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9・結婚したいひと

「お父さま、私が結婚したいひとが誰なのか判っている、って本当なの?」

 ユーリンダは父の言葉に少し頬を赤らめたが、この大事な局面で恥ずかしがっている場合ではないと心を決めていたので、はっきり言質が欲しいという思いで尋ねた。彼女の傍にいる者で気付いていない人間などいないのではないかという位の娘の普段の振る舞いを思い返してアルフォンスは微笑ましく思った様子で、

「わたしはきみの幸せを誰より願っているつもりだ。だから、きみが王妃の座に興味がないと言ったので、それすら辞退したんだよ。そのわたしが、きみの考えている事が解らないと思うかい?」

「……そう、そうよね。ありがとう、お父さま!」

 はっとその事を思い出し、ユーリンダの顔は明るくなった。


 王妃選定から自ら外れた事で、ユーリンダは、周囲から散々、勿体ないと言われ続けたものだ。七公家のうち、ルーン家を含む四公家からは過去に王妃を輩出した歴史はあるものの、ここ数代の王妃は王族出身だった。ヴェルサリアの全ての女性の頂点に立つ王妃の座が手に届く場所にいながらそれを欲しがらないなんて、そしてそんな我が儘をルーン公殿下はお許しになるなんて、と人々は呆れ顔だった。宮廷では、ルーン公が、王太子自身が一番興味を示しているかれの娘を推さないのは、娘自身に何か――恐らく知的な――問題でもあるのだろう、と囁かれていたが、ユーリンダ自身を知る人々は、彼女が世間知らずではあっても大貴族の娘としての教養と作法は立派に身につけており、例え気性には合わなくとも、王妃の務めを果たす事は出来る筈、と判っていたからだ。歴代の王妃の中には男勝りで政治にあれこれ口出しするような女性もいたが、そうではなく家庭的な性質で、与えられた公務――主に社交や儀礼――を無難にこなす以外は、王妃宮で私的な友人達との付き合いや子ども達の教育に生き甲斐を見出して過ごした女性の方が多い。ユーリンダにもそんな生き方をする事は出来た筈だ……母カレリンダや兄ファルシスでさえも、そう思っていた。

『アトラウスと結婚し、聖炎の神子としてルルアの声を聞きながらアルマヴィラで送る一生は、あの娘にとって平穏で愛に満ちた幸福な暮らしになるでしょう。でも、王妃になったからと言って幸せになれないとは限りませんわ。王太子殿下は素晴らしい方だとあなたは常々仰っているではありませんか』

 カレリンダは暗に夫の方針に異を唱えるような発言をした事もある。彼女にとっては、娘の幸福は勿論大事なことではあるが、これはルーン家の将来、ひいては次期ルーン公となるファルシスの将来に関わることでもある。娘が王妃、そして王母に、息子がその兄としていずれ宰相に……聖炎の神子といえども世俗から切り離された存在ではなく、まして彼女はルーン公妃、当たり前の母親としての望みを持ってしまうのも無理からぬ事なのかも知れない。だがアルフォンスは静かに笑って最愛の妻に諭すように、

『カリィ、きみは宮廷がどんな場所か知らないだろう。確かに王太子殿下は素晴らしい方だし、あの方を息子と呼べるような絆が出来ればどれだけ誇らしい事かとも思うさ。だが、王太子殿下と妃殿下はいつも一緒にいられる訳じゃない。ろくに知り合いもいず、隙あらば他人の足を引っ張り自分がのし上がろうという者ばかりが取り入ってくる、そんな場所にひとり置かれた妻をいつも気遣うようなお時間が、国王陛下におなりになるエルディス殿下にある訳もない。もしユーリィが、王妃となる自覚を持ってそういった事に一人で敢然と向かい、陛下を補佐していこうという気概のある性格ならば、わたしは喜んであの娘を宮廷に伴うのだがね。あの娘の優しさはきっと、繊細なエルディス殿下の慰めにはなるだろう。だが、あそこであの娘自身の幸福が得られるとはわたしには思えない。例え、アトラウスを忘れてエルディス殿下を愛したとしても、やはりあの純粋さでは、重圧に押し潰されてしまうとしか思えないんだよ』

『そうですか……あなたがそう仰るなら、あなたの思うようになさって下さい』

 カレリンダはそう答えるしかなかった。生まれて以来一度もアルマヴィラを離れた事のない彼女は、所詮自分は広い世界を知らないという自覚があったし、娘のユーリンダが余りにも夢見がちで頼りない性質だという事も知り抜いていたから、仮に王妃になったとしても、その務めを立派に果たせず、王の寵愛、家臣の尊敬を得られなければ、そこには誰の幸福もないとも判っていたのだ。

 

 ユーリンダが如何に世間に疎くとも、自分が王妃候補のひとりであった事、それが自身の望みとはかけ離れた事ゆえに父がその道を強要しなかった事、そうした父の考え方が通例とは全く異なっており、それが自分への愛情から来ている事、は理解していた。なのに、先程のアトラウスの態度が彼女を惑乱させていた。だが、父の一言が単純な思考の彼女を元気づけた。

(そうよ、私が嫌がっているのに、お父さまが私とティラール様を結婚させるなんてありっこないわ。王太子殿下のご要望さえ断って下さったんだもの。それに比べれば、ティラール様なんてただの貴族の末息子じゃないの)

 王妃の座を辞退する事には、益はなくとも害もない。それに比べて、宰相がもし婚姻を申し入れてきた場合にこれを断る事は大きな確執の種となる。だがそこまでは全く思い至らないユーリンダだった。

「アトラの気にしすぎだったのね。良かった! じゃあ今夜、私、アトラに……」

「今夜は皆で船遊びに行く予定だったろう? わたしは付き合えないかも知れないが……」

 時間が空けば子ども達に同伴したいと思っていたが、問題は山積している。

「あの、私、まだ体調が完全でないから、ここに残ろうと思って。アトラが私の為にリュートを弾いてくれるって言うから……」

「アトラが?」

 アルフォンスは笑みを崩さなかったが、内心、甥の心中を測った。愛娘の涙は、彼が何か伝えたせいらしいと推測出来たが、それがどんな内容なのか、ティラールの求愛を知らないアルフォンスにはすぐに答えを出しかねた。


 だがこの時、父娘の会話に割って入った者がいた。

「お話し中恐れ入ります。アルフォンスさま、宰相閣下から使者が参って、本日の午餐会の後、閣下が暫しのお時間を所望されていると」

 歩み寄ってきたのは聖炎騎士団長エクリティス。一礼して父娘に声をかける。

「宰相閣下の使者には勿論了承の意を伝えてくれ。ああ、もう支度をしないとな」

宰相の話は昨夜のエーリク・グリンサム暗殺についてのものだろう。昨夜話した時にはまだ解らない事ばかりだったが、今は多くの事を知ってしまい、しかも宰相に気取られてはならない秘中の秘ばかりである。改めて何を聞き出そうというのか、何と答えたものか……ユーリンダの言葉が気にはなったが、他の問題に比べて切羽詰まった事でもないと思えたので、娘の肩に手を置いてアルフォンスは、

「わかった、じゃあ今夜は館でゆっくりしているといい。それじゃあ、お誘いした客人はファルに任せないといけないな」

「私、今朝は大丈夫だと思ったから、ティラール様とフィリアもお誘いしてしまったのよ。あの二人、お似合いだと思ったの。なのに行けなくて申し訳ないわ」

 ユーリンダの言葉にアルフォンスは引っかかりを覚えたが、取りあえずは、

「ファルがうまくやってくれるさ。きみは身体を休めなさい。昨日あんな事があったんだからね」

 と言って娘の傍を離れた。ユーリンダは何もかも解決したような気分になって微笑んでいた。



「ティラール殿とフィリア姫から、何か便りでもあったのか?」

 廊下を歩きながらアルフォンスはエクリティスに問うた。

「はい、ご報告が遅れて申し訳ありません。今朝方、お二方ともユーリンダさまのお見舞いにいらして、ファルシスさまを交えて歓談されていらっしゃいました」

「何、もう今朝に会っていたのか」

 アルフォンスは一瞬足を止めて考え込んだ。エクリティスは、ただの交流だとしか考えていなかったので、あるじがそこまで気にとめるとも思っておらず、不審そうな表情になる。元々、こうした報告は執事がすべきものであるが、有能で信頼の厚い執事のウォルダースはアルマヴィラに残っており、王都のルーン公邸で執事役を務めている者はたまたま朝から所用で外出していたのでエクリティスが代わりに来客に応対していただけで、本来、騎士団長の仕事でもない。

「どうかなさいましたか」

「いや……後でその様子をファルに聞かなくてはいかんな。それから、今夜、ちょっと頼まれて欲しい事がある」

「今宵は船遊びに同席せよと仰られてましたが?」

「それはもういい。済まないが、他の者には言えないような用事なんだ。わたしが早く戻って来られればいいんだが、時間がはっきりしないからな」

「私を館に置いて危険な所に行かれたりなさらないで下さいよ」

「ははっ、そんな事はしないさ。今日は危険はない。午餐会の後、宰相閣下に会って帰ってくるだけなんだから」

 エクリティスの心配をアルフォンスは軽く笑い飛ばす。かれの方では己の騎士団長を自分の手足と同様に信頼しているというのに、自分は、『知らないうちに無茶をする』という点で随分と信用がないのは昔からの事ではある。

「ならばよろしいのですが、昨夜の連中の仲間が襲って来るような事はないでしょうか」

「昼日中からおかしな動きはしないだろう。エーリクが死に、すぐにわたしまでも……となれば、最早病死として隠し通すのも難しくなり、本格的な調べになる。だから少なくとも暫くは奴らは手出しはしないと見ている」

「そうですか。では、私は御用を仰せつかりましょう」

「ああ。実はユーリンダの事で……」

 誰も近くにはいないと知りつつも声を落としてアルフォンスは、腹心中の腹心に懸念を打ち明ける事にした。

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