20:すれちがい
「話をするなら落ち着ける場所で」と言うことで、先輩に抱えられたままやって来たのは昼食ぶりの食堂だった。
昼時は院生でごった返しているここも、放課後ともなれば利用者はほとんどいない。
学院が開いている時間はずっと利用出来るのだけど、今日も自習をしている院生が二・三人居るぐらいだ。無駄に広い空間に、厨房の片付け音だけが響いている。
さすがに夕日は避けたのか、窓辺でなく壁沿いの端の席に私を下ろすと、先輩は飲み物を注文しに行ってしまった。
魔力も回復してきたし、私は今のうちに足を治療してしまおう。
ちなみに『回復魔術』と言うのも、一年の頃に習う初級魔術の一つだ。程度にはよるものの、消費する魔力も多くないし、私でも簡単に扱える。
ただし、この魔術は特殊なものの一つでもあり、使用者には『適性』が求められる。生まれ持つソレがない場合は、どんなに優れた魔術師でも使えないのだ。
戦闘魔術はからっきしだけど、これが使えると言う点は杖の形に続いて自慢の一つだ。
……まあ、他が全然ダメだから、下から数えた方が早い成績なんだけど。
「……ん、こんなもん、かな」
淡い光が足首を包み込み、お湯に浸けているような温かさが広がっていく。
じわじわと響いていた鈍痛も和らいで、十数秒の後にはすっかり腫れも見えなくなっていた。
「メリルは適性があるんだな。羨ましい」
ふいにかけられた声に振り向けば、いつの間にか先輩が戻って来ていた。脚が長い分、動きも早いらしい。
手には小さめのお盆を持って、その上には湯気を立てるそろいのカップが見える。
「紅茶で良かったか?」
「有難う御座います。先輩は適性なかったんですか?」
「俺は壊す方の専門だ」
苦笑しつつも、慣れた手つきでカップを渡してくれる。
ふんわりと広がる香りが緊張を和らげてくれるみたいだ。
「…ん、美味しい」
香りもさることながら、味の方も文句なし。この学院のことだから、茶葉一つとっても質にこだわっているんだろう。
一口含めば染み渡っていく温かさに、二人そろって溜め息がこぼれる。私が寮で適当に淹れるお茶とは大違いだわ。
「…それで、俺に話があるんだろう?」
一通り紅茶を楽しんだ後、先に口を開いたのは先輩だった。
今日のことを気にしているんだろう。口調には覇気がなく、眉を下げて、また泣きそうな顔をしている。
「あの、今日のことについてではないですよ? あの人たちの行動は、先輩のせいじゃありませんし」
むしろ、ある意味先輩も被害者だろう。半年も前にちゃんと別れていたみたいだし。好き過ぎて暴走したならまだしも、そうでもなかったみたいだし。
「だが、俺がメリルに関わらなければ、こんな目にも遭わなかっただろう」
「それはそうですが、他人の思考や行動にまで責任をとれと言うのもおかしいでしょう。そんなことを責めるつもりはありませんし、助けに来て下さったことには感謝してます」
なるべく優しく答えて頭を下げる。
先輩は一瞬だけ戸惑いを見せて、「ありがとう」と小さく呟いた。
「先輩を責めるつもりも怒るつもりもありません。ただ、一つハッキリしなきゃいけないことがあるだけです」
カップを置いて深呼吸をする私に、向かい合った先輩も顔を引き締める。
重い話でも暗い話でもないのに、降りた沈黙は妙に息苦しい。
「私は、先輩の何ですか?」
数秒の後、私が口にしたのはイライザさんに問われたものそのままだ。
他人に言われて気付くなんておかしいけれど、答えられなかったのは事実だもの。
先輩はきょとんと音がしそうな表情で固まっている。
まあ無理もない。先輩にとっては、その理由は非常に確かなものなんだから。
「先輩は『私の体質が欲しいから』私に近付いたんですよね」
「あ、ああ。きっかけはそうだったな」
確認する問いに、驚いた表情のまま頷く。彼にとっては『今更何言ってんだ?』な話なのかもしれない。
「“クラルヴァイン家にとって私の体質が必要だから”、貴方が私に近付いた理由はハッキリしています。じゃあ、今の私たちは何なんでしょうか?」
「悪いメリル、質問の意味がわからない」
授業中の生徒のように先輩が片手を上げる。驚きは消えて、今は困惑に近い表情になった。
「えっと、整理しますね。先輩の最初の“依頼”を私が断った訳じゃないですか」
「ああ。それで、恋愛感情があれば問題ないと言う話になったな。俺は今メリルを口説いている最中だ」
「……でもそれって、“理由があって口説いているだけ”で、本当に恋愛をしている訳じゃないんですよね」
少しだけ低くなってしまった声に、先輩の動きがピタッと止まった。
そうなんだ。彼は『やり方』を変えただけで、『恋愛をしている訳じゃない』
目的は最初から多分変わっていない。私は依然、“説得”をされているだけなんだ。
「私、先輩みたいに女の子として扱ってくれる人、初めてなんです。知人や友人、実家のご近所さんとか男性と話はしますけど、色恋ごとには本当に無縁だったから」
膝の上に乗せている手が、無意識でスカートを握り締めていた。
…なんとなく気付いていたけど、私はこれを話したくないみたいだ。手のひらにはうっすらと汗の感触も出てきた。
でも、ちゃんと話さないといけない。ちゃんと聞いて、決めなきゃいけない。
「こんな綺麗な男の人に誘って貰えて、女の子扱いして貰えて。文句ばっかり言ってましたけど、本当は浮かれていたんです。きっと私は嬉しかった」
ああ、そうだ。嫌がってたのも嘘じゃないけど、嬉しかったんだ。
まるで恋人のような扱いをして貰えて、ドキドキしていた。差し出してくれる手も向けてくれる微笑みも、本当は嬉しくて浮かれていた。
彼の本意じゃないって、知っていたはずなのに。
「生ぬるい時間に酔って、ただただ流されて、気付かなきゃいけないことに気付かなかった」
二人で過ごす生ぬるい時間が、心地よかったから。
『愛されている自分』に、もっと酔っていたかったから。
「……今日のイライザさんたちに気付かされました。私が先輩としていることは、『理由』を知らない人には違うように映って見えるんですね。彼女たちを擁護する気はさらさらありませんけど、他の人にも同じように見えていたらどうなんだろうって……そう、思って」
今日の一件のように、荒事に持っていくような人たちはどうでもいい。
知らずに“誤解して”、恋を諦めてしまう人もいるんじゃないだろうか。
もしその諦めてしまう人が、以前私が想像したような、彼の好みにぴったりの……それこそ、本当の大恋愛が出来る相手だったらどうだろう。
私の相手をしていたせいで、彼が本当の幸せを逃してしまったなら。
「ここの学院生活は長いです。人生において、欠かせない出逢いもあると思うんです。私は、貴方の邪魔をしたくないし、私の邪魔もして欲しくないです」
「…………はっきり言ってくれるか、メリル」
ふいにかけられた声は低く、結論を急かすように聞こえた。
睨まれた訳でもないのに、ただ真っ直ぐに向けられた視線が痛い。
もう一度スカートを握り直して、なるべく普通に、笑っているように顔を作って、答える。
「この『やり方』やめませんか? 諦めろと言いたいところですけど、私の体質は別の方法で交渉して欲しいんです。貴方のためにも、私のためにも」
昼食を一緒にとるだけだったけど。それでも、ごっこ遊びは止めにしよう。
私たちは友達でも、ましてや恋人でもなかった。
たとえ、この胸に芽生えた何かに、気付いているとしても。
長い、長い沈黙が降りる。
窓の外は黒に近付き、下校を告げる鐘が鳴っている。
いつの間にか食堂にいた他の院生はいなくなっていて、注文口にも終了の看板がかかっていた。
「…………信じて、くれなかったのか」
やがて、ぽつりと先輩が呟いた。
何を言ったのか聞き返そうとして…止められる。整った顔立ちは、深く皺を刻んで歪んでいたから。
「『理由』を、先に提示したのは俺だ。ずっと強引だったことも、沢山迷惑をかけたことも、ちゃんと知ってる」
ぽつ、ぽつと。間をおきながら言葉が続く。
金眼は完全に閉じて、長い前髪の影に隠れてしまう。
「『理由』があったからいけないのか…『理由』がなければいけないのか…」
「何を…?」
問いかけに返事はない。
低く、はっきりしない呟きはうまく聞き取れない。
俯いたままの彼に、何とか話しかけようとして
「“俺”は、ただ、メリルの傍に居たかったんだ」
再び開いた金色の目とはっきり合った。
輝くような色合いなのに、その中にはただ悲しさだけが浮かんで見えて。
「すまなかった」と、謝罪の言葉を最後に、長身のシルエットは食堂から去って行った。
私は、かける言葉が見当たらないまま、ただそれを見送って
翌日から、先輩は昼食の誘いには来なくなった。
タイトル通りのお話で御座いました。
次回はサイド話です。恐らく誰もが思っているであろうことは、彼が代弁してくれると思います。多分。




