真・紅い砂浜
警告:若干残酷な描写がありますのでそういった文章が苦手な方はご注意ください。
序章「子供たち」
ここではないどこか遠い世界。
星々が空を覆い尽くす夜半、とある砂浜に焚火を囲んで3人の子供と
一人の老人が静かに座っている。
波の音に交じり焚火の中で薪が爆ぜる音が暗闇の中に響いていた。
やがて子供の一人がそわそわと待ちきれない様子で老人に話し掛けた。
「なぁ爺ぃ。今夜はどんな話を聞かせてくれるんだい?」
他の子供たちも、その瞳に期待の色をうかべて老人の言葉を待っていた。
老人はそんな子供たちの様子を見て、口の端をわすかに持ち上げ、
ゆっくりと呟くように声を紡ぎ始めた。
「そうさなぁ。今宵はこの浜辺の話を聞かせてやろうかのぉ。」
老人の言葉に一人が不満そうな表情とどこか誇らしげな口調で
「この浜辺の話?俺、知ってるぜ。ほら、ここって夕日が海に沈むとき、
海と空がそりゃあ見事なくらい真っ赤に染まって綺麗だろ?
それを見たこの国のぉ…なんだっけ?あ…そうだ!ヴィラ王女が
赤の浜辺って名づけたんだっよな?確か母ちゃんがそう言ってたぜ?」
得意げな笑みを浮かべながらそう答えた。
老人は愉快そうに微笑みながらその子供の頭を撫で、
「確かにその話は有名じゃのぉ。いや、おそらくこの国にその話を知らん者はおらんじゃろうなぁ。じゃが、今からわしが語る話はなぁ、誰も知らない話なんじゃよ。いやそれどころか本当かどうかさえも分からんのだが。さて」
老人は躊躇うように言葉を濁し
「まぁ、ええわい。老人のお伽噺と思って聞くが良いわ。」
そう呟くと深くため息をつき、昔を思い出すように空を見上げながらゆっくりと語り始めた。
「それは100年ほど前の話になる。そう、おまえ達も名前くらいは聞いたことあるじゃろう?賢王アイザックの名前は」
すると子供達の手が我先にと一斉に挙がり、
「はいっ!俺、知ってるよ?昔この国にいた海の魔物を一掃した有名な王様だろ?」
そんな子供たちの様子を眺め、老人は嬉しそうに微笑んだ。
「ほぉ、良く知っておったのぉ。そうじゃ、その賢王アイザックの御代の話になる…」
第1章「兵士達」
「それでは行ってきます。母さん」
僕はそう云って家を飛び出していった。
少し浮かれているのかもしれない。だが顔はどうしても綻んでしまい、お城へ向かう足取りもいつもよりも軽く石畳の階段を思わず二段飛ばしで駆け抜けていくほどだった。
空は見上げると、まだ月が微かに西の空に残り町中はまだ眠りに就いている。
そんな中、僕の足音だけが静かに響いていた。はじめて歩いた時は緊張しながら歩いていたあの坂道とは思えないくらいに軽快な足音が響いていた。
そう、それはあの叙勲式の日から変わったのだ。僕にとって運命の日になった叙勲式のその時から。
初めて足を踏み入れた謁見の間。
アイザック王はその忠誠の剣を僕の肩に添え、
「忠実なる戦士よ、今日から汝は王家の傍らに在り我らを守護する任を与える。汝が命は我らと共に在。また我らが命もまた汝と共に在り」
と威厳のある声で叙勲の言葉を述べられるとその声は広間の中に響き渡った。
僕は緊張のあまり手が震え、歯が噛み合わずアイザック王の顔を
まともに見ることが出来なかった。
言わなきゃ言わなきゃと思うほどに膝が震えて、手にじんわりと汗が滲む。
かろうじて勇気を振り絞り肺の中の空気を搾り出すように
「つ、謹んで拝命致します!」
元気よく発声したはずの言葉はか細く王の耳に届いたのかと不安になるほどだった。
自分で顔が紅潮しているのが分かるくらいに顔が熱くなった。おそらく耳まで真っ赤だろう。
恥かしかった。心臓が早鐘のように響く。頭が混乱して思考がまとまらなかった。そんな混乱の中、突然玉座のほうから
「私たちを守ってくださいね?」
そんな静かな天上の美声が僕の耳元をくすぐった。
まるで心臓を金槌で叩かれたような衝撃に顔を上げると、そこには噂に違わぬ、いや、言葉では語り尽くせない美しさの王女が王の傍らで佇んでおられた。
その表情は優しく、そこに居られるだけで空気が光に包まれていくようだった。その王女が僕に…そう、僕だけにそっと微笑んでくださったのだ。
腰まで届くたおやかな金色の御髪。翡翠をはめ込んだ様なそのつぶらな瞳。
心を奪われるとはこういう事を言うのだろう。いや、魂さえもこの御方になら捧げても惜しくないと思った。
僕は無礼も忘れ
「はい。王女様」
と誇らしげに直答したのだった。
その日から僕はいつも以上に、いや常に全身全霊で職務に励んできた。
どんなに厳しい職務でも進んで志願した。辛いと思った事は一度も無かった。
すべてはあの方のためと思えば苦しくはなかった。
むしろ全ての職務があの方を守ることに繋がると思えば全ては喜びに変わった。
そして昨夜、近衛兵が集められ、隊長から王の勅令が知らされた。
「海の魔物が近海を荒らし領民の生活を脅かしている。これを速やかに討伐せよ!」
隊長の厳しい声が狭い練武場に響き渡る。皆の顔に緊張が走っていた。
無理も無い。自分たちが精鋭と自覚していても魔物との戦いは皆始めてなのだ。
辺境ならいざ知らず、中央に近いこの国で今まで魔物が現れたことなど一度も無かったのだ。
だけど僕は頭の中で勅命を繰り返し唱えていた。
王女が大好きなあの美しい海と浜辺を再び平和に。ひいては皆の生活を脅かす魔物を討伐する。
そう、みんなが動揺する中、僕の心は浮き足立っていた。
ここで手柄を立てて王女に誉めてもらいたい。
「ご苦労様でしたね」
「良くやりましたね」
「凄いわ」
頭の中でそんな妄想が駆け巡る。
ただ、王女に…ヴィラ王女に誉めてもらいたい。
例え王女の心が僕に向いてなくてもそのことだけで僕は満足できる。
王女に幸せになってもらいたい。それだけが今の僕の心を占めていた。
身分違いの懸想である事は十分に分かっていた。
王女の隣にはもうあの人がいることも知っていた。
だけど、幸せな気分に浸っていたかった。
ヴィラ王女のためならこの命なんて惜しくない。本気でそう思っていた。
さぁ、気を引き締めていこう。
物思いにふける頬を軽く平手で叩き、気合を入れなおした。
まもなく、集合場所だ。そう自分に言い聞かせ、僕は討伐隊の集合場所に誰よりも早く到着したのだった。
第2章「海の魔物」
世界は真っ赤に染まっていた。
海も、空も、砂浜も、ただ赤くひたすら赤かった。
赤い世界の中で妹が泣いていた。少し離れた砂浜にはさっきまで遊んでいた友達がうつ伏せになって寝ている。
遊び疲れたのかな?
良く見れば夕日に染まって全身真っ赤だった。
どうしてだろう?
波の音も、風の音も聞こえない。
言い表せぬ不安と恐怖と静寂の中僕は探した。
ただひたすら浜辺を歩きつづけて。
「ねぇ起きて?はやく帰らないとお母さんに叱られちゃうよぉ…」
「おにいちゃぁん!」
変だな?
妹の声だけは、やけに鮮明に聞こえてくる。
妹は一生懸命夕日に染まった兄さんの側にちょこんと座り込んで早く起きてとせがんでいる。
でも兄さんはいくらゆすられても一向に起きる気配はない。
「兄さんは漁に出て疲れてるんだよ。すこし寝かせておいてあげろよ。」
僕はそう言うと更に歩みを速めた。
そうだ、タム兄なんかに構っていられないんだ。父さんを早く探さなきゃ。
探す?
探す…
どうして僕は父さんを探しているんだろう。
父さんは…
いや違う…
だって……だってあれは父さんじゃあないもの…
そうだ…あんなのは父さんじゃない
あんなのが父さんであっていいはずが無いんだ!!!
…そう…だから僕は探しているんだ。
ずっと…この赤い夕日が消えるまで…
この赤い夕日が沈んでも…
生きている…父さんを……探し続ける。
第3章「傭兵」
ま、なんて言うか、あえて一言で言えば国中が騒然としているってとこか?
何しろ漁業で成り立っているこの国で漁に出ることが出来ないってんだから騒然とするのもあたりまえと言えば当たり前の話だな。
おかげで漁師どもは漁に出れないってんで数日は酒場や
どこらで憂さを晴らしていたみたいだが先立つものも無くなれば
おとなしく家に引きこもっているしかないってもんだ。
まぁ、賢明だねぇ。
「だけどよ?引きこもっていても飯は食えねぇ!」
なんてプライドの高い連中は船を沖に走らせて
いっちまったがそれっきりだ。
まぁ、自分達がバケモンの飯になってりゃ世話ねえわなぁ。
おまけに農場の連中ときたら、この時とばかりに暴利を吹っかけてきたらしく食い物の値段が急騰した…らしいんだが、よくは知らねぇが王からの布告ってやつか?そのおかげでそいつも一時期だけのことだったってよ。
まぁ、農場の連中にしても売るものも無限にあるってわけじゃないからな。
ん?俺か?いいか、耳の穴ぁかっぽじって聞きやがれ。俺は流れの傭兵ってやつだ。
俺達、傭兵って奴は戦乱が終わった今、有り体に言えばご用済み。
簡単に言えば仕事を無くしちまったってわけさ。
それで仕方なく各地を流離って物騒な匂いのするこの国に流れて来たって寸法さ。
あん?その俺がなんで酒場に入り浸ってるかってぇ?大きなお世話だよ。この糞餓鬼。
まぁ、今日は機嫌がいいんだ。感謝しろよ?特別に教えてやらぁ。
俺が戦わない理由って奴だ。決まってんだろ?この国の魔物…海の魔物達はやば過ぎるからだよ。
あぁ?何がやばいって?決まってるだろうが。
やつらは海の中!!海の中なんだぜ?!
しかも、むかつくことに硬い外郭で覆われてやがる。
おまけにあの鋭い角!!!
その上あの図体のくせに動きまで素早いときてやがる。
こりゃあもうお手上げってもんだろ?
まぁ、俺の経験から言えば、あいつらにゃぁ勝てない。勝てっこねえんだよ。
分かるか?坊主?
確かにあの賞金の金1000枚は魅力的さ。だがな?坊主。
お前、あの浜辺を見たことがあるか?
今まで一体何組の戦士達や賢者達が挑んだと思う?
浜辺が死体で赤く染まるなんてなぁ異常だよ…異常さぁ。
おまけに今じゃあみんな怖がって宿に引っ込んでるのさ
そんなわけで仲間を探すったっても人が居ないんだよ。
おまけにどうやったって勝てっこねぇ相手とくればな…
わかったか?ちびすけ
あん?なんだってぇ?
なんですぐに逃げなかったかぁだとぉ?
へ、そいつはなぁ…逃げそびれただけさ。
ま、すぐにでもこんな辛気臭い国からはおさらばしたいもんだね。
まだ辺境に舞い戻って小妖魔でもぶっ殺して飯食ってるほうがはるかにましってもんだ。
ん?なんだぁ?さっきから根掘り葉掘り聞きやがって。
もういいだろ?餓鬼は早く帰ってとっとと寝てな!
あっ?はぁ?分かった、分かったよ!
ほれ、言ってみな?それを言ったら帰るんだぞ?
…………へ?
ぁ?…ああぁ!!!?な……何だってぇ!!?おまえ…正気か?
第4章「日記」
王暦326年、漁士の期 16 晴
今日も海の魔物達のために船は沖に出れず、また討伐に向かった戦士10名も不帰の者となった.
今日で領民が漁に出られなくなってから早2週間が過ぎた。
国民の間でも動揺が広がり、物価は高騰し始めている。
商人達のなかには物価の高騰を利用し食料の買い占めに走るものがいると報告を受ける。
直ちに対策を打たねばならない。
連日大臣達を招集し会議を続けているが良い手だては未だ浮かんでいない.
やはり戦乱が終わってから早30年.
月日は人の心を腐らせるには十分な時間だったのだろうか?
いや,まだ遅くはないはずだ。城内に賢者、勇者がいないのであれば、国内外を問わずに知恵者、豪傑を広く集めればいいのだ。
今はこの状況を一刻も早く打破することこそが必要である。
追記
ヴィラの容体が思わしくない,
病床で寂しい思いをしてはいないだろうか?
大好きな真紅の薔薇を持って見舞いにいって窓際の花瓶に生けてあげるとしよう
王暦326年、漁士の期 18 曇
海の魔物どもを倒した者に与えられる報奨金は『金1000枚』破格ではあるがこれも,やむを得ないだろう.
命を賭ける代価としてこれが破格であるか,適当であるかなど今は些事にすぎない。
もはや国中外の賢者、戦士たちに期待するしかないのは国としては憂う事態ではある。
しかし討伐を為し終えた暁には彼らを国の要職に招くことも考えねばならない。
人材を集めることも今後の課題だ。戦争が絶えて30年間我が国の人材の枯渇が今のこの状況を招いたのであろうか?
大臣達は腐敗し真に国を憂うものも少ない。
嘆かわしい限りだ。
追記
ヴィラの容体は相変わらず小康状態のままだ。海がみたいというささやかな希望さえ今はかなえてやる
ことが出来ない。自分の無力さに怒りすら覚える。
王暦326年、漁士の期 25 雨
連日、私の元に届くのは訃報ばかりだ。
また冒険者を名乗る連中の死体が浜辺に増えただけとのことだ。
彼らはただ賞金に目が眩んだ者達ばかりなのだろうか?だが今はいかなる手段を用いてもあの悪魔を討伐しなければならない。だが芳しい成果はいまだ上がらない。
追記
ヴィラが高熱にうなされ一時危篤に陥った。医師達の懸命な処置のためなんとか持ち直したが
依然として危険な状態に代わりはないとのことだ。ただ非才なこの身を呪うばかりだ。
王暦326年、漁士の期 36 雨
とうとう志願するものさえ現れなくなった。浜辺は血の赤に染まり、海の魔物達は良い餌場でも出来たとでも喜んでいるかのように未だ我が海域に住み着いている。
また国中の食料が不足し始めている。城の貯蔵庫をとうとう開けることになる。
この状況が続けば、いったいいつまで食料が持つのだろうか。
追記
ヴィラは未だ意識が戻らず外部からの栄養注入に頼っている。
医師の話ではこのままでは長くもたないだろうと。
焦る気持ちばかりが募る。
王暦326年、農士の期 1 晴
もう国民の疲れも限界に達し始めてきている。民からは不満の声も不穏当な空気さえも流れ始
めている。国の貯蔵庫もあと一月持たないだろう。このままでは反乱・暴動の可能性も視野に入れねばならないのだろうか?
あの悪魔たちの討伐さえ為せればと思うのだが、一体どうすればよいのだろうか。
追記
明日、一人の志願者が討伐に向かう。
一体、何をするつもりなのだろうか?
もはや今となっては藁にもすがるつもりでいるが、あのような少年に頼らねばならぬ国の窮状に情けなさすら覚える。
ヴィラの意識はなんとか戻ったが医師によれば危険な状態に依然変わりはないそうだ。
しかも高熱のためか視力に支障をきたしたらしい…。
あの美しい瞳がいずれ私を映すことが出来なくなると思うと…
もはや時間は残されていない
第5章「少年」
真っ赤な夕日の中、海辺の岸壁から少年は海を見ていた。
母に頼まれた仕事を終えて家に帰る前に行う日課だ。
昨日も今日もずっと赤い海を見つめ続けていた。
夕日が海の中に沈み、星々が世界を覆い始めた頃、
少年の背後から見える一軒のあばら家から小さい女の子が勢いよく
駆けて出してくるのが見える。
少年の妹だろうか?愛らしい顔に微笑みが零れている。
その家の窓辺には薄暗い蝋燭の明かりが灯りはじめ、
煙突からは夕食の時を告げる煙がモクモクと立ちあがり、
家の中からは明るい母親の子供たちを呼ぶ声が聞こえる。
おそらく食事の用意が出来たのだろう。
少女は少年に声をかけ、そのまま彼の袖を引っ張り、少年を急かしている
少年は苦笑いを浮かべながら少女に引っ張られていった。
ただ、その前に海の方を振り返り2組の墓標を一瞥し、
二人は家の中に一緒に入っていった。
第6章「魔眼」
「なんでこの俺様がぁこんなぁことをしなくちゃぁいけねえんだぁ!」
思わず愚痴が零れてしまう。
全身汗まみれになり、背中からは湯気が立ちのぼっている。
時間は既に5時間を越えていた。
夜半になったとはいえ、一向に涼しく感じなかった。
「このバナナの葉っぱも肉圧がありやがるし、その上やけに重てぇ。しかも3メートルほどもありやがる」
傭兵は少年に言われたとおりに動いていた。
言われた大きさのバナナの葉を集め、それを潮の引いた砂浜に埋め込んでいるのだった。
「しっかし、本当にこんなんでいいのかぁ?なんの呪いだかしらねぇが」
傭兵は動き続けた。
悪態をつきながらも身体は動かしていた。
時折、自嘲気味の笑みがこぼれてくる。
そう、あの時の事が思い出されるのだ。
「海の魔物を退治しませんか?」
傭兵は耳を疑った。
少年が冗談を言っているのだと思った。
少年はあっけにとられた傭兵に言葉を続けた。
「貴方の取り分は金900です、大丈夫。簡単なことです。
危険なことはいっさいしませんから安心してください。」
少年の畳み掛けるような、それでいて心を揺さぶられるような言葉。
そして何よりもその瞳
少年の雰囲気から冗談を言っているのではないことがわかる。
勘。
傭兵としての直感がそう囁いた。
心が揺れる。
出来る気がする。
しなければならない。
聞くべきだ。
本能が叫ぶ
気が付いたときには遅かったのだ。
もはや、あの瞳に捕らえられた。
そして傭兵は答えていた。
「ああ、それで…俺は何をすればいいんだ?」
少年は屈託のない笑みを浮かべて囁いたのだった
第7章「老人」
パチリ
薪が音を立てて爆ぜた。
少しだけ炎の勢いが弱まり、影が浜辺に揺らめく。
老人は側にあった小枝を両手でへし折ると焚火の中に放り込むとすこし火勢を取り戻し再び影が大きくなる。
「ねぇ、それからどうなったの?ねぇ?早くぅ」
子供たちは話の続きが待ちきれない様子で老人に話の先をせがんでいた。
老人は子供たちの目を見つめ、しばらくの間そのままの姿勢で何か懐かしむような表情を浮かべ、言葉を慎重に選ぶようにして再び口を開いた。
「その少年はなぁ。なぁんにもしなかった。そう、ただいつものように岸壁にただ座って海を見つめていたのじゃ」
爆ぜる炎を見つめながら老人は続ける
「そしてその日の夕刻のことじゃ。世界が真っ赤に染まる夕暮れ時。この浜辺にあの海の悪魔達がその角をバナナの葉に深く刺し込んでしまい、動けん姿になって現れたのじゃよ。」
「スゲェ!それで…どうなったの?」
「ねぇ、海の魔物ってもしかしてカジキのこと?僕ね、あれ大好きなんだぁ」「ねえ、早く続きぃ」
子供達は老人の方に身体を寄せ続きをせがんだ
「まぁ、そうせかすな。そうじゃのぉ、カジキゆうたんかいのぉ?じゃがな、、あの時の奴等は今の大きさの2倍、いや3倍近い大きさじゃった」
ザザァ……ァ……ザザァ…
「だがのぉ、如何に奴等が大きかろうと海の中では無敵であろうと、海から上がった奴等は驚くほどあっさり死によったんじゃ。人々の恨みも怒りも憎しみもあったんじゃろうが。その姿を見た国の者はこの浜辺で今までの鬱憤を晴らすかのように海の悪魔達を殺したんじゃ。」
老人は言葉を区切り、すこしためらいがちに続けた。
「己の身体が奴等の血で真っ赤に染まることも気にもせずにな。ただ殺した。ひたすら殺し尽くしたんじゃ」
聞き終えると子供達は我先にと手を挙げ、
「分かったぁ!その時のカジキの血で浜辺が真っ赤に染まったから
『赤の浜辺』って名前になったのでしょ?」
「それで?それでその子は賞金をもらって幸せになったんだよね?
いいなぁ僕もお小遣いもすこし欲しいなぁ」
「なぁんだ。でもカジキの話を聞いていたらお腹空いちゃった。ああ、お腹すいたよなぁ。」
「爺。今日の話、結構面白かったぜ?また別の話をしてくれよな?」
子供達はそう言うとまるで鉄砲弾のように浜辺を走りそれぞれの家へと駆け出して行った。
「これ、まだ話は終わっておらんぞ?」
「何か言った?また明日な?爺ぃ」
「お休み〜」
「おやすみなさぁい」
子供たちの勢いに一瞬あっけに取られながらも、
その皺の刻まれた顔を綻ばせ小さな声でこう言った。
「お休みな、子供達。」
そう呟いて、老人は一人静かな誰もいなくなった浜辺を静かに眺めていた。
8章「 賢王アイザック」
王は脅えていた 海の魔物の存在に。
王は脅えていた 責任と言う名の重圧を。
王は脅えていた 無能な自分を糾弾する国民に。
王は脅えていた 自分より有能な者たちを。
大臣達が無能であってもなんとか我慢できた。
名君と称えられていた父。賢母の誉れ高い母。
自分も世間の期待に応えようとしたが、
いつも立派な両親に比較されている気がする。
人の目が恐ろしい
無能と糾弾されることが恐ろしいのだ。
そうだ。
今、私が最も恐れているのはあの少年だ。
あの年齢で誰にも為し得なかったことを成し遂げたのだ。
しかも、いとも容易く。
私の国民はあの少年を英雄と崇めるだろう。
いや、そうに違いない!
きっと崇めるだろう?崇めるはずだ。
無能な王よりも若く聡明な賢者を王に?
いやだ…
いやだ…
いやだ…
いやだぁ!!!!!
俺が王だ!
あんな……あんな糞餓鬼が王だぁ?!
はっ!馬鹿な 。
あってはならん!
下賎な血を引く餓鬼に神聖な王座を奪われてたまるかぁっ!!!!!
下賎な民どもは王家のためなら命を投げ出すべきだぁ!
あの馬鹿な兵士達のように盲目に従うべきなんだよぉぁ!
ぁぁ………
はぁ…
はぁ…
はぁ…
はぁ…
はぁ…
はぁ…
はぁ…
はぁ…
ん?
…んん?
そうかぁ……そうだぁ…そうだとも……さすが私だぁ……
ん〜〜〜かしこいなぁ……賢いぞぉ。
さすが国王だ……
そうだよぉ。
まだ誰も知らないのだ。
あのことを知っているのはあの少年と…
いまいましい宰相の奴しかいないじゃないかぁ
そうだよ…
そう、居なければ良いのだよなぁ
俺の邪魔をする奴なんて、いらねぇよぉ
そうだぁ…それがいい
いや!そうなんだよ!!!
あの餓鬼はこの俺の計画を盗んで実行したこそ泥だ!!
そうだぁ、そうに違いない………
いや…そうだ。
それが正しい答えなんだ。
だが、私は優しい王様だからな。
残された家族が悲しまない様にしてやらないとなぁ?
くけけけ…
俺様は優しいからなぁ。
そうだ、なぁんて優しんだぁ
寂しくない様にしてやるなんてなぁ!
そうかっ!!
そうだぁ!!
そうだったのかっ…!
娘の目が悪くなったのも、あの少年に私の完璧な計画を露呈させたのも
要らない報奨金などを使わせたのも全てあいつのせいじゃないかぁ
そうだよ…
そうかぁ…
すまないなぁヴィラ
お父さまがちゃんとお前の仇を討ってやるからなぁ?
ああ、なんでも買ってやるぞ?
お前の母さんも美しかったが
お前もだんだん母さんに似てきたなぁ?
すぐに見たがっていた綺麗な海を見せてあげるからね?
ヴィラ…
終章「紅い砂浜 ヴィラ」
王暦326年、農士の期 4 晴
今日は熱も下がって体調もいいように思う。
でも景色があんまり良く見えない。なんだかすこし霞んで見える。
お医者様は
「熱のせいで視力がとっても弱くなっています。でも生きているだけでも感謝しなきゃいけませんよ」
と、優しく仰ってくれました。
そうですよね。私が生きていること自体が奇跡らしいですから。
今日は朝から良いことがありました。
なんと、お父様が私をあの浜辺に連れていってくれるんです。
初めてのことでした。
ただ、嬉しかった。
お父様は昔から政務に忙しくて、一緒に遊んでもらった記憶なんてほとんどありません。
だから、たまには病気するのも悪くないのかなぁって思ってしまったの。
不謹慎なのかなぁ?
でもこんなに優しくしてくれるのですし。思わず微笑が零れてしまいます。
でも少し気になることもありました。
それはいつもの時間になってもあの人の声が聞こえないこと。
侍従長さんが言うには
「宰相様はお仕事が忙しいそうですから…」
ですって。
少し寂しい…
あの人は私にとってお兄さんみたいな存在。
いつも暖かく私の側にいてくれる存在。
だからついつい甘えてしまう私にとって大切な人。
けど今はお父様とのお出かけの方が大事。
お昼過ぎにはお父様が自ら迎えに来てくれました。
お父様手ずから輿に乗せてもらってお城を出発しました。
何箇月ぶりでしょうか。お城の外にでるのは。
風が頬を擽り、ひんやりしています。
風が気持ち良い。それに潮の匂いも久しぶりです。
やっぱり私は海が好きなのだと改めて思いました。
お城を離れるにつれていろんな音がだんだんと聞こえてきました。
町の方はなんだか賑やかで、あちこちからお父様の名前を称える声が聞こえてきます。
お父様に
「これはなんのお祭りですか?」
ってお尋ねしたら、
国民を苦しめていた悪魔をお父様が退治したんですって。
凄いなぁ…
そのお祝いに町の人々がお祭りを行っているそうです。
「お父様、凄いんですね」
そう私が言ったら謙遜して
「王家の者として当然のことを成したまでだよ、ヴィラ」
ですって
やっぱりお父様は違うなって改めて見直しちゃいました。
それから、たぶん夕刻になってからお父様が私の大好きなあの浜辺に連れていってくださいました。
昔、お母様とお父様と三人で訪れた思い出の浜辺。
夕日の時間が一番美しい浜辺。
私はお父様に手を引かれてゆっくりと砂浜を歩きました。
足の裏に砂の感触が伝わってきます。
あれ?
すこし変な匂いが潮風に混じっている気がしました。
ぼんやりと立ち尽くしている私にお父様は
「ここはもう安全だからね。お前を傷つけるものはここにはいないよ」
と、優しい言葉をかけてくれました。
私はお父様の優しい仕草や声に思わず涙ぐんでしまいました。
恥ずかしいです。でも、喜びの涙だからいいですよね?お父様
優しいお父様に支えられながら浜辺を眺めていると
夕日が海と空を綺麗な赤に染めあげていました。
「綺麗…」
その赤い世界の中に奇妙な影が3?ううん4本立っているように見えました。
お父様に、
「あれは何ですか?あの棒のようなものは…」
と、お聞きしたら、少し怒ったような口調で
「この国に災いをもたらした悪魔の使いを捕まえたのだよ。今から国民のために、そしてお前のためにこの悪魔の使いを処刑するのだよ」
そうおっしゃいました。
悪魔の使い?たしかカジキのことですよね?
とても大きな大きなカジキなのだとあの人は言っていた気がします。
「お魚を処刑するのですか?」
そう尋ねた私にお父様は多くの国民に犠牲者が出てしまったから、こういった儀式も必要なのだと教えてくれました。
そして波の音も風の音も消えた一瞬の静寂の後。
ザシュ!…ぅぐぅ…ザザーン!!!
風と波しぶきの音がまるで、くぐもった人間の声のように聞こえました。
パシャ!…
何か暖かい液体が私の頬を濡らしました。
波しぶき?
お父様はすこし焦ったように
「ヴァラ?大丈夫かい?」
おろおろした声で心配してくれて、
私の顔をハンカチで綺麗に拭いてくれたんです。
「はい、大丈夫です。お父様」
私は出来るだけ元気よくにこやかにお父様にお返事しました。
お父様は安堵したように息を吐かれると私の肩を抱いてくれました。
そして、しばらく二人でぼんやりと夕日を眺めました。
すると不思議なことに私の視界は真っ赤な真紅
赤一色の世界に染まりました。
もう先程の影のようなものは見えませんでした。
私は思わず
「なんて真っ赤な世界でしょう……綺麗」
そんな風に感嘆の吐息を漏らしました。
お父様は嬉しそうな口調で
「そうか綺麗か。気に入ったのかい?ああ、そうだ!じゃあこの場所は「紅の浜辺」と名づけようじゃないか。いいかい?ヴィラ」
「ええ…とっても綺麗で気に入りました。お父様」
「そうか、気に入ってくれたのかヴィラ。またこの景色を一緒に見に来よう。」
お父様は優しい声音でそうおっしゃってくれました。
だから私も微笑んで
にこやかに応えたの
「はい。また、この景色を 私に見せてくださいね? お父様」
完