fragment:1 手の温もり
「じいちゃん、薪割り終わったよ。」
ゆっくりと開く古びた木戸から小さな声がする。薄暗く簡素な作りの部屋の奥では、老いてはいるが屈強ながたいの老人が、その大きな手には似合わない細かな作業に苦戦しながら返事をする。
「アゼル終わったか。切った薪は束ねてくれたかい。」
「うん。いつも通りに積み上げといたよ。」
「そうか。そうか・・・。あいったたたたぁ!」
顔を赤くした少年が額の汗を拭い、体には似つかわしくない器に水を汲んで飲もうとした時、老人の発する苦痛を訴えに驚き少年は老人に駆け寄る。
「じいちゃんどうした。大丈夫・・・。」
「いやなぁ・・・。どうもワシには、こんな細かな事は性に合わん。」
老人は親指を口に銜え照れくさくも、苛立ちながら少年に対して言い訳じみた口調で語る。
「じいちゃん、そんなことは僕がするから・・・。じいちゃんは、向こうで好きな事して。」
少年は、老人が補修し始めたであろう布きれを奪い取ると、立ち上がった老人の体を両手で押しのける。
「アゼルよ、おぉっおぉっ・・・。これはワシが・・・。」
「ほら、じいちゃんは向こうへ行って。」
「アゼル・・・。ワシとてこれくらいは・・・。」
「ごちゃごちゃ言わずに、じいちゃんは大人しく向こうで剣でも磨いてりゃいいから。」
威厳なく申し訳なさそうに消沈する老人の体を、面倒臭そうに少年は押しのけながら、縫物を始めだし小言めいた口調で老人に話す。
「ドルフ・バンドルグ氏の御自宅はこちらか。ドルフ殿はご在宅であるか。」
木戸を叩く音と共に、堅苦しい大声で呼びかける者が現れる。老人は孫とのじゃれ合いを止め、扉の前に立つ者に堂々たる言い回しで問いかける。
「ドルフ殿に何用か、汝の所在を明らかとし用件を申すがよい。」
「当方、王都第五連隊北東統括支団所属マーモ・ハルトと申す。ドルフ殿に王都勅令の伝達に参った。」
「王都勅令・・・。マーモ殿その勅令とは。」
「王都勅令にて、詳細はドルフ殿本人へと伝達要請有り。よって、『不倒の鋼騎』と字なすドルフ・バンドルグ殿を出されたし。」
老人は表情を曇らせ、ゆっくりと扉に近寄る。その後ろでは少年の顔から血の気が薄れ言葉にならない不安と諦めの衝動に駆られる。
「このような辺境の老体によく参られた。」
老人は扉を開き、その強靭な肉体を兵士の前に表し労いと嫌味を織り交ぜた言葉を投げ掛ける。
「貴殿がドルフ殿か。」
「いかにもワシが、汝が主の所望する老いぼれじゃ。」
マーモと名乗る兵士は直立不動で眼前の、老いてもなお放たれる鋼の如き出で立ちに、この者が『不倒の鋼騎』で有ることを理解し、装飾の施された金属製の筒を、その者に差出す。
「貴殿にて至急確認されたし。」
「こんな老いぼれを駆り出さねば成らぬ程、今の王は喧嘩好きと観える。そのうち戦場に甲冑を着た猫の軍隊が現れ出し兼ねんな。その行軍を見た民は現王を何と思うじゃろうの。」
ドルフは、豪快に笑いながらマーモの差し出す筒を掴みとり体を捻りながら言葉を重ねる。
「お主も大変じゃの、鳩でも飛ばせば良かったろうに。マーモ殿もそう思うじゃろ。」
「ドルフ殿、それ以上の罵倒は王への・・・。」
兵士の言葉が急に止まる。ドルフの放つ王への愚弄を静止すべく右手を老体の方へと伸ばしかけた時、ドルフの振り向きざまの視線に一瞬、己が死を連想させられたからであった。
「小僧、そう滾るな・・・。マーモ殿は忠義と忠誠をはき違えておいでかのう・・・。騎士は君主に忠義を尽くすが、忠誠を誓うのは王との間に置かれた己を託す鋼に心得よ!!。」
「・・・。」
「鉄は柔軟じゃが、如何せん幾度と叩かれると固くなっていかんのう・・・。そうじゃろマーモ殿。」
「貴殿の返答を持ち帰らねばならぬので、私は此処で待たせてもらう。」
「ワシは字が読めんでな、そこに居る小さな孫に読んでもらうで、いつ返事出来るじゃろうの。」
「返事有るまで、ここで待つ。」
兵士の言葉の途中で、体を返し皮肉の笑い声を上げ、ドルフは歩みを進め部屋に続く扉に手をかけると、兵士を拒絶するように閉めた。それと同時に駆け寄り大木のような足にしがみつく少年。
「じいちゃん・・・。」
「アゼルよ心配するな。ワシは、お前のじいちゃんじゃ。」
少年の頭に、その手を伸ばし愛しむように撫でながら老人は奥のテーブルへと促す。
「さぁ座りなさいアゼル・・・。」
「じいちゃん・・・。」
「男の子が泣くときは、一人で悔やむ時だけじゃ・・・。」
老人は椅子を引き少年を座らせる。少年は両方の袖を自身の顔の前でクシャクシャに交差させながら、目の周りを赤くさせた。老人も座り筒の中から羊皮紙を取り出し読み始める。
「また、大層な物言いじゃの。」
「じいちゃん・・・。」
初めは、不安そうな顔で少年は手紙を読む老人を眺めていたが、疲れていたのか老人が読み進める内に小さな寝息をその場でたて始める。
・・・今から四年前。
薄靄の中、日の出とともにゆっくりと姿を現す焼け焦げた材木と
力なく崩れた瓦礫、そして表現を困難にする臭いが辺りを埋め尽くす。かつては人々が大来し活気ある露店の呼び声がこだましていたで有ろう大道を、少年とは言い難い幼子が何かを探して儚げに歩みを進めている。
「と・・・。か・・・。」
消えゆきそうな余りにも小さく弱々しい声で、何度も何度も呟きながら、その幼子は何かを求めておぼつか無い足取りを進める。
「・う・・・。・あ・・・。」
幼子の後方で小さな瓦礫が転がる音がした。顔を上げ振り返る幼子。しかし、そこには誰もいない。
「・・ちゃん・・・。・・ちゃん・・・。」
幼子は向き直り、涙も枯れた虚ろな瞳で何かを探して歩みを進める。その姿を凝視する大きな対を成す赤色の存在には気づきもせず。
「ボクはここだよ・・・。」
フラフラと揺れながら進む幼子を、一時もその視界から離さず対の赤色は息を殺し、唸りを殺し幼子の背後へと忍び寄る。
「出てきてよ・・・。とう・・・。かあ・・・。」
幼子は、呟きながら力なく膝を折りその場にしゃがみ込む。幼子の枯れた瞳がその意識と共に今にも閉じようとするとき、後方の赤色の主は、その身を跳躍に備え深く沈め対の赤色よりもさらに大きな鮮血の如き紅を開き始める。
次の瞬間、幼子を捕食せんと鮮血の紅より白濁の泡にも似た粘液をまき散らし、大人の三倍は有ろう巨体の獣がその咢を唸りとともに幼子めがけ放つ。
「生存者がいたか!!。」
獣の唸りを掻き消すかの如く、倒れ行く幼子の背で一陣の旋風が巻き起こる。獣の咢は幼子を超え赤黒い体液をまき散らしながら瓦礫の山に沈む。さらにもう一陣の風の後には、倒れた幼子の両肩の上を掠めながら一体だった獣が二体に分かれ同じく体液をまき散らし地表に落ち跳ねる。
「この様な状態でよく三日も生きていたものだ・・・。」
そう語る鈍色の鎧を纏う屈強な老騎士が利き腕に握る大剣を一振りし、獣の残存を消したのち幼子を見据えている。
「「ドルフ殿。御無事で。」」
「遅い!! もう片付けたわ。」
鈍色の老騎士に駆け寄る数人の兵士を一括し、傍らの幼子を抱き抱える。
「ドルフ殿、この幼子が唯一の生存者ですか。」
「そのようじゃな・・・。」
「あの惨劇報告後、我々が駆け付け到着して三日経って生存確認が幼子一人ですか。」
「これでは、何があったか聞き出そうにも語れぬかもしれぬな・・・。」
「ドルフ殿、先ほど王都より帰還命令が有りました。」
「仕方あるまい・・・。此度の行軍の詳細はワシから王にお伝え申すか・・・。皆にも帰還の伝達をせよ。」
老騎士は、幼子を抱え兵士が携えた馬に跨り今回の行軍の不可解さと事の顛末を、あの王へ報告することの難しさに頭を悩ませながら、惨劇の地を後にする。
・・・時は戻り。
「アゼル起きなさい。」
武骨で大きな掌を少年の肩に伸ばし老人は声をかける。譫言のように数回相づちを打って目覚める少年。
「じいちゃん、僕・・・。」
「大丈夫じゃよ、もう帰らせたから。」
「じいちゃん、遠くへ行っちゃうの・・・。」
「そうさのぅ・・・。」
「僕、独りでも平気だよ。」
少年の問いかけに、曖昧な返事を返す老人。不安な少年は、その目を細められ更に年輪を重ねる表情へ、大きな瞳で見据え自身の不安を打ち消すように精一杯の言葉を続けた。
「アゼルよ、心配しなくても大丈夫じゃ。」
「心配なんかしてないよ・・・。」
「今回ワシは、古い友人に話をしに行くだけじゃから、危なくなどないのじゃよ。」
「ほんとに・・・。」
「そうじゃ、お話をするだけじゃ。」
「じゃ、すぐ帰ってくる・・・。」
「そうさのぅ・・・。お前への、お土産を買う時間は必要じゃがな。」
「じいちゃん。僕、お土産いらないから早く帰ってきて欲しい。」
「アゼルは、お土産いらんのか・・・。」
「ん・・・。やっぱり欲しい・・。だから・・・。じいちゃん、お土産も買って早く帰って!!」
「お前は、欲張りじゃのう。」
揺れる蝋燭の灯りに照らされて、強く優しい大きな影と、無邪気に笑う小さな影が、互いの思いを語り合う。
「アゼルよ、今日頑張ったお前に、じいちゃんから褒美をやろう。」
「ホウビ・・・。」
「そうじゃ。褒美じゃ。」
そう言うと、老人はテーブルに自身の掌を上に向け広げて語り出す。
「これが、何か分かるかの。」
何も握られていなかった武骨で大きな掌を見つめて、少年は困ったように首を傾げる。
「じいちゃん何もないよ・・・。」
「そうかのぅ・・・。よく見てごらん。見て分からなければ、自分の手で触ってみるのじゃ。」
キョトンとした表情で、不思議そうに眺める少年の手を老人は、もう一方の掌で導く。
「じいちゃん、やっぱり何もないよ・・・。」
「そうかのぅ・・・。有るじゃろ、アゼルの手が。」
大きな掌に、小さな掌が乗るのを観て老人は優しく笑いながら答える。
「良いか、アゼル。人間は強欲じゃ、自分の掌で掴める『モノ』以上の『モノ』を望んではいかんぞ。」
「じいちゃん、どうして・・・。」
「多くを掴もうとすると、その手に力が入り握った『モノ』が掌から零れ落ちるか、もしくは掴んだ『モノ』を壊してしまうのじゃ。」
「じいちゃん、痛いよ・・・。」
老人に強く手を握られて、驚きながらも、その痛さに力強さと安堵を覚える少年。
「しかしな、もしお前の掌に丁度の大きさの大切な『モノ』が出来たら話は別じゃ。丁度の『モノ』は、お前に力と勇気をくれるからの。」
「チカラとユウキ・・・。」
「そうじゃ、力と勇気じゃ。」
そう語る老人の手は固く握られていながらも、その掌は優しく空間を保って少年の小さな手を守っている。
「じいちゃん、痛くない。」
「そうじゃろ。痛くないじゃろ。」
「じいちゃんの手、温かい・・・。」
「これが騎士の心得その一じゃ。」
「じいちゃん。僕、騎士になったの。」
「まだ見習いじゃがな。ワシが認めたんじゃから、アゼルは騎士見習いじゃ!!」
「じいちゃん。僕・・・。嬉しいけど痛いのやだよ・・・。」
「心配せずとも良い、見習いじゃから痛いのは、まだ無しじゃ。」
「やったぁ。」
自分が敬愛する老人から認められた喜びに有頂天になって喜ぶ少年。それを眺めながら、少し不安げに次の言葉を口にする老人。
「騎士見習いのアゼル殿に、ワシからお願いがあるんじゃがのぅ・・・。」
「お願い・・・。」
急に不安げな表情になる少年の手は、老人の手の中で固く強張る。
「そうじゃ、ワシの留守中この家の警備を任せたいのじゃ。」
「ケイビ・・・。」
「そうじゃ、警備じゃ。いつもワシが、お前に頼んどる用事をして、ご飯を食べて、しっかり寝ることじゃ。」
「うん。それなら出来る!!」
「そうか、そうか出来るか。」
「うん、僕出来るよ。じいちゃん。」
その言葉を聞いた老人は、ゆっくりと握られた拳を解き、少年の頭に大きな掌をのせ、優しく撫でながら嬉しそうに微笑む。少年もその温もりを感じながら、少年らしい満面の笑みを返すのであった。