07:楽しいお昼ご飯2
翌日は朝から臨戦体制だった。
いつもより早く身支度を済ませて、寮の周囲を警戒しながら恐る恐る外へ出る。
……よし、ヤツの姿は見えない。
「メリル、こっちも大丈夫よ」
「ありがとモニカ!」
周りの院生の訝しむ視線もなんのその。ほっと胸を撫で下ろし、弾む思いで登校した。
しかし、穏やかだったのはそこまでだった。
「………」
午前授業の終了と憩いのお昼休みを告げる鐘の音は、悩みの種も同時に連れてきた。
「どうかしたのか、メリル」
「………何かご用ですか、クラルヴァイン先輩」
逃げるために駆け寄った扉の向こうには、青銀の髪と金色の目をした美形の男がすでに立っていたのだ。
先輩が後輩の教室に来ること自体は別に珍しくない。相手の立場が高いのなら、皆で気を付ければいいだけの話だ。
だがしかし、何故、どうして!
一分一秒を惜しんだ私よりも早く貴方がそこに居るんだよ! 授業はどうした最上学年!!
(また逃げ損ねた…ッ!!)
クラスの皆は好奇心半分哀れみ半分ですでに避難を完了している。今日は名指しではなかったけど、昨日のことを思えば目的が私なことは明らかだ。
モニカだけは何か言いたそうにソワソワしているけれど、目で合図して下がって貰った。本当は助けて欲しいけど、彼女を巻き込むのはまた違う話だもの。
「メリル、これから昼休みだ。俺がここに来るのに、食事以外の理由があるのか?」
『いや知らねーよ』と返せたらどれだけ良いことか。
額に浮かぶ青筋を隠して、なんとか作り笑う。
「そうですか。ですが、食堂も売店もこの棟ではありませんよ?」
「そうだな。だから行くぞ」
「え…ちょ、ちょっと!?」
この男が他人の態度に構う訳がなかった。
手を掴まれたと思った瞬間には、その長い歩幅で廊下に引っ張り出されていた。その間、わずか一秒。
「は、離して下さい! どこに行くんですか!?」
「…ああ、忘れていた。“一緒に昼食をとろう”」
「遅いです! て言うか順番逆!! はーなーしーて!!」
小娘の抗議などどこを吹く風。掴んだ手をそのままに廊下を進んでいく。
途中途中で視線が合った院生達も、相手が『クラルヴァイン』だとわかるやいなや、速やかに道を譲って駆けていった。くそう、この薄情者どもめ!
結局、手を繋ぐと表現するには大分無理がある姿勢のまま、私の悲鳴は食堂へ引き摺られて行った。
* * *
肌がざわつく。空気がちくちくする。
言うまでもなく、現在地・食堂の環境管理がなってないとかそんな理由ではない。
(…皆の視線が痛い)
見られている。あちこちから向けられる視線が突き刺さる。
一部の女子にいたっては射殺さんばかりの鋭さだ。一体私が何をしたと言うのか。
「メリル、注文はどうする?」
その原因たる顔だけは大変きれいな先輩は、何事もないように隣りに立っていらっしゃる。貴方のせいでこっちは散々な目にあっているのに。
「あの、名前を呼ばないで下さいと言いましたよね?」
「それを強制する権利は、お前にはないだろう?」
「それは……」
ちら、と細めた金眼を向けられ、言葉に詰まる。確かに彼の言動に対して、それを強制できる権利はない。
(でも、それを言い出したら、何も言えないじゃない)
温かいはずの食堂で、寒気を感じる。昨日のモニカの話が頭をぐるぐる回る。
(………何も言わなきゃよかった)
本当は今この瞬間も、怖くてたまらない。もう彼には関りたくないし、叶うなら今すぐ逃げ出したい。
昨日までは『美形だけど迷惑な先輩』だけだった。
でも、意味がわかってしまえば、肩書き持ちのなんと恐ろしいことか。
どこかに頼れそうな先生はいないだろうか。
逃げ道を探してみるが、向けられる視線は好奇と嫉妬ばかりのようだ。代わってくれるのなら、今すぐ代わるのに。
「………申し訳、御座いませんでした」
悩んだ末にこぼれたのは、蚊のなくような小さな謝罪。
今日はもう逃げられないのなら、せめて関わりを最小限にするのが正解だろう。速やかに食事を終え、彼の前から立ち去る。
爪を立てた手のひらは、自分のものとは思えないほど冷たい。
「どうしても嫌なら、俺も考える。けど、出来れば名前ぐらいは呼ばせてくれ」
だから、返された穏やかな声と、髪に触れた手が予想外に温かくて
「先輩…」
思わず見上げた先で迎えられたのが、無表情ではなく、ちょっと困ったように浮かぶ微笑みで
「メリル」
彼が口にした私の名前が、とても優しい音だったから。
「…………はい」
やっぱり私は、何も言わなきゃよかったと“違う意味で”後悔した。
世間ではきっとこう言うことを呼ぶのだ。
『反則』と。