36:知らなかったこと
『フッた男と顔合わせるのって、後ろめたいことがなくても気まずいじゃん?』
なんて、どこかで美少女が言っていたのを思い出す。
まさかこの私が。取り立てて良い所もないこの私が! その言葉に同意する日が来るなんて思ってもみなかった。
「ごめんね。オレと話すの、嫌だよね」
「あ、いえ、すみません。そう言う訳ではないんですが…」
整った優しい顔立ちに苦笑を浮かべて、一つ年上のノックス先輩が軽く頭を下げる。薄緑色と言う変わった色合いの髪が、動きに合わせてサラリと揺れた。
とりあえず訂正はしたものの…正直なところ、ものすっごく気まずい。後ろめたいことはないけど、これは確かに気まずい。悪いことはしていないのに不思議なものだ。
微妙な空気、それも男女での会話と言うことで、敏い生徒は気付いたのだろう。
先ほどまでざわめいて居た待ち合わせ用の柱から、少しずつ人が離れて行く。待って行かないで! 空気を読んでくれるのは有難いけど、今はそう言う気遣いいらないから!
「……えっと」
私の心の叫びもむなしく、生徒たちはやや重い空気を残して去って行く。ちらちらと目で追えば、ノックス先輩もまた苦味を深めて微笑んだ。
『ごめんね』と繰り返される穏やかな声が、ますます気まずさを強くしてくれる。ああ、ギルベルト先輩はまだだろうか。
「とりあえず、お話ですよね。ここで話して大丈夫なことですか?」
「あ…一応言っておくけど、告白とかそう言うのじゃないから。構えないで聞いてくれると嬉しいな」
そりゃそうだ、こんなところで告白なんてされても困ります。そもそも、割りと自由に動けているとは言え、今は公式の試験中なのだし。
「出来れば手短にお願い出来ますか? 私、人と待ち合わせをしてまして」
「それは知ってるよ。そんなに時間はとらせないし…」
そこまで口にして、またノックス先輩の眉がスッとつり上がった。怒っていると言うよりは、真面目な話をする時のような……
「…彼は、足止めさせて貰っているから」
「…………え?」
続いた想定外の言葉に、体温がいっきに下がった気がした。
ノックス先輩は今“彼”と言わなかったか? 私は『待ち合わせ』としか言っていないのに?
「君が待っているのは、クラルヴァイン先輩だろう?」
「……ッ!!」
そのまま、ハッキリ答えとなる言葉が続く。
この人、何で私と彼が一緒だと知っているの? 視界が悪くて気がつかなかったけど、さっきの実技場に居たのだろうか。
それに『足止め』って、一体どう言うこと? 良い意味で使われる言葉だった?
「な、んで……」
ぐるぐると回り始める疑問に、声がついて行かない。
わかるのは、向かいあった彼がとても真剣な表情で、色恋と言った浮かれた話ではないと言うことだけだ。
「心配しなくても、彼に危害を加えるつもりはないよ。それが出来る相手でもないし」
「だったら、どうして足止めなんて…ッ!!」
ようやく口をついて出たのは、私にしてはかなり低い声。焦っているのか、慌てているのか。
目を逸らしたくなくて、応えるように彼を強く睨みつける。
「君と話をしたかったんだ。単刀直入に聞かせて貰う」
けれど、私の威嚇など意にも介さず、力強い腕が私の右手をしっかりと掴み取った。
「彼にあの補助魔術を使ったのは、君だね?」
「……補助魔術?」
強い、ハッキリとした口調。なのに、問われた内容は想定外もいいところだ。
補助魔術? それはもしかして、あの気休めにもなっていない魔術のこと? なんでそんなことを聞くの、この人?
「た、確かに私がかけましたけど」
つい返す言葉から力が抜けてしまう。あんなあってもなくても変わらないものを、何故この人は真剣な表情で聞いているのだろう。まっすぐに向けられた視線は、依然こちらを射抜いたまま。目を逸らせない。
「………やっぱりか」
やがてこぼれた呟きには、ハッキリとした落胆と、何故か怒りがにじんで聞こえた。
落胆はわかるとしても、なんで彼が怒る必要があるの? 右手首は掴まれたまま、私の頭の上には疑問符ばかりがふってくる。
数秒間をおいて、深い深い溜め息の音。
「あの、一体なんなんですか? あんなのなくたって、ギルベルト先輩は元々強い人ですよ?」
「君はそれを本気で言っているの?」
居たたまれなくなって問いかければ、返って来るのはやはり怒った…いや、どちらかと言えば苛ついた声だ。
何でノックス先輩にそんな返され方をしなきゃいけないのか。私は告白を断った以外、迷惑をかけた覚えはない。顔を見たのだってあの放課後以来なのに。
理不尽な行動ばかりで、なんだか私の方まで胸がムカムカしてきた。
「本気で言っています。彼はとても強くて、凄い人です。私なんていなくても。とにかく、手を離して下さい」
「君は……」
グッと力を込めて、握り拳を作ってみる。が、悲しいかなノックス先輩に通じた気配はない。
『離してくれ!』と意思を強めて睨んでみるものの、何故か今度は哀れむような目を向けられてしまった。
本当に何だと言うんだろう、この人。単刀直入にって言いながら、意図が全く読めない。
「とにかく、離し…」
「フォースターさん、補助魔術が一つしかかけられないって、知ってる?」
「………何言ってるんですか?」
だから、単刀直入に、言って貰いたいのだけど!!
さっきから補助魔術・補助魔術って、それが一体何なのよ。演習試験において、そんなものに何の意味があるのか。
何で彼は、真面目な顔でずっとこっちを見つめているのか。
一つしか使えないなんて、聞いたことも………
「…………?」
聞いたことは、ない。補助は私の唯一の得意分野だ。
点数が稼げる魔術教科もないし、こと今回の演習において、そんなものを重要視する必要なんてない。
だけど『同時にいくつも使える』とも、聞いたことがない気がするのは、何故だろう。
「使えないんだよ、フォースターさん。少なくとも、君以外はね」
靄がかかったような頭に、ノックス先輩のハッキリとした声が響いた。
いやいや、そんな馬鹿なことはないだろう。だって先輩には、四つ同時にかけられたじゃないか。
もしかして、効果が薄すぎたから重複出来たとか? 皆が使う補助魔術は、もっと濃くて、もっと効果が強いとか……
「オレも、さっきのクラルヴァイン先輩で初めて見たんだ。あんなにしっかりと強化出来てる補助魔術なんて」
「しっかり…?」
繰り返す自嘲の言葉に、思いもよらない否定の声。
この人はふられた腹いせに人をからかっているのか? そう思おうとしても、まっすぐに私を映す濃い青眼には、ふざけている様子など微塵も見えない。
……よしんば、私の補助魔術に意味があったとして。
どうして彼はこんなに真剣に私に伝えて来るんだ? 彼とは戦っていないのに、牽制?
いいや、それなら絶対言わないだろうし。何より、こんな表情で私を見つめる意味がわからない。
(もしかして、彼はまだ、私に好意を持ってくれて………?)
「どうして」と、問おうとした声が、空気に消えた。
「……ッッ!?」
ピリッとした一瞬の痛みと共に右手が解放されて、驚くよりも速く顔が何かにぶつかった。
ぽすん、と。少し固くて温かい、今日はとても長い間触れているそれは、顔を確認するまでもない。
「クラルヴァイン先輩…ッ!!」
私が待っていた人物の名が、驚愕と共に呼ばれる。
引き寄せるように、肩にしっかりと腕を回して……ただし、服ごしでもわかるほどに、空気を張り詰めさせて。
「お前は振られた筈だろう。見苦しい真似は止めておけ」
頭上から降って来る声には、明らかに怒気が篭っている。足止めされていたと言っていたけど、ちゃんと無事なんだろうか。
確認しようにも、私を抱き締める腕が妙に気持ちよくて抜け出せない。…もしかしたら私は、ノックス先輩が怖かったのかもしれない。
見えないなりに二人の会話に耳を澄ませれば、彼の口からは予想外の言葉が飛び出した。
「……貴方はやはり、彼女を利用しているんですね」と。




