鬼人は山の向こうを語る。余計なことも語る。
生前、私が生きていた世界の中心は人間であったが、この世界ではそうでもない。私がエルフという長命の種族と同じ姿をしているように、人間とは違うが極めて近い種が数多く存在する。有名なところを挙げれば、険しい山岳地帯に住む“鬼人族”、いわゆるオーガという種族である。彼らは人間よりも体格が一回り大きく、頭に二本の角が生えているのが大きな特徴である。
オーガの男性は全般的に目付きが極めて鋭く、精悍な顔立ちをしている者が多い。魔素・魔石の扱いこそ不得意なようだが、それを補って余りある身体能力は並みの人間では到底歯が立たない。私の様なエルフモドキの細腕なんぞ、軽く捻っただけで枯れ枝のように折ってしまうだろう。尤も、彼らは武人の気質があるので私の様な全身から弱々しさを放っているような、薄弱そうな男を相手にする事は無いはずだ。
だが、私が薄明の化身を祀る神官である以上彼らとの接点が生まれる事もままあるのである。
彼らと私の接点については後で話すとして、もう少し彼らに付いて記しておこう。国境としての役割を果たしている“大陸の屋根”こと『ミルン山脈』は鬼人族の自治領という扱いになっている。そして彼らは帝国に対して友好的であり、一方でこちらから見ての山の向こう側の“都市国家群”や“シン・ブライト教国”とは若干ではあるが対立傾向にある。
山の向こうでは「聖霊神教」とやらがシン・ブライト教国を総本山として大々的に広まっているらしく、鬼人族を始めとする人間以外の種族を“聖霊神の加護を受けていないもの”として劣等種扱いしているとの事。オマケに、人族の中でも“聖霊神の加護を受けたものの子孫”である金髪碧眼以外はやはり劣等種らしい。つまり私が山を越えると同時に、私は劣等種に変わってしまうという事になる。なんとも恐ろしい事だ。きっと私は頼まれても山を越える事は無いだろう。向こうの都市国家領主が私に葬儀を頼んだとしても、むしろお前らが山を越えて来いと言ってやるつもりだ。まぁ、向こうからしてみれば「異教徒の儀式で葬られるなんぞ御免被る!」と激怒するところだろうが。確かに死体が砂に変える時点で、異端も異端、邪教扱いされても文句の言えぬ立場である。ただしそれは山の向こうの話であり、こちら側ではそれがスタンダードなのだから郷に入っては郷に従うべきであろう。従うとも思えないが、主張するだけならばロハである。
さて、一件の老人(湖の遊覧船で船頭達の元締めをしていた人物だった。生涯現役を貫いたその姿には私も頭を垂れる)の葬儀を終えて祭壇やらなんやらの後片付けをしていると、然程低くもないはずの扉を背中を小さく丸めながら入ってくる一人の鬼人の姿があった。
「よう、偏屈」
「なんだ馬鹿力」
あんまりと言ったらあんまりな挨拶だが、これで挨拶として通用する程度には信頼関係が出来ているという事で勘弁願いたい。
身長は二メートルと十五センチ、体重は百キロちょうどの大男は快活そうに笑う。
ちなみに帝国の単位はメートル法と重量キログラムが採用されている。オマケに通貨単位はイェンである。初代皇帝はどうやら私と同じ世界の同じ国から転生してきたようだ。
話が逸れた。この鬼人の大男の名はジョムという。取り立てて地位がある訳ではないが、一角の戦士として鬼人族では名の知れた存在だ。去年の暮れに結婚し、私も思い付きで書いた祝文を送り付けた覚えがある。
彼がここに来るのは息抜きで山を下りた時と、山の向こうで何かしらの面倒事が起きた場合だ。今日の訪問はどちらだろうか。出来れば前者であってほしい。
「ちと話があるんだが、いいか?」
「構わんがこの祭壇を片付けてからになるな。あと二時間ほど待ってくれるか?」
私がそう答えるとジョムは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて私の変わりに祭壇を片付け始めた。私の細腕では重労働になる作業も、彼の手に掛かれば玩具の片付けと同様だ。
「いやいや、持つべきものは力のある友人だ」
「時々お前みたいな奴と友人付き合い出来てる自分を褒め称えてやりたくなるな」
憎まれ口と軽口を同じ瓶に入れて蓋をして思い切り振ったような会話をしながら、私は茶の準備をする。彼がバラした祭壇(組み立て式なので壊した訳ではない)を倉庫に収納し、戻ってくると同時に茶を啜る。暫くの沈黙。こちらとしては薄明の神官としての日々を全うしているだけなので話の種になるような事はない。むしろジョムの方が話すべき事があってここに来たはずだ。鬼人は慣れ合いを好む種族では無い。旧交を暖める為にわざわざ山を下りてくる、などといった無駄な行為はしないのだ。
この前ジョムがこの礼拝堂までやって来た時は、族長が死に、その葬儀を頼まれた時だ。かれこれ半年ほど前になる。その後は、無口ではあるが実行力のある人物が長として一族を取り仕切っている。嘘を嫌悪し、裏切りを不倶戴天の敵とする鬼人族である以上、「一族が帝国に反旗を翻そうとしている」などという話ではないと思われるが、想像していても仕方がない。それとなくジョムへと視線で「早く話せ」とせっつくと、ジョムは溜息交じりに語りだした。
「都市国家群の動きが怪しい。特に、ヴェルデン公国が明らかに何かしらを企んでいる……いや、目論んでいる、というべきか」
ヴェルデン公国の名前が出た瞬間、私の目と目の間には何本もの川が産まれた事だろう。都市国家群の中でも随一の軍事力と発言力を持った国……という評判は山の向こうでは有名らしい。残念ながら、こちらでは全くの無名だが。しかし、私は運良くと言うべきか生憎と言うべきか、ジョムを筆頭とする山の向こうの事情に詳しい知り合いが多数いる。その為、ヴェルデンの悪評も嫌と言うほど知っているのだ。
現公主、ドゥミニオ・ヴェルデンは野心と傲慢を脂肪で包んで頭と手足を付けたような人物だと聞いている。女癖も最悪で、気に入らない正室は追放し、側室だけを大量に囲んでいるという。それどころか、『円卓』の信奉者や異種族の若い娘を加虐趣味を満たすためだけに捕えているともいう。
一体何故追放されたり反乱を起こされないのか不思議ではあるのだが、その理由は簡単。ドゥミニオが聖霊神教の熱烈な信者であり、大量の寄付を教国へと送っているからである。要は後ろ盾の力で成り立つ砂上の楼閣のような都市国家ではあるが、ドゥミニオにその自覚は無い。教国を後ろ盾とも思っていない。
なぜなら、日が東から昇り西へと沈むように、己の財産は聖霊神に捧げるのが常識であり当然だと、ドゥミニオ・ウェルデンは思っているからだ。
「どうも我々一族がミルンの山々を支配しているのが気に食わないらしい。聖霊神とやらの教えでは、我らは劣等種らしいからな。その“劣等種”が神の座に最も近き、ミルンに居座るのが相当腹立たしいのだろうな、あの“脂身”は」
「……私は政治にも軍事にも携わる気は無いが、万が一にもお前の一族から死者が出たら連れて来い。特別に三割引きで手厚く葬ってやる」
「そこはタダとは言えないのか、お前は」
馬鹿を言ってもらっては困る。いくら神官であろうと、そしていくら代行者であろうと、金が無ければ生活が成り立たぬのである。よってタダで葬送の儀式を行う気は一切ない。尤も、あまり多く死なれてもそれはそれで困る。確かに金にはなるだろうが、私の体力と精神力が持たない。
故に私は戦争が嫌いである。異常に忙しくなって休む暇がなくなるからだ。
「ともかく、この後は早馬を飛ばして首都へ向かう。奴らが攻め入って来た時の戦闘行為の許可を貰っておかねばいかんのでな」
そう言ってジョムは二杯目の茶も飲まずにさっさと立ち去って行った……と思ったら扉から顔を出して、
「しかしお前は結婚をそろそろ考えたらどうだ?最近、人間の若い娘の間ではエルフが人気の的らしいぞ」
「行くのならさっさと行け阿呆」
奴が使っていたティーカップ代わりの丼を投げつけるフリをしてさっさと追い返した。どうやら鬼人族は慣れ合いは嫌うが、余計なお節介は嫌いでは無い様だった。そんな情報、欲しくもなんともなかったが。