24:意外すぎる事件
……とりあえず、今年の私はおかしいと思う。
良いも悪いもひっくるめて、何でこんなに初体験の出来事が起こるのか。
私は何か悪いことでもしたのだろうか?
問いかけても、答えてくれる人物はすでに駆け去った後。
残された私は一人、赤く染まった空の下で、しばらくの間立ち尽くしていた。
* * *
ことの発端はお昼休み。
いつものように先輩と昼食を過ごし、ほんのり幸せ気分で教室に戻ったところ、クラスの男子が待ちかねていたかのように声をかけて来たのだ。
名前ぐらいは知ってるけれど、互いに用がなければ話すこともない。その程度の、さして付き合いもない男子だ。
「どうしたの? 私に何か?」
「今日って放課後予定ある?」
先輩とは今日は約束をしていないし、モニカや他の子とも何もない。
少し考えてから首を横にふると、明らかにホッとした表情で、とんでもないことを言い出した。
「実は先輩に頼まれてさ。放課後、中庭の噴水のとこに行って貰っていいか?」
「………え?」
『先輩に頼まれた』
その言葉から始まる呼び出しは、あまり思い出したくない記憶だ。
途端に血の気の引いていく私に、彼は気にした素振りもなく話を続けている。
「あ、あの…ごめんね。用件とか、そう言うの聞いてない?」
「そりゃ知ってるけど…悪い、俺からは言えないわ。本人に直接聞いてくれ」
「………そう」
内容不明ってますます怪しいじゃないか。
イライザさんたちは確か今、強制的に家に帰されているはずだ。
けど、彼女本人じゃなくても、それを逆恨みした彼女の友人と言う可能性はある。
もしくは他の人…それこそ、ギルベルト先輩に好意を寄せている女性なんて沢山いるだろうし。
(…断るべきよね)
底辺院生がわざわざ危険に頭を突っ込むこともないだろう。
安堵の表情で返事を待っている彼に、どう返したら悪くないかと考えていると、ポンと肩に手が乗せられた。
「ねえ、その人の名前は? それぐらいは教えるべきだと思うけど」
「モニカ!」
ふわりと揺れた亜麻色の髪の向こうで、大きめのメガネが光る。
私の親友は、本当にいつも最高のタイミングで現れてくれるみたいだ。素敵すぎる。
「あ、言ってなかったか? 悪い。三年のノックス先輩って知ってるか?」
「ノックスさん……?」
意外にもあっさりと答えられたが…残念ながら、私の知らない人のようだ。まあ、そもそも三年生に知り合いなんて一人二人しかいないのだけど。
疑問符が増えただけの私とは違い、情報通のモニカはその名前に覚えがあったらしい。少し考える様子を見せた後、眉をひそめて彼に聞き直す。
「三年のノックスさんって、男が一人しかいないけど」
「そうそう、その人。寮で世話になってて断れなくってさー!」
「……男の人?」
あんまりにも軽い調子で返されたのは、かなり意外な答えだった。
ギルベルト先輩は、男の人にも縁があるのだろうか。いや、好意云々以外でも、あの人の家柄なら有り得るのか。
(でも、クラルヴァイン家のことなら、何で私が呼び出されるんだろう?)
『体質』のことが公になっているとも聞かないし。もしかして、本人に取り入るための仲介役でも頼まれるんだろうか? …うん、よろしくない予感しかしないわ。
(何にせよ、知らない相手の呼び出しなんて、断っておくのが無難よね)
私が考えている間も、モニカは彼と話し込んでいたようだ。会話に割り込もうと近付くと、二人そろって何とも言えない生暖かい笑顔を向けてきた。
「な、何?」
「何でもないわ。危害を加えるつもりはなさそうだから、会うだけ会ってきたら?」
「え!? モニカは賛成なの?」
何てことだ、親友に裏切られてしまった。
驚いた私に、二人はますます笑みを深める。にこにこと言うよりニヤニヤだ。何なんだ全く。
「俺からも頼む、顔立ててくれよ! 会ってくれるだけでいいから!」
「は、はあ…」
人にものを頼むなら、その何とも言えないニヤ笑いを止めて欲しいのだけど。
まあ、モニカが賛成するってことは、ノックスさんとやらは本当に無害なんだろう。いつかの二の舞にならないのならいいけど。
(実害がなくても、利用されるのも嫌なんだけどなあ…)
* * *
そして無事に授業を終えて、(このところずっと)波乱の放課後がやって来た。
モニカは最後までニヤ笑いを浮かべたまま、教室を出る私を見送ってくれた。何なんだか、全く。
ちなみに、このやたら規模の大きな学院には、“庭”と呼ばれる場所が二箇所ある。
私たちの教室棟と渡り廊下で繋がった特殊棟に挟まれているのが『中庭』、少し離れた特殊棟の裏手にあるのが『裏庭』だ。
『中庭』の方が広く日当たりも良く、正門前と揃いの噴水があることも相まって、こちらの方が利用率は断然高い。呼び出された場所が『裏庭』の方だったら行かなかったと思う。
逸る心臓を押さえつつ、渡り廊下から噴水付近の様子を伺う。なるべく急いで来たつもりだけど、どうやら呼び出し主の方が早かったみたいだ。
(…うん、やっぱり知らない人だわ)
けど、ノックスさんが男と言うのは本当のようだ。先輩よりは低いものの、なかなか高い身長に、肩まで伸ばした薄めの緑髪。ここからでは後姿しか見えないけど、男性らしいしっかりとした体格が伺える。
「あの、お待たせしてすみません」
意を決して声をかけてみると、振り返った青年の顔に途端に朱色がさした。
瞳の色は濃い青。先輩とは逆の、少し垂れ目で優しい顔立ちをしている。
「フォースターさん、来てくれて有難う」
「いえ。えっと、ノックス先輩、ですよね?」
名前を確認すると、嬉しそうに微笑んでくれる。この人体格はしっかりしているけど、笑い方は“可憐”と言う表現がぴったりだわ。…女の私より可愛いかも。
「急に呼び出して悪かったね。来てくれて、本当に嬉しい」
「とんでもないです。それで、私に何のご用でしょうか?」
空は青から赤へと変わりゆく美しい時間。白い石製の噴水が彼を引き立てて、まるでおとぎ話の再現のようだ。
………いや、と言うか、この空気は何だ?
妙に雰囲気のある…男と女が、二人きり。あれ? これってもしかして?
一瞬頭をよぎった分不相応な妄想を振り払って、向かいの彼の言葉を待つ。
なんか耳まで赤いような気がするけど、きっと夕日のせいだろう、うん。
「……ひとつ、確認したいんだけどいいかな?」
「は、はい。なんでしょう?」
十数秒待って、あやうく逃避しかけた頭が連れ戻された。初見の先輩の目が、とても真剣に私を見つめている。
「フォースターさんは、クラルヴァイン先輩と付き合ってるの?」
「へ? つきあって……」
あんまりにも真剣に聞かれるから、一瞬言われた意味がわからなかった。
付き合うってのはアレよね。男女関係、恋人同士と言うことよね?
・・・・・・・・・・・・・・。
「…………ないです」
「え、あ、そうなんだ」
驚きの含まれた返事に、胸がちくりと痛む。
そうですよ。まだ一緒にご飯を食べるだけの仲ですとも。抱かせろって言われたこともあるし、三日に一度は抱擁の刑にあってますけど。
(付き合ってないわ、私たち)
先輩から、そういう言葉を一度も聞いたことがない。悲しいかな、私たちはまだ『昼を一緒するだけの関係』から何も変わっていなかった。
改めて確認して凹むってことは多分、私はそう言う関係を望んでいるってことなんだろう。
うっかり吐きかけた溜め息を半分だけこぼす。別に、『恋人』と言う肩書きがなくても、傍に居られればいいとも思うけど…
そんなしょうもない思考にぐるぐるしていたら、ふいに、手をとられた。
目の前にいるのは、別の男性なのに。
「え?」
反応が遅れてしまった。知らない手の感触だと、慌てて顔を上げる。
夕日にあてられたにしては赤すぎる顔のノックスさんが、見つめていた。
「だったら、オレと付き合ってくれないか。君が一年の頃から、ずっと見ていたんだ」
「…………へ?」
何を言われたのか、わからなかった。
付き合ってくれないか、と。ギルベルト先輩じゃない人に言われた……?
頭が追いつかない。これはなに? もしかして、さっきの妄想の続き? それとも、
「へ、返事はいつでもいいから! それじゃ、今日は有難う!!」
……現実だったらしい。
言うだけ言い切ったノックスさんは、掴んだ手を一瞬だけ握り締めて、脱兎のごとく走り去って行ってしまった。
雰囲気の残る中庭には、ぽつんと私一人きり。
「………なんだこれ」
一体、私にどうしろと言うのですかこの状況。
放課後はやっぱり、頭が痛くなる出来事しか連れてこない。
メリル・フォースター17歳、本日生まれて初めて、男性に交際を申し込まれました。
ただし、想い人じゃない男に。
メリル絶賛モテ期のようです。