46:幸せな二人
聞き慣れた鐘の音が鳴り響く。
午前授業の終わりを告げるそれは、同時に昼休憩の合図でもある。『ではここまで』と切り上げた教師の声に、待ちに待ったと言わんばかりのクラスメイトたちが揚々と駆け出して行く。
いつも通りのありふれた光景。けど、何だろうか。どうも今日は浮かれとはちょっと違う様子の院生が多い。……それも、何故か私に対して。
「ねえ、モニカ。私が自意識過剰でなければいいんだけど…こっち凄く見られてない?」
「そりゃ話題の恋人ですから? あたしたちは昼ぐらいしか一緒に居るところ見ないし、気にするなってのは無理でしょう」
教材を片付け、近付いてきた相方に問えば、ごく当たり前のように返されてしまった。
『話題の』と言われても、決して良い出来事だった訳じゃないし、変に注目されても困るんだけどなあ。
こっちの気を知ってか知らずか、皆視線をチラチラと投げかけるだけで、特に話しかけて来る訳ではない。言いたいことがあるなら、直接言ってくれた方が楽なんだけど。
「まあアンタ、先輩のおかげで注目されるのは慣れてるでしょ?」
「別に慣れてないし、クラスメイトにまで注目されたくないわよ」
「それはそうか」
苦笑いを浮かべつつも、モニカも助けてくれる訳でもないらしい。
こっちは二日程度とは言え入院してたと言うのに。好奇心はわからないでもないけど、もう少し加減して欲しいものだわ。
「人の視線って弱った体には堪えるんだけどなあ」
「まあまあ。ところで件のクラルヴァイン氏、今日は遅いわね」
「え、遅い?」
言われて備え付けの壁時計を見れば、鐘の音から数分を刻んでいる。……たった数分だけだ。
「あのねモニカ、六年生の教室からどれだけ離れてると思ってるのよ。彼にだって授業もあるんだし」
呆れて返せば、何故かモニカの方が更に呆れた表情で息をはく。
「実際超人並みの早さで来てたから言ってるのよ。毎日キッチリとね。アンタも驚いてたじゃない」
確かに最初の頃は驚いた。逃げようと必死なこちらを上回る早さで迎えに来られたのだから。あれは正に超人の動きだった。
けど、それは最初の頃だけ。今の私は逃げたりしないし、先輩も大急ぎで迎えに来る理由はない。
「アンタが気にしてないならいいけど。でも先輩、いつもならもう来てるわよ?」
「そ、そうかな…」
繰り返し言われてしまえば、本当に遅い気がしてしまう。クラスメイトたちも気になるのか、しきりに扉を見て、中には開けて確認している子までいる。
「また実技授業でもあったのかしら」
「その辺りは把握してないけど…確認するけど、アンタたち上手くいってるのよね?」
「それは勿論……」
すっぱり肯定しようとしたのに、意図せず言葉に詰まってしまう。
色々を乗り越えた昨日の今日。私としては上手くいってると思うけど…いまいち自信が持てない。
それはやはり、どこかに残る私の劣等感のせいなのか。それとも、昨日教えられた体質の便利さからなのかはわからないけれど。
『遅い』と言う今のそれだけが、不安に繋がっているのかもしれない。
「………ちょっと外見てみるね」
「ん、わかった。先輩来てるといいわね」
誤魔化すように立ち上がった私に、相方は優しく笑いながら手を振ってくれる。
なんだかんだで心配して…今は多分応援もしてくれている彼女に、口ぐせのような感謝を返して扉に手をかけた。
「………」
見慣れた廊下の風景。楽しげに、あるいは気だるげに歩いて行く院生たちの中に、先輩の姿はない。
(まだ来てない、か)
室内の子たちと同じように気にしているのか、廊下の壁に寄りかかる女子院生が気遣わしげにこちらを伺ってくる。
い、いや、別に気にしてないし! 同情ともとれるような視線を向けられる覚えはないわよ、うん。
(モニカが遅いなんて言うから、気になるじゃない)
軽く息をはいて、扉の開閉の邪魔にならないよう、私も隅っこに移る。
もしかして、私が退院していることを聞いていないのだろうか。昨日は走って帰ってしまったし。
…いや、私たちよりも高学年を担当するバレット先生には会ったんだ。気の利く人のようだし、彼が関係者に伝えていないとは考えにくい。
(だったら、どうしたんだろう)
通り過ぎる院生…特に背の高い男子を目が追ってしまう。あんな綺麗な男の人、他の誰かと見間違えるはずもないのに。
「先輩……」
唇に触れて、また溜め息。昨日の今日だからこそ、ここで会えないのはやっぱり気になる。
私たちは進展したはずなんだ。元気になって、望まれた恋人に戻れる今日は、貴方に会いたいのに……
「………ん?」
後ろ向き思考に落ちいりそうになった矢先、ふと景色に違和感を覚えて目をこする。
扉側からは死角になりがちな端の柱。ソレの側面に、何かはみ出ている。
いや、何かも何もない。私たち皆が着用している、薄紫色の制服だ。その肩の部分が柱からはみ出ている。そして、あの位置に肩があると言うことは、背の高い人物であって……
「………はみ出てますよ、先輩」
「メ、メリル!!」
複雑な心境で覗き込めば、案の定そこに居たのは待ち人ギルベルト先輩だった。相変わらず、行動が読めないところは変わらないのね、この人。
『何やってんですか』と呆れたツッコミをいれようとして…振り返った彼の顔を見たら、引っ込むどころか霧散してしまった。
「顔真っ赤ですよ」
「……知ってる」
先輩の顔はびっくりするほど真っ赤だった。恥かしそうに手で覆うけれど、耳まで染まったそれは隠しきれていない。
モテ男で有名なギルベルト・クラルヴァインとは思えないような様相。一体何があったと言うのか。
「悪い、結構前から迎えに来ては居たんだ。だけど、どんな顔して会ったらいいのか、わからなくて」
つい隠れてた、と、消えそうな声で呟く。誰だこの可愛い人。
とりあえずモニカが言っていた『遅い』と言うのは本当だったみたいだけど、こんな理由を返されるのは想定外だ。
「私に会いたくなかったと言うことですか?」
「違う! そんなことは有り得ない。ただ…何と言えばいいのか、恥かしかったと言うか」
はずかしい……?
初対面の女を押し倒したり、『子供を産んでくれ』と平然と言ってきた男が。無表情で淡々と、常識はずれなことばかり言ってきたギルベルト・クラルヴァインが。
「先輩、そんな感情あったんですね」
「ああ。俺も初めて知った。だからこそ、どうしていいかわからん」
思わず出てしまった大変失礼な言葉にすら、こくこくと頷いて返してくる。
容姿の鋭さや普段の雰囲気の冷たさなどどこを吹く風。どうしよう、この人もの凄く可愛いです。
先輩に釣られたのか、私の顔まで熱を持ち始めて、思わず視線を逸らす。
ただお昼ご飯を食べに行くだけなのに、二人揃って何をやっているのだろう。それも廊下の隅っこで。
「………」
「………」
恐る恐る視線を戻せば、先輩も押さえた指の隙間から私を見ている。
隠しきれていない金眼に私のまぬけな顔。そして恐らく、私の目にも彼のまぬけな様子が映っている。
無言で見詰め合って三秒、結局どちらからともなく噴き出した。
赤い顔のまま手を伸ばして、しっかりと繋ぐ。
「……メリル」
「はい」
「はは、駄目だな。なんか、どうしてもニヤける」
本当にこんな所で何やってるんだか。
けど、胸がとても温かくて、ふわふわした感覚で満たされていく。
「話したいことは沢山あるけど、食べながらでいいよな?」
「そうですね。早くしないと、日替わり定食売り切れてしまいますし」
「ああ。けど、あと十秒だけ待ってくれ。顔、元に戻すから」
「…私、戻せないかもしれません」
だって今、気を抜いたら足が浮きそうなぐらいにふわふわしているのだ。
色々あった。大変な目にも遭った。残念なことになってしまった人もいるけれど、私たちはとても幸せな結果を得てここにいる。
後でモニカには自信を持って伝えておこう。私たちはちゃんと恋人で、上手くいってます、と。
その後、先輩いわく戻した顔は全然戻っておらず……具体的には、いつも私に向けてくれる、あの柔らかい微笑み顔のままで固定されていて。
彼の基本と言うべき無表情しか知らない人たちには、色んな意味で注目されまくってしまったのだけど、今度は不安には感じなかった。
彼と繋いだ手の温かさがあれば、誰にどう見られても平気だと思えてしまったのだから仕方ない。
危機を乗り越え絆を深く。戻ってきた日常は、とても幸せな色をしている。




