35:戦いの合間
今の彼を言葉で表現しろと言われたら、語彙の少ない私は『無敵』とか『最強』とかそんな安っぽい言葉を使ってしまうかもしれない。
「せ、先輩下ろして! 私重いですから!!」
砂埃が立ちこめる廃墟と化した実技場。相変わらずあちこちで爆音と怒号・悲鳴が響き渡っているが、それが一際大きいのは間違いなく“ここ”だと思う。
「危ないから捕まってろ。跳ぶぞ!」
「跳ぶって……ちょ、“飛んで”ますよッッ!?」
突風に揺れる青銀の髪が、太陽を反射して輝く。
吹き付ける攻撃の嵐を乗りこなすように、ギルベルト先輩の体は地上から高く飛び上がった。“跳んで”いるのだけど、その高さは明らかにジャンプでなく鳥の視点だ。
…それも、私と言う人間を一人抱きかかえたままで。
「…大丈夫だ。怖くない」
何とも言えない浮遊感に身を縮めれば、耳元にふってくるのはどこまでも落ち着いた優しい声。
間近には、青空を背景に微笑む先輩の顔があって…この人はなんて堂々としているんだろう。
時間が遅くなったように。ゆっくり、ゆっくりと、先輩の後ろの雲が回って……
「うわあああああ!?」
「っと! メリル、口閉じてないと危ないぞ?」
思わず見惚れている間に回転していたらしい。予想外の方向に引っ張られて、先輩の首にしがみついてしまう。
彼はと言えば身長の倍以上の高さまで跳んでいたのに、あまりにも平然と着地を決めて、その動きのままに杖を構え直していた。
「あ、有り得ないだろ…!」
先輩と向かい合った誰かが呟いた台詞は、正しく私の心の声だ。
一体なんだと言うのか、このやたら無敵な男は。
ガードナー先輩と別れてからすぐに、私たちはまた別の生徒の集団から襲撃を受けた。
男女入り混じった中等科生が主だったけど、先輩は特に驚いた様子も見せず、あっさりさっぱりとその攻撃の嵐を跳ね除けてしまったのだ。
その辺りで『こいつは危ない』と言う認定を受けてしまったのだろう。
一体どこに隠れていたのか、わらわらと現れた生徒たちは、皆いっせいに私たちを狙い始めた。先輩の言った通り『強い相手を倒すために結託する集団』そのものだ。
攻撃を得意としている人はもちろん、防御担当が後方支援者を守り、まるで戦闘部隊のように連携して挑んで来る中で……先ほどのアレである。
攻撃の嵐を軽々といなし、能力を見せ付けた上で余裕の構え。よく見たら、後衛だった生徒が何人も座り込んでいる。
ってことは、さっきの浮いている間にも何かしていたのか!?
「先輩が凄すぎて、なんかもうついていけなくなってきました…」
「何言ってるんだ。メリルがいなかったら、さすがにここまでは動けないぞ?」
呆然と立ち尽くす私に、頭上から降るのは相変わらず優しい声。
私がやったことと言えば、こうやってしがみついてお荷物になっているだけだ。敵側に感謝されることはあっても、先輩に褒められる理由はないんだけど…
(あ、いけない。そろそろ効果切れるわね)
ふと、掴んだ制服の向こうから魔術が消えていく感覚が伝わって来る。…他に私がやったことなんて、この気休め程度の補助魔術だけだ。
なるべく彼の負担を減らせるように、そう願いながら魔術を紡ぎ直すけれど…出来はあくまで劣等生の私レベル。気休めになっているのかもやっぱり怪しいぐらいだ。
「…有難う、メリル」
けれど、先輩は毎回嬉しそうに笑いかけてくれる。この人の優しさが、今回ばかりは心に痛いわ。
「もう少し役に立てたら良かったんですけど」
「充分すぎる。まあ、こうして一日くっついていられるだけで、俺は幸せだけどな」
そう言って引き寄せて、私の髪を撫でて、思い切り甘やかしてくれる。
もちろん嬉しいけど、やっぱり何と言うか…自分が情けないなあとも思ってしまう。この人がさっきから素晴らしい強さを見せてくれているだけに、余計にね。
「だから、こっちを無視すんな!! 試験中にいちゃいちゃすんな!! 先輩だからって、何でも許されると思うなよー!!!」
「ちくしょー!! モテる男なんて全員ハゲちまえー!!」
…ついでに、毎回毎回こうして敵側の方に怒られるのも申し訳ないなあと思う。
「先輩なら、禿げても格好良さそうですけどね」
「…一応弁明するなら、俺の父も祖父も禿げてないからな?」
更についでに、先輩が今日ここまでで一番戸惑った表情見せたのが、攻撃魔術でなく私の一言ってのも、なんか皆さんごめんなさい。
* * *
そんなこんなで、第五実技場をようやく出る頃には、私たち…主にギルベルト先輩がかなりの数の生徒を撃沈させた後だった。
当然中には途中で逃げた人たちもいたし、全員を失格に出来た訳ではないけれど、それでも一人の生徒が対応するにはあまりに多い数だろう。
さすがに疲れたのだろうか、先輩はコキコキと音を鳴らしながら首や肩を回している。
(こんな時は優しくしてあげたいけど…)
彼の頭に手を伸ばす。…が、身長差ゆえに背伸びをしても上手く届かない。
「ん? どうしたメリル」
「あ」
少しして、意図に気付いた先輩がかがんでくれたので、思い切り頭を撫でてあげた。
いつもは私がして貰っていること。私が大好きなことだ。少しでも労いが伝わればいいんだけど。
「…お疲れ様、ギル」
「こうして貰えるなら、いくらでも頑張れるな」
目を閉じて私に頭を預けてくれる彼は、実技場で見た頼れる先輩とはまた少し違う顔をしている。
穏やかに息をはく姿からは、やはり疲れを感じる。本当に彼にばかり頑張って貰ってしまった。こうして無事に乗り切れたことも、感謝してもしきれないわ。
青銀の髪は絡むこともなく、さらさらと指を滑り落ちていく。私の猫っ毛と違って、芯のある綺麗な髪だ。
……やっぱり先輩は禿げてない方がいいかもしれない。
「何か失礼なことを考えてないか?」
「考えてませんよ。先輩の髪キレイだなーと思って」
「俺はメリルの髪の方が好きだけどな」
そんなどうでもいい、ありふれた話をしながら、私たちは実技場を後にする。
演習はまだ続いている。特に次の行き場所は決めていないけれど、今は少しでも先輩に体を休めて貰いたかった。
* * *
「で、ここなのか。まあ、暇な時に行っておくのは正解だが」
「……す、すみません。他に思い浮かばなくて」
それから少し歩いて、結局私たちが辿りついたのは実技場からほど近くにあった共用洗面所。ようはお手洗いである。
この演習試験中は、学院内のほぼ全域に監視用の魔術が張り巡らされているらしいのだけど、お手洗いだけはその範囲外なのだ。いや、監視されても困るけど。
ただし、この中では魔術が完全に使えないようになっていて、ちょっとした休憩・作戦用の場所としても機能している。
「じゃあメリル、そこの柱の前で待ち合わせな」
「はい」
先輩が男子用の建物に入って行くのを見届けてから、私も女子用の扉をくぐる。
まあ案の定と言うか、個室は空いているにも関わらず、流し台や鏡の前には生徒がわらわらと溜まっていた。
それも、化粧直しに勤しんでいる訳ではなく、皆深刻な顔で立ち回りや罠がどうのと話しているのだ。
さすが国立名門校。ここの流し部分がやったらに広くなっているのも、きっとこう言うことを見越してなんだろう。手を洗うのにそんなに広さは必要ないし。
とりあえず用を足した後、流しの女子たちと情報交換をしてから待ち合わせ場所へと向かう。
何でも、性格の悪い生徒ほど学舎の中に潜んでいるらしいので気をつけてとのことだった。外も十分凄かったけど、屋内はもっと大変なんだろうか。改めて恐るべしだわ、演習試験。
(さてと、先輩は…まだ来てないみたいね)
お手洗いから少し離れた柱の前では、私たちと同じように待ち合わせをしている生徒たちが沢山集まっていた。先輩の姿はまだ見えない。私と違って彼は背も高いし、来たらすぐに気付くだろう。
石製の壁に背を預けて、ぼんやりと辺りを眺めて見る。誰も彼も薄紫色の制服を少し汚して、真剣な面持ちをしている。緊張なのか、あるいは戦う決意なのか。
こちらをチラチラと見てくる彼らは、きっと先ほどまで実技場に居たのだろう。私が一人なのを何度も確かめながら、男子お手洗いに入って行く。うん、そっちに先輩いるんですけどね。
あとは、やはり泣いている女子もまばらに見受けられる。負傷もしたのか、ところどころに赤茶色い染みをつけて。私も先輩と組んでいなかったら、あの子たちのようになっていたのだと思うと、今更ながら体が震える。
ここまでの戦いで、私はほとんど何も出来なかったから。責任者が正式に決めた組とは言え、なんだか本当に申し訳ない。
(ここからはもう少し役に立てるといいんだけど…)
と言っても、恐らく先ほどの実技場が一番の激戦区なのだろうし。先輩ももう戦うのは満足しただろう、多分。
役に立つとしたら、一体何をしたものか…
「……ん?」
そうこう悩んでいたら、私の方へまっすぐ向かって来る人物が目に入った。
背の高い男子……だけど、ギルベルト先輩ではない。
「貴方は…」
薄緑色の肩口までの髪に、少し垂れ気味な濃い青色の目。顔立ちは優しいのに、眉を吊り上げ、真剣な表情でこちらへ向かって来ている。
「……ノックス先輩?」
「久しぶりだね、フォースターさん。ちょっと話せるかな?」