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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

環状世界の自殺因子(アポトーシス)

作者: 作楽幸綴

 もう少しだ。

 もう少しで君に手が届く――


 足元に少女が倒れていた。信じられないとでも言いたげな表情のまま固まり、瞳孔を開き、僅かの動きも見せない。当然だ、彼女はとっくに息絶えてしまった――その要因となった僕はしかし、ここまで事が上手く運ばれたことに安堵していた。

 悲しくないわけではない。決して短いとは言えない時を、足元に転がっている少女と過ごしてきた。一時期は彼女に想いを寄せてもいたし、そうでなくなった今でさえ、憧憬のような、どこか眩しいものでも見るような、そんな感情を抱いていた。

 けれどもう何もかもが終わった。僕の選び取った選択肢に、彼女の居場所はなかったのだ。

 周囲に目を配る――瓦礫、血潮、曇天。ぽつりと、雨粒が頬を打った。全てを洗い流すようにざあざあと雨足が増し、その雑多と縫うように隣から声が鳴る。

「終わった……?」

 目を遣る。ぺたりと瓦礫の上に座り込む、真っ黒な出て立ちの、真っ白な肌をした少女。髪は濡れ羽のようにしっとりと黒く、どこを見るでもない瞳は硝子の深紅。セイラ――僕が勝手にそう名付け、そう呼ぶ少女だった。全くいつもの通り、人一人殺したところで少しも表情が崩れない。まあ、殺させたのは僕なんだけど。

「うん、まあ……終わったというか、一段落だね。手順はもう少し残ってる。でもそれは後回しかな――先に彼らを退けないと」

「殺す?」

「別に、どっちでも良いよ。邪魔さえできなくなれば」

「そう」

 会話を終え、セイラは焦点を定かにした。僕もそちらに目を向ける。

 足元の死骸と同じような顔をしたままこちらを見る人影があった。中肉中背の青年と、まだ幼い少女――ここまで旅路を共にした仲間、ラルクとユフィ。二人共最後の戦いを終えたばかりで、満身創痍の装いだ。

「な、なんで……」

 ラルクが声を震わせる。戸惑いと、憤りと、悲しみと、色々な感情が綯い交ぜになった声音。想像通りの展開だ。

「なんでミーシャを殺したんだ!?」

 責め立てる語勢が鼓膜を揺さぶる。だけど、僕の心は少しも揺れなかった。

「未来のためだよ」

 だから僕は、努めて淡々と言い放つ。戦わずに戦意を失ってくれるならそれに越したことはない。

「僕とセイラの未来のためだ。それにはミーシャが邪魔だった。……いや、まあ、邪魔っていうか」

 一拍。

「殺さないとその未来を掴めないからね。ミーシャにはその糧になってもらっただけだよ」

「ふざけんなっ……!」

 ラルクが憤怒に染まる。他の感情を断絶し、それだけに身を任せる。わかりやすいほどにわかりやすい予兆だ――戦意を昂ぶらせ、奮い立たせ、こちらを攻撃しようという姿勢。伊達に仲間としてやってきたわけじゃない。彼のことはよく知っている。ともすればラルクは、彼が涙を飲んで身を引くほどに好いていたミーシャが死ねばその愚直さから心が折れるのではないかと期待していたのだけれど、どうにも彼の本質は怒りと闘争だったようだ。だからミーシャも君ではなく僕を選んだのだと教えてやりたかったが、余計なお節介だろうか。どうでも良いけれど。

 そんなラルクとは打って変わり、ユフィは全くその通り、簡単に心が折れてしまったようだ。無理もない、見た目通りの幼い少女だ。力があるというだけでこの旅に同行させられていただけ。精神は酷く脆弱で、たったこれっぽちの現実に耐えることができない。どちらかといえばユフィを痛めつけるのは心苦しかったのだけれど、幸いこれで手を下す必要もなくなったようだ。

「殺してやる……殺してやるっ――!」

 怨嗟の言を吐き出し、ラルクが猛然と駆け出した。翳された右手の平には灼熱の業火。落ちる雫を瞬時に蒸発させ、霧を撒き散らす。

 やれやれ面倒だ、とため息を漏らす。全然驚異でもない相手と戯れるのは性に合わないんだけど。

「手伝う?」

「いや、良いよ。僕だけで十分すぎる」

 立ち上がろうとするセイラを制し、僕はラルクに向き合った。

 彼は慢心している。ついさっきまでの僕がユフィの心以上にそれ以下に脆弱で何の力も持っていなかったから、戦いになるとも予想していないのだろう。

 確かにそうだ、そうだった。僕のこの世界での存在意義は、ミーシャの番として――改変される世界の導き手、その一人となることだけで、たまたまミーシャに選ばれただけの無力な少年だったのだから。

 だけど今は違う。導き手の片翼が失われた今、その力は彼女が心に決めていた番である僕に委譲されている。そこまでの契約を済ませて彼女には死んでもらった。

 つまりラルクが相手取っているのは無力な少年だった僕ではなく、世界そのものと言っても過言ではなくなった僕なのだ。たかだか人間一人が立ち打つことなんて、できるはずもない。正直なところこんな行為が成立するのかは一種の賭けだったのだが、どうやら上手くいったらしい。内から溢れ出る力がそれを教えてくれる。

「さっさとこの行程を終わらせて、次に移ろう。僕達の未来のために」

 僕の声かけに、セイラは何の反応も見せない。わかってはいたが、やはり彼女はどこまでいっても操り人形だ。先代の導き手、任を放棄した堕落者――その劣化複製。

 そんな彼女に僕は、恋をした。


 つまらない行程の最中、僕の脳裏を過るのは過ぎ去った日々の記憶だった。

 初めというなら初め――僕がこの世界にやって来た時。

 僕には一切合切の記憶が残っていなかった。けれど何となく、しかし確信を持って、ここは僕がそれまで居たであろう世界とは全く異なる世界だということに気が付いた。帰巣本能、とは違うが、そういうものが告げていたのだ。ここは違う、ここは僕の居場所じゃないと。でも記憶を失くした僕にどうすることもできるはずもなく、そうして記憶が残っていたとしても何かできたとは思えないのだが、ともあれ記憶を失くしていた僕はただ訪れる事象に身を任せる他なかった。

 その訪れる事象というのが、まずは出会いだった。ミーシャと出会い、ラルクと出会い、ユフィと出会った。何でも三人は旅の途中だという――先代の導き手を下し、その力を継ぎ、世界を正しく改変するための。僕は勿論そんなことを聞かされても全く意味がわからなかったし、そんな滑稽な話があるものか、とも思った。ということはともすれば、僕はそういったことが当たり前ではない世界から来たのかもしれない――そういう考えを芽生えさせながらも、行くあてのない僕は取り敢えずとばかりに旅に同行した。そう言うと積極的に僕から行動を起こしたような表現だが、実際のところそこまで明確なものではなく、言ってしまえば行きずりのようなものだったのだけれど。

 そんなこんなで旅路に着き、その中で彼女――次代の導き手を担うことを約束された少女、ミーシャに見初められた。始め、ミーシャの番は彼女の幼なじみでもあるラルクに託されたものであったらしいけれど、しかしそれが絶対のものではなかった。ミーシャは選ばれし者、言うなれば必要条件としての人材だったが、ラルクは十分条件でしかなかった。たまたま他に良い人材がなかったから当てはめられただけ――必要条件であるミーシャが欲する番が別の人間となったなら、身を引く他にない。代替可能な片翼、それがラルクであり、僕でもあった。

 けれど生憎と、しかし残念ながら、その時の僕には他に愛する女性が居た――それがセイラであり、先代の導き手の劣化複製――僕達次代への架け橋を潰すために放たれた刺客の一人。

 刺客、というほどのものではないか。放たれた、とも言い難い。ばら蒔かれた全く同じ見た目と同じ性能の劣化複製の中のその一つというべきだ。同じようなものを何度も見てきたし、それを倒しながら前に進んできた。どれも代わり映えのしない、木偶人形よりも出来の悪い操り人形。

 だけど何故だろう。

 それなのにどうしてだろう。

 僕はセイラに心を奪われた。魅了されてしまった。他のどの個体でもないセイラというその一つに僕は恋をしてしまった。

 けれど彼女は紛い物だ。偽物にも劣る複製物。その存在は儚く、脆い。世界に繋ぎ止めるための糸は細く、死という概念さえ与えられていないもの――だからこそ僕は、セイラを本物にするために全てを欺く策を弄することとなった。それが、ミーシャに取って変わって僕とセイラが次代の導き手となるという、それこそ滑稽極まるもので。




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