、あの中学からここに上がってくる人が少ないんでしょ。私立で学区から離れてるから」
「お前はなんでここ選んだんだ?」
「……あんたを追いかけてきた、って言ったら?」
不意を突かれて言葉に詰まった。
一瞬、真面目に見つめていたのかと思ったら、美沙輝はすぐにクスクス笑い出す。
「なーんてね。近くのよりここの方が制服が可愛かったからかな。あんたもあんまり自惚れてんじゃないわよ」
「うっせえな。ちょっち期待してもいいだろうが」
笑いながら、美沙輝は空気を入れ替えようとしたのか窓を開けた。少し風が強いのか、制服のスカートがはためいている。そんな中で美沙輝の口が動いているのだけ確認できた。
「ねえ、香夜ちゃんじゃなくても、私が告白してたらあんたはどうした?」
「なんだって?」
窓を開けたまま美沙輝は俺に詰め寄って頬を引っ張り上げる。
「なんでもないわよ。今度は香夜ちゃんのクラスの男子を勧誘しに行くわ。分かったわね?」
「ひゃい」
風にかき消された言葉は教えてもらえないまま、俺は隣の家庭科室でテストの見直しをしている二人の元へと向かった美沙輝を見送っていた。
あいつ、何が言いたかったんだろう。
頬に残された痛みに問いかけても分かることはなさそうだった。




