たまには2人で
前回:美沙輝のことが好きな陸上部男子の相談に乗ってました。
今回:香夜ちゃんと2人きりです。息抜き回です。
夕食も終え、風呂にも順番に入り、あとは寝るまでに自由に過ごしてる時に扉のノックの音が聞こえた。
どうぞ、とは言わず、俺からドアを開けた。
「せ、先輩。今、大丈夫ですか?」
「俺ならいいけど。どうした?」
「最近、あまり話してないのでたまには……」
「恵は?」
「もう寝ちゃいました」
あいつは本当に規則正しいな。そこだけは羨ましい。ある時間過ぎれば自動的に眠くなるからな。そして、起こさないと延々と寝続けるんだけどな。なに?この寝ることに特化した生き物は。
「とりあえず入りなよ」
「あ、はい。失礼します」
床に座らすのも何だったのでベッドの方へと座らせた。香夜ちゃんは髪が長いので、まだ少し髪が濡れているように見える。
「ちゃんと髪乾かさないと風邪ひくぞ」
「これでも頑張ったんですが……まだ濡れてますか?」
「ちょうど真ん中辺りかな。ドライヤー持ってくるからちょっと待っててな」
「あ、はい」
洗面所からドライヤーを持ってくる。これは恵のものなんだがまあ、共有してるようなものだし構やしないだろう。そもそも、あいつも大概俺にやってくれって言ってくるぐらいだしな。女の子なんだから髪の手入れはしっかりしなさい。
しかし、恵よりさらに繊細そうな髪を香夜ちゃんはしている。うーむ、いきなり強でやっちゃさすがに傷めちゃうよな。
俺は手ぐしで梳きながらドライヤーを当てていく。
「先輩。髪の扱いが上手ですね」
「まあ、恵のをいじってんのも俺だしな。女の子なんだから身だしなみはちゃんとしないとな」
「それは男子も一緒です」
「俺はズボラだと?」
「いや、違ってたんですか?」
「俺の部屋は綺麗だろう」
「……綺麗すぎて落ち着きません。逆に心を覗かれたく無いかのような潔癖さを感じます」
何?その観察眼。単なる綺麗好きという発想に至らない辺りは俺のことをよく見てる証拠だと思う。でも、部屋の汚さは心の乱れとも言うじゃない。余裕が無いって思われるのもアレだからな。いつでも綺麗に。それが俺の信条。恵も見習ってください。お前の部屋まで掃除してるほど俺は暇じゃ無いぞ。
「とりあえずこれぐらいかな」
「ありがとうございます」
「香夜ちゃん、髪綺麗だよな」
「そうですか?あまり気にしたことないです」
「気にせずにそれを保てるのなら女子はさぞかし羨ましいだろうな」
「……私の方が大概ズボラなようです。女子力が足りないようです」
まあ香夜ちゃんそういうことに縁がないというか無頓着だからな。それで十分に可愛いのだから素材が良すぎるのだろう。
よし、お兄ちゃんがもっと頑張って可愛くしよう。
でも、秋物のパジャマにあどけないその顔を見てたら俺が余計な手を加えるまでもないなと思い至ってその出かかってた手を引っ込めることにした。
「何をしようとしたんですか?」
「香夜ちゃんはそのままでも十分可愛いから俺が余計なことをすることはないなって」
「はあ……」
「そうだそうだ。香夜ちゃんに話すことがあった」
「なんですか?」
「いやな?ゴタゴタしてて恵の期末テストを見るの忘れててな。見せてもらえないか?」
「……なんかその節はすいませんでした」
「いや謝ることないって。今こうやって話すことが出来てるんだ。それでいいじゃない」
「……そうですね。では、ちょっと取ってきます。待っててください」
それより持って来ていたんだな。家に置いてきたとかじゃなくてよかったよ。余計な手間をかけさせるところだった。それより恵よ。お兄ちゃんより親友に相談を求めてそのまま放置するんじゃない。
まあ、その分香夜ちゃんが面倒見たんだけど。てか、最近は専ら香夜ちゃんが恵の勉強を見てる。効率化を図るにあたっては香夜ちゃんがこうして俺の家に下宿してるのはいいことなのかもしれない。
「先輩、とりあえず全科目持って来ました。あと参考に順位表を」
全部預けたのかよ恵。
「あの時は先輩が見ていたので理系科目はそこそこ点は取れてますね」
「あいつ英語は壊滅的だけどな」
「英語は私もアリサちゃんもあまり得意ではないので……でも、そんなに悪くはないですよ」
テストの点数を見たら72点となっていた。香夜ちゃん基準からすれば悪いかもだが、恵基準ならそれなりに高得点だろう。天王洲先輩に見てもらってたおかげもあるかな。
「ちなみにこのテストの平均は68ですので恵ちゃんは平均より上ですね」
「やっぱり少し難しくなってるか?」
「どうでしょう?難しい、というよりは範囲が増えてやる量が増えたので、手に負えないと言った方が正しいと思います」
「まあ、中間を覚えておけばそこまで苦にすることもねえんじゃねえかな」
「世の中先輩のような記憶力を持ってる人は少ないんですよ……」
「過去の思い出なんてほとんど消えてるけどな」
「本当ですよね。アルバムがめぐちゃんのは何冊にも及んでるのに先輩のは一冊だけなのは驚きました。先輩、愛情を受けなかったので歪んだんですね」
「おーい。そこまで悲しむほど歪んでないぞー」
「人格形成でどこかに支障をきたしたんでしょう」
「あのねぇ……」
でも、一口に否定しきれないのは一理あったからである。そもそも、自分が昔どんな子だったかすら、両親に聞こうが忘れられてそうだしな。
「あの、先輩。そこで黙ってしまうとなんか申し訳なくなるんですが」
「ん、まあ、気にしなくていいよ。香夜ちゃんがいるだけで心は浄化されるから」
「先輩の心は荒んでたんですか」
「いやあ、どちらかといえば何も考えずに閉ざしてたんじゃねえかな。だから、記憶に残るような思い出もねえんだと思う」
「悲しい青春時代を過ごしそうでしたね」
「まったくだな」
改めてそこから恵のテストを見ていく。まあ、過ぎたものは仕方ないのでここに書かれてる点数は受け入れるものとして、いかに改善していくかだが。
「めぐちゃん、数学は出来が良いんですね。数学が得意なのか、はたまた授業をちゃんと聞いてるのか」
俺の教え方がよかったって選択をナチュラルに排除しないでください。
「なんで数学だけ90以上取れてるんでしょうか」
「そういって香夜ちゃんは恵より上だろう」
「まあ、そうしなければ先生の名が廃るというものです。先生は常に教え子の上に立たなければなりません」
「まあ、気張りすぎて足元すくわれんようにな」
「そうなりそうな時は先輩に教えを請います」
「香夜ちゃんはなんか苦手な科目あるか?」
「家庭科です」
「アリサちゃんは美術で香夜ちゃんは家庭かい」
「アリサちゃんも苦手ですが?たぶん、実習の点数ひどいことになってると思います」
「そいつは……俺にもどうにもならんな。何度も言うようだが美沙輝が泣くぞ」
「すでに泣きたいと思っていることでしょう」
「ならせめて香夜ちゃんが出来るようになったことを証明してあげてください。あいつが報われなさすぎるだろう」
「少し極意を聞いたので明日の夕食は私が作らせていただいてもいいですか?」
「……それは構わないけど、一応俺も見てるからな?」
「まあ、失敗しないとは限らないのでお願いします」
「んー、じゃ、逆を聞こうか。香夜ちゃん得意科目は?」
「国語、社会全般は得意です。というよりは暗記が得意なんです。特技は速読です」
初めて聞く特技だぞ。どこで習得した。
「私は先輩が思ってるほど残念な子ではないのです。すでに国語の教科書に書かれている物語は読み終え、ほぼ暗記してます。テスト前に範囲が出たらもう一度読み直すだけで暗記できるのです」
すげえな。その能力俺にくれ。俺暗記とか苦手なんだよな。一回じゃ覚えられないし。
「暗記とかはまあ、脳のつくりの問題になってきそうだな。それはともかく、これからは得意科目に分けて教えることにしないか?その方が効率がいいし、香夜ちゃんの負担も減るだろう」
「私は構わないですけど……どうしますか?単純に文系、理系科目で分けますか?」
「どうしても文系の方が科目多くなるんだよな。どうしたもんか……」
「あの、先輩は家のこと色々やってるんですし少しぐらい私に任せてもらってもいいんですよ?」
「あまり後輩に負担をかけさせたくないんだよ。そういや、まだ天王洲先輩に見てもらってんのかあいつ」
「ええ。普通に今まで通り見てもらってるそうです」
「そういや、あの人英語が得意って言ってたな。その辺り重点的に教えてもらうように言っとくか」
他にも余計なこと教えてそうだけど。あいつがバイリンガル以上になったらどうしよう。
「俺は……あいつがグローバルになることが怖い……!」
「一体何を言ってるんですか?英語でヒーヒー言ってる人がそんなすぐにグローバルなんてなれっこないです。でも、なれたらなれたで選択肢が広がるので良いことではないですか?」
「まあ、そうだな。いつかはあいつも俺の手を離れて1人で歩いて行くんだし」
「離してくれないと、私は先輩と付き合うことができないです」
少し不貞腐れてる香夜ちゃんを見て、臆面もなくそう言ってくれるのはきっとこの子だけなんだろうなって俺はそう思う。
全て事情を知って、俺たちは一緒にいる。そこに何が入り込めるんだろうか。
俺は懸念材料を振り払うまで、そう言った。
そこまでなら香夜ちゃんと離れてもそれでいいと思ってた。
今でも、それは変わらないし、そうなら香夜ちゃんのことを応援してやりたい。
でも、香夜ちゃんは思ったより意固地なようだ。
そんな少し頬を膨らませてる彼女が可愛らしくておもわず頭を撫でていた。
それを嫌がることはなく香夜ちゃんは少し気持ちよさそうにしている。
「先輩、頭撫でるの好きですよね」
「嫌……だったか?」
「正直、ちっちゃい子扱いしてるようであまり好きではないんですが……先輩のは好きです。気持ちよくて、なんだか落ち着きます」
「そっか」
香夜ちゃんが嫌な気分にならないように優しく、丁寧に撫でていく。
「あ、先輩」
「ん?」
「あの……その……今言うことでもないかもですし、先輩に言うことじゃないかもしれないですけど……」
「言いたくないなら無理しなくても」
「……私、告白されました」
「は?」
「先輩。露骨に撫でる強さを変えないでください。髪が」
「あ、ああ悪い」
「断りましたけど」
「あ、ああ。そうだよな」
「同じクラスの人です。まあ、あまり話したこともないですけど」
「香夜ちゃん可愛いからな。やっぱりそれだけで告白してくる奴もいるだろう」
「それがですね。結構クラスでも人気のある人で、断ったまではいいんですが、その後を何も考えてなくて」
「考えてないも何も普通に過ごせばいいだろう」
「変な人に絡まれそうなのが怖いです」
「アリサちゃんがいるんだし、そんなに心配することもないだろう」
「あの、先輩。しばらく一緒にご飯食べてくれませんか?」
「ご飯ってお昼か?」
「朝食、夕食は一緒に食べてるでしょう」
そうですね。我ながらにアホな回答をしてしまった。
「しっかし、そいつだって噂のことぐらい知ってるだろうに」
「あくまで一緒にいるだけであって彼氏彼女の関係ではないことは知っていたみたいで、それならって感じでした」
「あわよくば、ねえ」
「あ、あの私が先輩のことが好きってことは変わらないですから、その……なんというか……」
少し声を大にして言ってしまったことが恥ずかしかったのか、言葉尻が弱くなっていく。
「なんで断ったんだ?」
「私が好きな人は先輩で、それは何があっても変わらないって、そう言いました。念のためにアリサちゃんに文字通り草葉の陰から見ててもらいました」
意外にこういうところしっかりしてるな香夜ちゃん。思ったより慣れてるのか?
「中学の時はあったのか?」
「耳にすることはあってもそういうことなかったですね。今の方がまだ話しかけやすい雰囲気になったという裏返しでもあると思います。まあ、中学時代の私は色々と荒んでたというか、心に余裕がなかったというか、自分でも何かに迫られてるんじゃないかっていうぐらいでしたから」
心の枷が外れたんでしょう、と香夜ちゃんは続けた。
自分を縛り付けていたものがなくなったということだろう。今の香夜ちゃんがそれで救われているというのならそれで構わないが、ただ問題を投げて放置してしまっているだけの状況にも感じる。
いや、一度は解決しようとしたんだ。でも、向こうから断られてしまった。こちらが歩み寄ろうとも向こうが拒んでしまっては取り付く島もない。
だからこうやって家に香夜ちゃんは来たのだ。
これも、一種の逃避なのかもしれない。居心地の良い逃げ場所を選んだだけなのだろう。
だけど俺は追い出すことはしない。いつか解決する日が来るなら喜んで見送れるように、香夜ちゃん自身が納得できるまで見守るのが役目だろう。
「ああそうだ。今度体育祭あるだろ?」
「正直な話、こういってはなんですが、筋力を図るものじゃなければ私はかなり運動神経が良いんです」
「知ってる。正直筋力もニンジンを両断できるんだからあるんじゃないのか?」
「いや、あれは筋力とかいうよりはいかに力を分散させずに切るという動作が出来るかということなんで」
言ってる意味がわかりません。習得できたからといってやる機会はなさそうだけど。
「武術の一種とでも考えていただければ。空手家の人がやってるのを見たことないですか?」
「テレビだけの世界かと思ってたよ」
「でも、包丁使わずに切れるのなら怪我をそれだけ減ると思いますし、いいことではないですか?」
それを習得するまでにどれだけの犠牲を払うのかが分からないし。香夜ちゃんがどこかの超人かと思ってきた。
「まあ、体育祭においてはそんな筋力を重視する競技を女子にやらせることはないので。私なんか見た目は非力っぽいですからね」
能力は非凡ですけどね。
「今時の人はたるんでます。みんな大体7秒以上かかってるんです」
いや、それが女子の平均なんで7秒台で走ればそれなりに速い方ではないでしょうか。この子が異次元なだけである。
「あのさ、前にアリサちゃんから6秒切ってるとか聞いたんだけど本当?」
「確かに切りましたね。でも、四捨五入してしまえば6秒です」
それでも俺より速いんだけど。俺も選ばれる程度には速いはずなのに、それも1年生の女子に負けるって……なんかこの上ない敗北感をここで味わされた。
「まだ病み上がりで測った時でも7秒前半だったんですが、それで選ばれてしまいましたからね。多分、来年は色々とぶっちぎってやります」
「で、リレーに出るのか?」
「私は100メートル走とリレーに出ます。アンカーですよ。ちなみにトップバッターはアリサちゃんです。記録ではアリサちゃんがトップでしたしね」
なんで運動部に入らないのかと言われそう。香夜ちゃんは俺を追いかけて、アリサちゃんは香夜ちゃんを追いかけて入ってしまったからだけど。まあ、体育祭の結果次第では引っ張りだこになりかねないな。
「文武両道、才色兼備とはすげえこったな」
「褒めても何も出ませんよ」
「家事万能ならなあ」
「うぐ……それは先輩がなんとかしてください」
「まあ、家事は俺1人でも回せるしなんとでもなるんだけどな。やっぱ女の子は家事ができた方が家庭的って感じで好感度が高いよな」
「先輩は私に家事ができて欲しいですか?」
「家事ができて欲しいというか、なんか可愛いエプロンを制服の上からつけて家事をやって欲しい。それが俺のささやかな願いです」
「寝言は寝てから言ってください」
割と現実的なお願いだと思うんだけどなあ。大した願い事ではない。
「明日、私が料理するんですよ。それぐらいはすぐに叶うのです。先輩はもっと大きな夢を持ってください」
「じゃあ香夜ちゃんが炊事、洗濯、裁縫、掃除とマスターしてくれるのを夢に見てます」
「先輩のそれは私というよりはめぐちゃんにできて欲しいことじゃないんですか?」
「ま、今のあいつは勉強で手一杯だからな。出来るようになってからだ。……美沙輝に頼むか」
「美沙輝先輩の負担が日に日に増してる気がするんですけど。主に先輩が回してる気がします」
「いや、まあ多少はね?」
持ちつ持たれつで。その分俺がこき使われてるから。
香夜ちゃんがあくびを噛み殺してるところをみて今日のところは解散とした。夜更かしはよくないよ。
そうだ。明日の帰りにでも香夜ちゃんに家で着るためのエプロンを買ってやろう。
こうして、俺の楽しみは増えていくのだった。