SIDE:09
※ギルベルト視点/三人称と切り替わります。一部に暴力表現有り
教師たちが先に連絡をしておいてくれて良かった。
予想よりも早く来てくれた担架は、途中で医療班の搬送車と合流し、長い廊下を俺と並走している。
これなら思ったよりも早く病院まで連れて行けそうだ。だが…
(メリル…)
彼女の顔色は依然として青いまま。耳障りな車輪の音の中でも、その目が開くことはない。
あの程度の濃度なら解毒は簡単だろうが、その後は相性の問題だ。魔術で完治できる外傷とは違う。
(俺が代わってやれたら、どんなに…)
やがて特殊棟の出口が見えて来る。
医療班の連絡は実に迅速で、待ち構えているのは病院の看護師たちのようだ。
「メリル、すぐに病院だからな。もう少しだけ頑張ってくれ」
教師から白衣の人間たちに担架が引き継がれていく。俺にはよくわからないが、強く頷いて返してくれる姿に少しだけホッとした。
学院から続く街…通称『学院地区』に集まる建物は、販売店の質はもちろん、その他の店舗・機関も信用できるものばかりで構成されている。
もちろん病院もそのひとつだ。
きっと大丈夫だと、自身にも言い聞かせながら看護師たちに頭を下げる。彼らは慣れた動作で返礼して、メリルを搬送して行った。
(俺も急ごう。昼休憩のうちに教師に報告と、メリルの荷物も取って来ないと)
このままついて行きたい気持ちを抑えて、通常学舎へ足を向ける。
………と、視界の端に誰かが映った。
「………?」
長い黒髪に黒い目、肌は怖いほどに白く、目の下の濃い隈が離れた場所からでも確認出来る。
晴れた昼下がりにはあまりに不似合いな、まるで幽鬼のような女の貌には……見覚えがあった。
いや、正確には“見たことだけはある”
かつて、そう件のイライザと付き合っていた頃だ。彼女を迎えに行った際に、一度だけ一緒にいるところを見たことがある。
イライザはクラスの友達だと笑っていたが、その扱いは正しく召し使いのそれだった。
いわゆる嫌がらせ…いや、虐めの類なのは俺でもすぐにわかった。
後にも先にも口を出したのはこの一度だけ。うるさくしたくはなかったが、自分の恋人がそのようなことをしているのはどうしても気に障ったのだ。
『そんな交友の仕方しか出来ないなら、今すぐ友達などやめろ』
そう伝えると、イライザはすぐに彼女に関わることをやめて、俺の機嫌を取りに来た。
……ああ、そう言えばこの件からだったか。あいつとの関係が冷めてしまったのは。別れたのは大正解だったが。
ともあれ、知っていることはイライザのクラスメイトと言うことだけだ。口をきいたこともない。
……にも関わらず、女の目はまっすぐに俺を見ている。
こちらの様子に気付いたのか、ニタリと口端を歪めて。
「…何がおかしい? 俺に用か?」
我ながら低い声だった。仕方ない。こちらは一秒でも早くメリルのところへ行きたいのだ。
本音を言えば無視したかったが、先の奇妙な嘲いは、受け流すには異質過ぎた。
苛立つ俺を気にするでもなく、一呼吸おいた後、女の口からややかすれた声が落ちる。
「用はもう終わりました。先生がたの対応の早さには驚きましたが、あの子がいなくなったならこれで成功です」
「は…?」
一瞬、この女が何を言っているのかわからなかった。
ただ、裂けたような笑みを浮かべる姿が、ひどく気味が悪いと……
(ふざけるな。あの子、と言ったか?)
這い上がる嫌悪感を押さえ付けて、女を見据える。
聞き間違いでないのなら、今の言葉は告白に等しい。つまり
「あの神経毒と箱結界を仕掛けたのは、お前か?」
「はい、クラルヴァイン先輩」
どこか恍惚とした貌で、女は今度こそはっきり答えた。
次の瞬間、静まり返った廊下に鈍い音が響き渡る。
抑えた感情が爆発した。そう認識した時には、俺の手は女の首を掴み壁に叩きつけていた。
ギリギリと細い骨が軋む。にも関わらず、女は笑顔でこちらを見つめている。
やはり、どこか悦びの色を浮かべたまま。
「何のつもりだ。返答次第では容赦しない」
「は…ッ、だって、あん…な、貧相な子、ぅぐ…あ、貴方に釣り合わないじゃない…ッ」
言葉は途切れ途切れになりつつも、その口調はいたって平常。いや、愉しそうにさえ聞こえる。
気味が悪い。正しく、あの資料室の空気と同様の異質。
少し手を弛めてみれば、咳き込むと同時に今度は声を上げて笑い出した。
「だって、あんな地味で何の取り柄もないチビ、有り得ないじゃないですか!
化粧濃いだけのイライザも駄目だし、すぐに股開く馬鹿女共も論外! みんなみんな、貴方の恋人には相応しくない!」
「………」
今度こそ反応が浮かばない。一体、この女は何を言っているんだ?
「強く気高く美しい。貴方は存在そのものが至宝! 家名に群がる虫に貴方が汚されるなんて、絶対に許せないわ!」
ようやく笑い以外の表情を見せたと思えば、鬼のような形相で意味不明なことを力説している。
話しているのは共通言語のはずなのに、ここまで疎通が出来ないと言うこともあるのか。
表すならば、ただ一言
「気持ち悪い」
頭を占める感情が、そのまま音として出てきた。
「……は、い?」
今度はピタリと、人形のように静止した。見開かれた黒い目に、俺の顔が映っている。
自分でも久しく見ていない、明らかに嫌悪した表情だった。
「気持ち悪い、と言った」
「いやだ、先輩ももしかして薬を吸ってしまいましたか? 解毒薬は持っています。すぐに用意を…」
「お前が、気持ち悪い」
何か勘違いをしているようなので、もう一度、言葉を区切ってハッキリと、伝える。
「あたしが、きもちわるい?」
壊れた人形のような女は、言葉を繰り返してコテンと首を傾けた。わかっていないのか? 自分の言っていることが、明らかにおかしいと。
「お前は誰だ? お前はクラルヴァインなのか?」
問いながら首から手を放す。右手の中に虫でも握ってしまったような感覚だ。気持ち悪い。
「いいえ、クラルヴァインは貴方です、先輩」
「ならば何故、お前が俺の恋人の価値を決める? クラルヴァインは俺だ。お前は違うのに、何が許せないんだ? 全く無関係だろう」
「………え? ぁ……は、い?」
はっきり言ってもまだわからないのか。それとも、否定されたことを認めたくないのか。
見開いたままの目がウロウロと泳ぐ。
「俺はお前の名前も知らないし、知りたくもない。赤の他人だ。
だが、メリルは俺の大切な人で、その価値をお前にどうこう言われる筋合いはない」
「あ、あたしの、名前は…」
「興味がないと言った」
全身で殺気を込めて、遮る。「ひっ」と小さな悲鳴を上げて、女は壁にしがみついた。
「お前のしたことはただの犯罪だ。私怨ですらない。ただ気持ち悪いだけだ。二度と俺の視界に入るな」
* * *
ハッキリと拒絶の言葉を告げて、ギルベルト・クラルヴァインは女に背を向ける。
犯罪と指摘したにも関わらず、罰するでもなく。
「あ、ゃ…待って下さい、先輩」
何とか絞り出すが、その声量は呟きに等しい。
震える体を『想い』で動かして、ギルベルトの前に回る。が………
「せん、ぱ……」
その目に、女の姿は映らない。
わずか一歩の至近距離にいるのに、彼の金眼には女の姿は“全く映っていない”
見えない、見てくれない、存在を認めてくれない。
「い、いや…いや! 先輩、あ、あたしここに居ます! 先輩の恋人を、病院送りにしたあたしですよ!? ねえ!!」
悲鳴のように声を張り上げても、聞こえないし届かない。
どこまでも冷たく、無機質な表情で、美しい青年は立っているだけ。
“そこには何もないように”
「やだ…いや、いや! 貴方は、あたしを助けてくれたのに! どうして!? 無視しないで…無視はいや! あたし、ここに、いるのに……」
語尾が涙声になって消えていく。
けれど、彼には何も届かない。無表情で空を見た後、思い出したかのように学舎へ駆けて行く。
美しい顔に心配の色を浮かべて、ただ運ばれた恋人のことだけを想って。
残された女は、何故どうして、と意味不明な言葉を呟きながら泣き崩れる。
……何故も何もない。
被害者で終われたはずの女は、一年生を傷つけたばかりか、妄想に駆られて無関係な人間を害した。
立派な犯罪者であり、ゆえに結末は誰が見ても道理だ。
わからないのなら、女がおかしいだけ。
これで、この茶番劇は終わり。
犯人はとても矮小な女でした。どこにもある有り触れた話。
次回からはようやくメリル視点に戻ります。