反省するべきタイミング
すべての科目が返却されて、順位も出た。
だが、うちの空気は淀んでいる。
いや、俺と香夜ちゃんは言わずもがななんだが、恵の成績が思ってたより芳しくないのだ。
無論頑張ってないとは言わない。時間がない中でやっている方だと思う。
だけど、就職コースと進学コースでは授業スピードも違い、さらに言うならば、恵は倍以上の勉強をしていることにもなる。
例えばだが、元々赤点ぐらいのやつが60,70ぐらいの点数を取れるようになるのはさほど難しいことではない。
だけど60,70ぐらいのやつが80,90を取るとなるとさらに難しくなる。
相変わらず数学だけで来ているのは謎だが、他はそのいわゆるボーダーラインぐらいから抜け出せないのだ。
「どうしたもんか……」
俺の部屋に集まって3人で頭を抱えていた。塾になんて行く金もないし、行かせている時間もない。そもそも効率を考えるのならば、自分で自分に合った勉強法でやらなければ効率化など出来はしない。
「なんでお兄ちゃんたちは私とほとんど変わらない生活リズムでテストが出来るの?」
「授業に出てさえいれば何とかなる」
「めぐちゃんは自分のところじゃやらないところを独学でやってるから出来ない部分が出来ちゃってるのかも……」
「あう……。でも、来年ならないと進学クラスには入れないんだよね?」
「まあ、順位はむしろ上位に入れてるから進学クラスに転向することはできるだろうな。問題はそれについていけるかだが」
「先輩。むしろ負担が少なくなるからそちらの方が楽とも言えます」
「そうか?」
「まだ天王洲先輩もいますから一年の間はなんとかそれで凌いていくのと、現状維持ぐらいしか方法がないのではないかと」
「でも、就職クラスとまったくやってることが違うってわけでもないけどなあ」
「多分、めぐちゃんが就職クラスのテスト受けたら点数までは分かりませんが普通に一位取れますよ?」
「あ?そこまでなのか?」
「ちょっと天文部の子と話す機会があって、一番問題となるのが授業スピードだと思うんです。私たちが一学期に終わった内容を未だに就職クラスはやってましたからね」
「まあ、なら俺たちがやってるのは進学クラスに上がるための予行演習ってことでいいのか」
「問題としては、めぐちゃんが今聞いてる授業内容をちゃんと把握してるのかということなんですけど」
「ほえ?」
とりあえず日本史の教科書読んどけと渡して机に顎つけながらだけど読んでいた恵は間抜けな声をあげていた。
「2年に上がるときに文系か理系か選択するだろう」
「いや、現2年生の先輩がそのあたりは知ってるでしょう」
「俺は理系だ」
「むしろ理系じゃなかったらおかしいでしょう。でも、なんで古文受けてるんですか?」
「センター試験に使うから。一応やっといて損はないしな」
「その古文担当に嫌われてるんじゃなかったんですか?」
「授業中に当たり前のように寝るからな」
「……今回のテストは?」
「俺が取りこぼすなどあり得んな」
「だから嫌われるんですよ……点数取れてるから寝てても許されるなんてことはありません」
「真面目だなあ、香夜ちゃん」
「それが普通の生徒です。先輩は私の金言に従って反省してください」
「海よりも深く反省します」
「言葉だけならいくらでも言い繕えるのが先輩ですよね……」
薄っぺらいってことでしょうか?
「まあ、人間がどれだけ薄っぺらかろうが、私にとってはたった1人のお兄ちゃんだから、使えるときに使ってあげないと可哀想だよ」
使うことが前提とされている俺の立場自体が可哀想だという発想には至らないのか妹よ。
「ただ、こうやって怠惰に教科書を読んでいても頭に入らないことは変わりないですし、先輩が可哀想な人間だということも変わらないですし、先程は現状維持と言いましたが、確かに打破することは必要ですね」
君たちは俺に毒を吐かないと会話が成立しないのか?それとも俺に毒を吐くことによってなんらかのクッションとしてるのか?
俺の扱いが酷いことには変わりはないようだ。改善することもないけど。俺は将来尻に敷かれるタイプなんだろうな。
「はあ……今日はもう遅いし、寝るぞ。ほら出てった出てった」
「なんなんですか急に……まあ、めぐちゃんもお眠ようですし、ほら、めぐちゃん行こ?教科書は明日学校休みだしここに置いてけばいいよ
」
「ふぁ〜い」
多分顎つけてたのはほとんど寝る準備だったのかもしれない。こいつ、絶対夜更かしとか徹夜とかできそうにないな。
恵は香夜ちゃんに連れられて、自室へと向かった。正直来た時点で眠かったのかもしれない。そこまでして無理をさせることもないだろう。
2人には寝ると言ったが、ベッドに潜り込まず、勉強机の椅子に腰をかけたままでいた。
俺、いつからあんなに恵のことを気にかけるようにしたんだっけ。
中学からだったか?
小学校から出来ない子だというのは分かっていた。でも、その時は親がいたから俺が言うほど気にする必要もなかった。
でも、母さんは忙しくてそれでも、週に一回は帰ってきて、親父は今みたいに下宿なんてせずにちゃんと家に戻ってきていた。
なんで、俺に白羽の矢が立ったんだろう。出来なければ親があれこれしてなんとかしてやろうとするものである。でも、恵が成長していくにつれ、母さんはあまり帰らなくなり、親父は俺に任せて下宿をするようになった。
信頼されてる、と言われればそうなのかもしれないが、半ば見捨てられたんじゃないか?そう疑いたくもなる。
いや、多分、親は恵より俺のことを心配していたのかもしれない。
何を考えてるのか分からない。同級生にそう言われるほどだ。親ならそういうのをさらに敏感に感じていたのかもしれない。俺が恵に構うことでそれが変わるかもしれない、そう考えたのかもしれない。
あいつは確かにトロくさくて、能天気な、何も考えてないように見える子かもしれない。
あいつが、”あえて”そうしてるのだとしたら?自分が周りより出来ないなんて、そんなのは自分が一番分かってたことだと思う。でも、あいつは変えようとしなかった。俺が始めるまで。
そこに至る頭を持ち合わせてなかったと言われればそこまでなんだが。
また、俺の部屋をノック音が聞こえた。寝ると言ったのに。
俺の返事も待たずに扉は開けられた。
「あのなあ、香夜ちゃん。俺が何かしてたらどうするんだ?」
「まあ、目潰しをして処理しますんで。どうせ先輩のことだから1人で考え事してるんでしょうと思いまして」
俺のことを考えてくれてたのは嬉しいけど、その前の処理の仕方はどうなの?
「1人じゃ行き止まりになってしまいますよ。自己解決なんてあまり出来ることじゃないです。その様子ですと、めぐちゃんのことですよね?」
「本当によくできた後輩だな……今からでも俺と付き合わないか?」
「丁重にお断りします。大体自分が決めたことぐらい守ってください。いつまでもお守りするわけでもないでしょう?」
「まあそうなんだけどさ……」
「だいたいお兄ちゃんだからといって妹を庇護するのもおかしいと思うんです。親の仕事でしょう。責任もって一人前の大人になるまで世話をするのことが子供を産んだ親の仕事なのです」
「放棄されたけどな」
「先輩が親を毛嫌いしてるからでしょう」
「金さえあれば俺も独立すると思うんだが」
「何をする気ですか」
「何も考えてない」
「……そんなことだと思いましたよ。楽して高収入なんてことは出来ないですから」
「前に印税生活をしたいとか抜かしてたのはどこの誰だったか」
「過去の私は私ではないのです。今ここにいる私が私自身なのです。ですから、今の私の考えが現実を見ている私となりうるわけです」
要するに過去のアホな発言は水に流してくださいということである。いや、でも漫画家だって作品を生み出すのに努力してるんだから否定してしまうものでもない。
「そういう香夜ちゃんは何かやりたいことはないのか?」
「見ての通り体が小さいですからね。多分、人と向かって仕事をするのは向いてないと思います。事務仕事とかでしょうか」
「それはやりたいとことというより消去法だな……」
「まあ、私はポテンシャルは高いのでいくらでも道はあるのです」
対人スキルが弱い時点でだいぶ道が狭められてるような気もするんだけど。来年のことはまた美沙輝と相談するところだな。俺たちがいなくなってからも、この子たちはあの高校にいるのだ。俺たちが助けてやれなくなっても自分たちでなんとかしていくしかないのだ。
恵の期限はどんどん迫ってきている。成長したのかどうかというのは俺たちのものさしで測れるものではないのだが。
「香夜ちゃんはまあ、どうにかなるとして。話を戻そうか」
「めぐちゃんのことで合ってたんですか?」
「まあな。それでも、自分がやってることが正しいのか、そもそもの話、これはやってよかったものなのかっていうことだな」
「でも、やらなければめぐちゃんはさらに路頭に迷うことになってましたよ。まあ、歯車というのは噛み合うべくして回っているものです」
「もしかしたら、俺はその歯車の不良品かもな。いつかすべて止めちまうんだ」
「……先輩。もしかしたら、自分は誰とも関わらなければよかったとか思ってませんか?」
「まあ、関わらなければ歯車となる必要もないしな。どこかで勝手に錆び付いて止まっちまえば誰にも迷惑かけねえし」
「……人間、迷惑かけてナンボです。犯罪だなんだは擁護できませんが、失敗しない人生なんてないと思います。私も、随分と失敗ばかりしてしまいました」
「あまり現在進行形で失敗してるとは考えたくないな」
「細かい失敗なんていくらでもしてると思います。それを大きな成功で埋め合わせすればいいんです。終わりよければすべて良しです」
「あいつに限っては過程も評価してやりたいけどな」
「勉強についてはある程度目処がつくと思うので、何か新しいことを先輩から何か提案してあげたらいかがですか?」
「…………結果論として後処理という仕事が増えそうだな」
「妹の尻拭いぐらいはしてあげましょうよ」
「それもそうだなぁ〜」
唐突にあくびが襲ってきた。
「さすがに寝るわ。おやすみ」
「せっかく来たのに寝ちゃうんですか」
「一緒に寝る?」
「襲わないと断定するのであれば」
「襲う時はちゃんと予告すると思う」
「あまり襲ってる感がないですね……予定調和のようで」
「で、どうする?俺的には抱き枕が欲しい」
「いや、私は抱き枕でもありませんし。そうです。私敷き布団なんでたまには寝床を交換してください」
「恵に言えよ」
「もう寝ちゃったんで。じゃあ、私こっちで寝るんで、先輩は向こうの敷き布団で寝てください。くれぐれも私の荷物には触らないでくださいよ」
先にベッドを占領されてしまったので、追い出すわけにもいかず、部屋の主なのに主導権を取られてしまった俺はすごすごと出て行くことした。
しかし、荷物を触るなと言われたけど、言われたからには触りたくなるのが人間というもの。ここで一つ男を見せたい……。やめとこ。香夜ちゃんに嫌われることが一番ショック受ける。
俺は香夜ちゃんが寝泊まりしてる部屋に入り、丁寧に真ん中に敷かれた敷き布団に潜り込むことにした。
まだ来てから一ヶ月という短い期間だが、貸している布団には香夜ちゃんの匂いが染みついていて、結局また寝付こうにも寝付けない夜と戦うことになってしまった。