少年はその時仮面を被った
夜中3時。ふと嫌悪感を抱いて目を覚ました。
「……夢か。……あんまいい記憶じゃねえな」
夢というのは自分が体験したことをごちゃごちゃに入り混ぜて構成されるらしい。夢だから誇張も入ってるかもしれない。せっかく香夜ちゃんが使ってる布団を使っていい夢見心地になれると思ったのにこれか。
まだ3時であるし、今日は日曜だ。もう少し寝よう。
次はあの夢の続きを見ないように。
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俺が中学2年の時だ。ということは必然的に恵が中学1年となる。無論香夜ちゃんもこの時恵の同級生だが、俺が知る由もなく、美沙輝だって同じ中学だったが、あまり関わりになることもなかった。
それもそうだ。俺は人と関わろうとしなかったから。
ただ無味に過ごしていた。そんなだからか、俺は人に好かれることはなかった。スカした野郎だと嫌われることの方が多かった気がする。
自分で言ってしまうのもなんだが、俺は何でもできたから。それこそ、今よりずっと、何でもできた気がする。何のしがらみもなく、無味に過ごしていたとはいえ、自由だったから。それが目につく、鼻につくやつは多かったことだろう。加えて優秀な生徒で、模範的だったから俺に手出ししようものなら教師が間に入ってくれるからな。
ま、この時からある意味で仮面をつけていたのかもしれない。表情もほとんどない能面だった気もしなくないけど。
しかし、俺が中学に上がってからというものの、妹の世話を全面的に任せられることになってしまっていた。一つの制限みたいなものだ。
中学に上がってからは俺が送り迎えすることになっていた。
何せ、あいつの特性は迷子だからな。方向音痴ともいう。
一度1人で帰ってみろと言ったら、警察からお電話をいただいてしまった。そんなことは二度とごめんなので俺は毎日妹と一緒に出て、一緒に帰ることにしている。
部活?あったな、そんなのも。正直、授業の評定と当日のテストだけで高校に受かれると信じてやまないから部活なんざ二の次だ。
今日も同じように恵の迎えに行って、そのまま恵の今日何があったかを適当に相槌を打ちながら帰って、飯を作ってやって、それだけの予定だった。
だが、今日はそんなわけにもいかなくなってしまった。
「恵ー。帰るぞー」
開けた先の教室にはいつも座って待っている恵の姿はなかった。トイレか?なら、少し待たないといかんな。
「あれ?佐原さんのお兄さんですか?」
「ああ、そうだけど」
「おかしいですね……。5分ほど前にお兄さんが校門で待ってるから帰るって言ってたんですけど」
「は?」
俺はそんな約束は取り付けていない。でも、俺に話しかけてきた女子生徒のいうとおり、いつも置いてある恵のカバンは机の上にはすでになかった。
五分前?一年の教室は3階にある。歩いて行ってるのなら、まだ校門までたどり着かないはずだ。
「情報ありがとな」
それだけ言い残して踵を返した。小走りで下駄箱に向かう。靴に履き替え、校門へと向かった。
さすがにいないとなれば待ってると思うのだが、恵の姿はそこにはなかった。
いくら迷子属性だからといって教室から校門までたどり着けないなんてことはないはずだ。どこに行ったんだ?
帰っていく生徒の中、1人だけ俺の方をチラチラ見て、その度に目線を地面に落としていた。
「おい」
「ひ、ひい!すいません!」
「いや、声をかけただけなんだからそこまで過剰に怯えなくても……俺の方見てたよな?どうかしたか?」
「……あ、あの僕が言ったって言わないでください」
「何のことだ?」
「……佐原さんのお兄さんですよね?ぼく、佐原さんと同じクラスのものです。さっき佐原さんがそこの校門にいたんですけど、なんか柄の悪い人たちが佐原さんをお兄さんが呼んでるみたいなことを言ってて……連れてちゃって……」
「な……そいつらどこに行ったんだ」
「たぶん、人目があんまりない……体育倉庫の予備倉庫の方ではないかと」
「チッ。クソ野郎……ありがとな。お前のことは誰にも言わんから安心しとけ」
「あ……はい……すいません……」
明らかに気弱そうで、どうしようもなさそうな後輩にあれこれ言及したところでどうにかなるものでもない。俺のことを知ってるということは、恵の迎えに来ていたのを見ていたということだろう。
幸いすぐに情報がもらえた。力がないものは見て見ぬフリをしてやり過ごすしかない。逆にそれしか出来なかったから、その少年は謝ることしかできなかったんだろう。
怒りに任せてこいつを責めてても意味がない。俺はすぐに体育倉庫の予備倉庫の方へと向かった。
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あまり寄り付いたこともなかったが、なるほど確かにといったところに予備倉庫というのはあった。予備と言ってるぐらいなんだから使わないに越したことはないだろう。
ただ、ガラの悪い奴がよくたむろしてるというのも聞いたことがある。
あくまでガラが悪いだけなので、特に悪事をしてるわけではないので放置されているのだ。中学デビューというやつだろうか。イキがってるのが多いのも中学生の特徴でもあると思う。社会的にフェードアウトするやつも多いと聞くけど。
しかし、こういうことがあると恵に連絡手段を持たせておくべきだったと後悔する。相手は一年とは考えづらい。何せ、恵が人から恨みを買うことは考えづらい。昔っから何もできないくせに人から構ってもらえるのだ。出来ない子ほど可愛いとはこのことであるという証明だろう。
それはともかくとして、相手はきっと俺と同級生か上級生、はたまたその両方か。俺は絡まれようが、自分の腕に自負はあるので、どうとでもなる。だが、恵はただのか弱い女の子である。手を出されたら抵抗などしようもないだろう。
まだ連れて行かれてから時間は経ってない。おそらくそれをネタに俺をゆすろうとか考えてんだろう。浅はかな奴らである。
「俺を怒らせたらどうなるか……」
ご丁寧に中から開けられないようにつっかえ棒がしてあった。
が、こいつら後先のこと考えてないのか、それだと全員中に入ってしまうと誰も出れないぞ。バカなのか?
俺はそのつっかえ棒を手に取った。
ゆっくりとその扉をスライドさせていく。
恵をさらった奴らはこちらに背を向けていて、一番最初に気づいたのはこちら側を向いていた恵だった。
「お兄ちゃん!」
少し声が震えてるようだ。まだ、連れ込まれただけだったのだろう。
恵の声につられて、後ろを振り返ったのと同時に、俺は持ってきた棒を一番でかいやつの顔面にくれてやった。
「アッ……ガァ……」
声にならない声を出して悶絶している。しかし、そんなことどうでもいい。
人数は……5人か。
一発やったのを怯んでる間に俺はもう一度棒を振り回して、今度は腹に当てた。
「グェ……!」
「ほら、日本語で喋れよ。口あんだろ?なんでこんなことした?」
くの字に体を曲げたやつの髪を引っ張って顔を上げさせる。だが、そいつは声が出ないようだ。
これでは話しならないのでそいつの頭を地面に叩きつけて、他の奴らを睨み回す。
「おい、てめえら。人の妹に何やろうとしてた?言ってみろ」
お前だろ。
お前だって、それいいねとか言ってたじゃねえか。
お前、俺にそれをなすりつけんのか。
そ、そうだ!こいつが悪いんだよ!俺たちこいつに逆らえないから……
口々に飛び出す言い訳の数々。自分たちが悪いことをした。責任とります、という奴らは誰もいないらしい。
「おい、てめえら。一列に並んで、じっとしてろよ。二度と自分の顔を鏡で見れないようにしてやる」
「お、おい。あいつマジだぞ」
「だからそんな真似は止めとけって言ったんだよ。あいつは何しでかすか分かんねえって」
「言い訳するぐらいなら今日の自分たちの行いを後悔することだなあ‼︎」
俺は棒を振りかぶった。
だけど、体が思ったより前に行かず止まってしまう。
腰に何か巻きついていた。
「恵……」
「お兄ちゃん。ダメだよ。暴力で解決するのはダメだよ」
「でも、恵。こいつらお前のことを……」
「私は大丈夫だったから。それでお兄ちゃんはいいでしょ?」
「こういう奴らは野放しにしたらまた同じことをしでかす。必要な暴力っていうのは存在するんだ」
「それでもダメ‼︎お兄ちゃんが……お兄ちゃんがそんなことで悪い人になっちゃイヤだ……」
必死に引き止める恵の声は涙声だった。
「……次、同じようなことしてみろ。お前ら、マジで命ないからな。相手が誰でもだ」
それでも恐怖政治というのは必要だと思った。そう警告すると、そそくさと逃げていった。
未だ体をくの字に曲げてるやつは……確か3年の札付きだったか?さっきのが聞こえてたか分かんねえし、もう一度言っておくか。
「あのな?この際年上だからとか関係なく言わせてもらう。やっちゃいけない境界線ってあるんだよ。お前の今日のこの行動だ。俺が気に食わないなら俺に直接言えよ。人の弱みばかり付け回してんじゃねえ。さっきも言ったが次はないからな。俺がどうなろうと構わんが、恵に手を出そうものならお前がどうなるか知ったことじゃないから」
俺はそう吐き捨てて、去ることにした。そのうち歩けるぐらいにはなるだろう。ボールが勢いよく玉に当たったようなもんだ。
俺は恵の手を引いて行くことした。
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恵は終始俯いていた。未遂とはいえ、怖いことに立ち会ったのだ。無理はない。俺がケアしてあげないといけない。
「ゴメンな。恵、怖かったろ?」
「なんともなかったから……大丈夫。ありがと、お兄ちゃん」
「お兄ちゃんじゃなかったらどうなってたことやら」
「うん……私もちょっと考えれば分かることだったのにほいほいついて行っちゃって……あと数分お兄ちゃんが遅かったら……」
「恵。それ以上先は考えるな。助かったんだから。……でも、俺自身も悪かったからな」
「お兄ちゃんが?なんで?」
「俺、愛想がなくてな。というか、笑えないないんだ。だからなんかいつも睨みつけてるような、不機嫌な目つきで。それがイキがってる奴らには鼻につくんだと」
「言いがかりも甚だしいよね。誰もその人のことを睨んでるわけでもないのに」
「と、まあ現実はうまくいかなくてな。恨みを色々買うわけだ。それが今日の引き金になっちまった。俺が、もっとうまく学校生活を送ってりゃな。恵に迷惑かけることもなかったのに。お兄ちゃん失格だな」
「……ううん。ちゃんと助けてくれたんだもん。お兄ちゃんが私のヒーローだよ。ありがとお兄ちゃん」
こいつは……。俺がいなければ今日みたいな目に合うこともなかったのに、もっと俺を責めてくれりゃ、それで収拾がつくのに。
かなわねえなあ。妹なのに。俺より圧倒的に色々劣ってて、何もできやしない存在なのに。
……もしかしたら、今日のことで何か言われるかもしれない。1人棒で殴り倒してるしな。
止められてなければ全員半殺しにしててもおかしくなかったかもしれない。逆に感謝してほしいぐらいだ。この程度で済んだのだから。
どう考えても恵が罰則を受けることはないだろうが、俺については言われたことについては受け入れることにしよう。
しかし、このまままた無味に、つまらなそうに、世界を達観したような目で過ごしていてはまた恵に被害が及ぶかもしれない。次は今回みたいにうまく助けてやれるかわからない。
もう起こさせない。未然に防がねばならない。
そのためにはどうしたらいいんだろう。
「お兄ちゃん、何?その顔」
「面白い顔」
「お兄ちゃん、多分それ恥ずかしさがあるから変顔しきれてない。しかもなんで今変顔してたのか分からない」
「まあ、分からなくてもいいよ。俺がこれからどうやってうまく学校生活を送ってくか考えてるだけだから」
「………お兄ちゃん。学校、楽しい?」
「楽しいわけあるか。分かりきった授業受けて、特に親しくもない奴らと同じ箱に押し込められて、でも、先もきっと今のままじゃ変わんねえよな」
「変わればいいんだよ」
「ん?」
「変われるよ、お兄ちゃんなら。だって私の大好きなお兄ちゃんだもん」
なんの根拠にも理由にもなってなかったが、そう語る妹の顔は先ほどまでがなんだったのかというぐらいに嬉しそうだった。
そうだな、変わってやらないと。恵のためにも。自分自身のためにも。
せめて、笑顔だけでも取り繕ってみよう。周りの奴らを楽しませられるようにしてみよう。変わるきっかけなんていくらでも作れるだろう。
こうして俺は、今の自分という作った像を構成していった。