約束の言葉、この場所で
俺もあの高校を卒業し、大学生となった。もしかしたら就職するという選択肢もあったけど、働いてる自分という姿が想像出来なくて、とりあえず学歴だけを求めて進学という形をとった。
ただ、勉強も難しいとはいえ、大学生というものは日程なんてものはガバガバ過ぎて、特に出席をとったりしないものもあるために高校生と違って制約が少ない。
「おにーちゃん。学校行ってくるねー」
「おう。迷子になるなよ」
「ならないもん!」
さすがに2年も通ったので、迷わずに行けるようになったらしい。うちの近くに一緒に行ってくれる子がいれば俺もこんなやきもきしなくてもいいんだが。いつも、ちゃんとたどり着けてるのかが悩みの種だ。
まあ、いつも遅刻してくるとか学校から連絡はないからたどり着けてはいるのだろう。通学路で迷子になってるとか元生徒会長の名が廃るわ。
そういえば後任の生徒会長誰になったんだろうか、また恵に聞いてみよう。前期の生徒会長は3年が卒業してから決まるのだ。
「もう、こんな時間か」
確か今日は3コマ目に講義があったな。そろそろ出るか。
「……帰りてえ」
家を出た瞬間にこんなことを考えているあたり俺はかなり怠惰になっている気がする。同じ大学に通ってる天王洲先輩は医学部ということもあり6年通わなきゃいけないのに、4年でいい自分がこんなんでいいんだろうか。しかもまだ1年目だし。
美沙輝も頑張ってるのかな。あいつは県外の大学に行った。何やら中学の頃の友達が高校で県外に行ったらしく、そのままそっちで大学に進学するらしいのでそのツテを頼って県外へと行ったのだ。ただ、あいつ場合はどちらかと言えば姉から出来る限り逃げるためだと思うんだが。
それでも、離れたもののお互い近況報告はしている。恵が天文部ではなく料理研究部のほうに入り浸っているので割と情報がいくらでも入ってくるのだ。ただ入り浸りすぎて、ちーちゃんに怒られているらしい。どうにかしてくださいとちーちゃんからも言われてる。お前は少しは自重しろ。元生徒会長の肩書きが泣きまくりだぞ。なんかアリサちゃんと喋っててその流れで料理研究部に行ってしまってそのまま居つくらしい。半ば部員としても新入生から間違われてる始末とのことだ。何やってんだうちの妹。
そんな感じで一か月が過ぎ、ゴールデンウィークも明けた。電車通学にも慣れたが、いかんせん、うちが田舎のために大学は都市部の方にあるから通学時間は片道で1時間ほどかかる。
下宿も考えたが、さすがに恵を1人にするのは気が引けたし、なんだかんだ自宅が一番落ち着くので今のところはこれでいいかと考えている。
「あー早く着きすぎたな……」
自転車を駐輪場に置き、時間を確認すると乗る予定の電車の出発時刻まで15分ほどあった。どれだけ早く着いてんだ。ホームで時間を潰すことなんてねえぞこの野郎。
まあいいや。ホームで待つか。
田舎とはいえ、電車の本数は1時間に4,5本あるので、一個乗り過ごすとマズイとかはない。それでも、ギリギリな人もいるのか、走って行ったり出てくる人たちは我先にと改札口を目指していく。
もっと余裕を持って出ればいいのにな。
これは一本早いやつだから、俺はそれを見送った。
その電車が通り過ぎた反対側のホームに俺はいるはずのない、人物を見た。
……まだ間に合う。
時計を確認して、階段を一段飛ばしに駆け上がり、反対側のホームに向かった。反対側の電車がいつ来るか分からない。そもそもなんで平日のこんな時間にいるかなんて俺が知るはずもない。
だけど……
「香夜ちゃん‼︎‼︎」
「は……え……?せ、先輩?なんでここに」
「こっちのセリフだよ……」
「……電車、こっちですか?」
そういえばそうだ。俺、反対側から来たんだしな。
「……いいや、今日は。一緒していいかな」
「あ、はい。どうぞ」
もうあと5分ぐらいで来る電車に2人並んで待った。
中途半端な時間ということもあり、乗り込んだ電車はかなり空いており、2人で座ることができた。
「……いつ戻ってきたんだ?」
「昨日です。来週の月曜からあの学校に復帰します」
「そっか」
「……なんで戻ってきたのかは聞かないんですか?」
「まあ、聞いてもどうしようもないことだし」
「……変わらないですね、先輩」
「香夜ちゃんは……少し髪伸びたな」
「先輩が長い方が好きだって言ってたので、また伸ばし始めたんです。と言っても、一年程度ではあそこまでは伸びないですが」
『○○駅にもうすぐ到着です』
「あ、降りますよ先輩」
「ここ、アリサちゃんの乗ってる駅じゃないか」
「ちょっとアリサちゃんの家に用事がありまして」
「またなんで」
「それはまた後で。先輩はニートですか?」
「質問おかしいだろ⁉︎ニート扱いかよ!」
「じゃあ、こんな中途半端な時間に何やってるんですか」
「大学に行くつもりだったんだよ。今日は3コマ目からだから昼行けばいいんだよ」
「聞いてた以上に大学も暇なようですね」
「まあ、恵もそんなに手がかからなくなったからなあ」
「いいことじゃないですか」
「いいこと……なんだけどな。お兄ちゃんとしては寂しいんだよ」
「めぐちゃんにもまた会いたいです。……この用事が終わったら先輩の家に行ってもいいですか?」
「そういや親父さんは」
「それも関係のあることです。言ったことなかったですが、私のお父さんの仕事はアリサちゃんのお父さんの会社の下請けだったみたいです。転勤してたのは他のところの視察に行っていたそうです」
「それが終わったってことか」
「はい。期間は分からなかったそうです。でも、早めに終わってこうして戻ってきました」
「そっか。恵やアリサちゃんも喜ぶよ」
「そうだと私も嬉しいです」
「で、なんで香夜ちゃんがアリサちゃんのお父さんに会いに行くんだ?」
「話は通ってますよ。まあ、挨拶みたいなものです。私から頼んだので。一応成果の報告を直接するんです」
なんだかなあ。そういえば、アリサちゃんの家といえば、あの交渉?以来行っていない。アリサちゃん自身が色々忙しそうだったし、俺自身も受験の準備もあったので、人の家に行くことがあまりなかったな。逆にうちに来ていたことは何度もあったのだが。理由は恵がこっちに来るまでに迷子になりかねないから。
行動範囲が限られてる妹ですいません。
「俺、あのおっさんに大変嫌われてると思うんだがどういたしましょ?」
「何やったんたんですか」
「いや、前にアリサちゃんが文化祭に出るかどうかって話あっただろ?その時の交渉で向こうの態度に腹たってコーヒー投げつけた。外したけど」
「一応、向こうは大企業の社長ですよ」
「知ってらあそんなこと。腹がたつおっさんだったから仕方ない」
「先輩は怖いもの知らずなんですか……」
香夜ちゃんに飽きられてしまった。一年顔も合わせることも、声を聞くことも、連絡を取ることもしなかったが、思った以上に自然に会話できてる。もっと緊張して話せないかと思ったけど、心地よい距離だ。
「でも、先輩が来てくれるのなら心強いです。正直私1人だと心細かったので」
「人見知りは直らなかったのか?」
「いえ、向こうで友達はたくさんできました。話しかけてくれた人と仲良くなりました。あと、向こうでは陸上やってたんです」
「あ、そうなの」
「あとですね、お父さんと二人暮らしだったので、私が料理を作ってたんですよ。上達しました」
「そっか。香夜ちゃんの料理食べたいな。最近は恵も自分で作るんだ。まあ……味の方はともかく」
「くす。私でよければまためぐちゃんに教えますよ。料理といえば美沙輝先輩はどうしたんですか?」
「あいつ県外の大学に行ったんだよ。連絡は取ってるけど、夏休みになるまでは帰ってこないだろ」
「そうなんですか。みんな進んでるんですね」
「そうだな」
「先輩は……何かなりたいもの、見つけましたか?」
「俺?そうだな……」
俺がなりたいもの。というか、当面の目標は……
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「緊張したです」
「アリサちゃんのお兄さんがいてくれてよかった。あのおっさん1人だったらまた臨戦状態だったぜ」
「だから敬意を払いましょうよ。一応目上なんですから」
「小物くさいんだよな」
「同族嫌悪ではないでしょうか」
「勘弁してくれ」
つつがなくかどうかは定かではないが、報告を済ませて、資料を渡して後は、1時間ほどアリサちゃんのお母さんの捜索をして、挨拶をした。この捜索が一番疲れた。相変わらず屋敷内で迷子になるらしい。香夜ちゃんとは面識がなかったそうで、見るなり抱きついていたけど。やっぱり親子か。初対面での2人を思い出していた。
「それにしても先輩は弁護士を目指すんですか」
「一応法学部に進んだしな。あくまで当面の目標であって、また1年後には変わってるかもしれない」
「節操なしですね」
「まあそう言いなさんな。香夜ちゃんは何か目指したいものができたか?」
「私……ですか。あんまり考えてないです。でも、お父さんの手伝いを出来たらいいかなって、思ってもきました」
「俺は自分の親父を手伝うことなんて真っ平御免だけどな」
「そっちは相変わらずなんですか?」
「仕方ないね」
「まあ、人のところに介入することは野暮なことだと自分のことで学びましたから私から言うことはないですが……まだ、早いですね。今から帰ってもめぐちゃんいないんじゃないですか?」
「あいつ今日はどうだったかな。天文部の活動があったんじゃないか?」
「そうです。先輩。私、まだ荷解き終わってないので手伝ってもらっていいですか?」
「そうだな。大学もサボっちまったし、香夜ちゃんの手伝いしてたほうがよほど有意義だ。俺としてはデートでもしたいんだが」
「考えておきます」
「でも、香夜ちゃんも受験生だよな。将来なりたいものはともかく、大学の方向性ぐらいは決めてるのか?」
「……東京芸術大学?」
「無理だろ」
「レベルの良し悪しはいいんです。デザイン系の学校に行きたいと思ってます」
「そっか。もしかしたら恵と一緒になるかもな」
「それはそれで大変そうですけど、楽しそうです」
将来を語る香夜ちゃんの顔はなんだかウキウキしてるように見えた。前より、もっと明るく笑えてるように見える。何かを抱えていたんだろう。それが払拭できた、ということなんだろうか。
……彼女の過去なんてどうでもいいじゃないか。今、こうして笑ってる。それが一番大切なことだ。
「香夜ちゃん、可愛くなったな」
「え⁉︎なんですか、いきなり」
「なんというか全体的な雰囲気が」
「抽象的すぎませんかね。でも、先輩もなんだか無理してる感じがなくなりましたよ」
「大学に行くといろんな奴がいるからな。俺が無理しなくても面白い奴がたくさんいるし、俺以上に頭のネジがぶっ飛んでる奴もいる」
「自覚あったんですか」
「俺、まだマシな方だと思うんだけど」
「お互い、枷がなくなったってことかもしれませんね。あ、そうです」
香夜ちゃんはおもむろに携帯を取り出した。
「あの、まだこっちに戻ってきて知り合いに全然会ってないんです。前にいた時は、退路をなくすためにデータは全部消しちゃったので、まずは先輩の連絡先もらえませんか?」
「向こうの人のは残ってるのか?」
「まあ、向こうの人は頼る頼らないとか、あの時の私みたいに依存するとかないので。私もこんなに早く戻ってくるとも思ってなかったのもありますが……」
「うん。ま、大学生なんて暇なもんだしな。またいつでもうちに来てくれよ。……これからは、ちゃんと自分の家に帰るんだよな」
「はい。お父さんとも最近はよく話してます。向こうはまだぎこちないですけどね。でも、やっぱりきっかけを作ってくれたのも先輩です。ありがとうございます」
「……早く、荷解きしちゃうか」
「照れてます?」
「香夜ちゃんも大概お喋りになったなあ?」
「いはいです」
恵とまではいかないが、というかあいつはもう例外レベルだが、やはり女の子なんだなという肌の弾力である。もちもち。女の子は柔らかいという概念を裏切らない。
俺たちは香夜ちゃんの荷解きを済ませるため、香夜ちゃんの家へ向かった。懐かしくもある。最後に来たのはいつだっただろうか。
香夜ちゃんに招き入れられるまま家の中へと入り、できる限りの荷解きを時間の許す限り行った。
「あ……もうこんな時間ですね」
「明日から休日だしまた手伝いに来るよ」
「大学ないんですか?」
「活動してるやつはいるだろうけど、講義自体はないよ」
「……あの、先輩。まだ時間いいですか?」
「ん?ああ、多分恵も帰ってくるの10時ぐらいになるだろうし、まだいいよ」
「じゃあ、付き合って欲しいところがあります」
そう言って香夜ちゃんと俺はまた外へと出かけた。
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「ここも全然来てねえな」
香夜ちゃんと一緒に来たのは誕生日プレゼントと称してみんなと天体観測に来た場所だ。
「矢作さんが可哀想です」
「行くも行かないも自由だろ。俺自身興味があったわけでもないしな」
「でも、先輩が初めて私にプレゼントしてくれた場所です」
「言えば天体観測も向こうで出来たんじゃねえか?」
「……はあ。先輩はだから先輩なんです」
意味が分からんけどため息つかれた。みんなで見た方が楽しそうじゃない。俺じゃ天体に詳しくないし。
「分かってないような顔ですね。ついでに私はついこの間誕生日でした」
「そういや5月4日だったな。おめでとう」
「ただ、私を見て誰も18歳なんて思わないでしょうね」
「ま、まあまあ。分かってる人がわかってればいいじゃない」
「先輩。私が、先輩に誕生日で連れて来てもらった時、先輩に教えた願い事覚えてますか?」
「あれ、まだ有効だったのか」
「まあ、アレですよ。いつか別に好きな人ができるかもしれない、私が先輩が好きな私ではなくなってるかもしれない、それでもいいのかって、そう言いましたよね。でも、その一つの答えは、私がこうして先輩と2人でここに来たことです。もう一つの答えは……どうですか?先輩。私は、先輩が好きな私のままですか?」
香夜ちゃんは真っ直ぐ俺の方を見てる。
あの時、俺は香夜ちゃんから目を逸らした。
彼女は変わってないわけではない。あの時より髪も伸びて、少し背も伸びていた。
周りから見たらそんなに変化のないことかもしれない。でも、あの時、ずっと見てたから。そんな機微な変化も気づいている。
なんで、ずっと見ていた?決まってる。彼女のことが心配で、助けてあげたくて…………。
そんな御託はいいか。ただただ彼女のことが好きだったんだ。だから、ずっと見ててずっと一緒にいたんだ。
彼女は変わったかもしれない、俺は何も変われてないかもしれない。でも、彼女の答えは俺と一緒に来たこと。もう一つの答えは俺が出すべきこと。あの時約束したことを俺が伝えなければ。
「俺と結婚してください!」
「……え、イヤです」
断られた。
「だから、先輩は何段飛ばしで行くんですか。何も学んでないじゃないですか」
「だって……あの時そうやって約束したもん……」
「先輩のやってるゲームは『好きです。付き合ってください』を言わずにいきなり結婚するようなものですか」
「振られるやん」
「私は振りませんから。……本当に仕方ない人ですね。じゃあ、もう一度どうぞ」
「香夜ちゃんからは?」
「先輩の方からリードしてからそういうこと言ってください」
「……俺でいいの?」
「ここまでやっておいて今更それを言うんですか。それとも先輩は私以外に貰ってくれる子がいるんですか」
「いたとしてもすぐに愛想尽かされそう」
「〜〜〜もう本当なら煮え切らない人ですね!」
「え、ちょっ!」
香夜ちゃんは強引に俺を引っ張って自分の方に寄せた。前につんのめる形になって、俺は香夜ちゃんの唇に吸い込まれた。
「ん……」
一度、体勢を立て直した。仄かに香夜ちゃんの顔は紅潮してるのが見えていた。俺の方はどうなんだろう。同じように見えてるのかもしれない。俺も顔が熱い。どちらが、何を言うでもなく、俺たちはもう一度キスをした。
互いを求めあうようなものではない。だけど、お互いがお互いを自分のものだと知らしめるかのような。そんな口づけだ。
「……私の……答えです。好きです。大好きです。先輩」
「うん。ありがとう、香夜ちゃん。俺も大好きだよ。だけど、もう一つお願いしたいことがあるんだ」
「なんですか?」
「俺のこと、名前で呼んでほしいな。いつまでも香夜ちゃんの先輩じゃないんだから」
「じゃあ、えっと……育也、さん?」
「堅いなあ」
「でも、一応年上なんですし……」
「俺、まだ誕生日来てないから同い年だぞ」
「また、そんな屁理屈ばかり言って。なんて呼べばいいんですか」
「育也くん?」
「そこで疑問系にならないでください。……もう仕方ない人ですね。……でも、私の願い事、叶いそうです」
「そっか。それなら俺は香夜ちゃんに愛想尽かされないように頑張らないとな」
「そうです。私みたいな女の子は一生涯目の前に現れないかもしれません。……だから、離しちゃダメですよ?」
「ああ。それじゃ、うちに寄ってくか?実はさっきから恵からの着信がすごい」
「あ、あはは。ちょっと遅くなっちゃいましたね。それじゃ行きましょう。育也くん。あと、私ちょっと疲れちゃいました」
「はいはい。お嬢様。喜んで」
思ったより早く終わったのか、既に家についているらしい恵はけたましく俺に電話しまくっていた。一度だけ出て、もうすぐ帰ると言ったら大人しくなった。今日はサプライズだな。あいつ、喜んでくれるかな。下の自転車が置いてあるところまで香夜ちゃんをおぶりながら山を降り、関係の変わった俺たちはお互いの顔を見て、少し照れくさいながらも笑っていた。
ん?香夜ちゃんのあの日の願い事?そうだな。せっかく、こうして彼氏彼女の関係になれたことだし、それが目標となるわけだ。今一度、反芻しておこう。
『好きな人のお嫁さんになれますように』




