受け継いだ中で彼女に残されたもの
正味バレンタインとこの学校において卒業式の日はあまり離れていない。
私立高校ということもあり、そこそこの人数がいるために全員が全員卒業式に立ち会うことは物理的な話で無理なのである。全校生徒だけならいざ知らず、卒業生の親も出席するからな。入るわけないんだよな。
「そして、俺たちが普通に出席してるのもよく分からないよな」
「まあ、いいんじゃない?恵ちゃんのおこぼれみたいなものだけど」
あいつが生徒代表で送辞をするのだ。普通なら生徒会長がやるものなんだろうけど、その生徒会長も卒業生。だから現副会長である恵にそのお鉢が回ってきたのだ。
あいつにお世辞の効いた言葉なんて紡げるはずもないので、俺が必死こいて書いてやった。なんなら千石くんにでも任せたかった。彼ならば率先してやってくれることだろう。
もう後の祭りだけど。
「これってどういう基準で選ばれてんだ?」
「各クラスから数人立候補みたいよ?その立候補者も大抵は部の先輩から頼まれてる人とかだろうけど」
「俺、卒業生からじゃなくて在校生から頼まれてんだけど。俺だけおかしくない?」
「妹の面倒を見るのが兄の務めなんでしょ。私は天王洲先輩に頼まれたからね」
「あの二人はどうするんだろうな。香夜ちゃんは特にすることないからってついてきたけど」
「アリサちゃんは来てないんじゃないかしら?にしても、まだ香夜ちゃんはあんたの家に住んでるの?」
「下宿みたいなもんだから問題ない」
「緊急時とかどうするのかしらね……」
「全部俺が受け持つから大丈夫大丈夫」
「はあ……あんたも香夜ちゃんと恵ちゃんに関しては本当甘いわよね」
「どっちもほっとけないんだよ」
「気持ちはわからなくもないけどね……どこかで手を離してあげないと、いざという時あんたが辛いんじゃないの?」
「二人とも目を離しても大丈夫ならな」
「香夜ちゃんは分からないけど、恵ちゃんならいいんじゃないの?」
「はは。恵が?笑わせるぜ」
「あんたよりずっと成長してるんじゃないのかしら」
「してるかどうかは今から分かるか」
そろそろ卒業式が始まる。在校生と保護者はすでに指定の席へと着席をしていた。
あとは卒業生の入場を待つばかりである。司会進行に立っている先生はおそらく教務主任だろう。
『卒業生、入場』
よくよく考えたら俺、卒業生なんてほとんど知らねえんだよな。それこそ、天王洲先輩と天文部のあの先輩方のみ。あの二人、そもそも卒業出来るんだろうか。姿が見れれば卒業出来るということだろう。テニス部?知らない方々ですね。恨まれてようが絡まれようがなんでもいいわ。
そして、卒業生が次々と入場してくる。どれだけいるんだよ。こんな場所にこんだけ収まってたのかと言いたいぐらい多い。順番もよく分かってないから天王洲先輩がいつ来るかもよく分からん。
ただ、卒業するという意識からなのか、誰も彼も神妙な面持ちになっているように見える。まあ、この場だけだろう。どうせ教室に戻ったらはっちゃけてるはずだ。そう思うと卒業式ってなんだろうって感じだ。
卒業式は確か、いくつかの贈呈品と送辞答辞、校長の挨拶。卒業の曲を歌って終わりとかこんな流れだったっけ。校長の挨拶とかいるか?校長に思い入れがある奴少ないだろ。寝ていい?
そんなことは横の奴が許さないからオチオチ寝てもいられないけど。
適当なことを考えてると天王洲先輩が歩いているのが見えた。いつもの人をおちょくるような感じではなく、とても凛々しく見えた。……いや、若干笑いをこらえてないか?気のせいだといいけど。
「……天王洲先輩、なんか我慢してない?」
「気にしたらダメだろう。多分俺たちの誰かの顔を見たら笑い出すかもしれん」
「台無しにする気満々なのかしら?」
「まあ、あの人が泣いて卒業とか考えられんしな」
「そうね。あの人見てると泣いてるのがバカらしく思えてるのもなんだけど」
俺たちがそう言ってる中でも、すすり泣く声は聞こえてくる。まあ、天王洲先輩を知ってる人、見てる人でなければ普通は感動するところなんだろうな。なぜあの人は感動とは無縁としてくるのだろう。
卒業生が全員着席したところで、校長の挨拶が始まった。もう寝かせてくれ。
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「ちょっと、起きなさい」
横から突かれ半ば落ち掛ける勢いで起きた。
「すまんな」
「まったく、開始早々寝るんじゃないわよ」
「で、どこまで進んだ?」
「これから送辞よ」
「わざわざそこで起こしてくれるあたりお前は優しいな」
「ここだけは見ておかなきゃいけないでしょ」
そういや、天王洲先輩はクラス後ろの方だったけど答辞をするからか、前の席に座っていた。
恵はどこにいるんだろうか。
『在校生、送辞。生徒代表、佐原恵』
「はい!」
元気なことは大変よろしいんだけど、恵の声ってこういう厳かな雰囲気の場にとても合ってないんだよな。てか、よく寝てなかったな。俺ですら寝てたのに。
『え〜コホン。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。まだまだ寒いこの時期ですが、もうすぐ春の息吹が感じられる季節です。そんな中、この学校から進学する人、就職する人、様々な人がいると思います。これからこの学校を飛び立つ先輩方はこの学校で過ごして、どんな思い出があるのでしょうか。楽しかったこと、苦しかったこと。嬉しかったこと、悲しかったこと、あったと思います。私は、現在副会長をさせていただいてます。別の視点に立つことで、今まで普通の生徒として過ごしてきた時とは別の景色が見えてます。卒業していくみなさんがこの学校を作ってきてくれたおかげで楽しく過ごさせていただいてます。先輩方から受け継いだものを糧にさらにこの学校を盛り上げていきたいと思います。そして、卒業していく先輩方の飛躍を願って、ここに送辞の挨拶とさせていただきます。在校生代表、佐原恵』
恵の挨拶が終わると少しばかりの拍手を送られてきた。恵は一礼して元の席へと着席する。それを確認して今度は答辞の挨拶となる。
『卒業生代表、天王洲美子』
遠くからでも天王洲先輩はキリッとしていて、とてもカッコよく見えるはずなんだが、どうにも入場時の顔を見てるとそんな気が起きない。ある意味恵よりなんかハラハラする。
『ふふ。とても可愛らしい君らしい送辞をありがとう。さて、私たちもこの学校を巣立つ日がとうとうやってきた。同じ時間を何度も繰り返したいと願っても、いつかお別れの日が来る。時間は均等ではないが、確実に流れていく。いつか、卒業生の向こうに座る在校生の君たちも私たちと同じようにここを巣立っていくのだろう。私は、一年間生徒会長を務めさせてもらった。卒業生、あるいは在校生に満足のいく学校生活を提供出来たのかは私では分からない。君たちが判断することだ。だけど、私自身はこの学校に入って、楽しい仲間たちと日々を過ごせてよかったと思う。可愛い後輩にも恵まれたし、時には私とやり合おうとする後輩も出てきた。まだまだ君たちと過ごしていたいと思っていたが、時間はそれを許してはくれない。ただ、私たちがこの学校に何か残せていけたのなら、それほど幸福なこともない。まだまだ、寒い時期は続くだろう。でも、いつか芽ぶくものもあるはずだ。それが、君たちの繁栄に繋がることを私は心より願っている。またどこかで会うことがあるかもしれないが、今一度、在校生たちが一層励んでくれることを願って、私より答辞とさせていただきます。卒業生代表、天王洲美子』
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「なんか晴れ晴れとしてたな」
「あの人は思い残すことはないんじゃない?」
「思い残すことはなくても、あの人は大量に何かを残していってる気がしなくもないけど」
「まあ、私たちはこれで解散だし、どこか寄ってく?」
「そうだな。天文部でも行ってみるか。天王洲先輩たちもそこに行ってるかもしれないし」
「あんたはテニス部寄って行かなくていいの?」
「来るなら向こうから来るだろう。まあ、一年で途中でやめたやつのことなんて同級生はまだしも上級生は忘れてるよ」
「あんたがいいならいいけどね。私の余計なお節介だったか」
「まあ、この一年濃すぎて、一年生の時何やってたかなんて思い出せないくらいだし」
「あんたは思い出に残すことがなさすぎなんでしょうが」
「では、お姉さんと思い出を残してもらおう」
「うわっ!出た!」
「神出鬼没の名を欲しいままにした私を見くびってもらっては困るな」
「クラスの方はいいんですか?」
「まあ、後で打ち上げだなんだとやるから適当に合流するさ。君たちもわざわざ来てくれてありがとう」
「礼を言われるようなことじゃないっすよ。俺は半分恵の付き添いみたいなもんですし」
「一番お礼を言いたいのはその恵ちゃんなんだけどね」
「まだ会ってないんですか?」
「先に天文部に寄ってからと思ってね。そしたら君たちに遭遇したわけだ。いくら私物もあるから回収していかないとな。それに生徒会はまだ仕事をしているしな」
「仕事が終わるのを見計らって行く気じゃ……」
「いや、むしろ増やしていく。結局終わってないこともあるからまた次の生徒会に引き継ぎしなきゃいけないんだ」
またこの人は……。
「いや、そんな仕事してないじゃないか、ちゃんと終わらせてから卒業しろという目はやめてくれたまえ。結構長期のスパンで頼み事をしてることもあるんだよ。そういったまだ解決してないことを次も引き続きやってもらわないといけないんだ。その資料を渡さないといけなくてね」
「果たして、恵に務まるんでしょうかね」
「恵ちゃんはきっと私より有能だと思うよ。どうにも私は一人でなんでも出来すぎた。いつか恵ちゃんが言ってたか。完璧少女なんてものは目指すものではないよ。目上の人ですら、この子に任せておけば大丈夫だろうと勝手に打診されることも少なくはない。そうすると責任ばかりが積もっていく。もっと肩の力を抜いて、責任なんてものはどこかに投げてしまえるぐらいでいい。たかだか学生一人が全責任を負うことなんて無茶なことだからな」
「なんで俺見て言うんすか」
「君は最初から分かっていたことだろう」
「……壁でも山でも高いほどいいでしょう。登りきった時に達成感があります」
「高すぎて挫折してしまうことは考慮に入れなかったのかい?」
「達成なんてしてしまったら、そこで努力をやめてしまいますからね。まあ、ぶっちゃけゴールなんてない目標でもありましたけど」
「走らせ続けるのも中々に鬼畜な所業だと思うけどね私は」
「散々甘やかしてる分、どこかで鬼にならないといけないんすよ」
「ま、甘やかしてしまったのは私も一緒かもしれないけどね。彼女は来年は進学クラスへと変更するのだろう?」
「香夜ちゃんやアリサちゃんには到底かなわないですけどね。進学クラスにいたほうが選択肢はあるでしょう」
「選択肢か……君は決めたのかい?」
「何をですか?」
どうにも俺には選択すべきことが多くて該当することがどれか判別つきづらい。
「君の将来のことだ」
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「なんで外なんですか」
「ま、俺たちがいてもどうしようもないこともあるし、終わったら恵回収して帰るだけだしな」
天文部のこれからの展望について一通り聞いたところで俺たちは香夜ちゃんを回収してくるということで天王洲先輩と別れた。私物の幾つかのうち天文部に譲ると言って置いていったものもあるが、果たしてあの天文部次は矢作が仕切ってくんだよな。大丈夫か?あいつ。確かに活動には熱心だけど。天王洲先輩は天文部で息抜きをしていたようだが、あいつもどこかで息を抜かないとまた鬱まがいを発症するぞ。
「天文部も天文部で将来が不安になってくるな」
「うちほどでもないと思いますよ」
「と後輩が言ってますがいかがですか?部長」
「部に昇格したし、もう少し紹介も大きく載るだろうから大丈夫……たぶん」
今年度の勧誘はアレだったからな。結局入ったの見学に来た奴らじゃなくて、ただの身内みたいなものだし。一人はしかも途中入部。
「実力はいかほどでも、趣味でも実用的だしいいと思うんだけどな料理」
しょんぼりと言うが、学校で部活としてやるほどではないという感じかもしれない。もしくはやってるやつのレベルが高すぎたのかもしれない。そういう視点で見ればアリサちゃんは……まあ、置いといて香夜ちゃんはちょうどいいレベルかもしれない。最近上達してきましたよ。バイトは専らホールだけどね。
「……なんか泣き声聞こえないか?」
待つこと十数分。俺たちが話す声に紛れるように泣き声が聞こえてきた。
「こんな寒い時期に鳥が鳴いてるわけないでしょ」
「鳥じゃなく、人」
「……確かに聞こえるわね」
ブーブー
「校内でくらい電源切っときなさいよ」
「どうせ誰もかけてこないと思ってたんだけどな。もしもし?」
『ああ、少年。すまないな。外にいるのだろう?ちょっと君だけで入ってきてくれないか?恵ちゃんがね』
「恵?」
『見てくれれば分かる』
それだけ言い残して切ってしまった。
まさかな……。
「ちょっと俺だけで入ってきてくれって。二人は待っててくれ」
「はあ……」
「早く戻ってきてよ。こっちもいい加減待ちくたびれたわ」
「早く終わればな……」
嫌な予感しかしない。
なんとなくは察しはついているのだが、俺がその対応というか始末をつけなきゃいけないのは疲れる。
「えぐ……うぐっ……うぇぇぇ」
うん。泣き声の正体はこいつだったな。語るほどでもない。
よく泣く子みたいにも見られがちですが、結構我慢強いので余程泣いたりはしないんだよな。
ただ、一度泣き始めると収まるまでにすごく時間がかかる。最後に人前で泣いてたのがいつだったろう。……あれ?俺が中学卒業する時か?お兄ちゃんと別れるなんてやだーって。そう考えると実に2年ぶり。
「で?なんでこんな状況に?」
「どうにもここに来るまで私が卒業するという実感がなかったみたいでな。今になって癇癪極まれりという感じで、誰がなだめてもこんな状態でな」
「ひぐ……えっ……」
あの時、どうやって俺は慰めただろうか。いつまでも泣いててどうしようもない妹が泣き止むために何をしたんだろうか。
「……恵」
「うぐ……」
「ほら、泣き止まないとみんなが困るだろ」
「うえぇぇぇ」
ダメだこりゃ。さて、どうしたもんか。早くしないと香夜ちゃんと美沙輝が待ってるしな。
「恵。……来年も同じように泣くのか?」
「うっ……」
「そんなことで来年生徒会長なんて務まるのか?」
「えぐ……」
「そんな泣き虫が誰か後ろから付いてきてくれるか?」
「……」
「いつまでも、甘えてれば、誰かがやってくれるわけじゃないんだぞ。いつかはお前が引っ張る側になるんだ。そうなれば上の人と別れることなんていくらでもあることだ。泣いてれば、それがなかったことになんてならない。だから、お前が天王洲先輩に向けてすることはなんだ?」
「うぐ……笑って、おぐりだず……」
「そうだろ。なら、今泣いてて、天王洲先輩がこのまま学校を去れるか?心配で出ていけないだろ」
「うん……」
「ほら、ハンカチ。ちゃんと涙拭いて、笑って送り出せ。天王洲先輩もそのつもりでここに来たんだから。あんだけ立派に送辞言えたんだから、ありがとうございました、ぐらい言ってあげろ」
「うん……」
恵は俺からハンカチを受け取って少し乱暴に涙を拭い取った。
泣き腫らして目は真っ赤だけど、心配させるような目つきではなくなっていた。その目は、まっすぐ天王洲先輩を見ている。
向き合った天王洲先輩は、慈しむかのように恵に微笑んでいた。
「天王洲先輩……いや。天王洲生徒会長。半年間……ううん、一年間ありがとうございました!」
「恵ちゃん、頭下げてないで顔を上げて。私からも礼を言おう。君といて退屈することはなかった。もちろん、こんな自分勝手な生徒会長についてきてくれたみんなもありがとう。また引き続き生徒会をやってくれるのであれば、嬉しいことはない。ここから一歩引いてみてもそれは自分の道だ。自分がしたいことを自由にやってほしい。それに、少年の言う通りだ。笑って送り出してくれたまえ。湿っぽいのは好きじゃないからね」
また恵は泣き出しそうだったが、なんとか堪えながら、他の生徒会役員とお礼を言った。
「いつまでも、卒業生がここにいるわけにはいかないね。また、ここに来ることがあるかもしれない。その時は暖かく出迎えてくれると嬉しいな。じゃあ、引き続き頑張って」
短い挨拶をすると、彼女は背を向けた。
扉を開けて、もう振り返ることはなかった。
その様子を見届けたのか、香夜ちゃんと美沙輝がこちらを覗き込んでいた。
「入っても……大丈夫、かな?」
「ま、もういいだろ。今日は解散でいいか?こんなんで仕事もする気起きないだろ」
「あ、片付けはこちらでやっておくので先にめぐちゃん連れてっていいですよ」
「だってさ。じゃ、帰るか恵」
「うん……お兄ちゃん」
後片付けを他の生徒会のメンバーに任せて、先に下校することになった。
靴を履き替えて、玄関を出ると、先に出たはずの天王洲先輩の姿があった。
「すまいね。ちょっと少年を借りていいかな?」
「先に帰ってるわよ」
「めぐちゃんは私が連れて行きますので」
正直もう泣き疲れて、歩くのもやっとだろうけど、香夜ちゃんがその手を引いていた。
最後まで世話の焼けるやつだ。
俺はそれを見送って、天王洲先輩へと向き直った。
「どうしたんすか。俺だけ呼び止めて」
「一番、礼を言うべき相手は君だと思ってね」
「……俺はなんもやってないですよ。少なくとも天王洲先輩に対しては。むしろ、こっちが感謝することばかりです」
「……自分がそう思っていなくても他人にとってはどこかで助けられていたと感じてるんだ。その事実だけ受け止めてくれればいい」
「……別に我慢しなくてもいいんじゃないんですか?こんな時ぐらい」
「おや、見抜かれていたのかな」
「卒業式のとき、入場するのを見て笑いを堪えてるように見えたんでどうなることかと思いましたが」
「いやあ、ああいう雰囲気では逆に私は泣けないな。心に訴えるものがない。どこか形式的に思えてしまって、それがなんだか笑えてきてしまってな。悪いクセだ」
「……でも、恵の言葉を聞いて、すぐに出て行ったのは危なかったからでしょう?」
「……そうだね。誰よりも彼女の言葉が一番響いたからね。私に向けられる感情というのは畏怖だとか、尊敬だとか憧れだとか、どこか私とは一線を引いた位置からの言葉だった。もちろん恵ちゃんだってそういうのがなかったとは言わないよ。でも、何よりも彼女は混じり気のない純粋さがいつもあった。君という存在が近くにいてまったく不思議なぐらいだ」
「……何にも考えてないだけですよ。脊髄反射だけで行動して、思ったことをそのまま言ってるだけです。でも……だからでしょうね。俺と違ってあいつの言葉はみんなに届くんだと思います」
「そんなことないさ。君の言葉だって、いつか伝えたい人にちゃんと届くはずだ。……いや、もう届いてるのかもね。それと、君とはもう少し早く出会っていたかったな。もっと楽しい学校生活が送れたかもしれない」
「それは光栄ですね。……とにかく俺からもお礼を言わせていただきます。恵のこと、ありがとうございました。あと、俺のワガママを聞いてくれてありがとうございました」
「いや、私の方こそ楽しかったよ。……あまり感傷的なのは好みではないのだがな。いちいち君は涙腺をついてくる」
天王洲先輩は上を向いて、俺から背を向けた。
色々なところを回って、話し込んでいたせいか、少し日が沈みかけているようにも見えた。
もうそんなに時間が経っていたのか。それともまだ日が沈む時間が早いのか。
「泣いてもいいんじゃないですか。こんな時ぐらい」
「いや、君の前で泣いてしまっては私の立つ瀬がない。だからこのまま去るとしよう。……でも、一つだけ君に聞いてもいいかな?」
「一つと言わなくても、いくらでも聞きますよ」
「一つでいいよ。私は、誰かに何かを残せたんだろうか。それは私の自己満足になってないか……君から聞きたい」
「どうでしょうね。……少なくとも俺はあなたからいただいたものはたくさんありますよ。近いところで言えば、恵だって、美沙輝だって、アリサちゃんだって、香夜ちゃんだって、矢作だって。あなたがいたから居場所を作れたのかもしれません。いわば、歯車になってくれました」
「そうか。それを聞いて安心したよ。誰にも覚えられてないで卒業していくのは悲しいからね」
「……そういえば、天王洲先輩が行った大学ってどこでしたっけ」
「ここから通える国立大の医学部だよ。……君も確か志望校だったかな?」
「さすがに医学部を目指す気はないですけど」
「なら、また機会があれば連絡してくれたまえ。できる限りで教授しよう。じゃあ、今度こそさよならだ」
「……また、どこかで」
「ああ」
次にこちらを向いた時の天王洲先輩の顔は悲しそうな顔はどこにもなく、いつも通りのどこか楽しそうにしている顔だった。
見送った後、特に意味もなく、俺はしばらくそこに立ち尽くしていた。